パンドラの箱とすみっこ暮らし
タイトルが最適か悩みましたが、読んで頂けたら嬉しいです。
高校の頃、私たちはクラスのすみっこで二人肩を寄せ合い文学少女らしく本を読んで、浮きがちな自分たちの居場所を確保していた。
二人とも特徴のない眼鏡に、肩まで伸びた髪を三つ編みにしていた。恰好は同じでも、彼女が三つ編みをほどくと艶やかな髪が広がるし、眼鏡を外せば、黒目がちのアーモンド型の大きな瞳が目立つ。とても綺麗だ。その姿を学校内で見せるのは私だけだったから自分は花奈の特別なんだと思って嬉しかった。
取り柄がないからすみっこにいる私とは違う。花奈は目立たないように擬態しているだけなのだ。
「ねぇ、孝子ちゃん、今日も平和に終わるね」
窓際には西日が差している。オレンジの光に照らされながら、花奈は大きく伸びをしながら眠そうな顔をして、私に話しかける。
「そうだね。平穏が一番」
読みかけの文庫本を私は閉じ鞄に仕舞う。
「帰ろうか」
誰もいない教室を手を繋いで一緒に出る。
*****
「孝子ちゃん、どんなに本を読んでも人生ってままならないね」
ある日、花奈が淋しそうに言った。彼女が何かを悩んでいるとは感じたけれど、どうしてそんなことを言うのかわからなかった。
「そりゃあ本を読むことは解決のヒントにはなるかもしれないけれど、結論を導き行動するのは花奈だからね」
私はいつも通り飾らず思っていることを伝えた。そう振舞えるのは彼女の前だけだった。他のクラスメートの前では緊張して自分の思うことを発言するのも難しい。
「孝子ちゃんって凄いね」
「そうかな」
花奈に褒められると、くすぐったくなる。
クラスメートは表向きのダサい装いにごまかされて気付けていない。彼女は誰より美人だ。難解な哲学とか文豪の本も沢山読んでいて賢い。凡庸な私にすら優しい。せめて花奈の理解者でありたいと思っていたから、その悩みがわからないことに苛立ちを覚えた。
花奈の悩みの正体がわからないまま、夏休みに入った。私たちは学校だけの友人だったので会うこともない。それを変えたかったが、彼女が大切過ぎて距離を詰めて関係が悪くなるのが怖かった。だってまた二学期が始まれば日常が帰ってくる。
*****
下駄箱に一通の短い手紙を残して花奈が私の前から姿を消したのは新学期が始まる直前だった。
『孝子ちゃん、ありがとう。あなたがいてくれたお蔭でクラスで、はみ出さないでうまく過ごせました。いつも私のことを褒めてくれていたけど、孝子ちゃんが思うような人間ではありません。いつも私のことをわかっている風で、全然わかっていなくて苦しかった。友達ごっこは痛くて辛かったよ。孝子ちゃんのこと大好きで、大嫌いだった。私転校するの、バイバイ』
手紙には、文字に染みが所々あった。私は、手紙をくしゃくしゃにして丸めた。でも捨てられなくてポケットに入れた。
初めて学校をエスケープした。大嫌いだって言われても、大事なものは変わらず、頭に浮かぶ眠そうな花奈の横顔だった。
震える指でスマホをタッチしても繋がらない。番号が解約されていた。いてもたってもいられず走った。彼女の住所は知っていたので、家に行けばどうにかなるんじゃないかと思っていた。しかし辿り着くと雨戸の閉まった、売りに出された中古の一戸建てがあるだけだった。
いったいいつ私の下駄箱に手紙を入れたのか。引っ越す直前か。もう、花奈に会う方法がない。呆然とする。
くしゃくしゃになった手紙を丁寧に伸ばして机の上に置く。何か手掛かりはないのか。何度も読み返したけれど、新しい住所も連絡先も見つからなかった。
翌日、担任に聞いてみたけれど、個人情報だからと何も教えてもらえなかった。クラスメートには家庭の事情で急に転校したという説明が簡単になされた。彼らは、花奈が転校した事にさして関心を持っていない。私は一人になった。昨日、学校をエスケープしたことも先生に注意されただけで、誰かに咎められることもなかったが、花奈がいなくなった事実だけが胸につかえて苦しかった。
*****
すっかり秋めいてきた夕方、帰宅して自室でけつまずいて鞄がひっくり返ってしまった。そのとき底から一冊本が出てきた。その本には花奈の使っていたブックカバーがかかっていた。よく二人お薦めの本を貸し借りしたことを思い出し、見慣れていた彼女の赤い革のそれが懐かしく、目の前が滲む。何の本だろうか、私は丁寧にそれを手に取った。
「どういうこと?」
声が出た。それは、花奈の日記帳だった。人の、まして彼女の日記を読むなんて気が引けた。だが、それ以上に彼女と繋がりを再び持ちたいという思いが強かった。めくってみるとその日記帳は交換日記用で最初の一ページのみに記入があるだけだった。日付は二ヶ月前。内容は、シンプルなものだった。
『孝子ちゃん、この日記をいつ読んでいるのかな。ちゃんと会ってお別れ出来なくてごめんなさい。私、あなたのことが好きだった。友人としてではなく片思いしていたの。とても悩んでいました。そんな時、ちょうど経済的な理由で家を売らなければならなくなって急に転校することになったの。あなたへの気持ちにも蓋をすることにしました。だけど諦め切れなくて。この日記は、私の希望。孝子ちゃんにとってはパンドラの箱かもしれないけれど……。もし私の気持ちを知っても嫌いにならないでくれたら、この番号に連絡下さい』
そこには、見知らぬ電話番号があった。私の返事は決まっていた。スマホを指でタッチする、すぐに花奈が出た。
「もしもし孝子ちゃん」
彼女は今にも泣きだしそうだった。
「花奈、どれだけ私が心配したか、会いたかったかわかる?」
「ごめん、孝子ちゃんの存在に救われてたのに、友情だけでなく全部が欲しくなちゃって。自分の思いを持て余してしまったの。意気地がなくて、きちんと気持ちを説明することが出来なかった」
「私が日記見付けられなかったら、本当にどうするつもりだったの」
花奈に憤りをぶつけてしまう。
「孝子ちゃんに思いを拒絶されることがそれくらい怖かった。ごめんなさい」
電話口で頭を下げている彼女の姿が浮かぶ。
「あのね、私も花奈のことを特別に思っているよ。とにかく会いたかった。たぶん友人以上に思っている」
「本当に? 私の想い殺さなくていいの」
戸惑いが伝わってくる。
「殺さないで、育ててみようよ。パンドラの箱はもう開いたの。そもそもこんな私のどこがいいんだか、花奈とは釣り合わないでしょ」
「クラスで目立たたない為に一緒にいたけれど、そんな私の狡さを見透かしながら理解しようとしてくれた孝子ちゃんの気持ちが嬉しかった」
彼女は変わっている。
「私も、最初は綺麗な花奈がただ好きだった。ミーハーな気持ちがスタートだよ」
正直な気持ちを打ち明ける。
「人を好きになるって不思議なことだね」
花奈が言う。
「それからもし出来るならすみっこから一歩踏み出してみない? 脱すみっこ暮らし。あなたが想っていてくれるなら変われる気がするの」
「あなたが一緒なら、孝子ちゃん、私も頑張れると思う」
私の提案に花奈は乗ってくれた。あの穏やかな二人の日々は戻らないけれど、新しい世界の蓋はいつでも開けられるんだ。どんな厄災があったとしても、希望は残されているから。
読んでくださった方ありがとうございました。