第八話 マイスウィートルーム
「あら? 見ない顔ね」
「いえ、私たち最初からここにいましたよ? 座席表を確認してみてください」
「あらほんと。私の勘違いだったみたいね。長年教師をやっていると物忘れがひどくて困るわ……」
先生に怪しまれずに、黒髪のムツキ、赤髪のカエデ、髪を束ねたヤヨイの三人は、僕のクラスに溶け込む。全員が僕の隣の席だ。
後ろの方から、僕の彼女、藤沢カオリの妬ましい視線が飛んでくるが、気にせず僕は授業を受けた。
「シークレットのチームは、基本的に幽霊部員だ。部活動に参加せずに任務を遂行していることのほうが多い。それに、非公開コミュニティだから、統率が取れてないこともある」ムツキが僕の情報端末にチャットを飛ばす。
「四対一の状況下で襲ってくる無謀なやつはめったにいないから、授業中は安心してていいよ」カエデが付け足す。
「そんなことよりカップラーメン食いたいー」ヤヨイはいつも通り平常運転だ。
キーンコーンカーンコーン。
授業が終わると同時に、藤沢カオリが僕の席までやってきて、あからさまに嫌そうな目で周囲の三人を見回す。
「どういう裏技使ってクラスに潜入したか知らないけど、黒木君はもう私の彼氏ですからね! 近寄らないでください!」困った。こいつは嫉妬が激しいタイプだ。
「別に、近寄ってはいないが」「そうだよねー」「ねー」三人が調子を合わせる。
「まあまあ四人とも」僕がその場を収めようとするが。
「四人ともって! 黒木君はどっちの味方なのよ!?」カオリが切れ気味になる。
周囲の男どもから、あからさまな皮肉が飛ぶ。
「いーなー。入学したてで女四人に言い寄られるなんてー」
「黒木はルックスもいいし頭もいいもんなー」
「まあピクチャレスには負けるだろうけどなー」
「いや、あいつは例外だろw」
その会話の中のピクチャレスという言葉が気になった。
「ピクチャレスって誰のことだ?」
「なんだ知らねーのかよ黒木。成績トップで入学した瞬間記憶能力者だよ。なんでも、教科書も参考書も全部暗記しちまってるから、テストで100点しか取れないって嘆いてるらしいぜ。たまには95点とか取りたいってさw」
「そうなのか……」
試しに学園SNSの公式コミュニティをピクチャレスで検索すると、確かにピクチャレスファンクラブなるものが存在していた。そんな便利な能力者が学内に居るのか。一度会っておきたい気もする。
僕は次の授業の準備のために、ロッカーのある廊下に出ようとした。すると。
ゴーン。鐘の音が聞こえた。
「何だ……ここは……!?」
そこはもはや廊下ではなかった。暗い。バスケッドボール入れがあり、カビ臭いマットレスが積み上げてある。僕は廊下に出たはずなのに、体育倉庫に居た。もしくは体育倉庫のような場所に。
「マイスウィートルーム。この場所の名前だ」
視線を上に向ける。積み重なったマットレスの上に体育座りした女がいた。窓から差し込む太陽光のコントラストが激しすぎて顔が見えない。これはシークレットの仕業か? 仲間を集めての待ち伏せか?
「違う。そうではない。殺すつもりなら仲間を呼んでいる。今日は私一人だ」
この空間は現実から隔離されている、と女は言った。一種の夢のようなものだ、と。だが夢にしては、現実感がありすぎる。
「重要なのはこれから伝える情報であって、私のプロフィールではない。私が体育倉庫のカビ臭い匂いが好きだとか、靴下を必ず右から履くようにしているとか、そういう情報は割とどうでもいい」
マットの上で立ちあがって、そのショートカットの女は言った。
「お前は、これからモノボードと対峙することになる」
「モノボード? そんな単語、聞いたことが無いぞ」
「そう。定義不能な、およそありえぬ悪夢のような存在。それがこの学園に現出しようとしている」
女は間を置いた。女の顔は影になっていて見えない。だが美少女に違いないという確信があった。
「今のお前はただ身を守ろうとしている。それではダメだ。仲間を集めろ。多ければ多い方がいい。モノボードはあまりにも強すぎる」
「お前は何だ?」僕は問い返す。
「私は『タイムリピーター』。モノボードを遮断する者」
ゴーン。再び鐘の音が聞こえた。
目を開けると、僕を覗きこむクラスメイトの姿が見えた。
「おい、大丈夫か黒木!」「お前廊下で急に倒れたんだぞ!」「保健室行った方がいいんじゃねーか?」
「……僕なら、大丈夫」
モノボード。仲間を集めろ。タイムリピーター。その三つの言葉が、頭から離れなかった。