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苦手な方はご注意ください。

冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ~副ギルド長編~

作者: 若年寄


「気に入らねぇなぁ、オイ」


 そう呟いてギルド長はテーブルの上に資料を放り投げた。


「何が気に入らないとおっしゃるんですの?」


 テーブルを挟んで対面に座る伯爵家のご令嬢が唇を尖らせて資料とギルド長を交互に見やる。


「あのな、ここは冒険者ギルドだぞ、冒険者ギルド」


 ギルド長は皺が寄った眉間を指で揉みほぐしながら上目遣いで目の前の少女を睨む。

 いや、それはもう上目遣いなどと生易しいものではなく、凄みのある三白眼と云えよう。


「それくらい世事に疎い私だって存じておりますわ。だからこうして依頼を持ってきたのではありませんか」


 一軍を率いる将ですら数秒で目をそらすギルド長の眼光に怯むことなく平然と答えるこのお嬢様は将来大物になるだけの器を持っているに違いない。


「するてぇと何か? お前さんの判断じゃ、このご依頼は冒険者ギルドに持っていくべきだとそう思ったってぇ訳かい?」


 ギルド長の目が細くなり口角がつり上がってくる。

 やばい。

 僕の脳内でけたたましいまでの警報が鳴り響いた。

 この無理矢理に作った笑顔はギルド長が怒りを堪えている兆候である。


「そう通りですわ。私のピンチに駆けつける希望の勇者を早急に用意できるのはここだけですもの」


「ピンチなぁ……ところで話は変わるがお前さん、俺が今、何を考えてるか分かるか?」


 出たよ。このセリフが出るということは、完全にギルド長が頭に来ている証拠だ。

 そんなギルド長の様子に微塵も気づくことなく、伯爵令嬢は挑むようにギルド長の瞳を見据えて云った。云ってしまった。


「そうですわね……私を救う勇者をピックアップしているってところかしら? 外れていて?」


 大外れだよ! 的外れだよ! 問題外だよ!

 見てよ。見てご覧なさいよ。ギルド長のこめかみに浮かんだ別個の生き物のように脈動する青筋を。


「それでいつ我が勇者を派遣してくれるのかしら? 私としては明日でも待ちきれないくらいですわ」


 あ、ギルド長のこめかみから何かを引きちぎるような音がした。


「貴族の見合いをぶち壊すのに冒険者を使えるかぁ!」


 ああ、お茶請けのマフィン、美味しいなぁ。


 流石は伯爵家が持ってきたお土産なだけあって、高級感を感じるよ。


「ご乱心! ギルド長殿、ご乱心!」


「クーア殿? クーア殿! お茶など啜ってないでギルド長を止めて下され!」


 あーあー、聞こえなーい。

 僕も元宮廷治療術師。死なない限りはどんな怪我でも治してあげるから頑張って。

 伯爵家の護衛騎士達が無手によって殲滅される音を聞き流しながら、僕は折角のマフィンとお茶に埃が被らないよう魔力のヴェールでテーブルを覆った。









 ここは聖帝陛下の統治のもとに繁栄する国家、聖都スチューデリア。

 僕はその名の通り世界中を旅する冒険者達を支援する組織、冒険者ギルド・スチューデリア支部において副ギルド長という役目を務めている。

 冒険者ギルドのコンセプトは、後世を担う若者達に旅を通じて世界の広さ、大きさ、様々な国の文化の違い、問題などを肌で知ってもらい、それを糧に大きく成長して欲しいというものだ。

 世界を股にかける冒険者達のほぼ九割は冒険者ギルドに所属している。ギルドは特に加入を強要していないけど、入った方が何かと便利だからだ。

 まずは何といっても情報だろう。

 冒険者ギルドに籍を置けばその土地々々に跋扈するモンスターや盗賊団などの情報を格安で買うことができるし、初めて訪れた街であれば一度に限り周辺地図を無料で手に入れられるのだ。過去の冒険者達が十数年をかけ実測によって作製した精密な地図は、それだけに結構値が張るからこれは嬉しい特典だろう。

 そして路銀を得るための仕事もギルドの方で周旋している。

 仕事の内容は、日雇いの人足から始まり、要人警護、モンスター退治、盗賊討伐、変わったのでは好事家に自分達が体験した冒険を物語にして聞かせるというのもある。

 当然ながら仕事を仲介するにあたって報酬に応じたバックマージンを貰っているけど、それこそが冒険者ギルドの収入源の一つなのだから仕方ないね。

 冒険者達はその力量、達成した依頼の質や数に応じてAからFまでの六段階でランク付けがされている。

 ギルドに持ち込まれる依頼の方も難易度によってランクが分かれており、冒険者達は自分のランクと依頼内容を吟味してギルドに申請、許可が降りれば仕事にありつけるってシステムなんだ。

 そうそうギルドの収入源と云えば、訓練場も忘れてはいけないね。

 これは一線を退いた元冒険者達を教官とした訓練施設で、未熟な者や新しいスキルを獲得したい者達から指南料を受け取って訓練を施している。

 かく云う僕も防御魔法と治療魔法の講師として訓練場で教鞭を振るうこともあるんだよ。

 と、このように冒険者達へ提供する情報の収集、仕事の斡旋、宝石の原石の如き若手達の育成が冒険者ギルドの主な仕事なんだ。

 分かって貰えたところで、話を冒頭に戻そうと思う。


 伯爵令嬢の護衛達が応接間のあちこちで呻き声を上げながら床に転がっている中、ギルド長が憤然として腕を組んでいる。

 まあ、当然だとは思う。

 貴族のお見合いを潰すなんて暴挙を犯せばお縄になるのは当然だし、最悪首を刎ねられても文句は云えない。そんな事に冒険者を使うなどもっての外だろう。


「貴方、私にこんな事をして只で済むと思っていますの?」


 伯爵令嬢ことクアルソ嬢は足を折りたたむ正座というギルド長考案の座り方をさせられつつもギルド長を睨みつけていた。

 庶民の持つイメージそのままに縦ロールにした金髪を持ち、碧眼を勝気そうに釣り上げたドレス姿のお嬢様が床に座らせられているというのも中々にシュールである。

 仮にも伯爵家の御令嬢にこれだけの真似をしている時点で我々冒険者ギルドの立場は相当ヤバくなるだろう。

 しかしギルド長は鼻を鳴らすとクアルソ嬢の頭をペシンと叩くのだった。

 この人はそうなのだ。

この世の全て、森羅万象を自分の天秤によって裁量して決めてしまう。

相手の方に非があるならば、ギルド長は貴族だろうと聖帝陛下であろうと躊躇いなく喧嘩を売る。それも真正面から正々堂々とだ。


「舐めンな。只で済ますに決まってンだろ。俺を誰だと思っていやがる?」


 聖帝陛下にも平気で喧嘩を売るような人が伯爵家に尻込みするはずがなく、逆に侮蔑の視線をクアルソ嬢へ向ける始末である。

 勿論、誰に対しても横柄な態度を取るギルド長を快く思わない貴族や知識人、宗教家は多い。何よりこの国の国家元首である聖帝陛下さえもギルド長を嫌っているらしい。

 こうなると不敬罪で逮捕、下手すれば討伐されても可笑しくはないのだけど、今のところそのような動きは見受けられない。

 理由としては、まず世界各国に点在する冒険者ギルド同士の横の繋がりが挙げられる。

 そもそも冒険者ギルドは冒険者達が権力に利用されないようある程度の権利が認められており、どのような権力者であろうと自由に我々を使うことは許されない。

 その上、権利を確保するための自衛手段としてギルド同士の結び付きが相当に強い。つまり、仮に我ら冒険者ギルド・スチューデリア支部が攻撃を受けたならば近在の街にあるギルドから救援がすぐに駆けつけて共に戦ってくれる。如何に軍隊と云えども屈強な冒険者達を相手取って戦っては少なくない犠牲が出ることは間違いないだろう。だから余程の事がない限り軍隊を動かす事態にはならない。

 次にギルド長が領主クラスの貴族や数多くの店を持つ豪商に並ぶほどの税金を国に納めている事実も攻撃の手を鈍らせているに違いない。

 ギルド長は剛胆であるが馬鹿ではないし商才もある。渡すべき相手には相応のお金を融通するだけの知恵もある。

 誰が相手でも媚びることは絶対にしないけど、便宜を図ってくれる人物には鼻が効く狡猾さも持ち合わせているからこそギルド長なんて大役が務まるのだろう。

 そして最後に、クアルソ嬢の屈強な護衛をものの数十秒で、しかも素手で殲滅した事からも分かる通り、ギルド長自身の戦闘能力の高さこそが相手を怯ませる最大の防御策なのである。

 ギルド長もかつては冒険者であり、現役時代に残した伝説の数々は引退から早十数年を数える現在でも冒険者達の間で語り草となっている。

 やれオークやゴブリンの中隊を一人で倒すどころか一睨みで追い返しただの、やれ魔界の王子を関節技で首を折って仕留めただの、やれ鉄より硬いドラゴンの鱗を歯で毟り取っただの、おおよそ英雄譚に書かれないような伝説ばかり残している。と云うか、何故ドラゴンの鱗を歯で毟らにゃならないのかシチュエーションが想像できない。

 本当に人間かと問い詰めたくなるような強さを誇るギルド長に正面切って喧嘩を売れば聖帝陛下であっても只では済まない。だから誰もギルド長に攻撃なんてできないのだ。


「俺は冒険者どもをテメェの餓鬼のように思ってンだ。そんな可愛い餓鬼共を縛り首やギロチンにかけられるような真似ェさせると思ってンのか? ああ?」


 そう、何より人一倍配下の冒険者達を大切にしているギルド長を慕い愛する者達が権力者からの無体を見過ごす訳がないのだ。


「では、どのようにすれば宜しいのですか? 若い娘に鞭を打ち、蝋を垂らし、その悲鳴を聞くのが何よりの楽しみという変態に嫁げとおっしゃるの?」


「嫁げよ。お前さんの家は伯爵なんて名ばかりの貧乏貴族だろ? お相手の侯爵様はお前、変態嗜好に目を瞑れば領民に慕われる名君で大層な金持ちだそうじゃねぇか。今まで育ててくれた両親に僅かでも感謝してンなら鞭打ちの十発や二十発くれぇ我慢しねぇな」


 目尻に涙の粒を浮かべても必死に泣くまいとしながら訴えるクアルソ嬢に対してギルド長の態度は冷淡である。


「貴族、王族の娘の使い道なンざ政略結婚以外に無ェだろ。貧乏貴族とはいえ今まで領民の血税でアハハ、オホホと何不自由なく生きてきたンだ。それをお前、相手が変態だから結婚したくねぇって筋が通らねぇだろがよ」


