4 「銀狐との出会い」
行商人がくる日まで半月を切った今日、俺はいつものようにおっさんの狩猟に同行していた。
その日の山は2日前に雨が降ったせいか、落ち葉が積もった地面はぬかるみ滑りやすくとても歩きにくく、すいすいと先を行くおっさんにいつも以上に置いて行かれていた。日頃の山での狩猟や農作業の手伝いで体力がついたとはいえ、まだまだおっさんには及ばない俺は早くも息切れを起こしていた。
時折立ち止まってこちらを見るおっさんの目は、遅いと無言で語っていた。
少しでもおっさんが立ち止まっている間に追いつくために俺は、若干ペースを上げて斜面を登るが、靴が滑るせいで満足に速度を上げることは出来なかった。それでも、俺は足は止めずに必死におっさんに追いつこうとした。一度、地面に埋まった岩の上に泥だらけの靴を乗せて盛大に転び斜面を滑り落ちてしまったが、それでもすぐに起き上がって追いかけた。
水分を多分に含んだ泥がズボンや服についたせいで、着心地は最悪だ。それに服を冷水で濡らしたように冷たくてお腹を冷やしそうだった。
そんな不快感を我慢しながらもおっさんを追いかけたことで、何とかおっさんに追いつく。
おっさんは俺の接近に気付くとさっと右手を俺に見えるように出して、静かに、息をとめて、俺のそばに隠れろ、とハンドサインで指示を出してきた。
俺は完全に息が上がって肩で息をしていたけど、おっさんの指示に従い息を止めて、足音を極力立てないようにしながら腰を屈めて、おっさんが身を隠している茂みに近づいた。
おっさんが、そんな指示を出すということはモンスターが近くにいるということだ。こちらの存在に気付かれると、場合によっては自分の命が脅かされることは今までの狩りで嫌という程学んでいるので、酸素を求めて鼻息が荒くなりそうなのを必死に堪える。
くいくいっとおっさんが、指で茂みの隙間を覗くように言うので、俺は素直に従って覗き込む。
うわっ、なんだ。あの熊
覗いた先には、一頭の赤茶色の巨大な熊がいた。
かなり大きい、軽自動車くらいはあるんじゃないだろうか。しかも、俺の知っている熊と違い、額から二本の角を生やして足が六本もあった。しかも、俺の気のせいでなければその熊が息を吸う度に鼻から炎がチロチロと吹き出していた。
「……グレズリーだ」
何あの熊とおっさんに問いかけるように目を向けるとおっさんは小さな声で答えてくれた。
「グレズリー? 」
グリズリーではなくて?
俺が、聞き返すとおっさんはそうだとばかりに頷いた。
グレズリー……
俺はそのグレズリーという熊を紅熊と名付けて覚えることにした。そっちの方が俺には覚えやすい。
そんなことを考えていると、おっさんが再びハンドサインをする。
危険な魔物、村、危険、ここで、倒す
俺は、わかったと頷き、俺はどうしたらいいのかハンドサインで尋ねると、指示があるまでここで待機と返された。ここで、囮となれとか言われても困るので、俺はその指示に従った。
おっさんは、俺の指示を終えると足音を立てずにそっと茂みから離れてどこかへと行った。
おっさんの隠行はすごくて、一度見失うとどこにいるのか全くわからなくなる。
俺は茂みの隙間から紅熊の様子を伺いながら、おっさんの指示を待つ。
紅熊は、木の下で何やら土を掘っている。時折掘るのを止めては、顔を穴に突っ込んでいるところから何かを食べてるのだろうか? 地面に埋まっているものと言えばキノコとかか?
