20 「複製魔法の真価」
不幸中の幸いというべきか。
消えた魔法陣は闇の初級呪文だったので、その魔法陣は下級攻撃呪文の魔法陣と比較すれば、シンプルなものだった。
10分ほどで正確に書き終えた。
さて、問題はここからである。
取り合えず、未完成の魔法陣に触れても何も起きなかった。
もう一度魔法陣に手を置いて、闇球が発動したら偶然や奇跡ではなく起こるべきして起きた事象ということになる。
こちらをじっと見てくる司書さんに、お伺いを立てて闇の初級呪文の使用許可を特別に許してもらった。
ふぅ、と息を吐いて気持ちを落ち着かせる。そして、そっと手を闇の初級呪文の魔法陣の上に置いた。
手を置いた瞬間、手の下の魔法陣が妖しく輝いた。
「……やっぱり、偶然じゃなかったのか」
そう呟いた俺の目の前には、闇球がふわふわと宙に浮いていた。
そうなると、次の疑問が湧いた。どうして、闇の初級呪文の魔法陣だけが起動したのかと。
呪文の難度ということなら、四大魔法の下級攻撃呪文の魔法陣が起動しなかったことを説明できても氷の初級呪文の魔法陣が発動しなかったことが説明できない。
魔法陣の精度ということなら、この世界に迷い込んだ時に身につけたっぽい言語理解の恩恵で、どの魔法陣もかなり正確に書き記している。
魔法陣に込められた魔法の属性の違いというのなら闇魔法だけが反応した理由は説明できるが、一番最後に書いた魔法陣だけ、というのが他の要因があるようでしっくりこない。
他に何か違いは……
そう思考しながら、ふとテーブルの上に転がる2本の黒ボールペンを見た。
「あ……」
あった。闇の初級呪文の魔法陣の時だけ、書くのに使った黒ボールペンは複製魔法で複製したものだった。
そういうことか!!
パズルの隙間にピースが埋まった気がした。
その考えに至った俺は、すぐに複製した黒ボールペンで別の魔法陣を書くことにした。魔法陣は簡単なものでいい、そしてこの場ですぐに試せれるものがいい。そうなると、一度書いたが氷は司書さんは許可しないだろう。四大魔法の初級呪文も難しい。となると、光球を生み出すだけの害のない光の初級呪文が一番適していると言えた。
すぐに魔法書から該当のページを探し出し、そこに記された魔法陣を書き写す。
10分ほどかかって正確に書き写した。
司書さんに今度は、光の初級呪文を使ってもいいかとお伺いを立てた。綺麗な顔に渋面を作りながらも特別に許してくれた。
「上手くいってくれよ……」
俺はそう願いながら、魔法陣の上にそっと手を置いた。
手の下で魔法陣が妖しく輝いた瞬間、魔法陣を注視していた俺の眼前に光球が現れた。
うおっ、眩しっ!!?
皮肉にも、市場でガラの悪い冒険者に絡まれた時にその仲間の1人にやった目くらましと同じことを魔法陣にされた。
光球から距離を取って、目を瞬かせながら光の初級呪文の魔法陣が消えていることを確認した。
やはり、魔法陣が起動した原因は複製したボールペンにあったようだ。
複製したボールペンで、効力の発揮する魔法陣を作成することができると知り、俺は体の中に火が付いたように興奮したのがわかった。
なんせ、複製したボールペンのインクは、魔物の血を用いた特殊なインクと近しいものであるということがわかったのだ。つまり、複製したボールペンのインクには、魔力触媒となる物質を含んでいるということになるのだ。
まだそれがどのようなことに利用できるかまでは頭が回らないが、自分の持っている複製魔法の価値が変わる大発見と言えた。
興奮するなというのが無理がある。
しかし、そんな俺に冷や水を浴びせる言葉が司書さんの口から発せられた。
「もうすぐ7の鐘が鳴ります。そろそろ退席する準備をしてください」
その言葉を耳にした俺は、一瞬にして現実に戻ってきた。
俺は慌てて、ボールペンを赤ペンに持ち替えて、光と闇の初級呪文の魔法陣を書き写し直した。
俺の予想が正しければ、これできちんと保存できるはずである。
7の鐘の七回目の鐘が鳴り終わるまで粘って、俺は資料室を後にした。色々と迷惑をかけた司書さんには、深々とお礼と謝罪をして木札を返却した。
「こういうことは、これっきりにしてくださいね」
司書さんは、手の甲に薄っすら水色の鱗が生えた手の人差し指を立てて優しい口調で釘を刺して、保証金であった銀貨1枚を全額返金してくれた。
何だかんだで許してくれた司書さんは、優しい人なんだな、と思った。次訪れた時は、飴玉をおすそ分けしよう。
