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『ウルフマン/The Stuffed Moon』

作者: 小浦すてぃ

ハロウィンということで狼男の小説を書きました。そして昨今のアメコミ映画ブームに影響されて、ヒーローものです。狼男というイメージからは少し離れた作品ですが、きっと楽しめるはず! 


Pixivとの重複投稿です。あちらには表紙もあります。

Youtubには予告編もあるのでそちらもよろしく!

予告編 https://youtu.be/dEY53LuNEoM

 金曜日の夜は飲食店を中心に、街が大いに賑わう。ゲームセンターも同様、明日から休みという学生やデートでクレーンゲームに熱中するカップル、外食のついでに寄った家族連れが集まって、楽しいひと時を過ごす。郊外のゲームセンター『ワンダーゾーン』も、その日は例に漏れず大盛況だった。思い思いに楽しむ人々を横目に、カウンターのスタッフは店内のBGMを聞きながら黙々と仕事を進める。そこに一人の背の高い男が来るとスタッフは営業用の笑顔で迎えたが、顔を確認した途端笑顔は自然なものに変わった。

「よぉ! 久しぶりじゃん!」

「やぁ、近くまで来たもんだからさ」

「まだこっちの方やってんの?」

 スタッフは右手をクレーンゲームのアームのように動かして言う。その客はクレーンゲームの腕で右に出るものはいない、知る人ぞ知る達人だ。

「まあね。もう部屋はいっぱいだけど」

「すげぇよなぁー。どんな難しい配置しても一発だもん。ここのはあんまり取らないでくれよ?」

 笑って返す達人。ゲームセンター内の雰囲気は和やかそのものだ。

「そういえば見慣れない景品があったんだけどさ」

「見慣れない景品? どんな?」

「それがさ、お腹に三日月の――」


ダンッ――音と共に店内の電気が消えた。店内はざわめき始めるが、他のスタッフが即座に対応する。

「どうした? 停電か?」

「おかしいな、ちょっと見てくる」

 達人と話していたスタッフは奥の部屋へと駆けて行く。ほぼ真っ暗だというのに小走りで駆けつけられるほどには長く勤めているらしい。達人はスタッフを見送りすると、スマートフォンにフラッシュライトのアプリがあった事を思い出しポケットをまさぐった。

その一瞬、奥の部屋で線が光った。本当に一瞬だったため見間違いかと思ったが、不審に思った彼はスマホよりも先に友人の安全を確かめる事にした。

「おーい、大丈夫か? 何かあったか?」

 奥の部屋に足を踏み入れ声を掛けるが、反応は無い。恐る恐る進んでいくと、突如、視界が真っ白になり、男は気を失った。




「この番組は愛媛県松山市の、近くの市町から……」

 薄汚れたノートパソコンの中でしゃべっている自分の姿を見て、丸宮ヨツグは目を見張った。

いよいよだ。いよいよ、頭皮も危うくなってきたなと。


 丸宮ヨツグの一日は二度寝から始まる。六時半に起きてトーストを食べ、また数十分ほど寝てから職場へと向かう。そこでは一時間のルーチンワークと五時間の空虚な時間を、友達のいない男子高校生の休み時間のように過ごす。楽ではあるがやりがいはない。彼の部署は少々特別で、様々な判断が任せられるため、契約職員の彼にはそういった仕事は与えられず、数少ない定型的な仕事だけが与えられるのだ。

「それではお先に失礼します」

「お疲れ様でした」

 部署のメンバーがパソコンに向かい業務をこなしているのを横目に、自分だけさっさと帰るというのは気が引ける。しかし部署の予算が足りるか足りないかの瀬戸際であることを知っているため、できるだけ残業しないほうが良いと日々自分に言い聞かせている。もっとも、残業するほどの仕事はない。

 帰宅し少し寝て、午後七時。花の金曜日だが夜の街に出ることもなく、一人寂しい夕食を取りながら今後の動画投稿について考えていた。映画レビューよりもトレーディングカードの開封の方が再生数を稼ぎやすいが、これまでやってきた一ボックス開封はお金がかかるのに加え動画の時間が長くなってしまう。いずれにせよ編集は時間がかかるし……そんなことを考えながらノートパソコンに向かい、投稿した動画の再生状況を確認すると、やはり開封動画の方が再生数が多い気がする。ヨツグはなにげなく一番新しい映画レビューの動画を再生してみた。

「やっぱりやばいな……頭」

 頭といっても頭脳の方ではない。ズバリ頭皮だ。高校の終わり頃からジワジワと生え際が後退し始め、大学では髪の薄さをうすうす気にはしていた。しかし今になって自分の頭を見せ付けられると、やはりショックを受けずにはいられない。憂鬱な気分のままシャワーを浴び、熱心にシャンプーをしているとなんだかそれさえも空しく思えた。

「何やってるんだろうな」

 風呂から上がり散らかった部屋を片付けながら一人ごちる。しかしそんな空気も束の間――

「『何やってるんだろうな』っていかにも主人公が言う台詞っぽいな。でも陳腐すぎるか? 陳腐だな」

 自分の言葉に自分でコメントをいれ自分で突っ込む。この一人遊びこそ彼がここまで気を病まずにやってきた活力源の一つといえよう。しかしそれでも頭のショックは拭い去れるものではない。気分転換にと、窓際にあるいくつかのぬいぐるみを取っていじってみたが徐々に気分が沈み、ぬいぐるみの片付けもそこそこに寝入ってしまった。




 朝、丸宮ヨツグが目を覚ますと、一匹の狼に変身していた。といっても本物ではない。昨夜片付けていたぬいぐるみの一つで、最後に抱えたまま寝ていたそれだ。視線の先にあった鏡で自分の姿を確認した彼は愕然とした後、複雑な思いで二度寝に入った。

「今日が土曜日でよかった」

「いや起きなさいよ」

 その声は寝入ろうとする彼の頭上から聞こえた。目線をやっても誰もいないが、声は兎のぬいぐるみが発しているように見える。

「もしかして、君か?」

「そうよ」

「……『しゃべったああああ!!!!』とかリアクションすべき?」

「面倒だからやめて」

 キュートな見た目からは想像もつかないクールな声で喋りだしたぬいぐるみはつれない態度で軽口をかわし、まさしく深刻そうな声を崩さずに言葉を続けた。

「あなたには使命があるんだから、ここで寝てもらっちゃ困るの。とりあえず今はその体に慣れなさい。話はそれからよ」

「わかった」

 ヨツグの即答に言葉が詰まる。

「ずいぶん素直なのね。まるで犬みたい」

「狼だけど……だってこれ夢でしょ?」

「現実よ。残念だけど」


 ぬいぐるみの体というのは不便だ。鏡に映った自分の全身をじっくりと確認したいが、動くようには作られていないために出来なかった。だがそれがかえって、本当にぬいぐるみの姿になってしまったという事を彼に実感させた。

「状況わかった?」

「うん。それで、どうやって歩けばいいのかな?」

「歩けないわよ」

 ブフーッと、人の状態なら飲み物を噴出しているところだ。驚きの声を挙げると兎はやれやれといった風に息を吐いた。

「歩けないならどうすんの」

「だからこれを使うの」

 ふよふよと、本棚から一冊の本がひとりでに動き出し、兎のほうに引き寄せられた。ポルターガイストのおとなしい版といってもいいだろう。ヨツグは混乱しながらも、この現象を表現する言葉を掘り当てた。

「つまり、サイコキネシス?」

「ええ。その通り」

 ヨツグとしては冗談のつもりで言ったのだが、兎の声のトーンから察するに本当にサイコキネシスのようだ。彼はまさか当たるとは思っていなかった自分の答えに驚き、呆然とした。

「動けないなら向こうを動かせばいいのよ」

「……何『パンがないなら~』みたいに言ってんだよ。できねぇって」

「というかむしろぬいぐるみ界隈では常識よ?」

「ぬいぐるみ界隈?」

「さっ! 練習練習!」

 かくしてサイコキネシスのトレーニングが始まった。この体とサイコキネシスの相性は良いらしく、兎の話によれば、訓練次第では自分の何十倍もの重さのものまで動かせるようになるそうだ。そこまでの力は必要ないだろうと思いながらも練習を進める。まずは机の上のボールを転がす練習。最初こそビクともしなかったが、コツを掴むと熱中し始め、日が沈む頃には本棚さえ浮かせられるようにまで上達した。

「ただし、生き物と自分自身は浮かせられないから、そこんところ注意ね」

「わかった。それにしても便利だねこの体。ごはん食べなくても腹空かないし」

「あなたがお菓子食べてるのとか羨ましいけどね」

 机の上に置きっぱなしだったクッキーの箱が宙で包められ、ゴミ箱に投げられる。魔法のような目の前の出来事に、ヨツグの目は点になった。

「キネシスの応用よ」

「応用……すごいな……そうか、ずっと見てたんだよね」

「ええ、全部」

 全部、と言われ体中に鳥肌が立った。兎は少しにやけている気がする。

「全部って、たとえば?」

「全部よ。おはようからおやすみまで。あなたが家にいる間はずっとね」

「……他人に見られたくないことしてる時も?」

「多分ね。それで、他人に見せられたくないことって?」

「いや! なんでもない! そうか、これからは油断できないな」

「“Bunny girl is watching you.”よ」

 休憩がてらの会話は彼にとって久しぶりとも言えるほど素の感情を出した楽しいひと時であった。陽も完全に沈んで部屋が薄暗くなると、ヨツグはテレビのリモコンを電機の紐で縛り、その重みで電機をつけた。

「キネシスの応用って、こういうことかな?」

「そうね、上出来。でも今のは普通に紐のほうを引っ張るだけでよかったんじゃない?」

 褒められて嬉しいヨツグだったが、その後の指摘に少し頬を膨らます。

「試してみただけだからいいの! それで、次は何をするのかな? テレパシー? それともテレポート?」

「次は人間の姿に戻るのよ」

「えっ」

 兎の言葉に声を失う。キネシスも上達したし、せっかくこの体にも慣れてきたのに。というか結構気に入っていたのに、もう終わりかと思うと名残惜しい。

「どうしたの? 子犬みたいな顔してるわよ」

「いや……っていうかそもそもなんでぬいぐるみの体に? なんで僕らは話せるのに他のぬいぐるみはしゃべらないの? あと人間に戻れるなら最初に教えてくれるべきじゃないの?」