そんなことを考えているとピュンという弓の射る音が聞こえた。遅れて紅熊がくぐもった悲鳴を上げた。
前足で顔の辺りを抑えたり頻りに顔を振っている。あ、矢が片目に刺さっている。
と、思っていると突然バンッという爆発音と共に紅熊の顔が爆発した。顔から黒煙を上げる紅熊は、呻き声も上げずにどさりと地面に倒れた。
呆気ない終わりだった。
恐らくさっきの爆発は以前おっさんから教えられた爆裂矢という魔法が込められた使い捨ての魔法武器の一種の矢によるものだろう。
狩りの時に実際に使っているのは今回が初めてだけど、厄介な魔物を相手にする時とかに使うことがあると言っていた。呆気なくおっさんに殺されたけど、紅熊はそれだけ厄介で危険な魔物だったんだろう。
魔法が込められた矢一本で普通の矢の五十倍くらいは普通にすると言ってたし、金にもなるのかもしれない。
そう思っていると、おっさんが木から飛び降りてきて鉈で紅熊の首を掻き切り止めを刺した。
すでに弓を背中にかけているところを見ると、周囲には他のモンスターはいないのだろう。
おっさんが、出てこいとハンドサインで指示を出したので、俺はその指示に従って茂みから出た。
その後は、紅熊の血抜きをその場で行い、必要な分だけ持ち帰る為に解体を行なった。
おっさんによると、紅熊は耐火性に優れた毛皮と、咽にある紅蓮石と呼ばれる火属性の魔力が込められた魔石が高いらしい。あと、薬としては肝や睾丸が使えるらしい。骨や肉もいい金になるそうだが、嵩張るので今回は見送るらしい。
そのまま土に還すには勿体ないので、肉はその場でおっさんと食べた。
カップラーメンとかが好きなだけ食べられると言っても俺だって毎日そればっかり食べてるわけではない。他に食べれるおいしいものがあるなら食べないわけがない。
個人的に、熊の肉は焼いたものよりも生で塩を振ったものがおいしかった。
昼飯を済ませたら今日はそのまま下山することになった。紅熊の素材が荷物になるし、紅熊の解体に時間がかかったからだ。
おっさんが、毛皮と特に使える部分の骨を持ち、俺は紅蓮石と劣化を防ぐための容器に保存された肝と睾丸、それと持てるだけの肉を持たされた。
はっきり言おう。肉がくっそ重たい。
ただでさえ、滑りやすい斜面を下りると言うのにこの大荷物だ。身動きは取りづらいし、咄嗟の行動は難しかった。
だから、俺が帰り道に足を滑らして崖から落ちたのは当然と言えば、当然の結果かもしれない。
「ケン!! 」
おっさんが、急斜面を転がり落ちる俺に気付いた時にはもう手遅れだった。
ぐるぐると回る視界の中、一瞬見えたおっさんの顔は焦った顔をしていた。
あ、悪いおっさん。ミスっちまった。
そう言って笑って誤魔化すこともできず、俺は崖から投げ出された。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「目が覚めたかえ? 」
目を覚ますと目の前に銀髪の着物美女がいた。
何を言っているか分からんと思うが、俺にも分からん。ただ、俺の目の前に銀髪の着物美女がいるのは確かなことで、俺が洞窟のような場所で枯草の山で寝ていたことはどうにか理解できた。
「気分はどうじゃ? どこか痛いとこはあるかえ? 」
そう言って、銀髪の着物美女はほっそりとした細長くひんやりとした手を俺の胸に当ててくる。
「くっ」
直に触れてきた指がつーっと胸から臍へと降りていくその感覚に、背筋がゾクゾクとした。思わず声が出た。
「ふむ、下の方は元気なようじゃの」
下へと視線を落してそう呟いた女の言葉で、俺も女から視線を外して下を見ると自分が全裸であることに気付いた。
「立派じゃのう」
俺のを見て舌なめずりする女を目にして、喰われる、と本能から察した俺は全力で女から距離をとろうと体を仰け反らした。その瞬間、体に激痛が走った。
「痛ッ!? 」
「あ、動かん方がよいぞ。まだ傷が治ってないからのぅ」
そう言いいながら女は痛みに悶える俺を見てクククッと笑いを噛み殺す。
この野郎ぅ、と思わず悪態を零したくなった俺は悪くない。
どうやら、この俺をからかって楽しんでる女が崖から落ちて昏倒していた俺を助けた命の恩人のようだった。
しかも、よくよく彼女を見てみると彼女の頭には狐耳が生えていて、腰からは尻尾が生えていた。
彼女は、祖人と呼ばれる人ではなく狐の獣人だった。獣人は村にも何人かいたけど、確か狐の獣人はいなかったように思う。
名前を尋ねるとタマモと言っていた。タマモ……彼女にぴったりな名前だと思うが、どこかで聞いたことのあるような名前だった。
「それでお主の名前はなんじゃ? 」
名前を教えてもらうと、今度はタマモが俺に名前を尋ねてきたので「ケン」と答えた。フルネームだとここの人達では上手く発音できないし、家名は普通ないそうなので初めから言わないことにしてる。
一々指摘するの面倒だし。
俺はタマモに命を救ってくれたことの礼を言った。するとタマモは、面倒臭そうに手を振ってそれに応えた。
「ああ、よいよい。肉と一緒に落ちてきたから助けただけじゃ。感謝しとるなら食糧を全部儂にくれりゃぁそれでよい」
そうか。俺は肉のお陰で命拾いしたのか。
しかし、肉のせいで崖から落ちたようなものだと考えるとちょっと複雑な気持ちになった。
それからタマモと一言二言言葉を交わした後、俺は体が休息を求めているかのように生じた猛烈な眠気に襲われ再び眠りについた。
熊の肉とかをタマモを全部譲ったこと、おっさんに謝らないとなーと思いながら俺の意識は夢の中へと旅立っていった。
祖人
地球の人と大して変わらぬ容姿の人。ただし髪や目の色が人によって異なり色の種類は様々。
獣人
頭頂部から獣耳と、尾骶骨付近から尻尾を生やしている。
それ以外は、祖人と変わらない。
主人公が訪れた村では、祖人と獣人が普通に共に暮らしている。