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37 通じあっていたもの

「あっ、の、どうしたっ……んですか?」


 泣いていたこともあってか、友樹(とも き)は声を震わせている。それは決して茅野(ちが や)に対する恐怖の怯えなどではない。


「な……」


 次の瞬間、友樹の顔は肩口の上に移動していた。俺もこれには驚きを隠せなかった。


「あのっ、ちょっと、」


 未だに声を少し震わせながら言う友樹。


「辛かったね。全部お姉さんに話して、スッキリしよ?」


 当事者以外は誰一人として声をあげることはない。いや、驚きすぎて声が出ないだけかもしれない。


「……はぃ」


 最初こそ顔を赤くして恥ずかしさ全開の友樹だったが、茅野の包容力にすっかりやられてしまっていた。


「僕っ、ずっと、練習しって、きたの、に。……悔し、くてっ」


 友樹はまたも涙を流し始めてしまった。もう彼の顔はぐちゃぐちゃだった。そして、その姿を眺める大也(だい や)


「ゆっくりでいいよ。ゆっくり、ね?」


 茅野は友樹の頭をゆっくりとなでている。それはまるで我が子を親が慰めている構図そのものだった。


 そして、友樹は一通り泣き終えたあとに、言葉を紡ぎ始めた。


「僕はバスケ部の部長だったんです。そして今年、中学三年生になった僕は、引退試合を控えていました。なのに……」


 友樹の目元が、またもみるみる潤み始める。


「大丈夫よ、大丈夫」


 茅野の声を聞いてか、友樹はなんとか半泣き程度で抑えることができたようだった。茅野の癒し力、恐るべし。


 友樹は気持ちをある程度落ちつけてから、また話し始める。


「なのに、試合一週間前に熱が出て、病院に行った結果、肺炎と診断されました。それでお医者さんには『試合には出ないでほしい』と言われて、試合は断念しなきゃいけませんでした」


 俺たちは、ただただ友樹の話に聞き入っている。


「それで、僕は試合にも見に行くことができなかったんです。そしたら、その夜に部の友達のお母さんから電話がありました」


 茅野は友樹の話をこくこくと頷きつつ、そして時折、頭をなでつつ聞いている。


「『ごめんね。負けちゃった』と。正直……、すごく悲しかった。悔しかった。そもそも僕がバスケを始めたのは、その子からバスケ部の誘いを受けたからなんです」


 そうか。俺はバスケ自体は小学校の頃からやっているが、たしかに、俺が中学でバスケ部だったときにも、中学からバスケに本格的に触れた奴のほうが多かった。


「だから、その友達と一緒に試合に出たかった、皆と一緒に試合に出たかった。それだけだったのに……」


 俺には友樹の悔しさはわからない。わかるわけがない。


 けれども、その友達と試合に出れなかったのが相当悔しかったことだけは、彼の表情や喋り方を見ていればわかる。


「でも、今思うと、その気持ちを抱いていたのは僕だけだったのかな、なんてことも思うんです」


 友樹はなおも言葉を続ける。


「僕の独りよがりだったのかな、なんて。だって、僕は中学でバスケ部に入るまでバスケをほとんどやったこともない、ど素人だったんですよ」


 すると、隣で話を黙って聞いていた大也が突如として大声を上げた。


「そんなわけないじゃい! 俺たちだって、友樹を含めたバスケ部員全員で……引退試合に出たかったんじゃ」


 友樹は茅野に密着したまま、顔の向きだけを動かして大也を一瞥した。


「……ありがとう。でも、たぶんあいつはそうは思ってなかったと思う。俺がもし、あいつの立場だったら……、俺は自分に嫉妬していただろうから」


 あいつってのは、友樹をバスケ部に誘ってくれた友達のことだよな、おそらく。


「だってさ、バスケを中学になって始めた奴がチームのキャプテンになってるんだよ? 俺だったら絶対、『なんでこんなバスケを始めたばっかの奴がキャプテンに?』って思うもん」


