ep0. 「真夏の夜の爪」 ⑩風俗店の払い下げ品、小公女と12歳
直感。
概史が彼女に初めて話しかけたのは昼休憩の図書室でだった。
「小公女」という低学年向けの児童書。
今風の少女漫画の絵柄の挿絵が描かれたその本を食い入るように図書室の隅に立って読んでいる。
ただ独り味方の居ない戦地で反撃の狼煙を上げる機会を伺う孤独な兵士のような眼で活字を追う。
こいつは皆が言うような白痴じゃない。
とてつもない量、弾薬庫にあるような燃え盛る矜持を隠し持っているのではないか。
概史の脊髄に電流にも似た直感が走った。そしてその直感は当たっていたのだった。
よぅ、何読んでるんだ?と概史は彼女に声を掛けた。それが開始の合図だった。
貰い物のケーキ、おれんちの冷蔵庫に入ってるから食って帰らね?と誘う概史に対して彼女は警戒する素振りを見せず付いてきた。
概史の家までの道中で質問された事は素直に答え、概史はおおよその井田家と彼女の環境を把握した。
家に着いて二つのランドセルを玄関に放り投げるなり概史はボックスティッシュを彼女に投げて寄越し、鼻を噛むよう指示した。ズルズルと独特の嫌な音を立てて大量のゲル状の粘液が体外に排出される。鼻噛んだか、じゃあ次はうがいだな、後ついでに手ェ洗っとけ、と次の動作を促す。
イソジンあるから使っとけ、と小さなキャップに適量注いだ茶色の薬剤を渡す。
彼女はコクンと素直に頷き、うがいを念入りに行う。
じゃあ次は歯磨きな、と矢継ぎ早に次の指示が出されホテルのアメニティの使い捨て歯ブラシが投げて寄越された。大量のポケットティッシュと粗品と思しきタオルハンカチがどこからか引っ張り出されリビングのテーブルに置かれた。
ティッシュとハンカチは学校に持って行け、トイレの個室で鼻を噛んで痰は吐き出せ、あとは風呂だと概史は彼女をバスルームに押し込む。
抵抗する様子のない彼女の服を剥ぎ取り、念入りに身体中を洗った。髪は特に丁寧に2回洗い、仕上げにトリートメントを施した。
風呂上がりに兄のワイシャツを着せられドライヤーで慎重に髪を乾かされた彼女は黙ってソファに座っていた。
兄、フーミンが閉店した風俗店の店長から払い下げ品を貰ってきたというダンボールを逆さにして全てのコスチュームを床にぶち撒ける。
この家にある女性向けの衣類はこれだけだった。
少し古い年代のジャンルのセレクトなのは仕方なかった。
アニメの制服系やら戦闘服系は往来を着て歩くには厳しすぎる、と呟きながらこれらを物色する。
セーラーヴィーナス、ハルヒの制服。
プラグスーツは論外だ。せめてメイド服系統ならゴスロリで押し通せそうだろうか、と思案しながら引っ掻き回す。
未開封と思しきビニール袋に入った衣類が目に入る。
サイズの発注ミスで未使用のままであったのだろうか。
葛城ミサトのネルフ制服の5号。
ベレー帽とジャケットが無ければギリギリ着て外に出られるか?擦り切れて乳首が見えかねんゴミみたいな服よりいいだろ、また探しとくからとりあえず着とけと彼女に投げて寄越す。
十字架のペンダントの入った小さなビニール袋が服のタグと一緒に留められている。
ガチャガチャの大きめのカプセルに一枚ずつ入れられた色とりどりのショーツの中から比較的まともな色を選び、洗面台の奥から出てきた脱毛ワックスで顔や手足の産毛をなんとなく処理し、痛んで折れチリチリになった髪先もそれとなくカットした。
なんとか見れるようにはなったな、とチーズケーキを頬張りながら概史はシャワーで濡れたTシャツを脱ぎ捨てた。
彼女は苺のショートケーキに齧り付きながらも箱の中に残ったモンブランを凝視している。
お前、鏡見てみろよと概史は彼女に手鏡を渡す。手鏡をチラリと見てすぐに視線をモンブランに戻した彼女はこう呟いた。
「もう一個食べていい?」
若いうちはいくらでも食べられる。