 口から次々と出てくる疑問は今朝から気になっていた事なのか、もう少しこのままでいるための時間稼ぎなのか、とにかく彼は思いつく限りの疑問をぶつける。それを一つ一つ丁寧に聞き取った兎は、彼の疑問が費えたところで紙と鉛筆を引き寄せた。

「落ち着いてパピー。そうね。そういえば全然説明してなかったわね。じゃあ実習もこの辺にして、座学にしましょうか」


 話によると、全てのぬいぐるみには意思があり、その意思が強いほどサイコキネシスや人の言葉を上手く扱えるらしい。

「呪いの人形とかあるでしょ? あれを想像してもらうとわかりやすいかもね」

「嫌な例えだ」

「あなたの場合はもともと人間だから意思はどのぬいぐるみより強いわ。でもずっとそのままでいると心も体もぬいぐるみになりきって力を失う。それはどのぬいぐるみも同じね。だからあなたは人に戻らなきゃいけないの」

「なるほど、一生ぬいぐるみは困るかも……この話長くなる? 早めに人間に戻っておきたくなったんだけど」

「安心して。一週間以内に人間に戻れば大丈夫な筈だから」

 紙に絵を書きながら説明する兎は学校の教師のようだ。

「あなたがぬいぐるみの姿になったのは、よくわからないわね」

「わからない?」

「だって私がやったんじゃないし」

「そんな無責任な」

「まあいいじゃない。正直ぬいぐるみの姿の方が可愛いわよ?」

 少し顔が熱くなりながら、自分でも『自分チョロいな』と思う。

「ん……それでこの狼の姿になったのは……」

「多分あなたに一番近かったからね。片付けの途中でもったまま寝たでしょ?」

「ああ……つまり君を持ってたら君の姿に」

「やめてキショい」

「え、ごめん……」


 雑談を交えた講義が終わる頃にはすっかり夜も更けきっていた。キネシスもすっかり体得し、途中から兎がほおり投げたボールを受け止めては返しながら話していた。ヨツグとしては、まるで父子がキャッチボールをしているような気分だったが、どちらかというと犬にボールを投げて取ってこさせる遊びに近い。傍から見ればボールがひとりでに跳ねている気味の悪い光景だ。

「まって、人間に戻ったら、キネシスとか使えなくなるの?」

「そうね。人の体ならキネシスを使う必要がないもの」

「そっか」

 声から寂しさが滲み出ている。

「どうしたの? まさか人間に戻りたくないとか?」

 半ば笑いながら言う兎だが、彼にとっては重大な問題だ。このまま仕事を続けていても正直展望は見えない。彼の心の中では“ぬいぐるみも悪くないな”という思いが渦巻き始めていた。考え込んでいると、兎の投げたボールが顔にぶつかった。

「あ痛っ」

「何考え込んでんの? 冗談よ。ジョ・ウ・ダ・ン。それに、やりたい事もあるんでしょ?」

 そうだ。ヨツグは自分が考えているアイデアのいくつかを思い浮かべた。趣味の域を出ないが、まだ書いてない小説のプロットや実現させてない動画の企画、新しいカードゲームの構想だってある。人の姿に戻っても出来るかどうかはわらないが、少なくとも人の姿でなければ出来ないことだ。

「そうだね。うん。戻らないとね」

 彼はボールを浮き上がらせると、近くの棚に戻した。

「じゃ、戻りましょうか」

「うん。でも戻る前に……!」

 ヨツグは自分のキネシスで自分と兎をバッグの上に乗せた。そして窓がひとりでに開き、バッグが二つを乗せて浮いたかと思うと、夜の空に向けて飛び出した!

「ちょ、ちょっと! 何してるのよ!」

「夜空を舞うなんて、人の姿じゃできないからね!」

 バッグは宙を駆け、高く、時に地面すれすれを飛んだ。住宅街、林、河川敷を自由に飛びまわり、やがて神社の鳥居に着地した。

「もう、無茶するわね」

「楽しかったでしょ?」

「それにしても強引すぎよ。見かけによらないのね」

「……それってどっちの見かけ?」

「さあね……フフ」

 丸に近づきつつある月を眺めながら、兎は肩を揺らして笑った。どこか嬉しそうだ。

「何?」

「なんだかこれってデートみたいね」

「で、デート!?」

 人の体であれば驚きのあまり体がのけぞって鳥居から落ちそうになっただろう。兎の思いがけない発言に思わず胸が高鳴る。しかし兎は月に向けた視線を外そうとはしない。ぬいぐるみだからなんともないはずなのに、顔が熱い。

「な、何言ってんの!? ど、どこに空飛びながらデートするやつがいるんだよ!」

「スーパーマンとか」

 なるほど。確かにスーパーマンにはそんなシーンがあった。しかしスーパーマンと自分とでは、とてもじゃないが比べられるものではない。目を閉じて自分の嫌な過去を思い返していると、気付けば顔がゆっくりと兎のほうへ近づいていた。

「えっ、あっ、ちょっと待って!」

「何よもう」

 狼狽するヨツグに、兎は非難のまなざしを向けている。これからがいいところなのにといったところだろうか。しかし彼のほうはおそらく心臓がバクバクして顔も真っ赤で気が気ではない。

「だって、ほら! 今日会ったばかりだし」

「いや前々から見てたけど」

「あ……そ、そっちはそうかもしれないけど、まだ早……ほら! 僕人間だよ!? どこかの熊のぬいぐるみの映画じゃないんだから」

「あら? そのつもりで連れ出したのかと思ったのに、なんかショックだなー」

「う゛」

「所詮、お人形遊びってことなのね」

「いやそれは……」

「じゃ、戻りましょうか」

 ぬいぐるみとはいえ女の子の純情を、結果的に弄んだ形になってしまいしょげるヨツグを、満足げな表情で連れ帰る兎。すっかり兎の手の中である。




 カーテンの隙間からこぼれた光が顔に当たり、その眩しさに目をこすりつつ体を起こそうとするが、ビクともしない。どうやらぬいぐるみの姿のままで眠っていたようだ。ふと隣を見ると、何故か兎も一緒に寝ている。

「ん……朝なのね、おはよう」

「お、おはよう」

 窓の外では鳥が囀り、爽やかな朝に花を添える。しかし彼の中にはある種くだらない嫌な予感が渦巻いて、二度寝に向けたまどろみが一気に消え失せた。

「あのさ……念のために聞くけど、俺何もしてないよね?」

 キョトンとしたのち、ハッとして布団を顔にうずめさせる様子を見ると、どうやら嫌な予感は的中したようだ。兎は片目だけでこちらを見ながら

「あんなことしといて覚えてないの? 信じらんない」

と女性特有の、涙の混じった怒りの声色で非難した。人間の体であれば冷や汗が止まらなかったはずだ。

「ごめん……本当に覚えてないんだ、その……悪かったよ」

「……初めてだったのに」

 もはや頭を抱えるしかない。姿はぬいぐるみ同士だから問題ないかもしれないが、仮にも人間がぬいぐるみ相手にワンナイトラブを決めたとなると、正気の沙汰ではない。相手が人間だとしても、世間一般に褒められた事ではない。

「すまない。知らなかったんだ。まさか初めてだとかその、ぬいぐるみでもそういうことするんだとか」

「初めてだったんだから……月夜のデート」

「へ?」

 彼女の涙声がくすくすと小さな笑いに変わっている。どうやら彼女の「初めて」とは、昨夜窓から飛び出したことのようだ。

「じゃああの後は?」

「本当に覚えてないのね。帰るなりすぐに布団に入ったじゃない。調子に乗ってキネシス使いすぎたから疲れたのね。」

「……何も変な事してなかった?」

「ずっと寝てたけど、変なことって?」

「ならいいや。なんでもない」

 この兎、全部わかってからかってやがる。


「じゃ、戻りましょうか」

 眠気もすっかり吹き飛んだところで、兎が軽くそう言った。

「そう、だね。もう少しこの姿でもよかったけど。で、どうやったら戻れるの?」

「人間だった頃の自分の姿を強く意識すれば戻れるはずよ」

 人間だった頃の姿といわれて、自分の動画を思い出す。うっすらと頭皮が見える自分の頭を思い出していると、体が大きくなっていく感覚に包まれた。

「それじゃあ、楽しかったよ。ありがとう」

 兎に別れの言葉をつげると体は光に包まれ、やがて人ほどの大きさまで広がった。


 目を開けると、視点の高さの違いに気付く。体の感覚もさっきまでとは違う。体を見ると手があり足があり、服を着ていた。

「おっ、手だ。……戻ったんだな」

 しかしなにやら視界が狭い。頭も軽く締め付けられているようだ。身体の異常に鏡を取ると、そこには狼の顔が映っていた。

「へ!? 何! どういうこと!?」

 声を発すると口が動いた。当然といえば当然だが、人の体に狼の頭という姿では異常だ。そして、この異常を纏って暮らさなければならないのかと悟った矢先

「おまけね」

「おまけ……っ!?」

 兎の声が聞こえた。声は兎のぬいぐるみから発せられている。人の姿に戻ったのに、言葉がわかる。あるいは完全に戻ってないからなのかもしれないが、彼の頭は混乱した。

「落ち着いて。まずは深呼吸」

 大きく息を吸って吐く。幾度目かの呼吸で落ち着きを取り戻すと、視界の外側、ちょうど人間のときと比べて狭まった範囲が何かで覆われていることに気付いた。目の周りだけではない。頭全体が覆われている。狼の頭を両手でつかみ、ヘルメットを取るように引き上げると、一気に視界が開けた。

「あ、これ、狼のマスク……」

 SNSで話題になっていた、顎の動きに合わせて狼の口が開閉するムービングマスクをかぶっていたらしい。東京でしか売ってないと思っていたら雑貨屋にあるのを見つけたので何も考えずに買ったものだが……

