眠らない冬の女王と、春の女王
〝冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。 ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。 季節を廻らせることを妨げてはならない。〟
そうお触れが出たのは、ひと月も前のことです。冬の女王は、溜息を吐いて窓の外を眺めます。
一面が雪に覆われた地面は硬く凍り付き、窓から見える木々の枝の先は厚い氷で覆われていました。冬がもうずっと長く続いているために、降り積もった雪が踏み固められて、その上に毎日新しい雪が積もるので、地面の土がもうすっかりと見えなくなっています。
女王様の視線の先に、塔を指さす少年とその母親らしきお母さんの姿がありました。ふっくらと丸い頬の可愛らしい少年は不思議そうに塔を見上げ、お母さんはそんな少年の手をぎゅっと繋いでいます。
「春の女王様は、どうして冬の女王様の元に来ないの?」
窓の外で少年がお母さんにそう尋ねていました。
少年は体の足元まで届く毛皮が裏打ちされた温かそうな分厚いコートに身を包み、首元にはふわふわとした毛皮の襟巻、頭全体にフードを被っていて、口元は僅かに襟巻に隠れています。大きな手袋は大人の物と同じ大きな物のようで、ぶかぶかの手袋をぷらぷらと揺らして遊んでいます。
お母さんは少年のフードをそっと直して、声を潜めるように呟きました。
「そうだね、春の女王様はもうずっとあの塔から出て居ないんだよ。何故って、春の女王様は冬の女王様と交代して春を訪れさせるのが嫌なのさ」
「じゃあ春の女王様は皆にいじわるしてるっていうことなの?」
「そうじゃないよ。坊や、春の女王様はご自身の季節をそりゃあ大事にしていらっしゃる。でもね、女王様はずっと昔から冬を長くしたいと思ってらしたのさ」
「それはどうして? こんなに寒いのに」
少年はお母さんを見上げて尋ねます。
お母さんは少年の手を握り直し、「そうだね」と呟きました。
「冬の女王様も春の女王様も、皆それぞれの役割を持っているのさ。でも、時々それが噛み合わなくなる時がある。ああ、そうそう。この間でちょっとばかし動かなくなった井戸の桶みたいにね。いずれ春の女王様もここにいらっしゃるよ。だから坊やも女王様を信じて待つんだよ」
「うん、分かった」
少年は大きく頷いて塔に手を振り、お母さんは少年の手を引いてゆっくりと去っていきます。
二人の背中を塔の中からじっと見つめた冬の女王様は、窓から離れ、季節の女王様の為に置かれた椅子へと座りました。
冬の女王様は広い塔の室内で、そっと溜息を吐きます。
「春の女王様、早くおいで下さい。皆が春を待ち望んでいますよ」
勿論、冬の女王様の声は、誰にも届きません。だから冬の女王様は、最近では毎日のように書いている手紙を取り出して、春の女王様が居る家へと届けさせました。
冬の女王様が冬の季節を呼んでいる間、冬の女王様は一睡もする事無く春の女王様が訪れるその日まで、その塔の中からじっと町とそこに住む人々を見守ります。
冬は四季の中で最も厳しい季節です。食物も動物も土の中や雪の中で冬の寒さを耐え忍び、春の訪れと共に一気に芽吹いていく生命力を持っています。でも、冬があまりにも厳しすぎれば人も町も凍り付き、春の訪れを待つ事無く枯れてしまったり、吹雪が続けば外も歩けなくなり、人々は生活自体が出来なくなってしまいます。
冬の女王様は、町や人、動物たちを愛していました。勿論それは春の女王様も同じこと。ですが春の女王様はもうずっと前から、「冬がもっと長ければ良いのに」と言っていました。
それはある年のこと。春の女王様と季節を交代した時、冬の女王様は尋ねました。
『どうして、冬が長い方が良いの?』
すると春の女王様は少しだけ悲しそうな笑顔を浮かべました。
『だって皆、冬はもっと短い方が良い。寒さなんて無い方が良いって言うじゃない? 冬があるからこそ、美味しいお野菜や実が育つし、冬があるからこそ、雪の綺麗な景色も見られるでしょう? それを皆に分かって欲しいのよ。冬があるからこそ、どんな季節も大事なものなんだって知って欲しいの』
冬の女王様は春の女王様を抱きしめて言います。
『冬を大事に思っていてくれてありがとう。でも、どんな季節にも人は好きな部分や嫌いな部分があると思うのよ。だから冬は長くなくて良いの。短すぎても、あまり良くは無いと思うのだけど、私は今のままで幸せよ』
春の女王様は小さく頷いて答え、冬の女王様はにこりと微笑みました。
―――そうして季節が巡った今年、春の女王様はいつもならば塔に来ている時期にも関わらず、塔には来ず、心配になった冬の女王様の使いが春の女王様の家を訪ねても自分の家から出る事は無く、人々の訪れを拒否していると言うのです。
