25 「図書館通いでの進歩」
魔術師ギルドの図書館が利用できるようになってから、俺の日課に図書館が加わった。
1の鐘が鳴る早朝に冒険者ギルドで依頼をいくつか受けて草原で討伐や採取を行い、5の鐘が鳴る前に町に戻ってギルドで依頼の清算を行う。その後、宿で身綺麗にしてから魔術師ギルドの図書館に行って、7の鐘が鳴るまでコレット先輩が薦める本を読んで知識を深める。
そんな一日のサイクルで日々を過ごすようになった。
体を使って頭を使う忙しい毎日だが、行き詰っていた魔法の知見が広がり、それを冒険者として活動中に試して試行錯誤する日々はとても充実している。
この2週間で一番の成果は、魔法陣の実用化だ。
複製魔法で創ったボールペンのインクで描いた魔法陣は、その高すぎる魔力変換効率で誤作動する危険があり、とても実戦では使えなかった。勝手に発動してしまうのとすぐに発動してしまうのを解決しなければ実戦ではまず使えない。
調べた結果、魔法陣に新たに紋様や文字を加えることでそれらを調整できることがわかった。
しかし、魔法陣に魔力が勝手に流れないようにする手法や魔法陣が起動してから魔法現象を発現するまでのタイミングを調整する手法は秘伝に当たるようで、本には文様や文字の存在までしか語られておらず、それらを組み込んだ魔法陣は記載されていなかった。
いくら魔法陣の文字が日本語で読めると言っても、一から自力で構築できるほど魔法陣の造詣が深いわけではない。現時点で俺は、魔法陣の精確な模写は出来ても一から構築はできない。
コレット先輩に相談しても、まだ早いと言われて取りつく島もなかった。
なので、複製インクの活用を一旦見送り、魔術師ギルドで購入できる魔法陣用のインクを利用することにした。
ギルドで売っているインクの魔力変換効率なら、試験の時のように意識して魔力を流さなければ起動しない。それに、安全機能をつける必要もなく起動から魔法を発動するまでに数秒の時間がかかる。
既存のインクを使えば、目下の問題は解決するのだ。
ただ、このインクが高い。一番ランクが低いものでも目薬容器くらいの小瓶で銀貨1枚もする。ペンも銀貨2枚ほどし、魔法陣用の紙はA4サイズが10枚で銀貨1枚する。1枚で大銅貨1枚もするのだ。ペンはともかく消耗品のインクと紙が高い。普段の狩りで使っていたら赤字である。しかし、いくらでも複製できるボールペンとメモ帳を使えば、銅貨1枚も金はかからない。
できることならそうしたかったが、仕方がない。
幸い、紙はメモ帳でも問題がなかったのでかかった費用は、ペンとインク代だけで済んだ。インクはそれなりに持つので、狩りで自作の魔法陣を試しに使っても赤字にならずに済んだ。
そんな試行錯誤の末に、魔法陣の実用化にこぎ着けた。
とはいえ、魔法陣のレパートリーはそう多くない。狩りで役立つ魔法となると、まだ5種類しかない。
今後、増やしていきたいところだ。本に乗っている魔法陣を模写するだけでなく、呪文を基にその呪文の魔法陣を構築できるようにもなりたい。目下の目標としては、初級呪文の魔法陣の構造を理解し、何も見ずに描けるようになることだな。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この都市に来てから1ヵ月が経った。この世界に迷い込んで4ヵ月以上も経っていた。もう1、2週間で5ヵ月になる。メモ帳のカレンダーを使って日付をチェックしていたが、もうそんなに経ったのかという気持ちが強い。
この世界に迷いこんでいなければ、今頃は紅葉の始まった河原を通って大学に通っていたのだろう。それが異世界でモンスターを狩って日銭を稼いでいるなんて、自分の身に起きていることながら冗談みたいな話で、未だに夢を見ているのではと思うことがある。
しかし、そんな僅かに浮かんだ望郷の念は置いといて、重要なのは都市に来てから1ヵ月が経っているということだ。
そう。【アルタイ防具店】に注文した紅熊のコートの受け取り日だ。
「くぁぁ……。今日は、狩りの後にコートをもらいに行くのじゃったな。今日は何の依頼を受けるつもりなのじゃ? 」
「臓器の採取はなしで簡単な薬草の採取と討伐にしようと思ってる」
午前中はいつものようにギルドで依頼を受けて外に出る予定なので、日の出前に俺は目を覚まして朝食を取っていた。タマモは眠たそうに欠伸をしながらコップを手に取り、ミルクをチビチビと飲む。
「そうかや。しかし、毎日休まず働いて、ケンはほんに勤勉やのぅ」
そう言って、顔の下半分をコップで隠して見てくるタマモの目には、褒める言葉とは裏腹に不満が透けて見えていた。