「なんでこれをつけて戻ったんだ……てかぬいぐるみから人の姿に戻るんなら服着てるのおかしくない? そして人の姿に戻ったのになんでまだ話せるの?」

 次々と噴出する疑問に「まっとうな疑問だ」と言うかのように一つ一つ頷き、一通り疑問が出たところで兎の座学が始まった。

「That’s a very good question.多分だけど、さすがに全裸で戻すのは気が引けたんじゃないかしら」

「気が引けたって……誰が?」

「この仕組みを考えた人。だって街中で全裸になったら困るでしょ?」

「そりゃ困るけど……」

「だからその辺の適当な衣服を身につけるようになってるのよきっと」

「その結果がこれ?」

「いいじゃない。ヒーローみたいで。名前は……ウルフマンとかどう?」

「確かにヒーローの変身っぽいけどさぁ、その名前はダサくない?」

 この説明で納得したくはないが、他に理屈が思いつかず、不服そうに兎を見つめる。

「じゃあどんなのがいいのよ」

「どんなのでも良いけどウルフマンは……ウルフの時点で十分かっこいいのにマンをつけたら蛇足じゃない」

「アメコミのヒーローの名前ってこんな感じじゃない?」

「アメコミを敵に回さないで。それにあっちはデザインがかっこいいじゃん。多少名前がストレートでもいいよ。こっちなんて見た目はヒーローというより怪人の方が近いでしょ? 狼男だもの」

「わかった。じゃあウルフマンね」

「話聞いてた!?」

「あと、今こうして話ができるのは、私がすごいから」

「話そらしてるけど……こっちもなかなか納得いかないよ?」

「言い忘れてたわ。人に戻ったらキネシスは使えなくなるけど、こうして私との意志の疎通は可能よ」

「なんてご都合主義なの」

 人の姿でも話せるなら「それじゃあ、楽しかったよ」なんて別れの台詞じみたこと言わなかったのに。やれやれと息をついたところで朝食のシリアルを作りパソコンに向かう。一昨日まではピクリとも動かなかった兎も、バッグに乗って当然のようについて回っている。

しばらく動画サイトを見ていると突然、兎が画面を塞ぐように立ちはだかった。

「ねぇ、今日はどこか行かないの?」

「いや、予定はないけど」

「映画見に行けば? どうせ次の動画も映画レビューなんでしょ?」

 確かに、そうだ。どうせやることもないし次の動画のネタを探すなら映画の方が安く済む。

「まぁそうだけどさぁ……そうだなぁ。じゃあ行ってくるよ」





 丸宮ヨツグが支度を整え玄関を出ようとすると、兎も後ろをついてきた。どうやら行く気満々のようだ。

「なんでついてくるの?」

「えっ、つれてってくれるんじゃないの?」

 そんなつもりは全く無かった彼にとっては寝耳に水だ。つれて行くことを少し考えてみるが、やがてしゃがんで目の高さをあわせた。

「考えてごらんよ。いい歳した男が兎のぬいぐるみに話しかけながら出歩いてたら、変質者だと思わない?」

「まあ関わりたくないわね」

「だったら……」

「大丈夫よ。私たちの会話はテレパシー。他の人には聞こえないわ」

「そんな無茶苦茶な」

「ほら、早くいこ?」

 キネシスでひとりでに開きかけた玄関を彼は急いで閉じ、慌てて兎をかばんに仕舞いこんだ。

「ちょっと何するのよ!」

「ぬいぐるみが宙に浮いてるところなんて見られたら騒ぎになるでしょ。つれてってあげるからおとなしくしてて」

 その言葉に納得したのか機嫌を損ねたのか、そこから反論も反撃も無く電車で揺られること数十分、郊外のショッピングモールに着いた。店舗が入っている建物から少し離れたアミューズメントエリアは、一階がゲームセンター、二階が映画館になっている。目ぼしい映画の入場開始までは時間があるようなので、すこし座って待とうかと思った矢先

「ゲームセンター行きたい」

 どこからとも無く兎の声が聞こえてきた。しかし辺りを見回しても特に誰も射ない。ヨツグが頭の中で答えると、さらに言葉が続いた。

「ゲームセンター?」

「ええ。UFOキャッチャーとか得意?」

 普通の会話が出来ているが、周囲の人は何事もないかのように目の前を過ぎていく。どうやら本当に他の人には聞こえていないようだ。

「いや、めっちゃ苦手」

「じゃあ行きましょ」

「いや、じゃあでは無いけど」



 外に出て階段を下りると、すぐさま“ゲームセンター『ストリーム』”と書かれた派手な看板が目を引く入り口が目に入った。自動ドアが開くたびに店内のBGMやらゲームの音声やら、人々の声の入り混じった音がもれて聞こえた。おずおずと店内に入った途端バッグがひとりでに開き兎が顔を出した。ノリのいい音楽と店内やゲーム筐体のきらびやかな電飾に、目を輝かせんばかりにそわそわしている。一方バッグから兎が顔を出した状態で、日曜で人の多い中を歩くヨツグは顔から火を噴きそうだ。

「玄関で言ったこともう忘れた?」

「顔を出さないと見れないじゃない」

「そりゃそうだけど……」

 テレパシーで会話しながら見て回る店内には、最近のアニメやゲームのキャラクターのフィギュアやポスター等のグッズや、ゆるキャラ等のぬいぐるみが閉じ込められたクレーンゲームのゾーン。熟練者と思しき人が居座っているメダルゲームゾーン。その他のシューティングやレース、音ゲー、カードを読み取るタイプのゲームが集積するゾーンもあり、こちらは老若男女問わずいろんな人がいる。

「あ、あれプリクラだよね。撮っていこうよ」

 兎の視線の先には白い大型の電話ボックスのような箱が何台も並んでいる。入り口にはセクシーな顔の女性がプリントされている、まさしくプリクラだ。側には撮影用のコスプレ衣装やウィッグまである。これだけ環境が整っていれば始めて来た人でも一回くらい撮ってみようと思うだろう。しかし……

「だめだよ」

「なんでよ」

 プリクラゾーンの入り口には『男性のみのご利用はご遠慮下さい』という掲示が出されていた。これでは入ることすらままならない。

「私は女よ?」

「傍から見たら僕一人だからね。それにそんなにお金使いたくないし」

「何よ。ケチ」

 ストレートな罵倒に少し心が痛む。その後もうろうろしていると、何やらクレーンゲームの一角に人だかりができていた。音ゲーとかならわかるがクレーンゲームで人だかり? 彼は気になって人だかりに混じり、中央を覗いた。

「すげぇー」

「あれ今まで誰も取れなかったんだぜ」

 驚きの声の真ん中では、背の高い男が取り出し口を通りそうに無い巨大な猫のぬいぐるみを持ち上げている。景品用の袋を渡しに来た店員も驚きを隠せないようだ。バッグから顔を出した兎も興奮したのか、よくわからない念を送ってくる。男は人だかりの中から7歳くらいの女の子を見つけると、ぬいぐるみを入れた袋を手渡した。今度はその子のお母さんが驚く番だった。

「はい、どうぞ」

「いいんですか?」

「ええ。構いませんよ」

「すみません、ありがとうございます。ありすちゃん、ありがとうは?」

「おじちゃん、とってくれてありがとー」

 人だかりから拍手が沸き起こる。その様子はまるで人命救助後のスーパーマンのようだ。ヨツグもひとしきり拍手に加わった後、そろそろ入場開始時間も近いことに気付きその場を後にした。




 映画はそこそこだった。楽しかったが面白い作品かと聞かれれば首を傾げてしまう。頑張っているのはわかるがエンドロール後のおまけ映像は釈然としない。しかし動画にするには楽そうだった。

「どうだった?」

「私前編見てないからなんともいえないけど……映画館ってすごいのね。特に音が」

 話しながら映画のグッズ売り場を通り過ぎようとした突如、軽く肩をたたかれ、体がビクッと反応した。振り返ると、ゲームセンターにいた例の“ヒーロー”が、少し驚いた顔をしていた。

「ごめんなさい、驚かせるつもりは無かったんですが」

「あ、いえ。なんでしょう?」

「……かわいいぬいぐるみですね」

 そう言われてハッとバッグを見ると、兎が顔を出したままだ。映画が終わったら閉じようと思っていたが、忘れていた。

「あ、そう、ですね。友達からもらったんです。誕生日プレゼントで。」

 嘘だ。自分で買ったものだ。

「いつも持ち歩いてるんですか?」

「いや、きょうはこいつがつれてってくれと……言ったような気がしたので。おかしいですよね。いい歳した男がこんな」

 ボロが出そうになり慌てて取り繕い、話題を変える。男はキョトンとしていたが、ついに吹き出してしまった。

「あはは、ごめんなさい。あなたもぬいぐるみ好きなんですね。安心してつい」

笑いながら言う彼の姿は爽やかそのものだ。

「それで……何か用ですか?」

「ああ、そうだ。実は映画を見に来たんですが、少し時間があるみたいなので、もしよかったらお話でもと思いまして」

 屈託の無い笑顔でそういわれると、こちらも拒もうとは思わない。特に予定も無かったので少し付き合うことにした。

「じゃあその辺に座りましょうか。えーと……」

「畑寺。畑寺リョウです」

「畑寺さん。あ、申し送れました、丸宮ヨツグっていいます」

 畑寺は無類のぬいぐるみ好きで、家にはぬいぐるみ部屋があるらしい。寝室にも収まりきらないため、今では集めるよりも取るほうに力を入れているとのことだった。

「それでさっきは女の子にあげてたんですね」

 そう言うと畑寺の顔が少し赤くなった。

「えっ? 見てたんですか?」

「あの人だかりの中にいました」

「恥ずかしいなぁ。クレーンゲームの前であの子が泣いてたんですよ、どうしても欲しいけど何度やっても取れないって。」

「そこで駆けつけるなんて、まるで白馬の王子かヒーローみたいじゃないですか」

「いやぁそんなぁ」

 自分より背の高い男性の照れた顔を一瞬でも可愛いと思っていると、畑寺はハッと何かを思い出したように口を開いた。

「そういえば丸宮君知ってます? 一昨日のゲームセンター襲撃の事件」

 その顔は真剣で、声もキビキビとし、いかにも深刻そうだ。

「ゲームセンターの襲撃? あぁ、たしか今朝ネットで見たような……」

「夜の人が多い時間に襲撃して、筐体とか設備を壊したらしいんですけど、まだ犯人捕まってないみたいですよ。なにしろ目撃者が一人もいないらしくて。気味が悪いですよね」

「目撃者が、いない?」

「はい。誰もその破壊の様子や犯人の姿を見ていない。さらにはその夜その場所にいた全員が行方不明になってるらしいんですよ。襲撃されたゲーセンには僕の友達もいたんですが……」

