第六十八話 生贄の羊
気付けば扇子を持った邪が、グラウンドの端に現れていた。
「ありえぬはずの『もう一人』を作り出す能力」
その言葉を呟いた瞬間、邪は野原トモミの背後に立っている。咄嗟に振り返る野原トモミ。
邪は位置を変え、今度は僕ことザ・トリガーと野原トモミの中間地点に出没する。
「その能力を使って、この学園のためにスケープゴートを作って欲しいのでおじゃる」
「生贄の羊だと?」野原トモミは問う。
「そう。『モノボード召喚計画』。そのための贄となる存在が必要なのでおじゃる」
緊迫した空気が流れる。誰も口を開こうとしない中、僕は口を開いた。
「邪先輩。聞いてませんよそんな話」僕は問い詰める。
「おや、話してなかったでおじゃるか?」邪はとぼける。だが、ここで簡単に引き下がるわけにはいかない。
「話によれば、モノボードの相手は僕がすることになるんですよ。あらかじめ相談してくれないと困りますね」
あくまで話の主導権は僕が握っていなければならない。
「しかし話してしまえば、『フェイスレス』の特定には協力しなかったでおじゃろう? それでは麿が困るのでおじゃる。モノボードは、現れるべくして現れ、抹殺、抹消されるべき存在。ゆえに『普通の』薙高生にそんな物騒な役割を任せるわけにはいかないのでおじゃる」
「だからって『フェイスレス』を殺していいなんていう話にはならないでしょう。彼女だって生きているんだ。苦痛を感じ、死を恐れる。僕らと何も変わりはしない!」
「『フェイスレス』はP2でおじゃる」
その台詞に僕はぞっとする。邪は、野原トモミを一個人ではなく、単なるP2としてしか認識していないのか。だとすれば……彼女を抹殺、抹消することに一切の容赦は無く、同情もせず、慈悲も与えぬということか。
僕は無言で、邪にベレッタM92の銃口を向け、狙いを定める。
「それはどういう意味でおじゃるか?」
「野原トモミは僕のクラスメイトだ。ただのP2なんかじゃない。ましてや生贄の羊なんかじゃない。それを消滅させるというのなら――僕が相手になる!」
僕は知っている。邪は強い。本来僕などが相手になる存在ではない。だが、こんなところで引く男になるくらいなら、僕は死んだほうがマシだ。僕はトリガーに掛けた指に意識を集中させる。あともう一押しで、弾丸は邪に向けて撃ち出される。
「麿はそういう熱い展開は、嫌いじゃないでおじゃるよ」
邪が扇子を畳むと。
僕は真横からトラックに跳ね飛ばされたような巨大な衝撃を受け、グラウンドにずざざざと音を立てて引き摺り倒れた。
僕は目を閉じ、自分の無力さを嘆いて「畜生」と呟く。薄れ行く意識の中で、野原トモミが何かを叫んでいるのが聞こえた気がした。