 ギルド長が王侯貴族から嫌われるもう一つの理由として、王は民にために死ね。貴族は民のために働け、と公言して憚らないところがある。

 物語では望まぬ結婚を強いられる貴族の娘というのは確かに悲劇だろう。特に愛する者と引き離される悲恋の描写があれば民衆には受ける。

 けど、これは現実であり、相手はギルド長である。


「最初は純潔を奪われるわ、拷問紛いのプレイを強いられるわで苦労するだろうがな。確かあの侯爵のボンボンは正室との間に嫡子はいねぇはずだ。だったら頑張って男ォ産めや。跡取りを産ンだとなりゃ待遇だってナンボか違ってくンだろ」


 と、このようにシビアだ。


「ギ、ギルド長殿! それではあまりにも惨い。確かに有力な貴族、他国の実力者と誼みを結ぶ為の結婚は姫君の義務ではあります! しかし、地獄の苦しみを受けると分かっているところへ嫁がなければならぬお嬢様の心痛を少しは察して下さらぬか?」


 抗議の声を挙げたのは、クアルソ嬢の後ろに控えていた伯爵家の執事長って人だった。

 白髪をオールバックにして、鼻髭をダンディに蓄えた、なんと云うか、如何にも執事で御座いといった風貌の人である。


「爺さん、惨いと云うがな。アンタのお嬢様を助けるために首を斬られる羽目になる冒険者はどうなンだよ? まさか貴族のためなら冒険者はいくら死ンでも結構ってぇそういう了見かい?」


「そ、それは……」


 云い淀む執事のお爺さんをギルド長は冷めた目で見る。


「後ろ手にお縄が回らない策があるってンなら話を聞くけどよ。代案も無しに口を開くモンじゃねぇぜ」


「あ、あのぅ……」


 次第に重たくなっていく空気に耐え切れなくなった僕が控えめに手を挙げると、ギルド長は何故か驚いた表情を見せた。


「クーア君。いつからここにいたンだ? いや、今はもう昼過ぎだ。重役出勤というにも遅すぎる時間だろ」


「朝からいましたからね! て云うか、朝、ギルド長を起こしてあげたのも朝ご飯を作ってあげたのも僕ですからね!」


「あー……今朝のスクランブルエッグ、俺が作ったにしては半熟でやたら出来が良いと思って食ったけど、クーア君が作ってくれていたのか。そういや、カリカリに焼いたベーコンも美味かったなぁ」


 どれだけ僕の存在感は薄いんだ?

 しかも、あーた、僕も一緒に朝ご飯食べたよね?

 今日のギルドの予定についても綿密にミーティングしたよね?

 そもそもクアルソ嬢がいきなり現れた時、君も来いって同席させたよね?

 虐めか? 虐めはカッコ悪いんだぞ! 泣いちゃうぞ。コンチクショウ!


「ああ、なんだ。いい大人が泣くモンじゃないぜ? ほれ、このマフィン、美味いぞ。食べるか?」


 さっきまで食べてましたよ!

 しかも、クアルソ嬢のお土産じゃないですか、ソレ!

 って、違う、違う。そうじゃない。


「おほん! そうじゃなくて要はクアルソ様が幸せな結婚生活を送れれば問題無いんですよね?」


 僕の言葉に三人は揃って眉を顰める。


「クーア君。幸せな結婚って云うが、どうすンだ? 変態に嫁いで幸せになれると思うか? それとも変態の嗜好に合うよう鞭を打たれることに喜びを感じるまで特訓でもさせようってのか? 話を聞く限りあの変態は嫌がる娘に鞭を打つのが良いンであって、順応させたところで変態が二人になるだけで侯爵のボンボンは喜ばンだろ」


 あまり変態、変態と連呼しないで下さい。

 ほら、クアルソ嬢がまた涙目になってるじゃないですか。


「いや、ですから侯爵様の方の性癖を矯正できないのかなぁって」


「無理だろ」


 僕の案はギルド長によって一刀両断にされてしまった。


「あのボンボンのサディスティックぶりは筋金入りだ。むしろ普段、善政を敷いているからこその反動とも云えるだろうよ。それにかの侯爵様を貴族専用の秘密クラブに誘って変態嗜好を植えつけたのは何を隠そう正室のババァだって専らの噂だぜ」


 ギルド長、いやさ冒険者ギルドには副ギルド長の僕ですら把握していない子飼いの隠密集団がいるらしい。彼らは世界各国の民衆、貴族、研究機関、大使館、王宮などに潜り込んで情報をギルドへ送り続けているそうだ。

 これは冒険者ギルドに寄せられた依頼を鵜呑みにしてそのまま引き受けると、後に禍根となって襲いかかってくることがあるかららしい。

 どこそこの貴族を殺した犯人を始末して欲しいと頼まれて、実際倒してみればそちらの方が仇を探している側で、依頼者の方が犯人であったということなど珍しくないそうな。

 だから疑わしい依頼があった場合は隠密を使って仕事の裏を取るようにしているとか。

 つまり件の侯爵の性癖云々というのは既に調べがついた確かな情報だということだ。


「兎に角、この話はおしまいだ。冒険者ギルドは見合いの妨害なンて仕事は引き受けねぇ」


 ギルド長は護衛騎士達に気付を嗅がせて蘇生させると、クアルソ嬢と執事長共々冒険者ギルドから蹴り出した。


「ああ、この世に神の御加護があるなんて嘘っぱちだったのね! 私は不幸な星のもとに生まれた哀しき無力な乙女なのだわ!」


「クーア君、塩ォ……」


 芝居がかった身振り手振りを交えながら帰っていくクアルソ嬢を見送りながらギルド長は玄関前に塩を撒く。

 やがてクアルソ嬢を乗せた馬車が見えなくなると、ギルド長はズボンのポケットに手を突っ込んで歩き始めた。


「さてと、ちと遅いランチと洒落込むか。クーア君はどうする? 来るってンなら毎朝、飯作ってくれてる礼に奢ってやるぞ」


 あ……こういう所があるから僕はこの人を憎めないんだよなぁ。

 勿論、お供しますよ。

 僕はギルド長の大きな歩幅に四苦八苦しながら横に並んだ。









「おや? ギルド長、随分とお見限りで」


「開口一番、皮肉かよ」


 ギルド長に連れられて入ったのは街でも五本の指に入ると評判のパスタ屋だった。

 食事時となると何十分も並ばなければならないが、微妙にずれた時間帯の御陰であまり待たされることなくテーブルへと案内された。


「ようこそ、アルデンテへ。ご注文が決まり次第お呼びください」


 随分とベタな店名だけど、それだけにパスタの茹で加減が絶妙で美味しいんだそうだ。

 ギルド長がカルボナーラ、僕がミートソースを注文して待つことしばし、先程の男が満面の笑みを浮かべてパスタと頼んでもいないグラスワインを持ってきた。

 しかし、本人は営業スマイルの積もりなんだろうけど、ずんぐりとした矮躯に金壷眼の悪相と異様に太い首、繋がった太い一本眉のせいでどうにも悪巧みをしている小悪党に見えて仕方がない。


「それで今日はどのようなご要件で?」


 ん? 要件も何もお昼ご飯を食べに来ただけだよ?


「繁盛しているようで何よりじゃねぇか。ランチ時は過ぎても忙しそうだしまたにするわ」


 ギルド長が追い払うように手を振ると男は情けなく眉尻を下げてその手を掴んだ。


「そりゃねぇでしょうや。あっしはギルド長のためなら何でもしやすぜ?」


「そうか。ではボースハフト侯爵の噂の出処を探ってくれ。できれば噂を広めた間者の素性も洗ってくれると助かるぜ」


 ちょっと! それってさっきの話にあったサディストの事じゃ?


「ああ、若い娘を攫っては鞭打って犯すってぇ変態侯爵のことですかい? 調べろって事ァやっぱり根も葉もない事で?」


「それを探ンのもお前ェの仕事だよ」


 男はコック帽を取ると愛想笑いを引っ込める。

こうして見ると歴戦の戦士のような凄みが出てきたので驚かされた。


「噂の出処を探るとなるとちと骨だ。こりゃしばらく店を女房に任せっきりになるし、当分は客足も遠のくだろうねぇ」


 探るような男の眼光にギルド長は苦笑しながら財布を取り出した。


「分かってるよ。いくらだ?」


「へへ、催促したようですいやせんねぇ。じゃ、遠慮なくこんなところで」


 男はまた愛想笑いに戻ると右手を開いて見せた。


「銀貨五枚か。欲の無ェ野郎だな」


 ギルド長の言葉に男は渋面を作って広げた右手を振ってみせた。


「ギルド長……あまり吝いと嫌われやすぜ。誰が銀貨五枚ぽっちで命かけやすかい」


「分かった、分かった。ほれ」


 ギルド長は意地悪げに笑いながら男に金貨五枚を手渡した。

 すると男は途端に相好を崩して厨房に向かって声を張り上げたものだ。


「アヴァール! ギルド長にシーザーサラダを作ってやんねぇ! パスタだけじゃ栄養が偏っちまう!」


「ンじゃ、頼ンだぜ」


 ギルド長は苦笑しながらグラスを傾けたのだった。









 冒険者ギルドへ帰る道すがら僕はギルド長に先程の遣り取りを訊ねた。


「ギルド長、さっきの男は何者なんですか? それにサディストの侯爵について調べろってどういう意味です?」


 すると石で殴られた方がまだマシってくらいの拳骨が僕の頭を襲った。


「失礼な事を云うモンじゃねぇ。ボースハフト侯爵は清廉潔白の人だ。善政を敷くのにいちいちストレスを貯めるような方じゃない。無論、若い娘に鞭を打つなンてぇするかよ。あの方は自分より他人が傷つくのを何より恐れる。それ以前にまだ下の毛も生えてねぇ十一歳の餓鬼だぜ? 変な性癖がつくどころか自慰すらもした事ァねぇだろうさ」


「はい?」


 僕は拳骨のせいで意識が朦朧として聞き間違えたのかと思った。


「二月ばかし前、先代が病死して代替わりしたばかりなンだよ、ボースハフト家はな。勿論、先代の侯爵も実直を絵に描いたような堅物だ。あの小娘の云い分は全部嘘なンだよ」


 と云うことは、あの時のギルド長はクアルソ嬢にあえて話を合わせていたのか。


「それに俺の記憶が正しけりゃ侯爵が変態ってぇ噂が流れ始めたのも代替わりをした頃と一致する。先代が立派でもその次がボンクラなンてぇ話はよくあるからな。今の侯爵を直接知らねぇ民衆が面白そうな噂にただ飛びついたってだけだろうよ」


