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堂々と信心出来るではないですか。
この世界はイスラム過激派だけのものではありません。
彼らが国際社会と和解しないのなら、国際社会の支配地域は彼らにとっては他人の庭です。
それでなくても、『無知に端を発したイスラム地域への侵略』を悔いてやめようという欧米イスラエルを含む、他人の庭で信者が騒乱を起こす事が、「他人に悪を行い、また度を越した復讐を企て地上を騒がす者たち、かれらに対する(アッラーの)罰は痛ましい懲罰があるだけである。」(第42章「相談」42節)と言うイスラム教の神様の望むところでしょうか。
確かに欧米イスラエルはイスラム地域に多大な迷惑をかけてきました。
しかしそれはあくまでも人類がこの望むべき『人類社会のルール変更』を知らなかっから、結果的に弱肉強食であった世界上、強者に甘んじて犯してしまった過ちです。
そしてそれを悔いてわたくしのルール変更を受け入れた欧米イスラエルを含める世界は、例えばしばらく優位が保障さられるアメリカの搾取による利益も、それは皆が喜んで認め受け入れた法令遵守のものになり、独裁国家や富のパクリに代表されるタックスヘイブンの一掃しかり、世界的なジニ計数の云う安定社会の富の配分の導入しかり互いの利益が己が利益と協力して、また環境対策も頑張り、今は人道的に否定しているイスラム過激派の信仰も「兄弟よ!それは価値観の違い!」と尊重し受け入れようという姿を見ればイスラム過激派も神様の
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という言葉が大きく聞こえてくるというものでしょう。
また彼らの中には最近西洋人の参加者が増えていたり、その他にもイスラムの名をかたった単なるテロ集団といわれる人々も存在しているといいますが、その人々の行動の動機を調べるとそれは『社会の閉塞感』だといわれますが、閉塞感を調べるてみるとそれは主に『政治と金』が出てきます。
そういった事情から破壊的な思想に走っているというのなら、やはり独裁国家をなくし、アメリカの一極支配を終焉させ、税金の無駄遣いをなくし、世界的な租税の適正化から世界的に富の再分配をさせるこのルール変更は正に彼らのそれからの本質的な解放だといえるのではないでしょうか。(もちろんこの人々の犯罪行為も無罪です)
『我々は知の人類です』
我々は現在こそ互いの真の権利が分からず戦っていますが、本来はその権利を決定し、尊重し、更に協力してそれを増やす事も出来ます。その為にわたくしが考えたこの人類社会のルール変更は、各国の指導者も国民も様々な事情を抱えたあらゆる立場の人々がそれを超えて納得出来るものでしょう。
そしてそれは現在の世界にとっては何より彼らイスラム過激派の納得があってこそ達成されます。
そういえば彼らはマララさんなど神様の否定する強制によって信者にしたイスラム教の世俗派の人々を背教者呼ばわりして攻撃して迷惑をかけてしまいました。
わたくしはそれを心配しています。
彼らの神様は言っていましたね
「むやみやたら日常で横暴を働く者ども。こういう者どもは今にひどい天罰を蒙ろうぞ。 」(コーラン相談章第37-42節)
大変な事です。
わたくしの理論なら強者が己の利益を追求する為に行った事は全て免責されますからその罪は大丈夫ですが、さすがに彼らの神様の裁きの事までは口は出せません。
しかしそこはやはり慈悲深く寛容な神様でした。
「コーラン食卓章 45」をご覧ください。
「生命には生命,歯には歯,凡ての傷害にも同様の報復を。
『しかしその報復を控えて許すならばそれは自分の罪の償いとなる。』
」
だそうです。
ならば彼らに迷惑をかけた欧米イスラエルを彼らが許してあげれば、確かに彼らのマララさん達への行いは痛ましい過ちではありましたが、なんとかしてくれる可能性もあるといえるのではないでしょうか。良かったです。
しかし事が事だけに不安は残ります。安心とはいくらあっても欲しいものです。
ならば「コーラン第22章第77節」は
「善い行いをするがよい。そうすればあなた方は救われるだろ う」
だそうです。
ならば彼らが欧米イスラエルを許すという事は、人類史のいちページどころか今なら間違いなくその表紙を飾るような全人類が歓喜するような善い行いなのですから、彼らは間違いなく救われるといえるのではないでしょう。
神様は彼らと欧米イスラエルの和平の道を、世界平和の道を全て与えてくれているではないですか。
それだけではありません。
第2章第193節は
「騒擾がすっかりなくなる時まで。宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時ま で、彼等(メッカの多神教徒)を相手に戦いぬけ」
とありますが、それもその続きとして
「しかしもし向こうが止めたなら汝らも害意を捨てねばならぬぞ。悪心抜き難き者ど もだけは別としと」
があります。
また、
コーラン相談章第37-42節の
「むやみやたら日常で横暴を働く者ども。こういう者どもは今にひどい天罰を蒙ろうぞ。
『だが本当は、害されてもじっと堪え、赦してやるのが誠の道というもの』」
は、迫害に対して武器をもって戦うのは当然であり非難されることではないと一旦は聖戦を認めながら、実はさらにその上にもっと望ましい誠の道がありそれは報復せずじっと忍耐し相手を赦し悪に善で以てかえし、仇に恩で報いる道だと言っているそうです。
これだけ彼らの神様は敵を許す道を示しているのです。
いや、全人類が彼らの「欧米イスラエルは悪党」という主張を論破出来なかったこれまでならともかくですよ。
遂にわたくしめによってそれが悪党ではなかったと説明付けられ、彼らは国家(か自治区)も得て、神様が双方の過ちを許してくれ、確かに彼らと欧米イスラエルの和平の道を、世界平和の道を全て与えてくれている今、何故(″ナニユエ″)においてなおこれまで一部勘違い(強制)はあったとはいえ、敬虔に神様の教えを完徹してきた彼らが全人類からしたら・・・
嗚呼、やっぱ、イスラム教の神様って『鬼』だったんだ!
と、こともあろうに今になってその発言を奈落の底に引きずり落すと言っても過言ではない反旗における翻えしなどをするのかという事なのです。
イスラム終わり