 友樹の心の中では今日まで、相当に濁った感情が渦巻いていたのだろう。じゃなきゃ、ここまで矢継ぎ早に言葉を発せられまい。


「だから、あいつもきっと『自分より遅くバスケを始めたのに、出しゃばってキャプテンになった罰があたって清々《せいせい》したぜ!』って思ってるよ」


 随分と投げやりなトーンで言う友樹。先ほどから大也は下唇を噛み締めているのがわかる。すると……


「ふざけんな! そんなわけないだろ……」


「え、」


 大也の言葉に対して何か刺さるものがあったのだろう。友樹は勢いよく大也のほうに振り向いた。


「その言葉を(けん)ちゃんにも聞かせてみろ。健ちゃんがどんだけ悲しむことか……」


「どういう、こと?」


 友樹の問いに大也は間髪入れずに答える。


「友樹は試合後の健ちゃんを知らないと思うけどな、健ちゃんは試合が終わっても、ずっと友樹のことばっか話してたんじゃ……」


 なおも大也は、言葉を紡ぐことをやめない。


「『こんなんじゃ友樹に顔向けできねぇよ。あいつに、絶対俺たちが勝って途中からでも一緒に試合出ような! って約束したのに……』って泣きながら言ってたんじゃ」


 妙にはっきりと聞き取れる小さい声で友樹がぼそっと呟いた。


「覚えてて、くれてたんだ……。てっきりその場限りの間に合わせの言葉かと。あいつはその言葉、とっくに忘れてると思ってた……」


「そんなわけないじゃろ? 試合前も健ちゃんはずっと言ってた。『最後には友樹も含めた皆で試合に勝とうな』って。『だから、何がなんでも友樹が戻ってくるまでは勝ち続けような!』って」


