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夕食

 桜さんの家は道場の奥にある。道場の延長のような純和風の家で、いたるところに木目が出ていた。全体としてゆったりとした造りで、玄関からしてかなり間口が大きく、広い家であることを連想させた。

 相当な豪邸だと言えると思うのだけれど、いったいどこからそんな資金が出ているのだろう。柔道の道場ってそんなに儲かるのだろうか。

 僕とおっさんは、廊下を少し進んだ先にある居間に通された。

 広い居間には、六人は同時に食事ができそうな大きな四角いテーブルがあった。

 ──もしかしたら桜さんは、一人でこのテーブルで食事するのが嫌だったのかもしれないな。

 などということを考えた。元々はお父さんも一緒に住んでいたらしいし、この広い家に一人ではさぞさびしかろう。

 僕とおっさんは座布団に腰かけて、他愛のない話をはじめた。

「和風な家だよね。結構古いのかな」

「それなりに古いだろうな。でも桜ちゃんのお父さんもそんな歳じゃないよな。もっと前の代からの家かな」

「でもそれにしてはきれい過ぎる気も……」

 僕らが話している間に、いつの間にか桜さんは台所で料理を始めていたらしい。ふすま一枚隔てた台所で彼女が動き回っている様子が分かった。

「遼くん、ちょっと手伝って!」

 間もなくして、桜さんからの指示が飛んだ。

「はい!」

 大き目の声で返事をして、僕はすぐにその指示に従う。

 ふすまを開けて台所に入ると、ジャージ姿の桜さんが目に入ってきた。

 道着姿の桜さんしか知らなかった僕は、思わずギョッとしてしまう。

 しかし、あんまりジロジロ見るのも失礼だし、何より今の僕は迅速に彼女の手伝いをしなければならない。そこに食いつくのはやめておこう。

「あと、ご飯も炊けてるから、よそっちゃって!」

 桜さんからの指示は次々にやってきた。僕は素早く指示をこなしていく。

 稽古で疲れ切っていたのだけれど、お腹が極度に減っていることと、不思議な非日常感が、その疲れを麻痺させていた。

 特に桜さんの様子に非日常を感じる。道場で見る彼女の格闘家的雰囲気はすっかり消え去り、家にいる普通の女の子といった感じだ。

 手際よくいくつかの作業を同時進行で進めている。火の管理や包丁の扱いも慣れたものだ。

 僕は与えられた任務をこなしながら、時折彼女の横顔を見ていた。


桜さんの出してくれた料理は素朴だったが、どれも実に美味しかった。

豚の生姜焼き、イワシの煮付け、ほうれん草のおひたし、カブの味噌汁、漬物。

 ザ・日本の食卓である。さすが柔道家の娘。イメージを一切崩さない。豚の生姜焼きだけ少し現代っぽい感じがするけど、多分僕とおっさんに肉がしっかり食べられるメニューがあったほうが良いという配慮だろう。その方が嬉しいのでそういうことにしておこう。

「なんかまさに柔道家っぽい食卓ですね」

 僕がそう言うと、桜さんは(照れるかと思ったけど)胸を張って、

「そう言われたくてこの感じにしたからね! カレーとかにしなくて良かったよ!」

 と言った。なぜそこで誇らしげになるのかさっぱり分からなかったけど、彼女が嬉しそうだったので、もうそれで良いことにしておく。

「いつも料理してるの?」

 おっさんが聞いた。僕が感心している以上におっさんは桜さんの料理に感心しているらしい。

「大体そうですねえ。面倒なときは簡単なもので済ませちゃいますけど、やっぱり体が資本なんで、栄養バランスは気にしてます」

「若い子がよくここまで作れるねえ。いやはや立派なもんだ。この先の日本の食文化も大丈夫だな」

「おっさんじゃねえか!」

 おっさんがあまりにおっさん的発言をするので思わずそう突っ込んだ。彼もまだ二十代のはずなんだけど、しばしばこういう発言が出るので僕は結局「おっさん」と呼び続けてしまっている。

 終始楽しい食卓だった。料理は美味しかったし、話は面白かった。

 そして、僕にとって謎だった桜さんの私生活が少し垣間見えた。道場の奥で暮らす柔道家の娘の生活が、案外僕らの普通の暮らしと違わないんだと知ることができた。それだけでも今日は収穫があったというものだ。

 帰り際、桜さんが言った。

「明日もがんばりましょう!」

 満腹になって、僕とおっさんはかなり眠くなっていたのだけど、それは桜さんも同じらしい。声にこそ元気があるけれど、顔はなんとなく気が抜けている。

 それでも、僕たちが遠ざかる間、桜さんはずっと見送ってくれた。僕が振り返ると、胸の位置で小さく手を振ってくれた。



 帰り道、相変わらず上手なおっさんのコーナリングを眺めながら、ぼんやりともの考えをしていた。

 ──僕は、毎年夏が来るたびに焦っていたんだろうな。

夏は好きだったけど、去年の夏の間は一日に一回くらいのペースで、不安になる時間がやってきた。

はじけるような刺激的な時間を生むことができる季節なのに、僕の毎日はどうしようもない閉塞感に包まれていて、それでも明日には何かあるかもしれないと思っているうちに、夏は一日ずつ減っていく。

辛い日々だったな、と思う。日々を変えたい気持ちも、エネルギーもあったけど、動き出すきっかけを見つけられなかった。ただ夏を消費してしまった。

今年はそうはならない確信がある。

 刺激的な毎日を過ごそう。強くなるというシンプルだけど熱量を持った目標に向かって、桜さんに教わりながら、おっさんと闘いながら。


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