親王願い
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
1年って、どうして365日なのかねえ。
いや、由来とかは問題じゃないんだ。ただ、年中行事ってやつに思うところがあって。
バイトしてるとさ、ある1日のためだけに品物を並べたり、サービスしたりする経験が多いだろ? 直近では節分、これからはバレンタイン。
うちの店でもチョコレートは並べ出してるけど、定価で売るのは当日までだ。翌日からは叩き売り、それでもあまれば俺たちバイトにも、分け前が出されることもある。
はじめのうちはありがたく思っていたが、作る手間とかコストとか考えるとめいるよなあ。作り手からすれば、自分の人生の時間を削って作ったものが、ムダに終わる瀬戸際だ。心情的に、ただではもらいづれえな。
バレンタインチョコに限らず、出番が限られている道具はぞんざいに扱われがち。おかげで、まれに不思議なことを巻き起こしたりするもんだ。俺もそのひとつを体験してな、興味があるなら聞いてみないか?
俺には歳の離れた姉がいる。小学生の時にはもう社会人で、一人暮らしを始めていたっけな。姉というよりは、若いおかんみたいなイメージだったな。年齢の開きアンド異性として見られない、という意味で。
で、そうなると困るのが、ひな人形だ。祖母と母しか女がいなくなった我が家では、3月3日の主役となる女子がいない。かといって、ひな人形の処分などとてもできなかった。
「ひなが泣く」。ひな祭りのある日に出されないひな人形は、その悲しみを知ってもらうために、祟りを起こすのだという。だからたとえ女子がいなくても、飾ったほうがいいというのが、ウチの見解だった。
ウチの家は親王飾り。つまり、お殿様とお姫様のペアオンリーのひな人形だ。この3月3日のためだけに、普段は押し入れの一角で眠りについている。
ああ、そうだ。ちょっと話が脇にそれるけどな。俺、小さいころはちょっと中性的な容姿だったんだわ。女装が似合う系男子だな。声変わりする前だったこともあって、女のキーで歌うこともできた。
ゆえか、姉がいなくなってからは俺の部屋に、もっぱらひな人形が置かれた。祖母や母じゃあ、とうが立ちすぎている。なら年齢だけでも、子供で通りそうな俺の部屋の隅に住まわせたんだ。
だが、さすがに12ともなると、男らしいところに毛が生えてきたりするもんだ。「すっぴん」で女子の真似をするのは、ちょっと無理な歳になってきている。
――ふつーに母ちゃんやばあちゃんの部屋に置けばいいのに。
そう思う俺だったが、今日一日だけの辛抱だと、枕元にお雛さんを置いて床に入ったんだ。
夜中に俺はふっと目が覚める。
以前も、似たようなことは何度かあった。地震が来る前とかは、勝手に目が覚める。おそらくは、まだ小さい地震の揺れを身体が感知し、意識を揺り起こすんだろう。
「来るのか?」と俺は布団の中で縮こまり、防御態勢をとる。棚からは離れているし、テレビとかの揺れと一緒に飛んできそうな家具もない。この何枚もかけた布団の中へ潜り込めば、大地震でもそうダメージは食らわないはず。ま、そのレベルの地震経験はないわけなんだが。
どれくらい待ったか。やってこない地震に、今回はたまたまかと気を抜きかけたところで、頭頂部がなにかにくすぐられる気配がした。
虫かな、と俺は適当に手ではたく。すると潰した感触の代わりに、生温かいものが手をべっとりと濡らしたんだ。ぬるりとした手触りは、風呂で使うシャンプーやボディーソープに似たものがある。
飛び起きた。バランスを崩して手を布団につきながらも、頭上の笠つき電灯のひもをひっぱった。蛍光灯内に少し光が溜まり、そこから何度も瞬きして、部屋中の黒を追いやる。
まず手を見て驚いたよ。べっとりとくっついていたのは、桃色の液体だったんだ。「血?」と思わず大きな声を出しちゃったが、それにしちゃ臭いがなさすぎる。俺の枕のほとんども、手をついたところにも、同じものがくっついていた。
垂れ流しているのは、ひな人形たちだった。もっとも流れ出ているのは、瞳からじゃなく口からだったけどな。お殿様とお姫様が、そろって血らしきものを吐いている。
だいぶ前から流れ出ていたんだろう。自分たちが座る壇と、俺の枕元を濡らしてまだ足りず、部屋のドア近くまで及んでいる。
しかも広がり方が妙だ。壇の周りをのぞけば、残りの液体は型にはめて流し込んだかのように、出口へ向けて一直線。まるで外へ出たがっているかのような……。
部屋のドアがノックされる。俺の部屋には鍵がかけられない。
返事を待たずに開かれて、入ってきたのは母だ。どうやら先ほどの俺の声を聞きつけてやってきたらしい。そしてもろに、あの桃色の液体を踏んだ。
今度は俺の時に倍する、母親の悲鳴が家中に響くことになったよ。
それから雑巾2枚ほどが犠牲になって、あの液体は処理される。結局、なにが流れ出したのか、俺にはさっぱりわからない。
古い人形の髪の毛が伸びるのは、経年劣化によって毛根がゆるみ、U字に埋め込まれた髪の毛が出てくるからだ、とは聞いた。けれど、この液体が染料かといわれると疑問が残る。人形の中とか、色を塗る必要があるのかと。
それからしばらくして。俺はお兄ちゃんになることを知った。母親が妊娠していたんだ。
産まれる子は女の子だという。ますます姉貴の若おかん化が進んだ。
今じゃ妹も、当時の俺と同じくらいの歳になった。俺自身も実家を出たから、年に数回しか会わないが、元気でやっているようだ。
あのひな人形たちも、本来の仕事をしたくて、母親に妹を宿させたんだろうかね。そうなると、妹が出ていくころがまた不安だが……。姉貴なり、俺なりが頑張らんといかんかねえ。