最近、俺が図書館通いで夜遅いのがタマモには面白くないらしい。
俺からすれば、タマモにおちょくられることなく集中できるので満足しているのだが、タマモは俺という玩具が手元になくて退屈らしい。
俺と別行動している時は大半は宿に引きこもっているみたいだ。女将さんの話だとたまに街中にふらりとでかける時もあるにはあるらしい。
よく考えれば、俺と出会うまで山に引き籠っていた世捨て人だったな。
こういう時は飴でもあげれば機嫌がよくなるのだが、いつも飴に頼るには限界もある。
狩りも俺が安全マージンを取っていつまでも近場の草原でしか活動しないので不満が溜まっているようだし、近いうちにタマモのガス抜きを検討する必要があるな。
そう思いながら、俺は今日の朝食であるグラタンもどきに硬いパンを浸けて食べる。
昨夜のピグミルクのホワイトシチューの余りでつくったグラタンもどきは、ドロドロになるまで煮詰まったシチューの上に削ったチーズをかけて焼いてあり、シチューとチーズのどちらもピグミルクが使われているから、ミルクの風味が濃厚でとても美味だった。
「んんっ。昨日の余りものかと思うたが、なかなか悪くないのぅ。上の焦がしたチーズがとろっとしたシチューと絡んで濃厚じゃ」
不機嫌だったタマモもグラタンもどきを匙で掬って口にすると、その美味さに驚いていた。
「どうだい。ケンが前に話したグラタンを余り物でつくってみたけど、上手くできてたかい? 」
もくもくと食べていると、厨房から顔を出してきたエドラノールが声をかけてきた。言われて、前にエドラノールと料理の話をした時にグラタンの話をしたのを思い出す。
「うまいですよ。味はこの方向でいいと思います。 シチューをグラタンに使うなら小麦粉を加えれば、トロミが簡単につくと思いますよ」
「なるほど、小麦粉か。うん、今度試してみるよ。ありがとう」
エドラノールは、サービスといってスモモに似たプリシナという甘酸っぱい果実を2つテーブルに置いて厨房に戻っていった。
「あれはお主が伝えた料理じゃったか。故郷の料理かや? 」
「まぁ、そうだな」
異世界に来たんだから地球が故郷と言ってもいいだろ。
俺はそう思いながら、食後のデザートにプリシナを齧り付いた。
ちょっと酸味が強いが、瑞々しくて甘かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝のラッシュで混雑するギルドでいつもの依頼を取ってきた俺たちは、いつものように東門を潜って草原に出た。東門の門番にはもう顔を覚えられ、ギルド証をぱっと見せたらほとんど顔パスで通してもらえた。
今日は初心な門番さんではなかったので、タマモもすんなりギルド証を見せていた。
「いつものように儂がウォンラットを獲ってきて、お主が薬草と双角兎を獲ってくるでよいな」
「ああ。携帯が鳴ったら、ここに集合だ」
東門を出てからしばらく歩いて、特徴的な大岩に根を絡ませて生える木の前でタマモに複製した携帯を手渡した。携帯は3時間後に鳴るようにタイマーを設定してある。
以前に別行動を取った時に、タマモとの時間間隔の齟齬で1時間以上待たされた反省から狩りの時に持たせるようになった。
これを渡す際は、タマモがカメラとかで遊ぶかと思ったのだが、タマモは携帯を時刻に合わせて音を出す魔導具という認識をしているようで、物珍しがってはいたが、然して興味を示さなかった。そもそも日本語や英数字を読めないので、ボタンを弄ってアプリを開いても理解できない言語の羅列が出てくるだけなので、興味を抱けなかったのかもしれない。
タマモは黒いガラケーを谷間に仕舞うと、散歩に行くような軽い足取りで狩りに出て行った。最近、この草原のウォンラットをタマモが毎日狩っているので、少し遠出をしないと数を集めにくくなっていた。
ウォンラットは、一度に12頭も子を産む上に、生後一ヵ月で交尾が可能になり、3ヵ月でほとんど親と変わらない大きさになる。だから、しばらく放っておけばすぐに数が戻るので絶滅の心配などは必要ないが、狩りの効率が落ちてきているのが懸念だった。
タマモからも、それを理由にそろそろ狩りの場所を変えたいと催促があった。最もな理由なので、無視はできない。
俺が草原に拘っていたのは、簡単な討伐や採取の経験を積んで、冒険者の動きや戦いに慣れるためだった。最近では、草原で換金できる植物や虫は粗方網羅したし、戦闘も魔法陣という選択肢が1つ増えて、立ち回りも慣れてきた。依頼にも慣れてきた。