 その途端、友樹が茅野から離れ、ものすごい勢いで大也に抱きついた。


「おっと……、危ない。やっぱり友樹はガキじゃな」


「ごめん……ごめん……。俺、ずっと自分勝手なことばっか言って。皆の気持ちも考えないで」


「いいわい。でも、その気持ちは俺じゃなくて健ちゃんに伝えてあげるほうがいい」


 友樹は大也の発言に納得いっているのか、首をこくこくと縦に振っている。


 そして、茅野が聞こえるか聞こえないかの音量で吐息を漏らし、言葉を続ける。


「もう、私は必要ないみたいね」


 そう言うと、茅野がゆっくりと俺たちのほうに戻ってきた。だから、俺は言ってやった。


「茅野――ショタコンだろ」


 絶対に俺が言うべき言葉はこれではない。でも、だからこそ言ってみたかったのだ。


「……ショ、ショタコン? 何それ?」


「おいおい、そのぐらい本当は知ってるだろ? ごまかしても無駄だ」


 茅野は早めに観念したのか、その言葉の知らないフリをやめた。


「わかった……。でも、そんなことないけど。むしろ違うけど」


 はい、ダウト〜。俺は茅野の一瞬の動揺すらも見逃さないからな。


「それであれだろ。弟がもし居たら、『お姉ちゃん!』って呼ばれたいタイプだろ」


「……」


 どうやら俺の予想は図星だったようで、茅野は何も言わずに黙り込んでしまった。


 しかし、このまま黙っているのも癪に障ると思ったのか、しどろもどろ気味に再び喋り始めた。


「もし仮にそうだったとして、何かいけない? というか、なんでそう思ったわけ?」


 いくら何でも動揺しすぎだ、茅野。その動揺を隠すために話題を変えるのはせこいぞ。


 ……まあ答えてやらんこともない。だが、


「俺も妹に『お兄ちゃん!』って呼ばれたいってよく思ってるからな」とは絶対に言いたいくない。いや、待てよ。今日『お兄ちゃん』って呼ばれたな。


 まあどっちにしろそんな理由を知られたくはない。だから別の理由をこじつけに使うとしよう。


「いやだってさ、自分で普通、『全部お姉さんに話して、スッキリしよ?』なんて言わなくね? 」


「……そ、そう? 言うと思うけど」


 そうなのか? 言わないと思うぞ(俺調べ)。まあ、根拠がなければ根拠を自分で作ってしまえばいい。


「いや、でも俺の女友達も言ってたぞ。『私、弟がいたらお姉ちゃんって呼んでほしいなー。いないけどね』って」


 俺はなおも言葉を続ける。


「だから、何も恥ずかしがることはない。むしろ、誇りを持て。いいか?」


 こいつ、途中から何言ってんだ。自分でも自分の言っていることが理解不能だったものの、俺は何とか最後まで言い切ることができた。


「誇り……、ちょっと言っていることがよくわからないけど……でも、ありがとう……?」


 茅野は随分と混乱しているような口調だった。すると、横から声が飛んできた。


「それって、総が『お姉ちゃん』って茅野のことを呼びたいだけだろ?」


「いや違うから。全然違うから。ホントに全くもって違うから」


 それはそれは先ほどの茅野よりも随分とわかりやすい動揺だった。マジで、俺も人のこと言えねぇよなぁ。


 それと真ん前からの訝しむような視線が先ほどから凄く怖いんですけど……。


 そんなことを思っていると、またもや横槍が入る。


「あの、ありがとうございました」


 その少年の言葉には主語がなかったものの、俺には何のことについて言っているのかが伝わった。


 いいや、俺だけじゃない。おそらく、他のやつにも伝わっていることだろう。


「それと……」


 ん? まだ何かあるのか?


「お、お姉さん、綺麗ですね」


 ……。


 お姉さん? そんな言葉を聞いてか、俺の目の前にいる奴が頬を少し赤く染めていた。茅野はそのまま、声の主である友樹のほうに振り向く。


「あ、ありがとう……」


 おい、ガチデレならぬ「チガデレ」じゃねぇかよ。……は?


「また、今度ね。バイバイ」


 そこには、今までに一度として見たことがない、変わり果てた茅野の後ろ姿があった。


「は、はい。バイバイ……」


 友樹も、照れながらもサヨナラの挨拶をしながら手を振っている。


「ありがとうございました」


 その横では大也が軽く会釈をしている。その後すぐに、彼らは荷物を抱えながら体育館を出ていった。


「行っちゃったな」


「そうね」


 茅野はいつもよりもワンオクターブトーンを下げながら言う。何だかちょっぴり寂しそうだ。


 そんな間の中、突然、係員の人が体育館に入って来た。


「お時間ですので、帰りの支度をしていただきますよう、お願い致します」


「わかりましたー」


 空閑(くが)が俺らを代表して答える。


「じゃあ、俺らも帰るか」


「そうしましょう」


 俺は最後にコートの半面から、投げやり気味にスリーポイントシュートを打つ。結果はもちろん、エアーボールだった。


「ダサっ」


 あ? 俺は今の言葉が空耳であるかどうかを確認することにする。


「誰だ! 今『ダサっ』って言ったの」


「もうここには居ねえぞ」


 着替えに行きやがったか、畜生め。


「俺たちも着替えるか」


 俺は空閑にそう言いつつも、俺はすでにシャツを脱ぎ、上裸になっていた。


「いや、まだ着替え……」


「は? なんで……。最悪だ」


 思いのほか、田辺(た なべ)と茅野が体育館内に入ってきていた。俺は上裸姿を見られないように、急いで地面に放り投げたシャツを拾う。だが……。


「……」


「……あっ」


 田辺と目が合ってしまった。だが、俺に気を使ってか、すぐさま茅野と目を合わせて会話をし始めた。


 俺はすぐさま、二次災害を防ぐために、急いで手に持っているTシャツを着る。


 茅野は田辺と喋るのに夢中だったので、なんとかあいつには俺の上裸は見られずに済んだようだった。よかったー。


「じゃあ、私たちは着替えてくるから」


 茅野たちは今度こそ、荷物を持って着替えに行った。


(そう)の上裸、田辺さんに見られてたな。よかったじゃん」


「よかねぇわ、最悪だ! ってか、お前背丈どのくらいあるんだ? 少し伸びたよな?」


「……総の話題転換の早さは相変わらずだな」


 そんなこんなで俺たちは他愛もない話をしつつ、帰り支度を着々と済ませていった。




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