 僕は唖然としてギルド長の話を聞いていた。

 でも考えてみればギルド長は貴族から嫌われはしても別に貴族が嫌いって訳じゃない。

善政をもって民衆を幸福へと導く指導者には惜しみない賛辞を贈っている。


「では、誰が侯爵を貶めるような噂を流しているって云うんですか?」


「それをシヤンに探って貰うンじゃねぇか」


 ギルド長は悪戯を仕掛けた子供のように笑って答えた。


「シヤンってさっきのパスタ屋の亭主ですか?」


「おう、シヤン=ヴィヴラン、冒険者ギルドが抱える凄腕の密偵達の中でも上から数えた方が早いってぇ実力者よ。ぱっと見、草臥れたタヌキ親父にしか見えねぇところがシヤンのおっかねぇところさね」


 ちと金にきたねぇのが欠点だけどな、とギルド長は苦笑した。

 それにしても驚いた。只者ではないだろうとは思っていたけど、まさかそんな凄腕の隠密だったなんて。


「最近な、若い女房を貰ったばかりでよ。それが宝石やらブランド物やら湯水の如く金を使うンだと。で、その若い女房を繋ぎ止めておくには金がいるって訳さ」


 アヴァールさんだったか。確かにパスタ屋の女房にしてはすこぶる美人だったし物凄い艶を持っていて、そりゃ誰だって手に入れたいし手放したくないだろうなって思わせる女性だった。


「見たところシヤンの野郎、手放したくない一心であンま女房殿を抱いてないだろうな。カミさんを失いたくなけりゃさっさと餓鬼拵えちまえば良いのに」


 子は鎹と云うじゃねぇか、と笑うギルド長は何故だかどこか寂しげに見えた。


「ま、しばらくはシヤンの調査の結果待ちだぁな」


「あーッ! ギルド長いたぁ! 副ギルド長も一緒に何処行ってたんですかぁ!」


 ギルド長の言葉に頷こうとした瞬間、大声で呼ばれてつんのめってしまった。

 見れば小柄で特徴的な薄紫色の髪をボブカットにした女の子が腰に手を当てて、頬を膨らませている。冒険者ギルドの受付嬢をしているサラ=エモツィオンだ。


「僕らは遅めのお昼を食べてきたんだよ。それよりサラちゃんこそどうしたのさ?」


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 気づいた時には、僕はサラちゃんに襟首を掴まれて引き摺られていた。


「どうしたじゃありませんよ! 新しい冒険者さんが登録に見えてますよ。新規の登録にはお二人のどちらかの承認が要るって事忘れた訳じゃないですよね?」


「ちょっと待って! 二人で留守にしたのは悪かったけど、何で僕だけが引き摺られてるのさ? ギルド長! ギルド長もそこにいるよ?」


「ギルド長を引っ張るなんて怖い事できるわけないじゃないですか!」


「すごく納得できる理由だけど納得しない! 仮にも僕、組織のナンバー2だからね?」


 物凄い勢いで遠ざかっていきながら、頑張れよと手を振るギルド長が恨めしい。


「副ギルド長が悪いんですよ! 気弱で童顔で私より背が低くて迫力というものに全く縁がない副ギルド長が!」


「やっぱり納得がいかないよ! コンチクショウ!」


 砂塵を巻き上げ疾走するサラちゃんと迸る涙が止まらない僕は商店街中の視線を独占するのだった。


「それから事務課の人達、書類が片付かないって嘆いてましたよ! 登録が済んだらちゃんと皆さんに謝って書類仕事を終わらせて下さいね!」


「だから何で僕だけ?」


「ギルド長はもう今日の分の書類を終わらせているからです」


 ギルド長って事務処理能力も化け物じみてるんだよなぁ。

 僕はこれから待ち受ける試練を思うと、またも涙が止まらなくなるのだった。









 数日後。

その日の午後、僕は午前いっぱいを使って治療魔法の講義をしていた遅れを取り戻すべく副ギルド長室で一人黙々と書類と格闘していた。

 副ギルド長となれば専用の部屋を持っていなければ格好がつかないのは分かる。

 しかしだよ。いくら日当たりが良い部屋を与えられているとはいっても一人で仕事をするのは寂しいし、どうにも集中力が続かない。

 僕は目の前にあるティーカップを手に取る。

 淹れて随分と時間が経っている上に、初夏の西日に当たっていたせいか半端に温くてあまり美味しくない。でも、それなりに気持ちを切り替えるには役に立ってくれた。

 サラちゃんはギルド長や他の事務員にはこまめにお茶を淹れているらしいけど、僕の分のお茶だけは自分で淹れている。


「だって副ギルド長って私より美味しくお茶を淹れるじゃないですか」


 とはサラちゃんの言。

 しばらく前にギルドのみんなでお茶会を楽しんでいた時、僕のお茶が美味しいと褒められたことがあった。あの時、調子に乗って紅茶の淹れ方について偉そうに講釈を垂れてサラちゃんの面目を潰したのがマズかったんだよね。

 あれ以来、サラちゃんが僕にお茶を淹れてくれる事はなくなったんだ。


「ま、確かに、君のやり方じゃ茶葉がかわいそうだよ、は云い過ぎだったな」


「そうなんですよね。サラちゃん、すっかり臍を曲げちゃって……」


「お互い大人なンだからよ。さっさと仲直りしちまえ。ギルド職員同士がいつまでもギスギスしてンのは冒険者達にも示しがつくめぇさ」


 そうなんだよね。冒険者にとってパーティ内の絆の深さは生存率にも直結する。

 信頼で結びついたパーティなんて言葉を交わさずにアイコンタクトや何気ない仕草で意志の疎通ができるというしね。そんなパーティといつも仲違いしているようなパーティとでは明らかに効率が違うし冒険の危険度も雲泥の差だろう。

 うん、確かに仲間内での信頼の大切さを謳っているギルドの人間が仲違いしているなんてみっともいい話ではない。

 けどなぁ、今回の話が無くてもサラちゃんは何故か僕の事を目の敵にしているように思えてならない。

 僕がギルド長の肝煎で副ギルド長に就任した日も、一度たりとも冒険をした事がない上に、宮仕えしていた過去から、ギルド長の嫌いな天下りじゃないのか、と大反対してきたくらいだからね。

 だから僕も、初めは雑用から、と云ったんだけど、

「クーア君は聖都スチューデリア、いや、世界でも指折りの治療魔法と防御魔法の遣い手だ。頭も切れるし、魑魅魍魎が跋扈する宮廷で生き抜いてきた事から見た目に反して胆も据わっているだろう。ま、理由は他にもあるが俺はクーア君以外の奴を副ギルド長に据えるつもりは無ェからそう思え」

 と、有無を云わせぬ気迫でサラちゃんも含めたギルド員達の首を縦に振らせたのだった。

 初めこそはギルド員達から村八分にされてきたけど、我武者羅に与えられた仕事を求められる水準以上に仕上げながら辛抱強くみんなと接してきた事とギルド長が敢えて僕に助け舟を出さなかった事もあって徐々にだけど周囲の信頼を得られるようになってきた。

 そして今もギルド員の信頼を得ようと頑張っているし彼らも心を開きつつあるんだけど、ただサラちゃんだけが頑なに僕の事を拒んでいるように感じる。

 違うな。一応、サラちゃんも僕の仕事は評価してくれているし、初めから副ギルド長と呼んではくれているんだよね。


「ま、そこは当事者で話し合えば良いンだ。兎に角、今度の喧嘩はクーア君に非があると思うぜ。サラも本来根に持つような娘じゃねぇ。案外、一緒に茶ァしばいて頭の一つでも下げりゃすんなりと許してくれるだろうよ」


「そうだと良いんですけどね……って、ギルド長?」


 いつの間にかギルド長がテーブルに腰掛けて仕上がっている書類のチェックをしていたので驚いた。


「相変わらず丁寧な仕事だな。文章は簡潔にして要点はきっちり押さえてあるし、字が綺麗で読みやすいのが良いぜ。他の奴らなンざ重要書類でもお構いなしに雑に崩した文字でササッと書きゃあがるからなぁ」


 金釘流(かなくぎりゅう:字が下手な者を指す)の俺が云えた義理じゃねぇか、と笑うギルド長に僕はおずおずと新しいお茶を差し出す。


「おお、悪いな。うーん、同じ茶葉でも全くエグ味が無く香りも良いってンだから、そりゃ自慢もしたくはなるわな」


「その話はもう勘弁して下さい。それより何かあったんですか? ギルド長がこの部屋に来るなんて珍しいですね」


 するとギルド長は口元を引き締め、居住いを正してから答えた。


「シヤンの野郎が面白ェ話を仕入れたって繋ぎを入れてきたぜ。今夜、晩飯がてら詳細を聞きに行くンだが、クーア君はどうする?」


 ああ、義理堅いギルド長らしいなぁ。

 僕もボースハフト侯爵とクアルソ嬢の一件に多少は噛んでいたから顛末を聞く権利を態々持ってきてくれたのだろう。


「それもあるけどよ。クーア君もぼちぼちギルド員どもから信用を得てきたみてぇだからな。ギルドの幹部として密偵の使い方を知っとくべきだと判断したンだよ」


 これは素直に嬉しい。

 副ギルド長に就任して早五年。漸く冒険者ギルドの暗部を見せて貰えるまでの信用を得られたのだという証と思っても自惚れには当たらないだろう。


「是非、話を聞かせて下さい」


「よし、今日の仕事が捌けたら、こないだ行ったアルデンテに直接来てくれ」


「了解です」


 僕は定時に上がれるよういつも以上に気合を入れて書類の山に立ち向かうのだった。









やや定時をオーバーしたものの今日の書類を全てやっつける事ができた僕は、例の小悪党然とした亭主に迎えられた。


「アンタが噂の副ギルド長だったなんてねぇ。人は見かけによらねぇもんだ。おおっと、失敬。それはそうと色々と面白い事が分かりやしたぜ」


 僕がどんな噂を立てられているのか気になったけど、まずは侯爵の情報を聞くのが先だと思い直して既にギルド長が待っているテーブルへと案内を頼んだ。


「よう、あの書類の山だ。もっとかかると思ってたが、流石はクーア君、俺が見込ンだ男だな」


 ギルド長は僕の姿を認めるとピッツアを持った右手を掲げた。

 軽く会釈をした後、僕もピッツアが食べたくなったので、トッピングにアンチョビ多目を頼み、お酒はビールを注文してから席に着く。

 それ程待たされる事なくビールとピッツアが運ばれてきたので、まずはビールで乾杯と洒落込むことにした。


「カーッ! やっぱ夏はコレだな! 暑い中、敢えて熱々のピッツアをはふはふ云いながら頬張り、汗を拭いつつ冷えたビールで流し込む! これぞ夏の快感ってヤツだ!」


 ギルド長は邪魔に思ったのか、膝裏まで伸ばした黒髪をアップに束ねてキンキンに冷えたビールを何杯も胃の腑に注いだ。

 顔を真っ赤にさせて、瞳を潤ませるギルド長は得も云われぬ色気を醸し出している。

 完全に出来上がっているように見えるけど、これで頭は冷静に回っているのだから恐ろしい。

 その昔、魔界の王子がギルド長を酔わせて打ち殺そうと目論んで大量のお酒を呑ませた事があったそうだけど、そこはギルド長、酔い潰れたように見せかけてあっさりと返り討ちにしたそうな。


