森での逢瀬
「夢での逢瀬」の子供視点です。
森の中を、私は全速力で走り抜ける。
後ろから追手の気配はない。けれども、追いかけてきているのではないかという不安が、私の足を止めさせない。どうしようもなく恐ろしくて、私はまっすぐ走り続ける。すると、私は森から開けた場所へと出た。雲1つない空が、私の頭上に覗いている。
「っ」
思わず立ち止まっていた足を、私は再び動かした。
野原から、再び森の中へと突っ込む。しかし、おかしな事に、森へ入ったはずの私の身体は、再び野原へと飛び出てしまった。一体どうなっているのかと思考し、そしてもう1度森へと入り込むも、やはり野原へと出てしまう。
「しまった、やられた…!」
私はようやく、自身の状況に気が付いた。私は、魔法でこの野原に閉じ込められたのだ。追手が深追いしなかったのは、私をこの野原におびき出すためのものだったのだ。そして同時に、私をこの野原に閉じ込めるものだった。
「…飢え死にさせるつもりか」
毒殺でも、撲殺でも、刺殺でもなく、飢えで私は殺される。食料の取れない場所に閉じ込め、直接手を下さずに私を殺すつもりなのだ。
「私が解除できないのも、計算してか…」
この手の魔法は、術者以外が解除するには高い技術が必要となる。魔法は使えるが、私が使う魔法は主に攻撃魔法。補助魔法や治癒魔法などは使えない。この野原にかけられた魔法は、補助魔法に関連するものなのだ。
「…私も、ここまでか」
私はここで、息絶える。子供の私では、1日持つかも分からない。諦めるしか、道はないだろう。そう、私が生き延びることを諦めかけた時、少し後ろに気配を感じる。私は慌てて背後を振り返ると、そこには1人の女性がたたずんでいた。
ぼうっと立っていた女性と、不意に視線が合う。その女性は、私と目が合うと気の抜けるような笑みを浮かべて、言葉を発した。
「こ、こんにちはー」
女性が発した声もまた、気が抜けてしまいそうな緩いものだった。私はじっと女性の言動に注意を払う。無言の私に女性は困った表情を浮かべている。
(この女性も、私を殺しに…?)
放っておいても、いずれこの場で命を落とす私。しかし、それでは飽き足らず、確実に殺そうとでもいうのだろうか。この女性は、そのためにここへ送り込まれてきたのだろうか。そんな考えが、私の頭を占めていた。
私は女性に、愚直に目的を問う。しかし、女性はますます困った表情を浮かべて首を傾げた。そんな私と女性の元に、風が1つ吹き抜けていく。
「…綺麗」
「え?」
女性の言葉に、私も短く口から声が漏れる。
女性は言う。私の髪が、瞳が、綺麗だと。そう言葉を紡ぐ女性の瞳を、私はじっと見つめる。そして、女性のその瞳に、嘘も偽りもない。ただ純粋に、綺麗だと言っているということが分かる。それでも、私はそれを素直に信じられずにいた。
疑心暗鬼になってしまうのは、仕方のない事だった。生まれてこの方、命を狙われてきたのだ。どれだけ優しい表情を浮かべる人物も、腹の中では恐ろしい事を考えていたりする。私に取り入ろうとする者や私の命を奪おうとする者がいるのだ。そうした者に気を許してはいけない。気を許せば、取り入られ、下手をすれば命を奪われる。
そんな思いから、私の口からは皮肉めいた言葉が次から次へと紡ぎ出る。そんな私に、女性は困った中に少し呆れた色も混ぜた表情を浮かべていた。そして、今度は女性が語り出した。
「おかしな話だと思うでしょうが、気が付いたらここにいたんですよ」
その言葉に、私はまさかと意識が野原に行く。この女性は、私の暗殺計画に巻き込まれた者なのではないかと考えてしまう。この野原へ強制的に送る魔法を、森のどこかに仕掛けていたのではないか。そして、その魔法に運悪くかかってしまったのが、この女性なのではないかと。その可能性は、全くないわけではない。私が必ずしも、この野原まで駆けていくとも限らないのだから、それくらいの保険があっても不思議はない。
そんな事を考えていると、不意に女性が私に向かって手の平を差し出してくる。そしてその手の平の上には、2つの美しい装飾品があった。
「?」
「良かったらどうぞ?」
その言葉に、私は驚いて顔を女性へと向ける。