春の女王様の家は、四季の女王様と同じ春の季節を担当する妖精達しか訪れることは出来ません。
人の王様がどんなに春の女王様の訪れを待ち望んでいても、人の王様が直接春の女王様に会う事が出来るのは、春の女王様が塔に居る時だけなのです。
「冬の女王様、手紙を届けてきました」
使いの妖精が申し訳なさそうに眉を下げて冬の女王様に言います。
「ありがとう。今日はもうお休みなさい」
そう言って使いの妖精を休ませた冬の女王様は、他の四季の女王様に手紙を出し、夏と秋の女王様を塔に招きました。
返事は直ぐに届き、夏の女王様と秋の女王様は、冬の女王様のお願いで共に春の女王様の元へ訪れます。そうして冬の季節が二か月も長く続いた頃、漸く春の女王様は冬の女王様の住む塔の前にやってきました。
「春の女王様、ようこそお越し下さいました。夏の女王様、秋の女王様、この度はご面倒をお掛けしました。さあ、塔の中へどうぞ」
冬の女王様がそう言うと、春の女王様は悲しそうに眉を下げて、「私は行けません」と言います。
「私はもっと長く冬が続けば良いと思っていました。けれど人も町も動物たちも皆、疲れ果てている。私は間違っていたんです」
春の女王様はぽろぽろと涙を流して言いました。
冬の女王様はゆっくりと春の女王様の前まで行き、ぎゅっと抱きしめます。あたたかな春の香りがする春の女王様は、とても後悔しているようでした。でも冬の女王様はちっとも怒らずに、春の女王様を宥めます。
「あなたは私の為に嘆き、悲しみ、そして私を思って春へと季節を廻らせる事を待っていてくれましたね。あなたは確かに間違っていたかもしれないわ。けれどもそこであなたは人と町と皆の思いを知る事が出来たでしょう? 私達はただ季節を廻らせるばかりで、人と交流することは殆ど無かったのですもの。これからは皆と共に、皆の声を聞いて、季節を廻らせていきましょう」
冬の女王様の言葉に、春の女王様は何度も深く、深く頷きました。
涙を流して、塔の周りに続々と集まって来た人々に謝る春の女王様は、とても後悔した様子で、人々はそれに戸惑いながらも女王様達の行方をじっと見守っています。
「さあ、そろそろ冬から春へ季節を廻らせなくては。さあ、春の女王様、塔へお入り下さいな」
冬の女王様が春の女王様の手を取って、そっと塔の入り口へと促します。
春の女王様は頷き、さくさくと降り積もった雪を踏みしめて塔の中へと入ります。
すると、今まで暗い雲に覆われた空が明るく照り出し、みるみる内に雪と氷が解けていきます。それと同時に、雪の下に隠れていた土の中から新しい芽が出始めて花が咲き、ぽかぽかと温かい春の日差しが地上に降り注ぎます。
人々は歓声を上げ、分厚い防寒着を脱いで春の訪れを祝いました。
塔の前で見守っていた夏の女王様も秋の女王様も、春の温かな日差しの下でにこにこと微笑んでいます。
冬の女王様は、まだ少しだけ悲しそうにしている春の女王様に寄り添い、そっとその手を握りました。
「春の女王様、皆は冬の事も勿論愛してくれていますが、春の事もとても大事に思ってくれているのですよ。ねえ、それってとても素敵な事ではないかしら? どんな季節であっても、人は私達の季節を愛し、慈しんでくれている。勿論、好きな季節や苦手な季節もあるかもしれない。けれど皆それぞれ、色々な考え方を持っていて良いと思うのよ。それが人の自由な気持ちなのだから」
「ええ、そうね。皆違っていて、皆良いのだものね」
春の女王様は漸く涙を拭き、にこりと微笑みました。それは冬の女王様が大好きな春の女王様のとびっきり綺麗な美しい笑顔だったのです。
冬の女王様はそうっと息を吐いて、春が訪れた町と人々をじっと見つめています。
その中に、少し前にお母さんと一緒に塔を見上げていた少年の姿が見えました。少年は春の訪れを心から喜んだ様子で、咲いたばかりの花の周りをくるくると回っていました。
そこから遅れてやってきたこの国の王様が女王様達の前に進み出て、「褒美は如何致しましょう」と声を掛けました。
女王様達は顔を見合わせて、声を揃えて言います。
「これからも季節を廻らせていくお手伝いをお願いします。そしてこれからはもっと皆と交流していきましょう」
こうして、この国の長い長い冬は終わり、温かな春がやってきました。
春の女王様はこの後、長い事人々に謝り続け、季節が廻るごとにとっても素敵な春をもたらしていたということです。
そして女王様達の願いによって、その国では季節が廻るごとに、四季の女王様達と沢山おしゃべりをし、また塔に遊びに来る人々の姿が見えるようになったといいます。