第五十九話 魔王アスタロト
「誰の知名度が低いのかって、そりゃあなたのことですよ。アスタロト」僕はまったく動じないふりをする。
「あまつさえ私の部下、アガリアレプトを打ち倒し。ディアボロス(魔王)である私のことを知らぬふりをする。貴様よほど死にたいようだな……」
「あいにく僕はギリシャ人じゃないし、ネットゲームもやらないものでね」
「……知っておるではないか!!」
いまのところ、僕は悪魔と漫才している。ぬいぐるみの金沢先輩は、どんな気持ちで僕を見ているのだろうか。いや、考えてもしょうがない。これは僕とアスタロトの間での問題だ。悪魔には無限の知識があるという。彼の経験も何の役にも立たないだろう。
「あなたの知名度を上げる方法がありますよ。……それは僕の願いを叶えることだ」
「貴様の願いなど、訊くまでもない。『平穏な生活』が欲しいと常々思っていることなど、こちらは百も承知だ」
「でもその願いは叶えられない。そうでしょう?」
「貴様はアンチ・モノボードだ。平穏な生活など、手に入るものかよ」
やはりそうか。僕は運命の中で踊る駒でしかないのか。
「ということは……やっぱり悪魔にも限界があるんですね。残念だなあ。人知を越えた、ファンタジー小説で描かれる悪魔とは大違いだ。まさかとは思いますが、銀の弾丸が弱点だったりしないでしょうね?」
「……貴様、私を舐めているな?」
「この僕の、ザ・トリガーの魂を賭けるからには、相応の願いを叶えてもらわなくちゃいけない。アスタロト、勘違いしているようだから言っておこう。あなたが僕を試しているんじゃない。あなたが僕に試されているんだ」
僕は一歩も引かない。悪魔はこちらの思考を読む。弱みを見せたら負けなのだ。
「貴様……何を願うつもりだ。言え。どんな願いでも叶えてやる。そしてその対価として、私はお前の魂を貪り食ってやる。じわじわと地獄の苦しみを与えてやる。さあ言え。何が望みだ?」
僕の望みは単純だった。単純すぎて、そこに思い至らないアスタロトが不憫に思えてくるほどに。僕は言った。自分の願いを。全てを終わらせる存在を。
「ザ・エンダーを」
「なんだと……」アスタロトが絶句する。
「聞こえなかったのかアスタロト? 僕の願いは事態収束者だ。僕の能力ザ・トリガーを、そしてこの薙高のP2を、完全に打ち消す存在を出せと言っている」
アスタロトは、弱弱しい声を上げた。
「不可能だ……」
「不可能じゃないさ。別に今すぐでなくてもいいんだぜ? 僕は十年でも二十年でも、いや死ぬまで待つ気でいる。これから生まれてくる子供の運命を変えろ。ザ・トリガーである僕を、黒木シュンを創り出したように、ザ・エンダーを創り出せ。それが『願い』だ」
アスタロトが熟考し、場に沈黙が落ちる。
悪魔は運命を操れる。そして運命は僕をアンチ・モノボードとして創り出した。ならば、できないことではないはずだった。薙高を中心として延々と続くこの超能力のお祭り騒ぎにも、やがて終わりがくるべきだ。それが僕の願いだった。
可能と不可能の境界線上にある、悪魔といえどもやってみなければ分からない、途方も無い願い。
「お前の願いはあまりにも大きすぎ……運命の糸はあまりにも細すぎる……」
アスタロトは哀願する。だが僕は容赦しない。
「アスタロトよ。ディアボロスよ。知名度の低い魔王よ。僕は願いを口にした。そしてお前にはそれを成し遂げられるかもしれない能力がある。何が不服なのだ? 願いが叶った暁には、僕の魂を喜んで差し出そうじゃないか。僕と対になる、事態収束者を創り出せ。それがお前のこれからの仕事だ」
「お前の願いはあまりにも大きすぎ……運命の糸はあまりにも細すぎる……」
「お前の願いはあまりにも……運命の糸はあまりにも……」
「お前の願いは……運命の糸は……」
アスタロトは繰り返す。その台詞は次第にか細い悲鳴へと変わり、消え去ってゆく。僕は悪魔に、ある意味で勝ったのだ。
アスタロトが去ると同時に、金沢先輩が興奮した様子で声をかけてきた。
「おめでとう。契約は完了した。君はアスタロト派に属し、むしろ悪魔から庇護される存在へと昇華したのだ」
「まあ……結局、僕の願いは叶いませんでしたけどね」
僕は疲れを悟られまいと、皮肉で返す。けれども、僕と同じく悪魔と契約した金沢先輩には、その演技もバレているような気がしてならなかった。