 そこまで言うと畑寺は口を噤んでしまった。恐らくその友人も行方がわからないのだろう。なんと言葉をかければいいかわからずにいると、急に畑寺が両手でヨツグの右手を取った。

「もうあんな思いはしたくない。だから、丸宮君も気をつけてくださいね。決して夜はゲーセンに近づかないように」

 どこかすがる様な畑寺にギョッとしつつも、初対面なのにここまで打ち解け心配してくれる彼に嬉しくなり、握り締める彼の両手に左手を合わせた。

「ありがとう。畑寺さんも、気をつけてくださいね」


 畑寺が見る映画の入場が始まり、二人はお互いに共通するSNSが無かったためメールアドレスを交換して別れた。SNSのタイムラインを確認しながら駅に向かって気分良く帰っていると、兎が機嫌の悪そうな声を挙げた。

「ずいぶん楽しそうだったけど、ナンパされて嬉しかった?」

 ナンパという言葉に気恥ずかしくなったが、顔が赤くなるのを我慢しながらかける言葉を考える。

「棘のある言い方だね。別にナンパじゃないよ。男同士じゃん」

「メスの顔してた」

「えっ!? いやなに言ってんの! そんな訳……」

 思わず口に出してしまった。周りは怪訝そうにこちらを見ている。彼は即座にスマホを耳にあてがい、通話のフリをしながらできるだけ目立たぬよう端に寄った。酷く汗をかいたが、思ったよりも早く彼への注目は収まった。

「冗談だったのに。本気にしちゃうんだから」

「勘弁してよ」



 帰りに寄ったスーパーで、外に出たついでにと食材を買い込んだ。帰って映画の感想をまとめているうちに日は傾き、気付けば時計は午後六時を指している。

「街もそろそろ混み始める頃ね」

 兎がおもむろに発した言葉に、ヨツグは昼間の畑寺との会話を思い出す。例のゲーセン襲撃事件はSNSでも話題になっていたため頭の隅にはあったが、間接的とはいえこうして身近に被害者がいるとわかると、自分には関係が無いとは言い切れなくなってくる。とにかく畑寺の言うとおりゲーセンには近づかないのが一番だが……

「ねぇ、今日は外食にしない?」

「外食って、ぬいぐるみの姿じゃ食べられないでしょ。映画ならともかく、結局僕一人になるじゃん」

「あっ、私映画館に忘れ物しちゃったー。ついでに取りに行かない?」

「忘れ物って、何も持って行ってなかったでしょ」

「それに、これも返さなきゃいけないし」

 兎のキネシスによって目の前に提示されたのは、畑寺と名前が書かれたメモ帳だった。ヨツグはさっとメモ帳をつかみ、それと兎を交互に見る。

「どうしたの……これ」

「あの人が映画見に行ったときに落としたのを拾ったの」

「どうしてその時に言わないのさ!」

 自分でも驚くほどの大声。束の間の沈黙の後、ヨツグはメモを片手に着の身着のままで家を飛び出した。




 ショッピングモールについた頃には既に午後七時を過ぎており、どこも人でごった返していた。畑寺さんは恐らくゲームセンターにいるだろう。何故かはわからないがそんな確信が彼にはあった。もしいなかったとしても店員に落としものとして預けておけば畑寺さんの手元には戻るはずだ。

 ゲームセンターに駆け込むと、店内の客は昼間より多く思うように進めない。人の顔をおおまかに確認しながら進むが、畑寺らしき人影を見つけることは叶わなかった。諦めて店員のいるカウンターに向かい、メモ帳を預けようとした刹那、店内は闇に包まれた。

「えっ? 何?」

「うそ、しょーくんこわーい」

「あぁ? なんだってんだ! いーところだったのによぉ!」

 ゲーセンの中はそんな声を中心としたざわめきでごった返し、店員の「落ち着いて下さい」という声もかき消される。

「もうかえろーぜ」

「ドアもあかねーじゃん。どうなってんだよマジで」

「あ、つぶやいとこ」

 暴動というものを目にしたことは無いが、暴動寸前とはこういう状態なのだろうか。カウンターの店員はブレーカーか何かを確認しに行ったのか、既に奥へと引っ込んでしまっていた。仕方なく側の壁にもたれかかっていると、プリクラゾーンのほうから悲鳴が響いた。

「あ、あ、しょーくん……」

 悲鳴によって生まれた静寂に、愕然とした女性の声だけが微かに聞こえる。カウンターに登って声のした方を覗くと、女性がへたり込んでいるのが見えた。直後、どこからとも無く光の線が女性を貫いたかと思うとその姿は消え、代わりにぬいぐるみが置かれていた。いや、女性がぬいぐるみに変えられたと言ったほうが正確だろう。

 こんなものを目の当たりにしたら正気など保っていられない。女性だったぬいぐるみの周囲にいた者は一目散に出口へ殺到する。ことを知らない出口付近の客は。戸惑いながらも外に出ようとし、結局皆身動きが取れなくなっていた。そうしている間にも光は次々と人の体を貫き、ぬいぐるみへと変えていく。

「嘘だろ……なんだよこれ……」

愕然とするヨツグだったが、とりあえず光に当たらないようカウンターの陰に身を隠した。まさか襲撃!? だとしたら目撃者がいないのも頷ける。


 やがて人の声がやんだ。皆ぬいぐるみにされてしまったのだろう。恐ろしくてカウンターの向こうを確認することもできない。カウンターの隅でがたがた震えていると、頭の中に声が響いた。

「聞こえる? 私よ。今ゲームセンターの外にいるわ」

「あ、ああ」

「いまからそっちに行くから、あなたはぬいぐるみになって待ってて」

「ぬいぐるみになるってどうやって!」

「戻ったときの逆!」

 ガチャリ、と店員が入った奥の部屋から音がした。裏口があったのだ。ホッとしてそちらに向かおうとしたところで先ほどの店員の悲鳴があがり、それを最後に声は聞こえなくなった。もうそっちにはいけない。

 コツ、コツと足音が近づいてくる。このままではまずい。ヨツグは目をつむり、急いでぬいぐるみだった頃の姿を強く思い浮かべた。はやく、はやく!



コツ、コツ、コツ。足音が止まった。場所は、彼の前だ。

「今日も大漁だ。そして大物もいる」


 しかしすぐに足音は遠のいていった。目を開くと視線の低さに気が付く。どうやら間に合ったようだ。そこへふよふよとバッグに乗った兎が音も無くやってきた。

「ほら、早く帰ろ」

 キネシスで持ち上げられカバンに乗せられるや否や、バッグは急に浮き上がり二人を乗せてその場を後にした。



 夜空を飛ぶバッグの上で、しばらく二人は黙りこくっていた。夜の風の音は身を切るほど冷たく凍えそうだが、今の姿では微塵も感じない。むしろ内側から沸き起こる恐れが、身体を震えさせていた。

 やがて部屋へと戻り、ヨツグは人の姿に戻ってベッドに座りうな垂れる。兎は少し黙っていたが、何か思い当たったように彼に声をかけた。

「それで、メモは返せた?」

 兎の問いに否定の意識を返す。あの場には畑寺はいなかった。むしろいなくて良かったと思うべきだろう。

「ぬいぐるみになったらなったで、喜びそうではあるけどね」

 誰に言うでもなく冗談めかして呟いてみても、やはり目の前で起こったことが惨劇としか捉えられない。怒号と悲鳴が響き徐々に消えていく様子はきっと虐殺のそれに近いのだろうと思うと、恐ろしさのあまり頭を抱えた。

「よしよし、大丈夫。もう大丈夫だからね。恐くないよー」

 子どもをあやすように声をかける兎。彼の姿は雨に震える子犬も同然で、昨夜窓から連れ去ったある種の活気に溢れた姿は見る影も無い。ベッドに体を倒し毛布に包まった彼は「ごめん、ごめん」と何度も繰り返し、疲れからか少しして眠りに落ちた。



 やがて窓から朝日が差し込んだ。うっすらと目を開けると、側で兎がもたれ掛かっているのに気付く。しかし寝ているのか反応は無い。目をこすりながら窓を開けると、澄み渡る青空が広がり、部屋に爽やかな朝の空気が流れ込む。しかし彼の気分からは暗雲が立ち退かない。ため息をついて仕事の用意をしていると、枕元から力の抜けた声が聞こえた

「おはよぉ。はやいのね」

「目が覚めちゃって」

「二度寝も出来ないほどに?」

 兎の大きなあくびが響く。そういえばこの子はもしかして、寝ている間ずっと側にいてくれたのだろうか。お互いが知り合って間もないというのに、そこまで寄り添ってくれることがどうにも彼には不思議だった。

「どうして」

 ヨツグの声に兎の耳がピクリと動く。

「どうしてそんなに優しくしてくれるの?」

「私を選んでくれたから」

 間髪入れぬ回答に目が丸くなる。思い返せば兎に出会ったのは、夏に見たヒーロー映画の帰りに寄った雑貨屋だった。少し値は張ったが、かわいらしい作りと特徴的な目に惹かれて購入した。店員には“親戚へのプレゼント”と言って包装してもらったのを覚えている。

「僕でよかったのかい?」

 今度は答えに少し時間がかかった。

「まぁ、意外だったわ。小さな女の子の部屋に置かれるとばかり思っていたし。でもここも住んでみれば悪くはないし、あなたは乱暴に扱わないし。それにかわいいしね」

“かわいい”と言われると男としては複雑な気分になる。そしてこういう時、“どこ”が“どう”かわいいかは教えてくれないものだ。とにかく嫌われてないことに内心胸を撫で下ろした。