結局、その日の資料室での収獲は、魔力触媒と魔法陣だけだったが、複製魔法の新しい一面を発見することになったので満足の行く成果だったと言える。
薄暗くなり始めた街の通りを歩きながら、夕食の席でこのことをタマモにどう報告しようかと想像し、俺は自分の頬が緩くなるを感じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どこに行っておったのじゃ、この戯け! 」
乗合馬車ももう終わっていて、1時間くらい歩き通して木漏れ日亭に戻ってきたら、宿の前で仁王立ちしたタマモに出合い頭に叱られた。
「儂に行き先も告げずにこんな時間までうろつきおって……! どうせ娼館にでも行ってきて一発抜いてきたのじゃろ。まったく儂というものがありながら……」
まてまてまてまて。
何やら盛大に勘違いされているタマモの頭に手刀を落とした。
「痛っ!? 何をする!! 」
「何か勘違いしているようだが、そんなところには行ってないぞ。仮に行ってたとしてもお前に怒られる筋合いはないだろう」
「何を言うておる! 儂というのが身近におるのに他の女に取られたら、そりゃ儂がその女よりも魅力に欠けるということになるじゃろう。そんなもの許容できるはずがなかろう」
なんだそれ。変な理屈を述べて、憤慨するタマモに俺は呆れを覚える。女の嫉妬というよりは、お気に入りのおもちゃを他の子に取られた子供の地団太に近い。
というか、この街に娼館なんてあったんだな。俺が行った場所ではそういった水商売をしていそうな女性は見かけなかった。だが、異世界の娼館というのは気になる話ではある。色っぽい精霊人のお姉さんとか魅惑的な尻尾をお持ちの獣人のお姉さんがいるのだろうか、いや、素敵な鱗の蜥蜴人のお姉さんというのも捨て難いな。
なんて、疲れた頭が盛大にそれた思考を働かせ始めていると、タマモが俺の主張を確かめるためなのかクンクンと鼻をひくつかせながら俺の服から漂う匂いを嗅いできた。
タマモが身を屈めて服の匂いを嗅いでくるので、自然とタマモの頭が下がり、俺の目の前に魅惑的な獣耳がアップで映った。
目の前で魅惑的な獣耳がぴくぴくと動くので、つい触ってみた。
おっ、柔らかい。
「くふぅっ!? 」
瞬間、タマモの口から変な風に空気が吐き出され、ぶわりと尻尾が逆立って膨れ上がった。
ふぅむ。人間の耳より薄い。あ、でも軟骨で形を保てるようにしてるのかっと、あ
こりゅ。
「きゅぅぅぅんん!! にゃ、にゃにおやって、やっておるのじゃぁこんの戯けがあああ! 」
タマモがうがー! と両手を振り上げて怒りの咆哮をあげたので正気に返った俺はタマモの耳から手を離した。
「あー、すまん。目の前にあったもんだからつい触ってしまった」
タマモは、自分の狐耳を抑えながら頬を若干朱に染めて俺を睨みつけてきた。
「尻尾はたまになら触らせてやってもよいが、耳はダメじゃ! ぜぇぇったいにダメじゃからな! 次してきたら末代まで祟ってやるからの!! 」
よっぽど、俺の触り方が悪かったらしい。タマモから念を押されて拒絶されてしまった。
「まったく……獣人の耳は、特に敏感なのじゃから大切に扱うのじゃよ」
タマモは、恨めしい目で俺を見てくる。
あれ? もしかして俺、はじめてタマモに対して主導権を握ることができたんじゃないのか?
疲れた頭が、やっとそのことに気づいた時にはもうタマモは、平常心を取り戻していた。
「……しかし、本当に娼館に行ってないようじゃな。古い紙の匂いとインクの匂いがしたということはお主、本屋にでも一日籠ってたのかえ? 」
「当たらずも遠からずってところだな。この都市にもう一つある地方本部の方に顔を出していたんだ。そこで資料室が開放されてたから調べ物をしてた」
「それは勉強熱心なことじゃな。何か収獲はあったのかや? 」
「ああ」
いっぱいな。
「だが、取り合えず、中に入って食事にしないか? お腹が減った」
「そうじゃな。儂も腹が減った。話は、夕食の席でゆるりと聞かせてもらうとしよう」
その後、タマモの誤解が解けて木漏れ日亭に入った俺たちを迎えたのは、俺たちの宿の前でのやりとりを一部始終見ていた酔っ払いたちの野次だった。その日は、女将さんの磨き抜かれたお盆捌きが酔っ払いたちに炸裂した。
珍しくタマモがペースを乱されて、主人公に主導権を握られた珍しい場面。




