17 大魔術師シャルティアテラ
そばだつ岩肌がある波打ち際。
ざぶん、ざぶんと音立てながら青のうねりに白き泡を溶かす波。
丘の上から見下ろすシャルテは艶やかな服の膨らむ袖を振り、大海目掛けて白い紙細工の蝶を放つ。
ぱん、とすぐさま柏手が打たれれば、作り物の羽根がぱたぱたと動き出し飛んでゆく。
白い蝶は遠巻きに観察していたナムの関心を誘いつつ、海面の上を大きな渦を巻くようにしてひらひら。
海鳥がまた一羽と集まるのは餌を求めてだろう。
しかし、鳥の目にも生き物でない得体の知れない異物として映ったのか、上空の旋回する鳥達についばむ気配はない。
「さて。淡々と済ませてしまうつもりでおったが、こんな殺風景な所にこうして来てみれば、このワシが小間使いのような事をやっているようにしか思えんではないか。大体、これもそうじゃ」
背負う長物の座りが宜しくないようで、シャルテは肩から掛ける帯を煩しそうに締め直す。
「文句はガウの奴めにでも言うのが筋じゃろうが、かといってあの隠遁者には……蛙の面に水じゃろうな」
蛙顔だと文字通りに揶揄したいわけでもないだろう。
雨を好む蛙という生き物は、水を掛けられても嫌がらない。
シャルテの語意には、ふてぶてしい者を皮肉る意味がありそうだ。
「思い返してみれば、あやつもこやつも……ワシを誰じゃと思うておる。魔導の道では稀代の知恵者とまで謳われた、シャールウ・シャルティアテラぞ……。ほんの少し前、300年前くらいであったなら、アスーニ大陸全土へ名を馳せておった大魔術師ぞ……」
ぶつくさに紛れて、独特な所作が展開される。
そして、現代に於いてこの小言の真偽を語れる者は少ない。
だが、むっとしたやや膨れる頬から、疑う余地もなく自称大魔術師の機嫌が損なわれている模様だ。
「この手の魔術は手間が掛かるだけでのうて、そこそこ小難しいんじゃぞ。使い手を選ぶものじゃ。……それ故、練磨にも適しておるし、包魔力の節約を第一とするなら、進んで覚えるべき魔術でもある。じゃというのに、最近の若い奴らときたら……。なーにが魔導の革新的な理論じゃ。なーにが錬成術師じゃ。ひよっこ共がひよっこに誑かされよって」
リアン以外の誰かが、苛立ちの対象としてシャルテの脳裏で過るようだ。
その者と同一人物かはさておき、近代史の文献では『魔力炉』の構築に貢献した者の中に『錬成術師』の名がある。
魔術に不可欠であり、世界の理の一つでもある魔力。
目には見えずとも世界に存る、その魔力の供給を目的としたのが魔力炉になる。
魔力炉には、魔力を【包魔力】と称す形で体内にて精製、蓄積させる元来の形態を発展させた錬成技術があり、その基礎を創り上げたのが、錬成術師の筆頭ベネクトリアだとされている。
――アスーニ大陸へ技術革命をもたらした『魔力炉』。
そこで精製された魔力は人が魔術として用いるには扱えないものではあるものの、時間を掛けて取り込み血肉の一部とする人のそれとは違い、無尽蔵に近い精製を可能とし、知識と技術さえあれば万人が実施できる魔導機構には欠かせないエネルギーであった。
「うわお……俺、魔術なんて小さい頃以来だけど、あれがシャルテちゃんの魔術なんだよね。なんかスゴいよ、なんか……スゴいよ」
しかめっ面のシャルテの後ろから、ナムの驚く声が飛んだ。
少しでも間近で見ようとナムが身を乗り出す先は、白い蝶が螺旋を描く眼下の海面。
いつの間にか虚空に魔法陣を浮かばせる海面――広範囲のそこから、モヤが立ち上る。
そしてそのモヤが、上空の白い蝶から吸い上げるようにして集まり消えてゆく。
ナムならずとも目を見張る、稀有であり雄大な景観であろう。
「これ、坊主。なんかではない。ワシの魔術はすこぶる凄いんじゃ」
「あの、シャルテちゃん? なんだか怒ってない。やっぱり俺が案内で着いてきたのが気に食わなかったりする?」
「ふん、色気づく必要もなかろうに、呑気な見張り役じゃの」
「違う、違うってっ。あれはそんなのじゃなくて、ただ単にあのリアンって奴とどういう関係かな――違う違うっ。監視とかじゃないから。成り行きで――別にエリサラさんから頼まれたりしてないからっ」
頬に赤みをさし、ナムがどぎまぎと狼狽する。
シャルテが相手の様子をそつなく見送る最中、蝶の魔術が次の段階へ移行するようだ。
モヤをすっかり吸い込んだ白い蝶が、海上から舞い戻ってくる。
す、と可憐に差し出された人差し指。
花と見立てるようにして、白い蝶はそこで動きを止めた。
「リアンの奴め。これからこやつを撒かねばならぬワシの苦労を、少しは心に留めておろうな……」
一仕事を終えたようにして、シャルテは襟を正す。
始終ぼそぼそ呟きつつも、その目的はしっかりと済ませていたようだ。
――ならば。
今度はリアンの持つ白い蝶が羽ばたき始めるのだろうか。