「ところで昨日のことだけど……もう話して大丈夫?」

 突如真剣みを帯びた声に少し驚き、昨夜の出来事を思い返して苦いものを感じながらも、ヨツグは小さく頷いた。

「あのメモ、あそこに置きっぱなしだったよね」

 そういえば! そう言われて気が付いた。あの時は逃げるのに必至でメモのことはすっかり忘れていたが、今手元に無いということは兎の言うとおりあの場に忘れてきたのだろう。

「まさか、またあそこに行けって言うんじゃ?」

「ううん。もう警察が現場検証してるだろうし、見つかったら面倒ね。本人に連絡したほうがいいと思う」

 兎の提案を頭の中でゆっくり咀嚼し、自らに納得させるように頷いた。

「ああ、そうだね。後で連絡しておくよ」

 その後兎が気をつかったのか、他愛も無い会話を少し交わした後、ヨツグは職場へと向かった。




 昼休み。畑寺にメモ帳の件を伝えようとスマホを開くとニュースアプリの見出しに目がいった。『市内のゲームセンター襲撃 今月2度目』当然といえば当然だが早速ニュースになっていた。気になって記事を表示する。

 “昨夜未明、市内のゲームセンター『ストリーム』が襲撃にあい……”その場にいたヨツグの脳裏には人がぬいぐるみに変えられていく姿が、否が応にも思い出される。しかし記事を読んでいくうちに違和感に気付いた。ぬいぐるみの「ぬ」の字も出てこないのだ。

 足の踏み場が無い程に散乱したぬいぐるみに誰も気が付かない筈は無いのに……記事の最後に添付されていた画像を見て彼は驚愕した。被害にあった店内にはガラスが散らばり、ぬいぐるみなど一つも落ちていなかったのだ。

 自分の目を疑い何度も確認するが、やはりその画像にぬいぐるみはない。理解できない恐怖が少しづつ身にしみていくのを感じた。すると突然、持っていたスマホが震え始めた。身を強張らせるヨツグだったが、見てみるとただのメール着信。畑寺からだった。

『畑寺です。またゲームセンターが襲撃されたらしいね。まったく許せないよね!』

 内容にこれといった用事はなく、ちょっと世間話がしたいだけのようだった。ちょうどいいと思い、ヨツグはメモの件を入力した。

『本当ですよね。言ってくれたとおり早く帰って正解でした。でも実は困った事になって……映画館で別れたときに畑寺さんメモ帳を忘れてたんですね。それをゲームセンターのスタッフに忘れ物って言って渡しちゃったんですよ。だから今頃あのゲームセンターに落ちてるか警察の方が拾ってるかもしれません……ごめんなさい』

 心配をかけまいと、昨夜あの場にいた事は伏せておいた。しかしその嘘が後ろめたくもあり、思わず最後にごめんなさいと打ち込んで送信ボタンを押した。

 程なくして、再びスマホが震えた。

『やっぱり拾ってくれてたんだね! 映画館出てからメモがない事に気付いてすごく焦ったよ。でもゲームセンターの人に聞いたら届けられてたから一安心! ということでちゃんと手元にあるよ。ありがとう!』

 ……手元に、ある? 昨夜ヨツグは確かにメモ帳を持ってゲームセンターに行き、惨劇を目の当たりにし、メモ帳を忘れて帰った。メモ帳に気付いたのは日が落ちてからだし、スタッフには渡してすらいない。しかし畑寺が送ってきたメールにはしっかりとメモ帳を収めた写真が添付されていたのだった。



 日が山に沈む頃、兎が紙を目の前に浮かしていると、玄関の開く音が響いた。「ただいま」という聞きなれた声はいつも以上に元気が無い。

「おかえりー」

「……ただいま」

 どうやら彼は「おかえり」という反応に少し戸惑っているようだ。彼のカバンをキネシスで片付けながら

「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」

 と声を柔らかく言ってみると、顔が少しづつ赤くなっていく。

「あ、そうだ。畑寺さんにメールを送ってみたんだけどさ」

 恥ずかしいのか他所を見ながら話題を変えるヨツグ。顔を背けても耳まで真っ赤だ。

「メモ帳、戻ったって」

「そう。やっぱりね」

 兎の返事に彼は驚いた顔で振り向いた。彼からしてみれば何故かメモ帳が本人の手に戻っている事を聞かせ、驚いたところを見ようという魂胆があったのだろう。とっさに振り向いた彼の赤らんだ顔に、「どうして知っているの?」と書いてある。

「おかしいと思わない?」

「うん、おかしい。おかしいよ」

 既にヨツグにはわからない事だらけであった。自分の知らないところで自分の知っている事とは違うことが起きている感覚は、地面が崩れ虚空へ落ち続けているような感じと言えようか。彼は落ちながらも上へと手を伸ばした。

「どういうこと……? 一体何が起こってるの」

「簡単な話よ。落ち着いて聞いて。まずこれをみて」

 兎が差し出したのはメモの切れ端だった。おそらく畑寺のメモ帳から抜き取ったものだろう。メモを掴み目を通すと、曜日の横にゲームセンターの名前が記されていた。

「金曜日……ワンダーゾーン……日曜日、ストリーム……これって」

 曜日の横にゲームセンターの名前が記されており、ワンダーゾーンは二重線で消されている。どちらもこの前の、記された曜日に襲撃されたゲームセンターだ。

「まさか畑寺さん……」

 ガクリと、ひざから崩れ落ちる。昼のメールから渦巻いていた疑念は確信へと変わりつつあった。しかしどうしても、小さな女の子にぬいぐるみを取ってあげたあの畑寺が、悪夢のような襲撃を行っているなんて信じられない。

「畑寺さんが、襲撃の犯人?……いやまさか」

「彼は襲撃の時間を『夜の人が多い時間』って言っていた。ニュースでは昨夜未明としか言ってないのにね」

 確かに、そうだ。被害者は行方不明で目撃者もいないなら、いつ襲撃があったかもわかるはずは無い。わかるとすれば、襲撃した当人だけだ。

「畑寺さん……」

 落ち続けている感覚は無くなった。代わりに訪れたのは、まさに絶望のどん底にいるような感覚。その様子に兎は声も掛けられない。ふとヨツグが目を落としたメモの続きには、『木曜日、ルーニーラボラトリー』と書いてある。彼はメモを握り締め、ゆっくりと立ち上がった。

「直接、畑寺さんに話を聞こう」

「直接って、どうする気なの」

 ゆらりと歩き出す彼を呼び止めると、ヨツグは振り返って寂しげな笑みを見せた。

「まだ畑寺さんがやったって決まったわけじゃないけど、この襲撃に関わっている事は確かだからさ。このメモのとおりに行けば、木曜の夜ルーニーラボラトリーに行けばそこにいるはずだから……そこで直接話を聞くんだよ。……もしかしたら、この事件を調べている秘密諜報員かもしれないし!」

 できるだけ笑顔を作ろうとしているが、内から湧き上がった悲しみは顔から拭えていない。兎は綿の詰まった自分の体の奥が締め付けられるような思いがした。

「だからさ、その時また襲撃に巻き込まれても大丈夫なように、鍛えて欲しいんだけど……ダメかな?」

 子犬のように小首を傾げているが、彼は本気だ。分かっているくせに他の可能性を提示し笑みを浮かべ、自分に嘘をつきながら前に進もうとしている。こんな男には、嘘に付き合ってあげる誰かが必要だ。

「寂しがりめ。いいよ。私がしっかり鍛えてあげる」



 それから三日の晩が過ぎ、ついに木曜日も夕暮れに差し掛かった。うっすらと見える満月が少しずつ輪郭を強くする。空を見つめる二人は空が暗くなったのを確認すると、バッグに乗って夜の風に加わった。




 ルーニーラボラトリーは飲食店の立ち並ぶ大通り沿いにある。敷地はかなり広く、側の回転寿司店よりも一回り大きい。駐車場を共有しており、食前、あるいは食後に遊んで帰る家族連れが多いためか、受けの良いクレーンゲームは他店舗より多い。その夜もまだ週の半ばだというのに、どちらの店も賑わっていた。

 裏には業者、スタッフ用の駐車場があり、ちょうどそこに大きなトラックが止まった。しかし運転手はトラックから降りると店とは逆のほうへ歩き、すぐ側の貸しビルへと入っていく。いつからあるのかわからない、古びた『テナント募集』の看板。どの階にも電気はついていない。

 外の華やかさが、薄暗い階段をより一層気味悪くする。運転手は何事も無いかのように上がり、3階の手近なドアを開けた。割と広めの部屋だ。月明かりが差し込んで空虚な部屋に張られたいくつかの蜘蛛の巣を照らしている。

「こちらハンター、ポイントAに到着。作戦開始時刻を待つ」

 正体を隠すため、マスクにはボイスチェンジャーを通している。テレビで聞くような声で連絡を取るとスマホからはすぐに“了解”との返答が来た。作戦開始まであと10分。窓に両手をつき夜空を眺める。

「やけに明るいと思ったら、今夜は満月か」

 月を見つめ、すぐに視線を目下のゲームセンターに向ける。月明かりに照らされたその人物は赤いフードの下に無機質な仮面を付けており、外を見る目は獲物を探す狩人のように鋭い。

「三件目、今日も大漁かな」

「動くな!」


 運転手の後ろから響いた声が壁に反響する。振り返ると、大学生だろうか? 背の低い男がこちらに銃を向けている。

「おとなしくしろ。ここで何してる?」

 声が震えている。何者かはわからないが、その固い動きを見るにこの場所を特定したのは目の前の男ではなさそうだ。もっと有能な誰かが背後にいるのだろう。だとすればこの男はともかく、情報が漏れている以上このまま作戦を実行するには危険か……

「答えろ!」

 ハンターは銃を構えたまま言い放つ男を見据えると、目にも留まらぬ速さで近づき銃を払いのけた。体を掴み部屋の奥へ突き飛ばすと、扉を閉めゆっくりと近づく。相手は腰が抜けたのか立ち上がれず、怯えた目でこちらを見ている。

「キャンキャンキャンキャン、犬みたいにわめいたと思えばこれか。情けないな」

 相手はこちらを睨み付けているが、恐ろしさのかけらも無い。

「ウォーミングアップだ。まずは子犬を一匹狩るとしよう」

 袋から取り出した銃型の機械を男に向け、引き金を引く。するとたちまち男の姿は狼のぬいぐるみに変わってしまった。

「ステイだ。そこでおとなしく待ってろ。もっとも、この古びたビルに誰かが来るとは思えないがな」

ドアに向かって歩き出す。一人の口は封じたが、少なくとももう一人どこかにいるはずだ。今日の狩りは慎重にやらねば――そう考えていた矢先、背中を強い衝撃が襲った!