「魔族と云えども首の骨を折っちまえばおっ死ぬンだな」


 この自慢なのか駄洒落なのか分からない台詞を聞かされた時は戦慄したものである。

 やがて夜も更けてきた頃にシヤンさんが汗を拭いながらやってきた。


「お待たせしやした。夜のピークがやーっと引きやして……へへ」


 無理もない。このアルデンテはパスタが美味しいと評判を取る上に、ピッツアも腕の良い専門の職人を雇っており、お酒の種類も豊富でおまけにお勘定も安ければ人気が出ない訳がない。

 明日の分の小麦粉足りるかな、と心配するくらい今夜は盛況だったらしい。

 夕方から今まで長っ尻していたのが申し訳なく思えてきた。


「で? どンなネタを掴ンだって?」


 妖艶に嗤うギルド長に僕は背中に氷を入れられたかのように震える。

 それはシヤンさんも同じだったようで今度は冷や汗を拭っていた。


「へ、へい、伯爵様に仕える召使いに小金を握らせやしてね。ちょいと聞き込んだところ、まあ、喋るわ、喋るわ、色々と分かりやしたぜ」


「伯爵令嬢に男がいたってか?」


 ギルド長の言葉にシヤンさんは驚くどころか、ニヤリと笑って見せた。


「やっぱりそう予想してやしたかい。あのお嬢、可愛い顔して美形の召使いを毎晩のように寝室に呼んでやがるそうですぜ」


「で、ボースハフト侯爵の悪評を流したのは……」


 シヤンさんは自信ありげに頷いた。


「お嬢様ご寵愛の美形、ピアージュってんですがね。どうもそれらしい特徴の野郎がボースハフト領のあちこちで噂をバラ蒔いているようなんでさ」


「読めてきたな。伯爵家の小娘が結婚前に男ォ銜え込ンでるってぇ事実が露見すりゃあ侯爵側からすれば重大な裏切りだ」


「そうですね。だからクアルソ嬢は逆に、代替わりをして間がなく体制を整いきれていない侯爵家の悪評を流し婚約自体をご破産にしようとした」


 しかし、シヤンさんは人差し指をメトロノームのように左右に振った。


「副ギルド長、まだ話には続きがあるんでさ」


 ギルド長の方も、焦るなと苦笑していた。


「いいか、クーア君。事が露見して困るのはあの嬢チャンだけじゃねぇ。一番困るのは貴族のご令嬢とデキてる野郎の方だろうさ」


 なるほど、確かにそうだ。

 主家の娘と懇ろとなった召使いの末路なんて想像するのも恐ろしい。


「では、ボースハフト侯爵が若い娘に鞭を打つなんて噂を流したのも、クアルソ嬢を守ろうとしたのではなくて、自分の保身の為って事ですか?」


「それでも動機としては弱いな。貴族の悪い噂を立てるなンざそれこそ命懸けだ。もし、見つかれば只じゃ済まねぇ。それに結婚の事がなくても、娘と召使いがデキてるってぇ事実はいつまでも隠し通せる訳がねぇだろ」


 それこそ見つかれば只じゃ済まない。

 事実を隠す為に命懸けで大掛かりな噂を流すなんて間尺が合わないにも程があるだろう。

 ならば、さっさと逐電してしまった方が安全で手っ取り早い。


「元々、ピアージュって野郎はひとところに落ち着かない渡りの奉公人でね。あちこちの大店や貴族の家で女に手をつけていたろくでなしでやして、とうとう行き場を無くして叔父のビトレールの元へ転がり込む格好で件の伯爵家へ奉公に来たって訳でさ」


「ビトレール……どこかで……あ! ひょっとしてクアルソ嬢と一緒に来ていた?」


「そうだ。あの執事長の爺さんの名前が確かそうだったはずだな」


 そこでシヤンさんがずいと前に乗り出して僕らと額を突き合わせる格好となった。


「ここからが話の面白くなるところでさ。良いですかい? その執事長の爺さん、実は伯爵家からすりゃ本家の人間、しかも跡取りだったってぇ御仁でやしてね。昔は羽振りが良かったそうでやすが、爺さんの親父の代で落ちぶれちまったそうで……そこを分家に拾われる形で伯爵家に仕えるようになったそうでやすよ」


 その話が本当だとしたら俄然事情が変わってくる。

 元は大身の貴族の跡取りだった人が、家が没落したとはいえ分家の執事をさせられている事実は相当な屈辱であろうと容易に想像できる。


「まさかクアルソ嬢を甥のピアージュに襲わせて虜にしようと? ピアージュも元は本家筋の人間。それでゆくゆくは二人を結ばせて伯爵家を乗っ取ろうと画策した?」


「可能性の一つに過ぎないけどな。現時点で一番怪しいのはあの爺さんだしよ」


 ここで話を一旦整理しよう。

 まず困窮に喘いでいた伯爵家はボースハフト家から一人娘のクアルソ嬢を嫁がせる代わりに資金援助を受ける約束を取り付けていた。

 当然、伯爵家に跡取りがいなくなるが、そこは親戚筋から養子を迎える事で問題は無いそうだ。

 そこでビトレールは一計を案じたのではないだろうか?

 甥のピアージュにクアルソ嬢を征服させ、どこにも嫁ぐ事を出来なくし、それに並行して侯爵家の悪い噂を流して伯爵に婚約の破棄を迫る。

 その上で本家の血を引くピアージュを婿に推し、いずれは伯爵家を乗っ取ろうと画策しているのだとしたら?

 頭の中で纏まった推理を披露しようとした時、つまらなそうに僕を見るギルド長に気がついた。


「クーア君、名探偵よろしく推理するのは構わねぇが、全ては状況証拠なンだぜ。あの爺さんが一番怪しいのは確かだがな」


 ギルド長は紙巻きに火を着けて紫煙をくゆらせる。

全てを見透かすような闇色の瞳に射竦められて僕の推理は脳裏から霧散していった。


「実を云うとな。ポブレ=ビェードニクル伯爵本人も相当敵が多い人物なンだよ」


「敵が多いって、私生活は貧しいんでしょ? 三食どころか朝晩一菜一汁だけの生活で、服装もかろうじて貴族の体裁を保つのがやっとって有様だと聞いてますよ。その癖、知行地の税金は安くて治安も良いから、この聖都スチューデリアの中でも『もっとも住みたい地域ベスト5』に毎年ランクインしてるそうじゃないですか。そんな伯爵を誰が疎ましく思ってると云うんです?」


 するとギルド長は窓の外を指差す。

 その指が示す先の奥の奥に我が国が誇る神聖なる白亜の宮殿を望む事ができた。

 スチューデリア城である。


「ま、まさか?」


「そうだ。他ならぬ聖帝陛下サマサマよぅ。それに庶民の間じゃぁあまり有名になってねぇがな、ビェードニクル伯爵は聖都六華仙の一人よ。大公や公爵クラスを差し置いて栄えある称号を戴いているンだ。周囲の嫉妬は半端じゃないぜぇ?」


「聖都六華仙? 何でまた?」


 ここで聖都六華仙について掻い摘んだ説明をさせて欲しい。

 この称号は我が国の中でも最も国に貢献した名士六名に与えられる最大級の名誉の一つであり、アポイントメント無しで王宮への立ち入りを許される他、病院や乗合馬車などの公共施設が国の負担で利用し放題だし、申請すれば年間最大国庫の1パーセントまで無担保で融資を受けられるなど無茶苦茶な特権を持つ者達である。

 過去数十年に渡って他国からの侵攻や蛮族の襲撃から聖都スチューデリアを護り抜いてきた大将軍閣下や国教である星神教の中でも最高位にある大僧正なら話は違ってくるけど、はっきり云って庶民よりも慎ましい生活を送っている伯爵がどうして六華仙に選ばれたのか不思議でならない。


「ポブレのおっさんはな、我が国の犯罪発生率及び前科モンの再犯率の抑制と国庫を潤わせた功績を認められて聖都六華仙の称号を与えられたンだ」


「どういう事です?」


 何気にとんでもない実績を残していた伯爵に畏敬の念を覚えつつ先を促した。


「あのお人はねぇ、副ギルド長、あっしら半端者に取っちゃあ足向けて眠れねぇってぇ大恩人なんでさ。あっしがこうしてパスタ屋で評判を得ているのも伯爵様の御陰でやしてね。その恩に少しでも報いたくて裏に回っちゃあギルドの密偵として働いているんで御座んすよ」


 まず先に答えたのはシヤンさんだった。


「ポブレの旦那は若ェ頃からずっとお心を痛めていた事があった。何故人は罪を犯すのだろうってね」


 ビェードニクル伯爵は幼い頃、旅行中に盗賊団に襲われて金品だけでなく優しかった母親と頼もしく思っていった兄達を失ったそうだ。

 咄嗟に母君が彼を馬車の下に隠したので命だけは奪われずに済んだけど、その過去は彼の心に暗い影を落とすのに十分だった。

 盗賊への憎悪を募らせながら成長していった彼はやがて立派な騎士となったが、それは盗賊を見れば悉く虐殺をし、嗤いながら返り血を浴びる悪鬼のような姿であったと云う。

 そんな若き残忍な騎士ポブレにつけられた渾名は『深紅の甲冑』だった。由来は云うまでもないだろう。

 そんな盗賊を殺戮する狂気の騎士に一つの出会いが待ち受けていた。

 とある日、まるで息をするように盗賊を斬り殺した彼は、その屍体に縋り付いて泣く少女に気がついた。

 問えばその盗賊は少女の父親であると云う。

 父さんは人を殺した事はない。お腹を空かせた自分に食事を与える為にやむなく食料を盗んだだけ、と訴える少女にかつての幼かった自身を重ねてしまった騎士は動揺した。

 自分がやってきた事は正と邪のベクトルが違うだけで母や兄達を殺した盗賊と同じ事なのではないか、私は自分と同じ境遇の子供を知らずに多く作ってきたのではないか、と思い悩む日々が続いたそうな。

 思い余った青年ポブレは罪を犯す者達の境遇を徹底的に調べ上げた。

 その結果、罪人の大半が貧しさ故に盗みを働き、そこから坂道を転げ落ちるが如く道を踏み外していった者達なのだと知ったそうだ。


「伯爵はな、クーア君、最初は貧困に喘ぐ連中に施しをしていたそうだが、それでも盗みをする奴はいるし、何より働く意欲が無い事に気づいたンだよ」


 それはそうだろう。

 盗みを覚えた者は味を占めて盗みを繰り返すようになるし、そもそも仕事が無くては働きようがない。働かなくてはご飯が食べられない。そして飢えに耐えかねて人様の物に手をつける。

