第六十六話 のっぺらぼう 前
そして暦は六月になった。
放課後の教室に残った野原トモミは、制服を着て、黒髪のショートカットで、170cmの長身で。そして薙刀高校「一年生」である。それはもはや疑うほどのこともない、当たり前の事実であって、覆せるはずもなかったが。それでも。
「なんで私ここにいるんだろう……」
硝煙たなびくトカレフTT-33のグリップを浅く握りつつ、野原トモミは自身に、何度繰り返したか分からない問いかけを続ける。床にはゴム弾が命中し、うめき声を上げる「勧誘員」たちの姿があるが、もはや野原トモミの視界にはそんなものは入っていない。
「なんで私、こんな学校に入学しちゃったんだろう……」
野原トモミ。無所属。
部活動、コミュニティ、およびシークレットからの、度重なる「勧誘活動」を全て拒絶。ありとあらゆる実力行使も含め、完全にシャットアウト。愛銃のトカレフを操る腕前、早抜き、命中精度は文句なしの一級品。だが。
「私、ホントは陸上部に入りたかったんだけどな……」
そんな本音がポロリと漏れる。しかしこの薙刀高校において、運動部はあまり流行っているとはいえない。目当ての陸上部は廃部寸前で。それを再び隆盛させるという感動的な動機も無く。野原トモミは、その全能力を完全に持て余していた。
安全装置の無いトカレフTT-33をくるりくるりと弄びながら、野原トモミは瞳を閉じ、再び思考のループへと没入する。その思考は、知らず知らずのうちに、一人の男のイメージを描き出す。同じ教室の、あの曰くつき。
「ザ・トリガー……彼なら……あるいは……」
その瞳が再び開かれた時、野原トモミは世界に一筋の希望を見出していた。猫が、狩りをする時間がやってくる。
時を同じくして。
「『一人多い』のでおじゃる」
平安部中央の間。畳と屏風のくつろぎマイポジション。そこに鎮座する平安部部長、邪ツカサの発言は、いつも通り意味不明であった。
僕ことザ・トリガーは錆びついた頭で、思考を巡らし、記憶を辿り、一つのオカルティックな怪談に辿り着く。
「キャンプ場でよくある怪談の一つですか。知らないうちに一人増えている、という、例のアレ」
「さすがはザ・トリガー。呑み込みが早いでおじゃる」
僕の後ろには、チーム「ムツキ」のメンバーが控えている。小早川ムツキ、木村カエデ、天川ヤヨイ。そして一方的に行動を共にしている、僕の彼女、藤沢カオリ。
「で、問題の『一人』はどこにいるんです?」小早川ムツキが質問をすると、邪ツカサは珍しく、少し困ったような顔を見せる。
無言の邪。それで、全員が状況をなんとなく把握する。
「一人多い」は、古典的な怪談の一つだ。キャンプ場で、夕暮れ時に点呼を取る。そして誰かが「一人多くないか?」と言い出す。しかし暗くて顔がよく見えない。誰が増えたのか分からない。そして灯を点けて確認すると、全く知らない人が紛れ込んでいた……とか、そういう類の話である。
キャンプ場という自然に近い場所がらゆえ、大方キツネかタヌキが化けていたのだろう、として済まされることが多い。しかしその場所が薙刀高校の場合は、そう簡単には済まされない。別の可能性が濃厚だからだ。
「『一人多い』……つまりどうやって計算しても人数のつじつまが合わない。そういうP2(超常現象)なんですね?」
「そういうことでおじゃる。見る者の認識を狂わせるP2とでもいうべきでおじゃろうか。先月の生徒総会で、一年生の間で『一人多い』現象が発覚。状況を『フェイスレス』と命名。調査を進めるも、どのクラスに潜伏しているのか分からないまま、六月を迎えたという状態でおじゃる」
「しかし何も起きていないのでしょう? 危険度はかなり低いのでは? わざわざ退治するまでも……」
そう反論すると、邪は扇子で口元を隠し「ほほほ」と笑う。
「麿にも色々と事情があるでおじゃるゆえ。それで、この仕事、引き受けてくれるでおじゃるか?」
引き受けかどうかも何も、厄介事をこの僕に、ザ・トリガーに押しつけるために呼び付けたんだろうが。僕は心の中で毒吐きつつも、笑顔を顔に張り付けたまま返事をする。
「ええ、いいですよ。引き受けましょう。いつもお世話になっている平安部からの直々の仕事の依頼ですから。でも、作戦くらいは考えてあるんでしょうね?」
「その点は、抜かりはないでおじゃる」
邪の手には、いつのまにか「『フェイスレス』対策のしおり」なるものが五冊用意されていた。僕とチーム「ムツキ」。そして藤沢カオリの分である。ピクチャレスは今回は参加しないらしい。
「参考にはならぬ助言かもしれぬが、『フェイスレス』が居るとすれば、たぶんお主のクラスでおじゃるよ。ザ・トリガー」
ザ・トリガー。「引き金引き」。トラブル遭遇率を桁違いに跳ね上げる常在能力。
確かにそんな怪異が起きるとすれば、僕のクラスしかありえないのだろう。そして僕のクラス特有の現象なら、今回はピクチャレスが完全に無関係であることにも合点がいく。
「計画実行は明日の放課後。参加者はクラス全員。クラスメイトには麿から通知しておくゆえ、よろしく頼むでおじゃるよ」