「……ばかな、まさか!」

 既にもう一人がこの部屋に入り込んでいたのか。言いかけたハンターだったが、振り返った途端言葉を失った。狼男だ。

「な、何だお前っ!」

 装置を向け光を放つと、狼男はぬいぐるみに変わる。しかしすぐさま元の姿に戻って突っ込んでくる! 何とかかわそうとするが避けきる事が出来ず、今度はわき腹に衝撃が襲った。よろめきながら目の前の狼男を見据える。

「俺は……ウルフマンだ!」

 その声はさっきぬいぐるみに変えた男の声だ。ハンターは装置が利かないとわかると一目散にドアに向かって走り出したが、寸での所でひとりでに閉まり、顔を強く打ち付けた。

もう逃げ場は無い。装置も利かないなら、素手で戦うしかない。覚悟を決め振り返ると、狼男の姿はどこにも無かった。馬鹿な。この部屋は広さこそあるものの隠れる場所なんて――



 相手がこちらを見失っているところで、すかさず人へと姿を変える。すると重力に任せて体はハンターの真上に落ち、背中からのしかかる形になった。兎がキネシスで縄を操り、ハンターを拘束していく。程なくしてハンターは狩人から一転、部族が儀式に使う神への供物に変わった。いつ火にくべられてもおかしくない彼はなんとか縄から抜け出そうと身をよじるが、かえってきつくなるばかりだ。

「どこでこんな縛り方覚えたの」

「ホームページで見たのよ」

 映画で見たような台詞をかわしながらウルフマンはハンターに近づき、その仮面を取った。

「やっぱり、そうだったんですね。畑寺さん」

 畑寺は声を詰まらせ、目を背けた。もはや言い逃れは出来ない。

「どうして……どうしてあなたが……」

 狼のマスクを取り、膝を付いて畑寺の体に手を当てる。みたところ血は出ていない様だが、体の内部まではヨツグにはわからない。畑寺を仰向けに転がすと、ようやく二人の視線が合った。

「畑寺さん……」

「ヨツグくん……君だったんだね。例の力を持つ人間ってのは……」

「例の力? 何のことです!?」

「君は、狙われている。あいつは君の力を使っ――」

 刹那、光の線が畑寺の体を貫いた。目を見開いた彼はみるみるうちに小さくなり、デフォルメされたトカゲのぬいぐるみに変わった。

「えっ!? 畑寺さん!?」

 ぬいぐるみに変えられた彼からの返事は無い。それはテレパシーを送ってみても同じだった。

「畑寺さん! 畑寺さん! 何とか言ってください!」

「きゃあっ!」

 そこに畑寺ではない別のテレパシーが割り込む。それは兎の悲鳴。振り返り窓の外に駆け寄ると、宙に人が浮いていた。畑寺が猫のぬいぐるみをあげた、あの女の子だ。

「ヨツグ!」

「兎さん!」

 少女は無表情で兎を抱えたまま、どこへとも無く浮遊し、やがて見えなくなった。一人残されたヨツグが彼女の後を追おうとトカゲのぬいぐるみをバッグに仕舞いこむと、スマートフォンが震えた。メールの着信だ。差出人は『共有者』件名には『汝は人狼なりや?』とある。

「占い師から報告を受けました。やっと見つけましたよ。狩人に貴方の連絡先を聞いておいて正解でした。人狼さん。兎の命が惜しければ、添付した地図の場所まで来て下さい。もっとも、ぬいぐるみに命があると本気でお考えならばの話ですが。



追伸。狩人は口封じに吊るさせてもらいました。声を発せないただのぬいぐるみ。何を聞いても無駄ですよ。」


 あの光の線でぬいぐるみに変えられると、本当にただのぬいぐるみになってしまう。前回の襲撃の際、大量のぬいぐるみの中にいたのに兎以外の声を聞かなかったのもそういうことなのだろう。

 それにしても、なんだ? 相手はこっちをずっと探していたようで、人質を取ってまで会いたがっている。何か取引を持ちかけようとしているのかもしれないが、相手の狙いがわからない。ともかく、急がなければ兎が危ない。ヨツグは持ち込んだものをバッグに仕舞いぬいぐるみに変身すると、キネシスによってバッグに乗り窓から飛び出した。

 満月に向かって夜空を舞うなかで、数日前初めて飛んだ時の事を思い出す。相手がぬいぐるみとはいえ自我のある女の子を引っ張り出すなんて、自分でも驚くような突拍子もない行動だ。しかしここ数日一緒に暮らしてきた中でわかった事がある。彼女は本当に自分の事を見ていた。だからこそ他愛のない話だって延々と続けられたし、用意されたトレーニングも今にして思えば自分に合わせてくれたものだった。全てリサーチ済み。何を言っても一枚上手。そんな彼女に彼は居心地の良さを感じていた。全て知った上で、柔らかく包み込むように受け入れてくれる安心感。それが失われるのは何物にも耐えがたい苦痛だ。そしてなにより、もらうばかりでは自分のプライドが許さない。例えチョロい犬であれ、返したい恩は忘れない。ヨツグは気分の高まりに狼のごとき雄たけびと共に速度を上げた。




 いつから廃棄されていたのだろうか。古びた物流倉庫は埃の積もること厚く、所々にヒビの入ったコンクリートの壁や床に加え、ガムテープで補修された遮光窓などはまさに廃墟と呼ぶに相応しい。

 そんな倉庫の一室に、数百体ものぬいぐるみが並んでいた。どれも作られて日が浅いのか、あまり埃を被っていない。そこに、兎のぬいぐるみを抱えた少女がやってきた。

「ご苦労さまでした。もう下がって良いですよ。占い師さん」

 どこからともなく聞こえるテレパシーに頭を下げ、兎のぬいぐるみを置いてその場を後にする。下ろされた兎はテレパシーの主を探そうと、周囲に目を凝らす。

「無駄ですよ。ここには500ものぬいぐるみがあります。その中から私一人を見つけ出すのは無理でしょう」

 誘拐の主犯にしてはやけに落ち着いた声と口調で兎に諭す。ここにあるのは被害にあったゲームセンターの客が姿を変えられたもののようだ。兎は姿の見えない相手にいらだちながらもテレパシーを返す。

「あなたは何者?」

「『共有者』と名乗っておきましょう。貴方と同じ、意思をもつぬいぐるみです」

「何が目的なの?」

「あの人間。人でありながら私たちのような姿に変わり更に意思の疎通やテレパシーまで使える。実に興味深い個体です。彼の体を調べれば、逆の事も出来るんじゃないかと思いましてね」

 共有者の言葉は落ち着いたものだったが、その語感の節々からはふつふつと湧き上がる怒りが感じられる。

「あなたまさか、人間になりたいの?」

「ええ。もう閉じ込められるのには十分満足しました。今度は彼ら人間の姿になって、いろんな事をしてみたい。あなたもそう思ったことがおありでは?」

 そう言われると、確かにプリクラを撮ってみたいとかお菓子を食べてみたいとか思った事はある。考えれば考えるほど、やりたい事はいくらでも出てきた。

「私は許せないのです。便利な体を持っていながらやりたい事もなく、あってもやらず漫然と日々を過ごしている人間共が!」

 怒りを抑えられなかったのか、共有者の語気が強まり口調も一瞬だけ荒くなる。彼は咳払いを一つし、「失礼」と呟いた。

「お察しの通り、ここにいるぬいぐるみたちは全て人間だったものです。出来るのにやらない怠惰な人間。私はこうして彼らに罰を与えているのですよ。もっとも、無差別にぬいぐるみに変えていけば一人くらいは勝手に元に戻る個体もいるだろうという期待もありましたがね」

 なんて身勝手なやつ。兎の頭は更にイライラとしていた。できる事ならやつを見つけ出して八つ裂きにしてやりたかった。

「フフフ、そう怒ってはせっかくの美人が台無しですよ。お嬢さん。変な事は考えないほうがいい。その気になればここのぬいぐるみ全て破裂させる事だって出来るんですから。もっともあと一日すれば、半数は人質としての価値を失いますがね」

 500体の元人間のぬいぐるみが一斉に人質に取られた。人質の価値がなくなるというのは、ぬいぐるみの姿で一週間経てば元に戻れなくなることを言っているのだろう。最初の襲撃は先週の金曜だったからあと一日ということだが……

「逆に言えば、まだ人質としての価値がある。人間に戻す方法があるってわけね」

 強気の姿勢を崩さない兎だが、共有者は勝利の確信があるのか兎の態度を鼻で笑った。

「そうです。私の研究の成果ですからね。しかし、それは我々しか知らない。貴方にはどうする事も出来ないのですよ」

 歯を食いしばる思いだが、今は大人しくするしかない。

「貴方は……何がしたいの……?」

「愚かな人間どもの支配です。やれる事をやらず無駄に生きるくらいなら、私に支配され私のために生きていたほうが彼らも“生きがい”があるってものでしょう。彼だってそうだ。特別な力を持っていながらそれを持て余している! だから私の研究材料として使ってあげようとしているのです」

 窓の向こうから強い風の音が聞こえる。倉庫内の静寂は巨大な闇が起こす嵐の前の静けさだろうか。共有者は話を続ける。

「月の満ち欠けのように自在に姿を変えながら世界を支配する。スタッフトムーン計画はようやく始まるのです。彼のおかげでね」

 高笑いする共有者。身動きは取れないが、どこかにこの状況を打開する策か隙があるはず。とりあえず今は情報が必要だ。兎は共有者に対して揺さぶりをかける事にした。

「私が連れ去られたくらいで本当に来るかしら? ただのぬいぐるみよ?」

「もし来なければまた策を講じるまでですが……この際どうです? ここまで聞いてしまったんですから、私の片腕として共に世界を支配するというのは。人の姿にもなれますし、いずれ彼とも一緒にいられます。悪くないと思いますが?」