 その負のスパイラルが人を堕落せしめるのだ。


「そこでポブレのおっさんは閃いた。仕事が無けりゃ与えてやれば良い。働く為に必要な技能を持って無けりゃ教えてやれば良いってな」


 若きポブレは、先代が亡くなって家を継ぐなり罪の軽い者や宿を持たぬ者達を集め、私財を投入して職業訓練施設を設立した。

 後の世で云う人足寄場である。


「そうか、今や聖都スチューデリア各地に広まり、世界各国からも見学が絶えない人足寄場の前身はビェードニクル伯爵によって創られていたんですね」


「勿論、初めっから上手くいってた訳じゃねぇ。怠け癖が染みついた奴らや世を拗ねた野郎どもが脱走騒ぎを起こしたり、教官役の職人達と諍いを起こしたりと問題だらけでよ。周囲からは、それ見た事かと冷笑を買っていたそうだぜ」


 それでも諦める事なく無宿の者達を集めて指導を続けていた伯爵は、罪人達の中にも神に祈る姿があったのを認めた。


「罪人にこそ縋るものが必要なのだ。私は愚かだ。罪人もまた人なり。人ならば心があるのは当然ではないか。つまり教えるものは技能だけでは不十分……真に必要なのは心の教育であったのだ」


 天啓を得たポブレ青年は道徳もカリキュラムに組み込み始めたと云う。

 やがて彼の行動は大将軍閣下や大僧正の知るところとなり、彼の考えに賛同した二人は協力を申し出て、カリキュラムの一環として護身術を中心とした武術指南、宗教学、時には演劇や朗読劇を通して人の道を説いていった。

 やがて施設の運営は軌道に乗り、高い技能と生まれ変わった精神を得た無宿の者達が何十人、何百人と巣立っていき、我が国の発展に貢献していく。

 それは技術の面だけではない。高いレベルの技術と知識を持つ彼らは安定した収入を得られるようになり、結果として多額の税が聖都スチューデリアへ納められて国庫は瞬く間に潤っていった。

 民を栄えさせる事こそが国を栄えさせる近道なのだと結論づけた伯爵は、更に私財を擲って孤児院を建造し、戦災孤児や貧困ゆえに捨てられた子供達を集めて教育を施すようになる。


「子供こそが国の宝である。未来を担う彼らが真っ直ぐに育てば百年先の安泰は確約されたも同然であろう……なンて格好つけてやがるが、餓鬼どもを腹ァいっぱい食わす為にテメェは一菜一汁で満足してンだからな。ま、貴族としては変人の部類に入ンだろうよ」


「あっしもねぇ、元は盗人でやしたが、ポブレの旦那が自ら組織した自警団にとっつかまって人足寄場にぶち込まれたクチでやしてね。そこで料理の楽しさを教わって今に至るって訳でさ」


 照れ臭そうに頭を掻くシヤンさんは心の底から感謝しているのだろう。

 だからこそ盗賊時代に培った技術を持ってギルドの密偵としても働いているんだね。

 余談だけど、騎士ポブレの人生観を変える切っ掛けとなった少女こそが今の伯爵婦人であるそうな。


「その後、大将軍と大僧正の爺さんの推挙を受けて聖都六華仙の一人になったンだが、それを最後まで渋ったのが他ならねぇ聖帝サマよ」


「それは何故です?」


 ギルド長は鼻を鳴らすと盛大に煙を吐き出してから続けた。


「聖帝ってなぁ云ってみれば国全体の親父みてぇなモンだ。国父ってヤツだな。でもよ、この国、特にビェードニクル領の民や人足寄場の出身者からすりゃ親父と呼ぶべきは伯爵様って訳よ。現実には親父様、親父様と民衆から慕われるのが自分じゃなくて高が伯爵風情なモンだから聖都スチューデリアの父を自称する聖帝サマにしてみりゃあクソ面白くもねぇって事さね」


 そんな子供みたいな理由で?

 いや、確かに僕が宮廷治療術師として仕えていた頃も気難しい所があった。

若い頃から浅慮で気が短く、放蕩に明け暮れ、もしも国防の要たる大将軍閣下が居なかったら聖都スチューデリアは今頃どこぞの国の属国になっているか、滅ぼされていただろうと云われている。

けど、いくらなんでもねぇ。


「元々餓鬼がそのまンま大人になったような野郎だったけどよ。今じゃ年寄り特有の子供帰りも加わって癇癪が凄いらしいぜ」


 さっさと代替わりしやがれ、と忌々しげに呟くギルド長を咎める気にすらならなかった。

 若い頃は確かに短慮で無頼を気取っていたけど、それでも義侠心も持ち合わせており、身内は勿論の事、かつて敵対していても、味方に降れば有能な者は手厚く遇する度量もあったはずなんだけどね。


「ついでに云えばビェードニクル領には上質の銀が採れる銀山があるし、水が良いのか土が豊かなのか作物が実りやすいってぇ云われている」


「酪農も盛んでやすし、何より腕の良い職人、農夫、漁師がわんさかいるときたもんだ。帝室の直轄領となればかなりの旨みが見込めやすね」


 凄惨な笑みを浮かべるギルド長とシヤンさんに僕は思わず身を引いた。


「それにね。あっしの密偵仲間からの情報でやすが、ピアージュの野郎、頻繁に城下町を囲う城壁の裏手にある下水道に入っていく姿が見られるそうでやすぜ」


「宮仕えしていたクーア君ならそれがどういう意味か分かるだろ?」


 信じたくなかったけど、これはもう決まりかも知れない。

 裏手の下水道とは、宮殿から通じる秘密の脱出路と合流する場所なんだ。


「やっぱり……ピアージュの背後にいるのは……?」


 ギルド長はまだ火が消えていない紙巻きを握り潰す。

 嫌な音を立て、指の間から煙を立てるその人の顔は……凶相だった。

 彫りが深く眉目秀麗と云える面相が妖しげに笑みを形作る様のなんと凶悪な事よ。

 いつもの怒りを押し殺す無理矢理作った笑顔とは違う。

 僕は生まれて初めて微笑みの表情を恐ろしいと思った。


「そうだ。今回の絵を描いたのはパテール=アフトクラトル=スチューデリア……即ち我らが聖帝陛下その人よ」


 ああ、この人は心底怒っている。

 ギルド長の笑顔の裏に隠された怒りを感じずにはおれなかった。









 さて、いよいよクアルソ嬢のお見合い当日となった。

 僕はギルド長から密命を受けてビェードニクル伯爵領へと赴いていた。

 正直、この問題は冒険者ギルドが関与すべきものではないと思わなくもないけど、このまま捨て置いて聖帝陛下の思惑通りに事が進んでは面白くないのもまた事実だった。

 伯爵邸の門を護る騎士に、懇意にしている貴族に頼んで書いて貰った紹介状を手渡し伯爵との面会を求め、待つことしばし……


「いやぁ、クーア殿、よう来られたな。ささ、遠慮のう上がるが良い」


 まさかビェードニクル伯爵御自らに出迎えられるとは予想だにしていなかったものだから若干腰が引けてしまったとしても仕方が無いよね。

 にこやかに僕を迎えてくれた初老の男性は若い頃から騎士として鍛えられていたということもあって矍鑠としており、顔に刻まれた皺が無ければ彼の年齢は推し量れなかっただろう。

 台所が火の車だという噂だけど、目の前にいる老人の肌は血色が良く、着ている服も素材は一級品であると一目で知れた。想像していたより生活は苦しくないのかも知れない。

 更に云えば、領内は豊かで平和そのものだ。

 伯爵のお屋敷に来るまでざっと見てきたけど、まず道がきちんと整備されていて伯爵領に入った途端に馬車の揺れが小さくなったのには素直に驚いた。

 災害の備えも万全であり、川に沿って建造された大堤防は多少の嵐ではビクともしないだろうと素人目にもよく分かる。また堤防に沿って多くの桜が植えられており、春には花見で大いに賑わうのだそうだ。


「これがビェードニクル領名物の大堤防、名付けてポブレ大堤防でさ。土地ところのモンは親しみを込めて親父堤おやじつつみと呼んでまさぁ」


 大堤防を自慢げに紹介する馬車の馭者の表情を見れば、領民が心底ビェードニクル伯爵を慕っているのだと察することができた。

 他にも聖都スチューデリアの中にあって領民の識字率が高い事でも有名だそうで、理由を問えば、簡単な読み書きや算術を教える施設が無料で開放されているらしい。

 勿論、高度な専門知識を教える高等学校、大学は安くない授業料を取るが、農夫や職人の子からすれば生活に必要な読み書きを只で教えてくれるだけで十分ありがたいそうな。

 つまり、この土地に住む者は皆不自由ない幸福な生活を送っているのだと云えよう。


「生憎、今日は娘の見合いがあってな。あまり時間を取れぬが容赦してくれ」


 僕の前を歩く伯爵からは一分の隙も見出せない。

 冒険者ギルドの幹部として、数多くの冒険者、武芸者を見てきたけど、その誰もが目の前の老人には勝てないだろうなぁという予感があった。

 いや、下手をすればスチューデリア正規軍の精鋭さえも後れを取るかも知れない。


「しかし、流石は冒険者ギルドの副ギルド長よ。一見すれば華奢な魔法使いのようだが、儂の剣ではそなたを討つことは敵うまい」


買い被りすぎです、と返そうとするよりも伯爵の唇の方が早かった。


「流石は王宮で最高の治療術師にして、陛下の御正室、即ち聖后陛下の相談役を務められただけはある」


 この人は僕の素性を知っているのか?

