第六十七話 のっぺらぼう 後
六月某日 放課後。
結論から言えば、邪の言う作戦とは、薙高の広大なグラウンドで行う、ある種の儀式であった。
まずクラスを四人組に分けて、十個のグループを作成する。そして「肩たたきゲーム」を開始する。四角形に陣取った四人のうち一人が、走っていって次の一人の肩を叩く。そしてまた次の一人が走り出し、次の一人の肩を叩く。そういう段取りであった。
クラスメイトは邪に何か弱みでも握られているのか、全員放課後に残り、渋々その儀式に付き合った。そして野原トモミもまた、儀式の中にいた一人であった。
「こんなことして何になるんだろう……」
野原トモミは走りながら自問する。少し考えれば、四角形を構成する一人一人が次のコーナーに移動している以上、四人目は「二人分」走らなければならないのは明白だった。
残念。このゲームは最初から成立しない。
別に雪山で遭難しなくても、オカルト部でなくても、そのくらいは分かる。
既に移動して、その場所に存在しないはずの一人目に変わる、五人目。そんなものが、こんな儀式で炙りだされ、出現するとでもいうのだろうか。
それでも儀式は既に十周目に突入し、全員が忙しく駆け回り、肩を叩いている。
「もう疲れたよ……」デブが言う。
最初こそ面白がっていたクラスメイトたちも、延々同じことを繰り返すことに飽き飽きし始めていた。
野原トモミは確信する。五人目は現れない。こんな分かりやすい儀式で見つかるようなら、平安部の邪をここまで手こずらせたりはしない。
「もうやめだ」野原トモミはそう言い放って、走るのをやめた。
それを見て、ちらほらと走るのをやめる組が現れ始め、やがて全員が走るのをやめた。
「こんな儀式で何が分かるっていうんだ? こんなことで『五人目』なんていうP2は現れない!」
野原トモミはザ・トリガーこと黒木シュンのほうを向いて言い放つ。それを聞いて、ザ・トリガーは答えた。
「その通り、『五人目』なんてのは存在しない」
ザ・トリガーはあっけなくそれを認めた。だが。
「このクラスは『三十九人』だ。つまり組み分けの時点で、もう『四十人目』は現れているんだからな」
「な!?」ざわりと、毛が逆立つ。
「そもそもこの儀式はひっかけ問題なんだよ。この儀式自体には意味は無い。ただ『四十人目』が誰か? それを特定するためにこの儀式はある」
ザ・トリガーの言葉の意味を理解すると、野原トモミは冷や汗を垂らす。
「誰だ? 誰が『四十人目』だというんだ? そんなことがどうやって分かる? どうやって『フェイスレス』を特定するつもりなんだ?」
「特定もなにも……」ザ・トリガーはベレッタM92を抜き放ち、野原トモミに銃口を向ける。
「この儀式に参加しているのは、俺とお前だけじゃないか」
クラスメイトの身体がただの紙切れに変わり、制服が支えを失ってばさりと地面に落ちる。
残されたのは、ザ・トリガーと、『四十人目』の野原トモミだけ。
「全ては邪の作った式神。邪がクラスメイトに通達したのは『儀式への参加』ではなく『帰宅命令』だったんだよ。だいたいこんなくだらない儀式に付き合う物好きが三十九人もいるわけがないだろう?」ザ・トリガーの言葉は、野原トモミを追い詰める。
「私は『野原トモミ』だ! 身長170センチのトカレフ使い、薙高SNSにもちゃんと登録されて――」
「そういう御託はいいんだ。『認識』は当てにならない。信じられるのは目の前の『事実』だけだ。抜けよ『フェイスレス』。相手になってやる」
「私は『フェイスレス』じゃない――『野原トモミ』だ!!」
トカレフTT-33を腰から引き抜き、構え、野原トモミは引き金を引く。だがその瞬間、ザ・トリガーもベレッタM92の引き金を引いていて――がぎん。二発の弾丸は空中で衝突して、弾道が逸れた。
「やってみればできるもんだな。銃弾の迎撃ってやつは」
唖然とする野原トモミ。10メートル先、そこに居るのはP2「ザ・トリガー」。ただのトカレフ使いには荷が重すぎる相手。
「ククク……ははは……」野原トモミが笑い声を上げる。
「『なんで私ここにいるんだろう……』って考えたことがあるか? ザ・トリガー! 私はずっと考えてきた! 『我考える故に我在り』ってなあ! たとえ私が『野原トモミ』じゃなくて『フェイスレス』だったとしても! 真夏の陽炎のようなP2(超常現象)だったとしても! 私は生き延びてみせる!」
トカレフから早撃ちされる数発の銃弾は、サイコキネシスでことごとく弾道を逸らされ、ザ・トリガーには当たらない。
反対に、ザ・トリガーがやおら撃ち出す一発のゴム弾は、確実に野原トモミの利き腕に命中し、その射撃を止めた。
撃たれた利き腕を押さえつつ、野原トモミはグラウンドに倒れ込む。そのポケットにあったはずのケータイは消失し、薙高SNSのアカウントも、元から存在しなかったように掻き消える。「フェイスレス」の「野原トモミ」としての痕跡は、この世界から消滅しようとしていた。
「私は……私とは……何だ?」
そこに、至近距離まで近づいたザ・トリガーの手が差し伸べられる。
「いーんじゃねーの。別にそのまま『フェイスレス』の『野原トモミ』でも」
「私は……存在して……いいのか?」
「だから退治しに来たわけじゃねーんだよ」ザ・トリガーは意外な台詞を口走る。
「P2『フェイスレス』」
「麿には、お主に頼みたいことがあるでおじゃる」
邪の声が、雷鳴のようにグラウンドに響いた。