そろそろ岩場に足を伸ばしてもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、見つけたレドリフを慣れた手つきで採取する。近くにヴィベンが紫の花を咲かせていたので掘り起こして根っこごと採取して、革袋に入れる。ヴィベンは、葉が炎症に効き、根っこがポーションの安定剤になる。依頼の品ではないが、それなりに金になるので取っておく。
レドリフと違ってヴィベンはまとまって生い茂るので数を集めやすい。難点は、根っこを掘り返すのが手間で、他の似た植物と見分けるのが難しい点だ。花の形の違いで見分けがつくが、咲く時期が株ごとにバラバラで昼になると散ってしまうから朝早くではないと見つけにくいので運が良かった。
スコップで地面を掘っていると、ガサリと近くの茂みで音が鳴った。
作業の手を止めて、耳を澄ませる。剣鉈を腰からそっと抜き、もう一方の手を上げて茂みに向け、次の音に集中する。
そうしていると、ガサガサと音がした。こちらに気づいているようで、茂みをかき分ける音がどんどんと近づいてくる。
素早く魔力を練り上げ、呪文を唱える。
「――魔力は水に 腕に集いて 敵を撃て」
【水球】
体内で練り上げた魔力で周囲に漂うマナに干渉して水を生み出す。それに干渉し、魔力を放出した手のひらを中心に腕に水が覆うように絡みつかせながら水を生み出していく。十分に水を出したところで、それを手のひらに集めてボールにして、アンダースローで茂みに投げた。
手から放たれた水球は、不自然な加速を続けて茂みの中に消え、何かに衝突して弾けた。
「ギュワ!? 」
茂みの中から双角兎の悲鳴がし、茂みから双角兎が飛び出してきた。狙い通りに当たったようで全身ずぶ濡れである。驚いて出てきたようで、俺に見向きもせずに向かってきており、そのまま横を駆け抜けていこうとしていた。
そこで、わざと体を傾けて足を一歩出し、双角兎の進行方向を遮るような素振りを見せる。
すると、双角兎は方向転換しようと突っ張った。そこに、ポッケから出した紙切れに魔力を流し込んで放り投げる。
双角兎がそこから離脱するよりも早く、淡く輝く紙切れは双角兎の目の前で眩い閃光を生み出した。
方向転換をしようと急制動をかけたところに突然の閃光を受けた双角兎は足を滑らせて地面に転がり、手足をジタバタとさせてパニックに陥った。そこを透かさず足で胴体を踏みつけ、反撃される前に双角兎の首に剣鉈を突き立てた。
足で押さえつけられてもジタバタしていた双角兎は、か細い鳴き声をあげて静かになった。剣鉈を引き抜いて、しばらくそのまま様子を見る。
その間に剣鉈を横に置き、解体用の革手袋を着けて解体ナイフを腰の鞘から引き抜く。出血がほとんど見られなくなったところで完全に事切れたことを確認し、黙祷を捧げた。そして、解体ナイフで首の切れ口に刃を差し込んで血抜きを始めた。
魔法で先制を取り、魔法陣で牽制し、剣鉈で急所を突く。
最近は、そんな戦闘スタイルが安定してきている。タマモからは冒険者というよりは狩人だとあまり受けがよくないが、俺としては気に入っている。このやり方だと、傷が少なく、毛皮や肉が高く売れるのだ。
しかし、今の戦法では無策で突っ込んでくれる双角兎くらいにしか通用しない。タマモの受けが良くないのはそういう点だ。
岩場に足を伸ばす時には、もう少し自分の戦闘スタイルを見直す必要がありそうだ。
というか、俺はどちらかというと前で剣を振るうより、後ろで弓矢や魔法を放つ方が好きだ。タマモも前に出るような奴ではないので、体を張ってくれる戦士が1人欲しいものだ。
とは言え、そういう知り合いが女将さんくらいしかいないので、しばらく先の話になりそうだった。
そう言えば、支部にはなかったが本部ではパーティの募集や斡旋する業務もあるようで、無事に黄3にランクアップした時に利用するのもありかもしれないな。本部にはしばらく顔を出していなかったけど、今度顔を出してみようかな。
そんなことを考えながら、下処理を終えた双角兎を麻袋に放り込んで薬草の採取を再開するのだった。
【水球】
下級攻撃呪文。
水の塊を撃ち出す。別に投球しなくても手から飛ばせれる。
【閃光】
魔法陣に込められていた魔法。光属性の下級呪文に相当し、目が眩むほどの強烈な光を生み出す。持続時間はなく、注がれた魔力を数秒で消費して消える。
初級呪文の【光よ】で生み出される光の球の持続時間を失くし、光量に全振りしただけのもの。
しかし、制御が難しく、維持には魔力を馬鹿食いするので、魔法陣にして使われるのが一般的。
次話は、都市についてやっと一ヵ月が経ち、防具店に頼んでいた紅熊のコートを受け取りに行きます。