 いやいや、聖都六華仙の一人に選ばれるだけの傑物だ。それくらいの情報網を持っていても不思議ではないか。

 するとビェードニクル伯爵はニヤリと笑って手招きをした。


「大きな声では云えぬがな。沢山の目と耳が儂を退屈させてくれんのじゃよ」


 子供のような笑みを浮かべて耳打ちする伯爵に、僕は合点がいった。

 人足寄場を卒業した職人達の中には、冒険者ギルドだけではなく伯爵の為にも働く密偵が数多くいるのだろう。

 否、むしろ冒険者ギルドが伯爵の密偵を借りているようなものに違いない。


「しかしなぁ……」


 伯爵は一変、悔いるような表情となって溜息をついた。


「儂も浅慮をしたものじゃわい。クアルソには可哀想なことをした……儂があの娘を養女にせなんだらピアージュの毒牙にかからずに済んだやも知れぬ」


「養女ですか?」


 貴族相手に少々不躾な言葉だったけど、幸い伯爵に気を悪くした様子はなかった。


「ああ、儂と女房殿は子宝に恵まれなんだわ。妻が四十を過ぎて、とうとう子供を諦めた儂は親類から……いや、クーア殿はもう知っていよう。執事長ビトレールの娘、即ち本家から養女を貰い受けたのじゃよ」


 やはりギルド長の指摘通りビトレールは黒幕じゃなかったようだ。

 黙っていれば自分は次期当主、いや、今回は侯爵家の舅になる訳だから、態々危ない橋を渡ってお家乗っ取りを企む必要は無かったのだからね。


「……クーア殿、これは年寄りの独り言じゃ……」


「はい……」


「父親というのは子供の首根っこを押さえてでも云う事を聞かせたいらしい。しかも子供はそんな父親の言に服従し、泣き寝入りして当然だと思うておるようじゃ」


 この場合、子供は貴族を含めた民衆を指し、父親は……


「親父も年を取り過ぎると耄碌するようじゃな。娘を征服して脅せば、へへぇ、畏まって候、とひれ伏すに違いないと高を括っておる」


 伯爵は嗤っていた。

 そう、あの夜、ギルド長が見せた、怒りを内に秘める笑顔とそっくりだった。


「へっ、そんな手に乗ってやるものかよ。子供とて折檻が過ぎれば親に反目しようと云うものじゃ。ましてや理不尽な虐待に対しては、の」


 ああ、僕は悟ってしまった。

 ビェードニクル伯爵も聖帝陛下の企みを叩き潰すつもりに違いない。

 もし、これが自らの財産を守りたいが為であったなら、僕も勝手にしてくれ、と背を向けていただろう。

 しかし、伯爵はそんなものの為に怒っているのではない。国のトップに立つ人間のくだらない嫉妬や欲のせいで民衆が苦しむ結果になると分かっているからこその怒りなんだ。

 だから僕は頷いてしまったのだろう。


「クーア殿、我が知行地に住まう子らの為に一肌脱いでくださらんか? 冒険者ギルドは副ギルド長に仕事を依頼したい」


 心から領民を想う心優しい真の貴族からの依頼に対して……

 これが僕の、冒険者ギルドの一員として初めての冒険の始まりだった。










 昼下がり。僕は街道を走る馬車の中で揺られていた。

 伯爵が自ら捕まえたという鴨の料理を頂いた後、ボースハフト侯爵領へ向かう馬車に便乗させて貰ったのだ。

 しかし、お昼に食べた鴨のローストは美味しかったなぁ。

 伯爵が私財の殆どを人足寄場や孤児院に寄贈しているのは事実だったけど、豊かな自然のお陰で家族が食べる分だけは自給自足ができているんだってさ。

 ただ、貴族が田螺のソイペーストスープを美味しそうに飲んで、下手な貝を食べさせられるよりこっちの方が断然良いね、と宣う姿を見るにつけ、やっぱり変わり者なんだな、と実感した。


「あ、あの……貴方は確か冒険者ギルドの方でしたわね? 何故、貴方がこの馬車に?」


「ええ、これからボースハフト侯爵領に用事があると申したところ、ならば楽をさせてあげよう、と伯爵様からご厚意を受けましてね」


「父上……仮にも娘がお見合いへ赴く馬車に同乗させますか……」


 只でさえ顔色が優れないクアルソ嬢は、更に肩を落として項垂れてしまった。

 それを尻目に平然と小説を読む僕は相当ギルド長に毒されてきているんだろうね。

 けど、これも作戦の内。

 可哀想だけどクアルソ嬢の不安を拭ってあげる訳にはいかない。

 けどね、言葉にできないけど僕達は貴女の味方だよ。

 僕は、自らクアルソ嬢のお供を志願して同じ馬車に乗り込んでいるピアージュを視界の端で観察する。

 確かに目鼻立ちは端整だし、手入れが行き届いた銀髪に紅い瞳は神秘的で男に免疫がない女の子では容易く陥落してしまうだろうと察せられた。

 しかし、その顔に張り付いた笑みはいかにも軽薄そうであり、少々人間観察ができる人間ならば、まず好意より先に嫌悪感を覚える。そんな印象を受ける若者だった。

 ま、今まで手をつけておいて捨ててきた女性達の怨念がわんさか取り憑いているのが『視』えるから、そう遠くない未来に破滅が訪れるのは間違いないだろうね。

 例えば今日とかね。

 楽しみにしていなよ? 聖帝陛下の陰謀と一緒に君も叩き潰してあげるから。

 僕は馭者の、ボースハフト侯爵家の邸が見えてきた、という言葉を聞くまで何食わぬ顔で小説を堪能するのだった。









「お目にかかれて光栄です。私がボースハフト家十五代目当主、エーアリッヒ=ボースハフトで御座います」


「わ、私も今日という日が訪れる事を一日千秋の想いでおりましたわ。クアルソ=ビェードニクルで御座います」


 いつ聞いても貴族同士の挨拶は回りくどいと思う。

 御機嫌麗しゅうの、お互いの家の功績を称え合うの、宮廷治療術師をやっていた頃、散々聞かされた言葉をまたこうして耳にするなんてね。

 ただ、お互い緊張しているのか、舞い上がっているのか、全く無関係の僕がこの挨拶の場にいることを誰も指摘しない事に込み上げてくる笑いを堪えるのに苦労した。


「貴女のお噂はかねがね。幼い頃から孤児院の子供達と共に勉学に励み、知恵のみならず領民を慈しむ心も育まれていたとか。その聡明さとお心の清らかさが元より麗しいかんばせに更なる美を与えていると聞かされておりました。今日、貴女の姿を一目見て、噂が本当であったと……否、噂以上に美しいと思いました」


 本当に十一歳かと疑いたくなるような美辞麗句を並べるボースハフト侯爵だけど、表情を見ればその言葉が台本に書かれたものではなく、本人が感じたままの言葉であることが分かる。

 身長こそクアルソ嬢の胸よりも低いけど、まだ幼さを残しつつも精悍な顔立ちと堂々とした立ち振る舞いは既に一国一城の主たる覚悟があるように窺えた。

 大海原を連想させる紺碧の髪に象徴されるように懐が広い人物だとビェードニクル伯爵から前情報を貰った時は、大袈裟な、と感じたものだけど、こうして見るとあながち伯爵の批評眼も馬鹿に出来ないなと思う。

 彼の言動を見るにつけ、他の男と婚前交渉をしたクアルソ嬢も受け入れてくれるに違いないと根拠も無く予感した。

 ふと厭な気配を感じて横に目線を向けると、ピアージュが嫌らしい笑いを浮かべてボースハフト侯爵を見ている。恐らく既に自分に純潔を奪われたクアルソ嬢を清らかだと褒める侯爵を馬鹿にしているに違いない。

 くだらない。生娘でなければ穢れているというのなら、世の母親はみんな不浄ってことになるじゃないか。

 さて、肝心のクアルソ嬢だけど、初めこそはボースハフト侯爵への罪悪感と例の異常性癖の噂からか死人のような顔色をしていたけど、侯爵の優しい言葉にほだされたようで、徐々にだけど笑顔を浮かべるようになっていった。

 やがて二人は会話に夢中になっていき、周囲の者達は気を利かせて最低限の世話係を残して退室していく。

 当然、僕とピアージュも出て行くのだけど、その際、横目で見たピアージュの愉悦に満ちた顔に云いようのない嫌悪感が湧き上がった。

 どうやらこの男は、二人が完全に惹かれ合った瞬間に全てを台無しにしようと目論んでいるようだ。

 その証拠として侯爵の言葉に一喜一憂しているクアルソ嬢の様子を見るたび、嬉しそうに拳を握りしめていたからね。

 別室に案内された僕達はボースハフト侯爵の御正室とお茶を楽しんでいた。

 美人でお淑やかそうなステレオタイプの貴婦人だけど、既に三十路を過ぎているそうな。

 と云っても政略結婚ならそのくらいの歳の差は珍しくもないので驚くに値しない。

 むしろボースハフト家に嫁ぐ三十歳まで処女おとめであった事実に吃驚だよ。

 失礼な話だけど、一度結婚して出戻りしていたのだろうと思っていたからね。


「病弱ゆえにこの歳まで嫁き遅れてしまいましたわ。けど、エーアリッヒ様はこんなおばさんでも厭な顔をせずに貰ってくれて、本当に嬉しかった」


 その表情はまるで恋する乙女のように可憐でさえあった。


「クアルソさんは私より若くて美人さんだからきっとエーアリッヒ様とお似合いの夫婦になるでしょうね。脆弱な私は子供を産めるか自信が無いけど、あのお二人には沢山の子供に囲まれる素敵な家庭を築いて欲しいわ」


 少し寂しげに微笑む御正室、ルフト様を見て思わず唇が動きかけたが、何とか自重する事ができた。

 無責任に、貴女も侯爵家の一員ですよ、と云ったところで余計に傷つけるだけだろう。


「それはそうと、お連れの方はどちらに?」


 ルフト様の言葉に僕はいよいよ動いたかと腰を上げた。

 窓から中庭を見れば、仲睦まじくお喋りしている侯爵とクアルソ嬢の姿があった。

 そして案の定、二人に近づいていくピアージュも確認できた。

 僕は心の内で『作戦開始』と呟くと、ルフト様に断りを入れて中庭へと向う。









 中庭に辿り着くと、顔を青ざめさせて地面に座り込むクアルソ嬢と、そんな彼女を庇うように前に進み出ているボースハフト侯爵、そして狂ったように哄笑をあげるピアージュという混沌とした状況が出来上がっていた。

 恐らく、既にピアージュがクアルソ嬢との関係を暴露した後なのだろう。


「ヒャハハハハハハハ! 聞こえなかったのでしたら何度でもお耳に入れて差し上げましょう! 私とそこにいるクアルソは男女の仲なのですよ。そこにいる女は結婚をしていない身でありながら男と閨を共にする淫売ですぞ。つまり、貴方を裏切った穢れた女です!」


 よくもまあ、笑いながら噛まずに長々と喋れたものだと感心する。

 クアルソ嬢に至っては絶望の表情を浮かべて、イヤイヤと譫言のように繰り返していた。


「如何です? 貴方も既に処女ではない娘を娶るのは嫌でしょう? ならば黙ってこの婚約を解消するのが宜しい! クアルソは私が責任を持って妻にします故」


 良い度胸だよね。普通、召使いの分際で貴族をここまで愚弄したら問答無用で首を刎ねられても文句は云えないよ。

 恐らく背後に聖帝陛下がいるからこその尊大な態度なんだろうね。

 あーあ……背後の怨念もピアージュを呪い殺さんばかりに猛り狂っているし。


「ああ、申し訳ありません。エーアリッヒ様……その男の云う通り私は穢れた女なのです。騙すつもりはなくとも、本当のことが云えず今日の日まで貴方様を裏切り続けていた非道い女なので御座います!」


