第六十九話 モノボードの召喚
「ザ・トリガー!!」野原トモミは悲痛な叫び声を上げる。
不可視の立方体、式神に激突され、倒れた黒木シュンは立ち上がらない。
「邪……私の能力でおそらく『もう一人』を作ることはできる。それは半身が切り裂かれるような感覚だが、たぶん、やれると思う。だから……だから頼む! 早く黒木シュンを保健室に運んでやってくれ!」
野原トモミは、さっきまでのやり取りを思い出す。
「いーんじゃねーの。別にそのまま『フェイスレス』の『野原トモミ』でも」と、自分を始めて肯定してくれた男。あまつさえ、自分をクラスメイトだと言い切ってくれた男。
そんな男が死に掛けているのを見るのは、身を切られるように辛いことだった。
「合意が得られてなによりでおじゃる。――救護班!!」邪が呼ぶと。
虚空よりぬるりと現れる、頭に赤いパトランプをつけた牛車。それに担架で乗せられて、黒木シュンは平安部雅の救護班によって治療を受ける。しゃんしゃんと歩く牛車は、思いのほか速い。保健室まではそれほど時間はかかるまい。
「私が協力すれば黒木シュンは無事なんだろうな!?」
「もちろんでおじゃる。麿もあの駒は最大限活用するつもりでおじゃるゆえ」
「たとえ敵対しても、か」野原トモミが食い下がる。
「……最初から憎まれておいたほうがやりやすいのでおじゃるよ」邪は悲しそうな目をして、夕暮れの空を見やる。
「麿も、好かれている相手、信頼されている相手を裏切るのは、いささか心苦しいのでおじゃる」
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翌日の昼休み。屋上。
そこには、薄羽カゲロウという男が立っていた。あるいは名無しのごんべえ。そうとしか呼べない、輪郭が曖昧な影があった。野原トモミが作り出した、「もう一人の生徒」。そこに居ることは分かるが、どこを見ても特徴を掴めない、ぼんやりとした存在。
イレイサーが、その男に、モノボードの記憶を、慎重に移してゆく。その作業中に、イレイサーの脳内でモノボードが臨界してしまわないように、藤王アキラが開発した、メモリーボックスという脳を模した特殊な装置が容器として使われていた。
メモリーボックスから移される記憶。薄羽カゲロウは次第にその存在感を増していく。一人の人間としてではなく、モノボードとして。傍らにいるのはチームムツキ。もちろん、頭に包帯を巻いたザ・トリガーこと黒木シュンもいる。
観測者である山岸ミノリが、薄羽カゲロウが徐々に純粋なモノボードになってきていることを報告する。イレイサーは全ての記憶を移し終える。ここまでは予定通り。
漆黒に包まれる薄羽カゲロウ。もはやそこには人の影も形も無く、明らかに第二のモノボードが現出していた。
「素晴らしい!」薄羽カゲロウが口を開く。「モノボードは増えた! モノボードは増えて溢れた! モノボードは完成する! 今こそ『羽化』の時が来る!」あらぬ方を見て焦点を合わせ、歓喜に震えるモノボード。しかし。
「だが、お前は生まれると同時に死ぬ」人型ロボット丸こと、藤王アキラが断言する。
遠距離から、SR-25――ナイツアーマメント社が開発した、セミオート方式のスナイパーライフル――が、超高速のライフル弾をモノボードに連続で撃ち込む。薄羽カゲロウの、モノボードの手脚は千切れ飛ぶ。再生が追いつかず、モノボードは悲鳴を上げる。
「なんだこれは! これはなんだ! やっと生まれたと思ったら、いきなり殺されるのか! 法治国家でこんな虐殺じみた行為が許されるはずは――」
頭部も吹き飛び、台詞は途中で掻き消される。ザ・トリガーが至近距離から、先端に火薬を盛った特殊なホーローポイント弾を撃ち込み、再生の基盤となっていた胴体もまた無慈悲に爆散する。
「ひどすぎる! なんてひどいんだ! 俺はモノボードなんだぞ! モノボードになったんだぞ! 可能性の麦束に! 絶望の怨嗟に! なのになんで――」
「野原トモミの助力を得て、モノボードはいまここで遮断される」
ザ・トリガーは冷酷な宣告を下す。それが「もう一人の生徒」、すなわち野原トモミの半身を吹き飛ばすに等しい行為なのだとしても。いやだからこそ、確実にモノボードを撃ち滅ぼさなければならないと確信する。連射される爆裂弾。
「こんなことが――こんなことが――」
「言っておくが、僕はかなり苛ついている。黙っておっ死ねよ、モノボード」
「か、火力で――たかが火力だけで俺が死ぬなんてことは――」
僅かな欠片になっても、まだ、モノボードは再生を続ける。そこに、しゅるりときらめく無数の糸があった。特殊なアミラド繊維が空間を切り取り、遮断し、モノボードの欠片を一定の場所へと閉じ込める。
それは遮断のトキコの技。
「よくやった、ザ・トリガー。あとは任せろ」
テレポートでもしてきたかのようにモノボードの上空に現れた彼女は、雷管の付いた爆薬を手にしていた。咄嗟に伏せる、僕、イレイサー、丸、邪、チームムツキ、山岸ミノリ。
激しい閃光が屋上を照らした。爆炎は遮断された空間の中を何度も何度も往復し、モノボードの欠片を完全に消し去った。一言で形容するなら、非道いとしかいいようがない。一分ほど経って、始めて僕らは目を開ける。
「……終わったのか?」僕は立ち上がり、呟く。
「当面の危機は去った」遮断のトキコが言う。
「薙刀高校には、まだまだ奥深い秘密が隠されているでおじゃる」と邪が続けた。
「しかしまあ、ひとまずは、こんなものでおじゃろう」
-第三章 完-