この装飾品は耳飾りだ。この耳飾りよりは劣るが、私の耳にも耳飾りは付けられている。そして女性の手にある耳飾りは、どう見ても上等な物だ。耳飾りは、飾り気はないが繊細な創りの台座に、丸く加工された美しい宝石が付けられている。その耳飾りと同じ意匠の首飾りを女性が身に着けている。恐らく、女性の首飾りとお揃いの耳飾りを、自身の恋人へ送るつもりだったのだろう。そんな物を、なぜ私に差し出すのか分からない。
「…呪いか何か」
「や、かかってないから」
意図的にではないが、何やら女性が話していた言葉を私の言葉で遮ってしまう。しかし、そんな私に不快な様子を見せる事なく、女性はすぐさま言葉を返してくる。そしてさらに、女性は私へ耳飾りを近づける。
女性は、私の瞳がこの耳飾りの宝石に似ていると言う。だから、良く似合うだろうとも。強引とも思えるような女性の行動。しかし、なぜか不快には思わない。私は吸い寄せられるように、女性からその耳飾りを受け取った。受け取ってから、私は本当に受け取ってよかったのかと不安になる。
女性の身なりから、貧困層ではなさそうではあるが、裕福層の者にも見えない。いわゆる、中流階級の者だろう。中流階級の者がこれだけ高価そうな物を手に入れるには、多くの苦労があったのではないかと思われる。恋人からの贈り物とも考えたが、女性というのは耳飾りを左側にしか付けない。そのため、もし恋人からの贈り物ならば、2つも持っているのはおかしいのだ。
「誰かに、贈る物だったのでは…?」
思わず呟かれた言葉に、女性は首を傾げる。そして、私の問いに否定を返した。どうやら、この耳飾りを誰かに渡すわけではなかったようだ。しかしそれなら、なぜこのような物を2つも持っていたのか。やはり、これには何か怪しい魔法がかけられているのではないか。そんな事を考えていると、頭に柔らかな感触が伝わった。
ぱっと顔を上げると、そこには誰もいない。先程まで、確かに女性が立っていたのに、今はその形跡すらない。私は辺りを見回して女性の姿を探すも、この野原にはいないようだ。
「一体どこへ…」
私は、まさか外に出たのかと森へと視線を向ける。そして、半信半疑ながら、私は森の外へと足を踏み出す。先程は、この森から出た瞬間に野原に戻されてしまった。しかし今、私の目には鬱蒼と茂る森の姿が目に入っていた。
野原から、抜け出たのだ。
「王子!」
「ご無事で…!」
私が野原から出た瞬間、私の目の前に2人の人物が姿を現した。その人物は、私を護衛する者たちだ。
「やはり、この先の野原にいらしたのですね」
「私たちがこの先へ進もうとすると、弾かれてしまったのです」
「なるほど、それで私が野原にいると」
標的は私1人。ゆえに、1人かかれば外からの侵入を防ぐ魔法がかけられていたのだろう。
「ところで、私が出てくる前に女性がこの野原から出ては来なかったか?」
「女性?」
「いえ、誰も出てきておりません」
「そう、か」
私はてっきり、女性も私と同様に森から出て行ったのだと考えた。しかし、この2人は女性の姿どころか、私以外の人は見ていないと言う。それならば、女性は一体どこへ行ったのだろうか。
「しかし、よく自力で脱出できましたね」
「…誰かが魔法を解いたのではないのか?」
「いえ、私たちでは何ともできないと判断し、城の魔術師を呼ぼうとしていたところです」
その言葉を聞き、私は思わず考え込んでしまう。
女性がどうやって野原から出たのかは分からないが、私自身もどうして外に出られたのか分からない。出れなかった時と、出られた時の違いは、女性に会う前か後か。そこでふと、もう1つ私は違いを見つけた。
私の手に握られている、耳飾り。この耳飾りのお陰かは分からない。しかし、この耳飾りを持って森の外を目指したところ、私は野原を抜ける事ができた。その事実は確かである。
「…この石を、調べてほしい」
「どうなさったのですか?それ」
私の言葉に、護衛の1人がそう問いかける。その問いに、私は苦笑を浮かべて見せる。正直、信じてもらえるような話ではない。そのため、曖昧な言葉を返した。
「贈り物さ」
それだけ言って、私は護衛に耳飾りを渡す。耳飾りを受け取った護衛は、もう1人の護衛と顔を見合わせる。そして、互いに首を傾げている。そんな護衛を横目に、私は1度野原の方へ振り返る。そこには、穏やかに吹き抜ける風により、柔らかな草がなびいていた。