 さめざめと啼きながら血を吐くように言葉を紡ぐクアルソ嬢に罪悪感を覚えるけど、今の僕にはどうしようもなかった。


「エーアリッヒ様! この上は私を討って下さいまし! この身を穢され、貴方を裏切った私をどうぞ貴方様の手で! せめてもの情けにエーアリッヒ様の剣で果てとう御座います!」


「ヒーッヒッヒッヒッ! 侯爵様のお手を煩わせるまでもありません! クアルソは私めが貰って差し上げますぞ!」


 死を懇願するクアルソ嬢とゲス丸出しのピアージュの声が交互に耳朶を打つ中、ボースハフト侯爵が静かに口を開いた。


「クアルソ殿? 何故、貴女が死ななければならないのです? そして、そこの召使いよ。黙って聞いていれば、如何なる権利があって我が妻となる人を奪おうと云うのか?」


 決して恫喝している訳ではないのだけど、ピアージュは侯爵の言葉に短く悲鳴を漏らして押し黙った。


「体を穢されたと貴女は云う……しかし、その心は綺麗なままだ。それはこの数時間だけでも貴女と触れ合った私には十二分に理解できました。聡明で慈悲深い貴女が死なねばならないでしたら真っ先に死ぬ必要があるのは私の方です」


 これにはクアルソ嬢もピアージュも驚いたようだ。


「エーアリッヒ様? それは如何なる意味で?」


「二月前、父上が亡くなられて家督を継いだ際、私は父と懇意にしていた貴族、有識者達へ挨拶に赴いたのです。そんな折り、父上同様に取り立てるとおっしゃって下さったさる公爵のもとへ訪れた私は薬で眠らされ……実はその御方は少年愛の趣味をお持ちであったのだと後から聞かされました」


 予想だにしていなかった凄まじい告白に場は静寂に支配されていた。


「ね? 穢れていると云うのであれば、私も貴女と同じなのですよ。いえ、同性に犯された私の方が不浄と云えるでしょう。ですからクアルソ殿が気に病む必要はないのです」


「こ、こんな私でも貴方に嫁いでも宜しいのですか?」


 縋るように見詰めるクアルソ嬢に侯爵は優しく微笑み返した。


「クアルソ殿。“でも”ではありません。貴女“が”良いのです。むしろ私には勿体ないと思っているほどなのですよ」


 侯爵はクアルソ嬢の手を取ると、その甲に恭しくキスを落とす。


「ならば、いっそのこと新婚旅行も兼ねて巡礼の旅に出掛けましょう。敬虔な心で神殿を巡れば、慈悲深い神々はきっと私達の穢れを落として下さるはずです」


「ああ、素敵です。私もエーアリッヒ様との巡礼の旅に同道致したく思いますわ」


 自分そっちのけで二人の世界に入っていくクアルソ嬢とボースハフト侯爵にピアージュは呆然としていたけど、しばらくして我を取り戻したのか急に地団駄を踏み始めた。


「何だよ! 何なんだよ! 時間を掛けてクアルソを征服したのに、これじゃ計画は台無しじゃないか! 詐欺だ! こんな結果、認められるわけがあるか!」


 子供のように癇癪を起こして喚くピアージュだったけど、もう二人の視界の中にピアージュの姿は映っていないようだ。


「チキショウ! 分家に良いように遣われる屈辱から抜け出すチャンスだったのに! 宝の山であるビェードニクル領をあの御方に献上すれば俺は公爵の地位を貰えるはずだったのにぃ!」


 余程悔しかったんだろうね。

尋問するまでもなく自白してくれたお陰で、逮捕する口実ができたよ。

と云うか、こんなザルな計画が成功すると思っていたのが逆に恐ろしい。


「俺の素晴らしい人生計画を無茶苦茶にしやがって! これでも喰らえ!」


 ピアージュが右の掌を二人に向けると、その先に大人の頭くらいの火球が現われた。

 炎系魔法の基本『プロミネンススフィア』だ。


「はい、そこまで!」


 貴族に攻撃魔法を放とうとしている乱心者……証拠も何もあったものじゃないね。

 僕は突風を起こす魔法『ゲイルミサイル』でピアージュの火球を霧散させた。

 その煽りを受けてピアージュが吹っ飛ぶけど気にしない。


「横から悪いね。けど、ちょっとばかりオイタが過ぎたみたいだ。捨て置く訳にもいかないし、大人しく捕まってくれるかな?」


 無様に倒れているピアージュにそう告げると、彼は勢いよく起き上がって捲し立てた。

「ぶ、無礼者! 俺を誰だと思っていやがる! 俺は! 俺は!」


「君が何処の誰って、只の召使いじゃないのさ。昔、君の一族は確かに貴族だったろうけど、今は零落れて貴族の身分さえも売り払った一庶民に過ぎないよ」


 僕の挑発にピアージュは顔を真っ赤にさせて駄々っ子のように腕を振り回した。


「黙れ! 黙れ! 俺は止ん事無き御方の密命を受けた特使であるぞ! 妄りに事を構えれば後悔することになるぞ!」


「その止ん事無き御方って誰さ?」


「貴様如きが知るのは畏れ多いわ!」


 もうお仕舞いだね。

 ピアージュを捕らえて取り調べを受ければ、毒牙にかかったクアルソ嬢を始め、今までの犠牲者達とその家族にも累が及ぶのは想像に難くない。

 この手のタイプは一人でも多くの道連れを作ろうと、取り調べの場で嬉々として毒牙にかけた女性達の名を並べ立てるのが相場だ。

 それだったら……


「侯爵。危険ですからクアルソ嬢を守って後ろへ下がっていて下さい。それと少々庭先を汚しますけど、ご容赦願いますね?」


 僕が前に出ると、ピアージュは小馬鹿にしたように嗤った。


「幽霊みたいにふわふわしやがって! さっきは不意を突かれて不覚を取ったが、今度は油断しないぜ! その女みたいな可愛い顔を苦痛と恐怖でぐちゃぐちゃにしてやる!」


 ふわふわって言葉から分かる通り、僕はゆったりとした真っ白なローブで体をすっぽりと足の先まで覆い隠し、『浮遊』の魔法で中空を漂うように移動している。確かに端から見れば幽霊に見えなくもないだろうね。

 その理由はいつか語る時が来るかも知れないけど、今はピアージュに集中させて欲しい。


「まずはテメェから血祭りだ! 『プロミネンススフィア』!」


 ひい、ふう、みい……へぇ、一度に十五個も制御できるなんて、炎系魔法の資質はそれなりにあるようだね。


「けど、それが何?」


骨も残さぬと云わんばかりに殺到する火球が僕に命中して大爆発が起こった。


「クーア殿!」


「ああ、侯爵様、ご心配には及びません」


 爆炎が消え去った後、無傷で佇む、いや、浮遊する僕に侯爵達は目を丸くしていた。

 僕は戦闘時、常に風の結界『エアカーテン』で身を守っている。

 本来、この魔法は飛来する矢或いは下位の攻撃魔法の軌道を逸らして防御するものなんだけど、遣い方を究めればこの程度の火球を受け止めるくらいは訳も無い。命中のインパクトの瞬間だけ術式に込める魔力を爆発的に高めることで、名前の通りカーテンのように薄かった風の結界は瞬時にして分厚い突風の装甲となり、その防御力に加えて結界を膨張させることによって生じる反発力で火球を防いだって訳さ。

「う、嘘だろ……俺の『プロミネンススフィア』が……?」


 一方、ピアージュは悪夢を見ているような表情で僕を見詰めていた。

 余程、今の攻撃に自信があったらしいけど、あのくらいの数の制御って冒険者ランクBくらいの魔法使いになれば誰でもできるスキルなんだよね。


「今まで俺を恨みに思っていた奴らはみんなコレで返り討ちにしてきたのに……」


 成る程、道理で肩の上に『視』える怨念が凄まじいはずだよ。

 毒牙にかけてきた女性達の家族の中には、ピアージュを恨んで実際に襲った人もいたんだろう。それを返り討ちに遭って女性の無念を晴らせないどころか、自分達の怨念までピアージュに取り憑く訳だからね。

 よくもまあ、今まで無事に生き存えてこられたものだよ。

 けど、それももうお仕舞いだね。


「そろそろ諦めがついたかい? 何人殺したのかは見当がつかないけど、死罪を免れないのは確かだよ」


 僕の言葉にピアージュは憎悪をのんだ顔で睨んできた。


「僕も仕事柄、死刑執行人の知己は結構いる。せめてもの慈悲だよ。大人しく捕まってくれるなら、罪人を嬲ることはせず一息に首を刎ねてくれる人を紹介してあげるから」


 尤も死ぬのは楽だろうけど、死後の魂は怨念によって蹂躙されるだろうし、冥府の裁きで地獄行きを命じられるのはほぼ間違いないけどね。


「う、五月蠅い! 俺の背後に誰が控えていると思っている! お、俺を捕らえればあの御方の怒りを買うのは必定だ!」


 ああ、やっぱり処刑されると分かってて大人しく捕まるような性根の持ち主じゃ無いよね。うん、分かってた。


「あまり後ろ盾になってる人の事を軽々しく口にしない方が良いよ? この場を見ているその止ん事無き御方の間者に暗殺されても知らないから」


「馬鹿を云え! あの御方は俺が必要と云ってくれたんだ。俺の美しい顔が計画に必須だと! この任務が成功すれば今までの罪も帳消しにもしてくれるって! だから俺が処刑されるのも暗殺されるのだって有り得ないんだよ!」


 なんだか可哀想に思えてきたな。

 ここまで自己保身しか考えられないピアージュという青年にやるせなくなってくる。

 ほら、さっきから僕達を覗き見してる奴から濃厚な殺気が溢れてきたよ。

 君は利用されているだけ……きっと、あの言葉を口にした瞬間、君は……


「ピアージュ、そろそろ本当に口を閉じた方が良いよ。実を云えば君の背後にいるのが誰なのかというのは僕も知っている。昔の彼はそうじゃなかったけど、今の彼は君のことを替えのきく駒としか思ってない冷たい人間に成り下がっているようだ」


