第五十七話 奇策
白い彫像が彫り込まれた柱、赤い絨毯。栃の木でできた大きなテーブル。生徒会執行部の部室の豪華さは、薙高の小さなホワイトハウスと揶揄されている。
そこに、生徒会長、黒鉄マモルは座っていた。
報告すべきことは二点。放課後、ザ・トリガーは軍事部に合流。そこで何らかの話し合いの末、銃器らしきものを受け取る。その後、平安部に合流。何かをビニール袋に入れて持ち帰る。
現時点での情報はこれだけです。ザ・トリガーが他の組織に接触したり、助力を求めたりした形跡はありません。チーム「ムツキ」のメンバーも、ピクチャレスも、いつもどおり下校しました。今夜中の合流は無理でしょう。
「ザ・トリガーは今夜、マモル様を単独で迎え撃つつもりのようです」
秘書は、生徒会長をマモル様と呼ぶ。単純に会長と呼ぶと、薙刀学園全体の会長である藤沢老と紛らわしいためである。というのは建前で、秘書自身が本名で呼びたいと思っているからである。
「単独で、正々堂々の一騎討ちか。だがそれで勝てると思っているのなら、私もつくづく舐められたものだ」生徒会メンバーの特色である、白い制服を着用して、黒鉄マモルは呟く。
「負け戦と分かって、他の仲間を庇っているのかもしれませんね」
「それなら殊勝な心がけだと言えるかもしれんな。何もかもの引き金を悪戯に引いて歩いているのに比べれば、単独でしおらしくしておいたほうが安全だと理解したのかもしれん」
「しかし彼は新しい銃器を手に入れていました」
「せいぜいH&K MP5のサブマシンガン程度だろう。そんなものは私の敵ではない」
余裕を見せていると、メールが届いた。「果し状 夜の校庭で待つ 黒木シュン」
なるほど不意打ちも無しというわけか? 夜のヴァンパイア相手に、完全にクソ真面目に戦って勝負をつけたいと?
「はははは、笑わせてくれる」
「お供の者は?」「要らん。私一人で十分だ。一対一の勝負。それでどちらが強いか、薙高生の大部分が理解することになるだろう」
春とはいえ、夜の学校は冷えた。厚着をしてきて正解だった。ザ・トリガーはそう思う。策は保健室で考えた。準備は万端である。
「さて、一人で来るかな?」黒木シュンが呟くと。
「私は一人で来たよ。ザ・トリガー」校舎側から歩いて来る生徒会長の白い服は、闇に映える。
「じゃあ、もう始めちゃっていいわけですね?」ザ・トリガーはベレッタM92を引き抜き、銃口を定める。
「無駄だよ。ヴァンパイアに銃の弾丸は当たらない。たとえ君がその能力で補正したとしても、だ」
ザ・トリガーは引き金を引く。パンパンパン。サイコキネシスを乗せた全ての弾は逸らされ、空を斬る。動揺は無い。銃の弾は当たらない。それは既に試したことだ。
「じゃあ新兵器でも試しますかね」ザ・トリガーは別の銃器を取り出す。外見はH&K MP5のサブマシンガンだ。
「私がその程度の火力でどうこうなるなどと本気で思っているのかね? やってみるがいい。そして絶望しろ。ヴァンパイアと人間には決定的な違いがあるのだという事実を噛み締めろ」
「ごちゃごちゃいってねーで避けないと、当たって死ぬぞ」
圧搾空気から撃ち出されたのは、意外にも液体だった。ビュー。円弧を描いて飛ぶそれは、銃弾ではなかった。
黒鉄マモルはタイミングを外され、咄嗟に霧に姿を変えるも、液体の種類が分からないので元に戻れない。猛毒かもしれない。硫酸かもしれない。だが、永遠に霧になり続けることはできない。危険を感じながらも霧変化を解き、姿を戻す。だが何もない。猛毒でも硫酸でもない。だが水でもない……これは!?
「鼻詰まりでも起こしてるのか生徒会長? 『ニンニク水』だよ。あんたの身体、空中を浮遊してたニンニクの臭いを取り込んで、すげえ臭くなってるぜ」
「ニンニク……ニンニクだと! そんなもの弱点でも何でもないぞ! こんなものがお前の策だというなら、お笑い草だぞザ・トリガー」
「だが、あんたは明日、『臭い』のせいで出席できなくなる。もしかすると明後日も。一度体に取り込んだニンニク臭はそう簡単に消えやしないからな」
「一方、僕は悠々と明日登校する。どっちが勝ったかは、薙高新聞が面白おかしく報道してくれるだろう……」
「はは、はははは。それは愉快だ。確かにそれなら私は敗北したことになるだろう。だが、気が変わったぞ。その機転、実力……危険だ! 私は今ここでお前を始末することにする!」
ヴァンパイアは戦闘形態を取る。影がむくりと起き上がり、鋭い槍のようになって、ザ・トリガーを襲う。だが、ザ・トリガーのホーミング弾は、次々とその影の槍を破壊してゆく。生徒会長は、自らの『臭い』を気にするあまり、集中が乱れている。襲いくる無数の影を捌きながら、黒木シュンは提案する。
「現実を直視して取引しようぜ生徒会長。今のあんたの対応は常に『後手後手に回っている』んじゃあないか? モノボードの汚染拡大だけとってみても、それを止められるだけの情報もリソースも持っていない。それに僕を追放したところで、もう運命の歯車は動き始めている。モノボードは完成し、タイムリピーターもじきに復活する。図体ばかりでかくなったあんたら生徒会に、その対処ができるのか?」
それは事実であった。生徒会の対応は全て後手後手に回っている。ザ・トリガーに張り付く偵察班がことごとく駒鳥ススムらによって対処されてしまうのもあったが、まずなにより、組織が巨大になりすぎているのだ。生徒の平等を建前に、組織にP2以外を取り込んだ結果がそれであった。
「僕の要求はこうだ『僕を生徒会に入れろ』。そうすれば生徒会は僕を常に監視しておくことが可能になる。トラブルは生徒会の目の届くところで発生するだろう」
黒鉄マモルの苛烈な攻撃の手が止まった。
「それは悪くない取引かもしれん。学園全体を守るために、ザ・トリガーを監視できるのなら」
「持ち帰って検討してみてくれよ。僕はもう疲れた。そろそろ寝たい」それは本音であった。サイコキネシスで補正をかけつつ銃を撃ち続けるのは、かなりの疲労を伴う。
「ところでザ・トリガー。お前はニンニク水ではなく、猛毒や硫酸を使うこともできたのじゃないか? なぜそうしなかった?」
「僕の目的は撃退であって殲滅じゃない」
「勝利できればそれでいいというわけか。つまり言い換えればこの私に対して、手加減をしたのだな? ……いいだろう。私の負けだ」
こうして、その日の夜の戦闘は終わった。僕は寮に帰って、泥のように寝た。
翌朝、起きがけにふと気になってケータイ版の薙高新聞に目を通す。
「ヴァンパイア生徒会長、まさかの敗北。ザ・トリガーの奇策で二日休学を申請」
やれやれ。一体どこで見ていたのやら。そう思って、僕は眠い目をこすりつつ、朝食を取り始めた。