 意外な言葉だった。悪魔の誘惑とも言うべきその言葉に兎は息を呑む。もし彼が来なければ兎はどこからともなく襲いくるキネシスによって破裂させられるだろう。しかし彼を引き渡せば命は繋がる。ヨツグは研究材料として丁重に扱われるだろうし、何か変な動きをすれば止める事だって出来る。

「出来れば、今ここで返事が欲しいのですが……」

 共有者の声にしばらく黙考していたが、やがて落ち着いた様子でテレパシーを返した。

「わかったわ。それで、どうすればいいの?」

「フフ、わかっていただけて何よりです。ひとまず貴方には、このまま悲劇のヒロインを演じてもらいます」

 そう話す共有者の声はどこか少し嬉しそうだ。 

「ただ私たちに何らかの不手際があった場合、不本意ですが気絶させてでも彼を回収します。屋根を落としてね」

 そう言うと懐中電灯が宙に浮き、屋根を支える壁を照らした。そこには無数の亀裂が入っており、部屋を囲むように続いている。

「これを落とす際には協力してもらいますよ。何しろ彼の命が掛かってますから」

「なるほど。ずいぶん良心的ね。ゲームの悪役なら愛するものの手で止めを刺させるものだけど」

「“裏切られた”という事実だけで十分人間は砕けます。私としても手荒なまねはしたくない。人間とは違いますから」

 よっぽど人間が嫌いなのだろう。“人間”と言葉を発するたびに憎悪を感じる。屋根の亀裂からパラリと細かいコンクリート片が零れ、屋根はもはやただ壁に乗っかっているだけだというのがわかった。

「せっかく仲間になったんだし、姿を見せてくれても良いんじゃない?」

 兎の言葉から少しして、ぬいぐるみの山の一角がもぞもぞと動き、やがてその中から人の頭ほどの大きさで、お腹に三日月の模様が入ったドラゴンのぬいぐるみが浮き上がった。

「なるほど、ラスボスっぽくて素敵ね」

「光栄です。お嬢さん。そうだ、私と踊っていただけませんか。曲もお流ししますよ」

「ありがとう。でも」


 屋根と壁との間に小さな隙間が出来た。

「あなたのお相手は私じゃないわ」

 その言葉と共に、倉庫の端に光が差した。頭上を見ると屋根がゆっくり動いている。やがて屋根はすっぽり取り払われ、倉庫いっぱいに満月の光が降り注いだ。共有者は驚きのあまり言葉を失い、愕然とした後、壁の上に人影を捉えた。

「戻し方がわかった! 光だ!」

満月の強い光がぬいぐるみの山にも降り注ぐ。するとそれらはたちまち人の姿に戻っていった。

「な、なんなんだ貴様!」

「俺は……俺はウルフマンだ! 話は全部聞かせてもらった。大事な兎、返してもらうぞ!」

 共有者は兎のほうを見た。あの巨大な屋根を一人のキネシスで持ち上げるなんて不可能だ。誰かと協力すれば話は別だが……

「お前、私を騙したのか!?」

 兎に詰め寄ろうとする共有者だが、既に体が動かない。兎のキネシスだ。彼女は意地の悪い声で挑発する。

「なかなかいい反応ね。“裏切られたという事実だけで十分”覚えておくわ。それに私、月夜に竜と踊る趣味は無いし」

 兎の横にウルフマンが降り立つ。

「屋根のこと、よくわかったわね」

「ずっと壁の向こうで聞き耳を立ててたからね」

「盗み聞きなんて、悪い人ね」

「ごめんね。でも君が向こうに付いたときはヒヤッとしたよ」

「あなたのマネをしたのよ。狼少年クン」

追いつめられた共有者だが、ウルフマンが一枚の紙を見せると、やがてふっきれたように笑い始めた。

「そうかそうか、狩人のメモか。そこに書いてあったのだな。ククク……」

 そしてひとしきり高笑いを終えると、キッと二人を睨みつける。

「やはり、私は人間を信用しすぎたようだ。私の駒には意思の無い人形が相応しい」

 タッ、タッ、と二人の背後から足音が聞こえる。振り向くとそこには兎を連れ去った少女がナイフを持って立っていた。顔は無表情のままだ。

「なんだと!?」

「私の研究の成果ですよ。人の体でありながらキネシスで動かせる。これがどういうことかわかりますか?」

「お前っ!」

 共有者を殴りつけようとした寸でのところで腕が止まった。なんと共有者は自らの前に少女の体を移動させ盾にしたのだ。

「フフフ、さぁ、この罪も無い少女ごしに殴りつけたって構わないんですよ。出来るものならねぇ?」

 新たに人質を取られ身じろぐ二人。すると少女の腕がすぅっと動き、自らの胸にナイフを突きつけた。

「こういうのも面白いですよねぇ? さぁ、助けたいのなら大人しくしなさい」

 共有者は大声でけん制する。兎のキネシスのために動けはしないが、共有者は内心焦りながらも勝利を確信した。

 その瞬間、少女の体が震え始め、操り人形の糸が切れたかのようにバランスを崩した。

「危ない!」

 ウルフマンは咄嗟に姿を変え、ナイフを遠ざけながら少女の崩れ落ちるところにバッグを飛ばした。幸いそれがクッションとなったようで、中から衣類やとかげのぬいぐるみは溢れ出たが、少女の体には怪我一つ付いていない。

「大丈夫かい? 君!」

「ちっ、光を浴びすぎたか」

 少女は眠っているようだ。小さなとかげのぬいぐるみが徐々に人の形に巨大化し、畑寺の姿に戻る。こちらはどうやら意識があるようだ。安否を確認しようと駆け寄ったところで、転がっていた懐中電灯が突然破裂。気を取られた兎は、一瞬だけ共有者にかけたキネシスを緩めてしまった。

「しまっ――」

「今だ!」

 共有者はキネシスを振り払い、コンクリート片に乗って外へと飛び出す。すぐに追いかけたいが、ここにいる500人をほおって置くわけにもいかない。

「まずい! 逃げられる!」

「でもこの人たちは……」

「ヨツグ君!」

 人間に戻った畑寺がウルフマンに声をかける。ヨツグは自分がこんな格好をしているのが少し恥ずかしくなったが、畑寺が背中を押さえているのを見て、心苦しい気持ちになった。しかし今はそれどころではない。

「驚いたな、君こそヒーローみたいだ」

「畑寺さん、さっきは……」

「わかってる。大丈夫さ。さぁ、ここは任せて。君は奴を!」

 畑寺が吼える。少し迷ったウルフマンだが、やがて頷いて姿を変え、兎と共にバッグに乗って共有者を追いかけた。

 



 荷物を積み下ろす大きなトラックが何台も並ぶ事を想定されたためか、だだっ広いアスファルトのど真ん中に鎮座した共有者は、逃げるのを諦めたのか駆けつけてきた二人を前にしてピクリとも動かない。だが、勝負を諦めたわけじゃないということだけは、彼から伝わってくる憎悪から読み取れた。

「もうやめよう! いくらやったって無駄だ!」

 ぬいぐるみ状態のウルフマンがそう叫ぶが、共有者は更に大きな声で一喝した。

「黙れ! 研究材料が生意気な口を叩きやがって」

 怒り狂う彼はもはや丁寧な口調を保つ余裕もない。

「貴様を、貴様を意地でも連れて帰ってやる。見ていろ……これが私の最大の研究成果だ!」

 そう叫ぶや否や、共有者の体がみるみる大きくなり、10メートル程のドラゴンへと姿を変えた。しかも、手足や翼を自在に動かしている。

「なんっ……だよこれ……」

「フハハハハ、貴様を食らって腹の中に閉じ込めたまま連れて行く。そこでじっとしてろ!」

 途端強烈なキネシスがウルフマンを襲う。人の姿に戻ろうとするがそれさえも出来ない。ぬいぐるみの姿でも感じる体中を締め付けるような痛みに苦悶の声を挙げながら、身体は少しづつ巨大な共有者の顔の前へと近づいていく。

「ぐっ……がああっ……んんっ……」

「無様だな! いいぞ! それでこそ研究材料だ! これからはモルモットとでも名乗るがいい!」

 ゆっくりと口の中に運ばれるウルフマン。共有者の口が閉じようとしたその瞬間、口の中めがけて目にも留まらぬ速さで何かが突っ込んだ。

「兎さん!?」

「行って!」

 口の奥へ突進した衝撃でドラゴンの体はのけぞり、ウルフマンは転がり落ちた。しかし竜の口はしっかりと兎を捕らえ、ごくりと飲み干した。

「兎……」

「生意気な小娘が! どいつもこいつも使えないカスばかり。何故私の考えがわからん!」

 ウルフマンは竜のキネシスが外れているうちに人の姿に戻り、兎が最後に投げたバッグを掴んだ。二人で過ごした短い間の思い出が走馬灯のように込み上げてくる。

「これで終わりだ!」

 巨大な尻尾が振り下ろされ、ウルフマンは寸でのところでそれを避ける。衝撃によろめき、息を荒げ、時に姿を変えながら共有者の猛攻をなんとか避け続けた。

「ええいちょこまかと小賢しい!」

 尻尾が地面をなぎ払い、飛んできたコンクリート片がぬいぐるみ状態のウルフマンにぶつかって弾き飛ばす。彼の身体は激しく壁に打ち付けられ、痛みこそないものの激しく揺さぶられる感覚に意識が遠くなる。

「そうだ。そのままおとなしくしているんだ……」

 共有者の手がウルフマンを再び掴もうとするが、その尻尾をつまむ直前で動きが止まった。ウルフマンも共有者も突然の事に驚きを隠せない。

「な……ばかな、何故動かん!?」

「アオォォォォン!!」

 状況を察知したウルフマンは咆哮と共にバッグに乗って空高く舞い上がり、数十メートル登ったところで共有者に向かって突進し始めた。

「まさか中の兎か! しかしウルフマン。貴様が自ら腹の中に来てくれるとはな! 腹の中で二人仲良くさせてやる。さあ、こい!」

 突進するウルフマンに対し口をあけて待つ共有者。口の中まであと数メートル……


 そこで突然ウルフマンは人の形を取った! 勢いの付いたまま飛び蹴りのような姿勢で口の中に突っ込むと、そのまま体を貫き、再びぬいぐるみの姿に戻った!