「そ、そんな訳あるか! あの御方は俺の実の父親なんだぞ! 昔、母上にお手をつけて生ませたのが俺だ! そうだ。俺の父親こそが聖て……ぐあっ!」


 突然、ピアージュが一本の巨大な火柱と化した。

 その火の勢いには手の施しようが無く、ピアージュは瞬く間に灰となって消えた。

 当然の報いと云ってしまえばそれまでだけど、利用された挙句に殺される末路に憐憫の情が生じないほど僕は冷たいわけじゃない。


「冒険者ギルド・スチューデリア支部・副ギルド長に問う。今、死した愚か者に加護を与えられた御方の正体を知っているというのは本当か?」


 姿を見せたのは僕達が乗ってきた馬車の馭者だった。

 中肉中背でぱっと見て冴えない風貌のどこにでもいそうな男だけど、隠密として活動するには理想的な容姿であるだろう。


「そりゃ知っているよ。冒険者ギルドでも今回のお見合い騒動について色々と調べたからね。当然、ピアージュの背後にいるのがあの御方というのも、その企みも分かっていたよ」


 僕の言葉に馭者からの殺気がさらに大きくなった。


「はっきり云って、流石に僕も失望したよ。昔の彼は性格に問題はあっても陰謀を巡らせて人を傷つけたり他人の財産を狙ったりするような子じゃなかったからね」


 嫌悪を隠すことなく首を振る僕に、馭者は大きく前に出た。

 その両の拳が燃えるように炎を纏っている。


「あの御方を侮辱する発言は何人であろうと許されん。貴様はただ口を封じるだけでは済まさぬ。その身に報いをくれてやる」


 馭者の背中で爆発が起こったと思った時には、炎に包まれた拳が『エアカーテン』ごと僕の腹を打ち抜いた。

 背後で炎の魔力を爆発させる事で突進力を得て、敵との間合いを一気に詰める技か。

 想像以上の遣い手である馭者に驚かされたけど、それは向こうとしても同じだったみたいだ。


「私の『ブーストナックル』を受けて生きているだと? 貴様、ローブの下に何を仕込んでいる?」


「残念だけど企業秘密さ。ま、伊達に副ギルド長の地位にいるわけじゃないってことだよ」


 なんて強がって見せたけど、予想以上のダメージに実はピンチだったりするんだよね。

 『エアカーテン』は無詠唱でまた張れるとしても、あの馭者のパンチには通用しないのは証明済みだ。

 インパクトの瞬間を捉えようにも速すぎて反応できなかった訳だし、何より魔法の補助抜きにしても全身のバネを使って打ち出された拳は正しくプロの格闘家の技だった。

 きっと小手先の防御技では簡単に抜かれてしまうだろう。

 状況はかなりマズいね。魔法使いが接近戦で戦士に勝てる道理がない。

 一応、護身術として小刀術を修めてはいるけど、彼相手に通用するとは思えないしなぁ。

 打開策は無いかと思案する間もなく、爆発音と共に馭者の拳が僕の顔面に迫っていた。


「腹が駄目なら顔面ならどうだ?」


 うん、正解。僕の胴体には少々秘密があるけど、顔は普通に攻撃が通るからね。

 だからこそ、骨が分厚い額で拳を受け止める『額受け』って防御技をギルド長から伝授されてたりするんだよ。回避は難しくても、それくらいは僕にもできるからね。

 そんな訳で僕は額に魔力を集めて強化しながら馭者の拳を迎撃した。


「き、貴様! 味な真似をする!」


「『ゲイルミサイル』!」


 馭者が拳を痛めて怯んだ隙を逃さず魔力の突風を放ったけど、馭者は軽く横へステップすることで難なくかわす。


「ならば、これでどうだ! 『ブーストタックル』!」


 今度は馭者の体そのものが突っ込んできて、僕の胸に彼の左肩がもろに入ってしまう。

 拳ならともかく体当たりを受けては一溜まりも無く、僕は無様に吹っ飛ばされた。


「がはっ!」


 元々宙に浮いていたところに爆発でブーストされた体当たりを受けてしまった僕は、気が付けば遙か遠くへ飛ばされて倉庫らしきところへ突っ込んだ。

 けど堅い壁ではなく窓を突き破ったということは、まだ僕が勝負のツキに見放されていない証拠だろう。

 突入した際に破けたらしい麻袋から漏れた粉に塗れながらも何とか立ち上がった。


「ん? これは小麦粉?」


 うん、小麦粉だ。

倉庫内に堆く積み上げられている小麦粉の袋を見上げて僕は思わずほくそ笑んだ。


「ツキに見放されるどころか、勝負の流れは僕にある! 後は馭者がここに入ってくれれば僕の勝ちだ」


 祈るまでもないだろうね。

彼はプロのエージェントだ。僕の死を確認しないはずがなかった。


「生きているか、副ギルド長? 今、トドメを刺してやろう」


 来た! 案の定、馭者は僕を確実に始末するために倉庫に入ってきた。

 出来れば傷の治療をする時間が欲しかったけど、今の幸運を思えば贅沢な話だ。


「こっちだよ」


 僕はわざと所在を馭者に伝える。


「良い度胸だ。いや、礼を云わせてもらおうか。もう間もなく侯爵家の兵士が来る。隠れん坊などされては堪らぬからな」


「そうだね。僕もちょっとダメージが大きいからそろそろ決着をつけさせてもらうよ」


 僕は自分を中心に竜巻を起こした。


「敵を吹き飛ばせ! 『トルネードスピン』!」


 倉庫内を暴風が荒れ狂い、袋を破いて盛大に小麦粉を捲き散らかす。


「何のつもりだ? この程度、私には目眩ましにもならん!」


 かかった!

 僕の作戦通り馭者が拳に炎を纏わせ背中に魔力を集中させたのを確認した僕は、臍下丹田にありったけの魔力を集中させる。


「トドメだ! ブース……何?」


 馭者が背中の炎を弾けさせようとする刹那、倉庫内が巨大な火炎に包まれる。

 僕は全力で『エアカーテン』を強化してこの大爆発に耐えた。


「ああ、吃驚した。想像を遙かに超えた爆発だったね」


 すっかり中が吹き飛ばされた倉庫内を見て、自分の作戦が如何に無茶だったのかと唖然としていた。

 馭者の姿は見えない。倉庫内に魔力の網を張り巡らせて索敵しても何も引っ掛からない事から、爆発の中心にいた彼は跡形も無く木っ端微塵になってしまったのではと推察する。


「大気中に可燃性の粉塵が一定の濃度で充満した状態で起こる粉塵爆発……文献で読んだことはあっても実際に試したのは初めてだったからなぁ……やっぱり机上で修めた知識だけじゃなくて実地でも試さないと危険だね」


 焼け焦げた倉庫から出ると、ボースハフト侯爵とクアルソ嬢が兵士を引き連れてやって来るのが見えた。


「庭先どころか貴重な小麦粉を蓄えた倉庫を破壊してしまいました。どのようなお咎めでも甘んじて受け入れます。しかし、これは僕個人の戦闘です。冒険者ギルドへは何卒寛大なご処置をお願い致したく……」


 跪いて赦しを乞う僕にボースハフト侯爵はかぶりを振った。


「許すことなど何もありません。貴方は私と我が花嫁となる人を侮辱し、我が屋敷で狼藉を働いた無礼者二人を討ってくださいました。それと同時にクアルソ殿のご実家を狙う理不尽な企みを防いでくれた恩人に仇を為すことなどあり得ませんよ」


「侯爵様の寛大なお心に感謝致します」


 一礼する僕に侯爵が近づいてきて小さく耳打ちをする。


「今回、冒険者ギルドには並々ならぬ恩を受けました。ギルド長のお知恵が無ければ、私は傷ついたクアルソ殿の心に踏み込むことすらできなかったでしょう」


 やはり公爵に犯されたというのはギルド長の入れ知恵だったのか。

 なるほど、道理でクアルソ嬢の心のケアをするなって厳命するはずだよ。

 同じ傷を持つ男性がいると分かればクアルソ嬢も心を開きやすいし、云い方は悪いけど心の傷が深いほどボースハフト侯爵へ心が傾くという訳か。


「それに貴方を罰すれば我がボースハフト家は非難の矢面に立たされることになるでしょう。恩を仇で返したという意味ではなくてね」


 侯爵は僕の顔を見据えると、何故か頬を赤くしてモジモジし始めた。


「私は幸せ者です。今回の事件のお陰で聖都六華仙の内、二人も知己を得ることができたのですからね」


 分かった。侯爵のこの表情は子供が憧れの人と会った時の顔だ。


「まずは人足寄場の創設者であり善政のお手本、『地華仙』ことポブレ=ビェードニクル伯爵……そして、今、私の前に立たれている」


 うーわ……そうキラキラした目で見られると、なんかいたたまれないんですけど……


「過去最高の宮廷治療術師にして、聖后様を始めとする後宮のお妃様方の相談役を務められた過去を持ち……」


 あの侯爵、僕を見詰めるのは良いとして、ローブの裾を掴まないで下さい。脱げます。


「何より、五十年前に現われ世界中を恐怖に陥れた魔王とその軍勢を勇者様と共に撃退した英雄! 『風華仙』ことクーア様! こうして出会えたことを光栄に思います!」


 ギルド長め。きっと情報源はあの人だな。

 僕が勇者の一味だった過去のせいで聖都六華仙の称号を得ていたなんてギルド員に知られたら関係がおかしくなるから誰にも内緒だって約束したのに、何で云うのかな?

 これじゃ僕が何の為に初歩の魔法だけであの馭者と戦ったのか分からないじゃないのさ。

 ほら、侯爵も花嫁ほったらかしちゃマズいでしょ?

 僕は苦笑しながら侯爵と目線の高さを合わせると、口元に人差し指を宛ててウインク一つ贈った。


「この事はご内密に願います。もしお約束頂けましたなら、時間を見つけては侯爵様のお屋敷をお訪ねし、お聴きになりたいでしょう勇者との冒険を語って差し上げますから」


 僕の言葉を受けて年相応にブンブンと何度も頷くボースハフト侯爵に、つい弟や妹達、甥っ子姪っ子を連想して思わず彼の頭を撫でてしまっていた。

 不敬かなと思ったけど、当の侯爵様は興奮したように僕の顔を見詰めている。


「く、クーア様が僕の頭を撫でて下された! あ、あのクーア様! 今後、僕のことは是非ともエーアリッヒ、いえ、エアとお呼び下さい!」


 僕は、また大変な人に懐かれちゃったなぁ、と内心で苦笑いをしつつも、プライベートでなら、と了承するのだった。


連載物が完結していないのにプロットが浮かんでつい息抜きに書いてしまいました。

あらすじにも書いてありますが、雪月花とは時代こそ違えど世界観を同じくしてあります。

雪月花の主人公・雪子が剣客だったので、今回のクーアは魔法使いになりました。

書いて思ったのは、やはり私は魔法・異能バトルより剣客物の方が性に合っているようです。

ただ苦手なジャンルに挑戦してみるのも面白いなと思ったのも事実です。

一応、読み切り作品に仕上げましたが、説明不足の所もありますし、実は続きもあるのですが、掲載するかは読者様方の反応次第とします。

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