「あが……この私が……実験動物なんかに」

 その言葉と共に共有者は盛大に破裂し、中の綿が敷地中に飛び散った。人の姿に戻ったウルフマンは必至に綿を掻き分けると、やがて兎のぬいぐるみを見つけ出した。

「兎さん!」

 声を掛けると、うめき声を上げながら「なぁに?」とテレパシーがかえってくる。良かった。生きてた。ウルフマンは思わず子どものようにぬいぐるみを抱きしめた。

「やったのね……もう、大げさなんだから」

「よかった……あの時、兎さんがキネシスであいつの動きを止めてくれなかったら、今頃二人でお腹の中だったよ」

「私はそれでも良かったけどね。でもせっかく綺麗な満月だから。兎と狼男で見つめあうのも悪くないかなって」

「兎さん……」


 満月は悠々と夜空に浮かびながら二人を照らす。とてもいいムードで、人間同士の男女であればキスの一つも交わしただろう。だが流石にぬいぐるみにキスするなんて思いつかないし、兎が突然人間になるなんてミラクルもない。しかし、それでいいのだ。人とぬいぐるみ。それぞれのそのままの姿で。


「さっ、せっかくだしどこか寄って帰らない?」

「いいけどコレ、このままでいいの?」

「あの人が何とかしてくれるでしょ。そうだ。ゲームセンター行こうよ!」

「……わかった。それじゃ、行こうか」

 狼のマスクを外し、丸宮ヨツグは兎を抱えて歩き出す。夜空の満月は二人を見守り、賑やかな大通りは二人を迎えるように明々と夜の街を照らすのだった。



「なんだかこれってデートみたいね」

「何言ってんの。デートだよ」




あとがき


 日本のヒーローといえば仮面ライダーやスーパー戦隊、アメリカのヒーローといえばスーパーマンやバットマンを筆頭にいろいろと思い浮かぶが、他の国発のヒーローはいないのかと思いながらも、自分は日本人なので他の国発のヒーローは作りようがない。

 さて、アベンジャーズ等近年のアメコミヒーロー映画ラッシュに影響を受け、自分もいわゆる“ヒーローもの”を目指して書いてみた。故に本作品には(アメコミヒーローの映画をあまり見ていないにもかかわらず)アメコミヒーローのオマージュ的な要素が多い。例えばウルフマンの能力であるぬいぐるみ化は、1.5センチまで体を縮められる“アントマン”に似ている。超能力と科学といった細かい点では大きく異なるが、サイズが小さくなったり元に戻ったりと大まかに見れば同じといえる。またぬいぐるみ状態でのサイコキネシスが自分自身に使えないという点だが、これは“マイティ・ソー”のミョルニルを意識したものだ。ミョルニルはソーやスーパーマンなどの限られた人しか持ち上げることはできない。そこでミョルニルの入った真っ黒な箱を持ち上げることは可能だろうかと考え、ぬいぐるみたちの移動手段につなげた。作中ではバッグを魔法の絨毯のようにして空を飛んでいるが、これならサイコキネシスの対象はあくまでバッグと言い張ることができる。この理屈でミョルニルもお盆の上に乗せれば、運ぶことくらいはできないだろうか。もとい、その他言葉の表現にも、映画の台詞を散りばめているので、ニヤリとしてくれたら幸いだ。

 本作を作るに当たり、念の為「ウルフマン」というヒーローが既にいないかを、軽くではあるが調べた。結果ヒーローはいなかったが、同名の映画があり、そちらは正真正銘の人狼を取り扱った作品である。作中では主人公のヨツグに「ウルフマン」という名前がダサいと言わせているが、作者である自分自身の意見でもある。人狼という表現だけでも「ヴェアヴォルフ」や「ルーガルー」といった言い回しがあり、それらを膨らませればきっと洒落た名前が作れるはずなのだ。結局彼は他にいい名前が思いつかなかったためにそう名乗るしかなかったが、これは演出であり作者のネーミングセンスがないわけではない。(もっとも兎に固有名がない点や、主人公の名前に注目されると疑われても仕方がないのだが)

と、ここまで書いておいてだが、「ウルフマン」という名前がダサいというのはあくまでヒーローの名前としての自分の感性による意見であり、そういう名前の実在の人に対する言葉ではないことを付け加えておく。(マーヴ・ウルフマンというコミック界の大御所の名前を知ったため)

 「ウルフマン」というタイトルからは当然人狼が出てくると思うだろうが、今作では本物は登場しない。ぬいぐるみという子どもっぽい要素はヒーローらしくないなど、いろいろと期待を裏切ってしまったかもしれないが、裏切りついでにもう一つ言えばこの「ウルフマン」、長期的に見るとヒーローですらないかもしれない。本作では共有者を倒して悪の野望を阻止したヒーローだが、主人公は契約社員である。しかも仕事ぶりから見るといつ首を切られてもおかしくない。そうなれば彼は自分の力を犯罪に使うかもしれない。本作の彼には正義の意志や悪と戦う覚悟はまだ備わっていないため、今後どちらに転ぶかは未知数であるが、正義の味方だって食べていかなければ成り立たないのだ。それこそ今後「英雄として死ぬか、生きて悪に染まるか」を問われる日が来るだろう。ということで、続編を作る気満々である。

 まだまだ語りたいことは多いが、とりあえず今はこのあたりで筆を止めたい。仮に本にでもなれば、なりふり構わず書き尽くそうかと思うが、その日は来るのだろうか。



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「というのが今回の事件の流れです」

 日の光が流れ込む、古びた貸しビルの三階で、折りたたみ椅子に座る畑寺。彼の前には初老の男性があぐらをかいていた。優しそうな顔つきだがどこにも隙はなく、武道の達人のような雰囲気さえ感じさせる。男性は目を閉じて息をつくと、残念そうに呟いた。

「結局手がかりは無しか」

「いいえ。共有者が使ってたスマホがあります。これを調べればきっと――」

 差し出されたスマホを手に取ると、男は視線を画面に向けたまま、ふと思い当たったように口を開いた。

「それにしても、メモを落としたなんてらしくないミスだな。もっとも、今回はそれがいい方に進んだわけだが」

「いいえ、あれはわざとです」

「わざと?」

 スマホをいじる男が顔を見上げる。

「ええ。彼の兎を見たとき、共有者と同じタイプだとわかった上で声をかけました。勘でしたけどね。そしてあえて手がかりを掴ませたんです。メモ帳が帰ってきたときにページが破られてるのを見て確信しました。僕の勘が当たったって」

 男は興味深そうに聞きながら、スマホの画面を畑寺に見せる。

「これもそうか?」


『やっぱり拾ってくれてたんだね! 映画館出てからメモがない事に気付いてすごく焦ったよ。でもゲームセンターの人に聞いたら届けられてたから一安心! ということでちゃんと手元にあるよ。ありがとう!』


 画面のメールは確かに畑寺が丸宮に送ったものだ。彼は裏切りを疑われないよう、共有者にもBCCで送信しており、前後の内容も全てスマホの中に入っている。

「ええ。それで丸宮君も確信を持ってくれたみたいです」

「そうか。彼が不思議な力を持っていることも気付いていたのか?」

「まさか。しかし本当にこんな力があるなんて……」

「そうか」


 少しの沈黙の後、畑寺は気になっていたことを尋ねた。あの夜ぬいぐるみにだった人たちを全員人の姿に戻したところで目の前の男の部隊が到着したので後を任せたのだが、どうやらそこで一悶着あったということを聞いていたのだ。

「一体何があったんですか」

「おそらく、あの共有者を作った研究所の者だろう。私たちの部隊は他の人たちを守るのに必死で逃げられてしまったが、今にして思えば彼らの目的は初めからあの女の子だったんだ。そこに気付いていれば……」

 ゲームセンター襲撃の被害者は全員もとの家に帰された。長い時間ぬいぐるみにされていたせいか、襲撃があってからのことは覚えていない様だった。あるテレビ局のワイドショーではこれを宇宙人の仕業といってはやしたてたが、なんとも平和なものだ。

 しかし一人だけ、畑寺がぬいぐるみを取ってあげた女の子だけ行方不明のままだ。彼女は襲撃のあったときにはゲームセンターにおらず、おそらく共有者が素質を見込んで連れてきたのだと思われる。

「じゃああの子は」

「今頃共有者の実験を引き継ぐ者の元だろうな」

「ご両親にはなんと?」

「それがな……」

 男が見せたスマホのブラウザには、近所の火事のニュースがあった。家屋が全焼し、夫婦は死亡。娘は行方不明で捜索を続けているとある。

「これが本当に事故なのか、はたまた奴らの仕業なのかはわからんが、いずれにせよこの子を助け出す必要がある。頼まれてくれるか?」

 畑寺は固い顔で首を縦に振ると、男はにんまりとして立ち上がった。やがて畑寺も立ち上がって椅子をリュックに仕舞い、ドアに手をかけたところで顔だけで振り返った。

「彼の力、野放しにしておくつもりですか? なんなら――」 

「彼も是非うちに引き入れたいところだが、今はまだそのときじゃない」

「……泳がせておけ、と」

「獲物が大きくなるまで待つのも、狩人として大事なことだ」

「わかりました。じゃあ目をつけておくだけにします」

 畑寺はその場を後にし、男は一人窓の外を眺める。いろいろ観察していると、真下から出てきた畑寺がスマホを耳にあてがい「すぐ行くから!」と声を挙げている。


「まったく、とんだ狼少年だな。いや、少年というには歳が行き過ぎているか」



というわけでいかがでしたでしょうか。本文中のあとがきは信書なんかでよくあるものを意識してみました。その後のおまけの通り、続編作る気満々ですので、いつになるかわかりませんがお楽しみに。それでは小浦すてぃでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ぬいぐるみというアイデアが面白かったです。人がぬいぐるみになったり、ぬいぐるみに変身したりといったことが面白かったです。各々の役職(?)も狼男(人狼)に関係していて読んでいて、楽しめました…
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