第五十三話 時間遡行戦争
それはいささか奇妙で、滑稽な状況であった。二発の銃弾が、邪の頭のすぐ横で止まっていた。すると空中に血だまりが現れ、みるみるうちに拡大していく。不可視の式神。邪までの弾丸の軌道に、合駒があったことは自明である。
「な……」エイラは驚きを隠せない。M92のストッピング・パワーは、完全に障害物に打ち消されている。そして。
「ちゃんと聞いていなかったのでおじゃるか?」狐面の邪はエイラのほうに向き直り、侮蔑に等しい台詞を紡ぐ。
「白虎は、猫でおじゃる」邪はくり返す。
「あ……あ……」エイラの身体ががくがくと震える。
「お主はいま、猫を殺したのでおじゃる」邪は賢者が愚者に教えを垂れるように、解説する。
「エイラ!!」
慌ててティガが駆け寄ろうとするも、青龍と玄武に挟撃され、近づくことができない。
「タイムリピートの原理は知らぬが――『猫を殺せば』発動するのでおじゃろう? さあ、その現象、麿に見せてたもれ」
次第にエイラの身体が輝き透けてゆく。ピアスも、服も、靴も、二挺の拳銃も。
全ての物質が情報にまで分解されてゆく。
「――!!」
声にならない絶叫を残し、エイラは消えた。
残されたのはティガだけであった。
「さて」邪はティガに問う。
「このまま戦闘を続けるでおじゃるか? それとも――あの女の後を追うでおじゃるか?」
ティガは無言である。
無言で、スピリット・オブ・ソードマンは、邪に一矢報いようと剣を振るう。
だが斬撃は朱雀を――無数の鴉を斬り捨てるに留まり、邪には決して到達しない。
タイムリピートが発動し、ティガの身体は、エイラと同じく輝き透けてゆく。
「惚れた弱み、でおじゃるな」邪が茶化す。
「そんなんじゃねえよ……」ティガは最後にそう呟くと、消えた。
邪は狐の面を外しながら、感慨深そうに、タイムリピートした二人のいた場所を眺めやる。そして最初に見ていた方、藤王アキラのほうに向きなおると「これでおしまいでおじゃる」と口を動かす。
いかな藤王アキラといえど、さすがに戦闘終了後に邪を狙撃するつもりはないらしい。あるいは、射線上には既に防御力に秀でた玄武が配置されているのか。
かくして、邪の活躍により、時間遡行戦争は終結した。
結局、僕ことザ・トリガーは何もできなかった。
全部、邪が勝手に戦闘し、それを僕は見ていただけだ。肩を落とす僕とピクチャレスに、邪は声を掛ける。
「お主らはよくやったでおじゃる。お主らは敵の注意を引き付け、麿が登場するタイミングを作った。それだけで十分でおじゃる」
ならば、僕らは足手まといではなかったということか。僕は人の形を解除して、砂鉄をビンに詰め直す。
「ところで、ザ・トリガー。今が何時何分か、分かっているでおじゃるか?」
「へ?」僕は問い返す。
「無断での授業の欠席、おそらく先生方はひどくお怒りになられていると推察されるでおじゃるが?」
僕は上方を、猫が逃げ去った教室のほうを見やる。黒猫のモーツァルトと一緒に、クロがベランダに寝そべっていた。その横に、白衣を着たイレイサー先生が、額に青筋を浮かべて立っている。星野ハルカと小早川ムツキが、イレイサーがベランダから飛び降り、正義の鉄拳を振るうのを制止しようとしているのも見える。
授業のボイコット。これがイレイサー先生の逆鱗に触れたことは間違いない。
僕はクリスチャンではなかったが、胸の中で十字を切った。どうか――殺されませんように。
第二章 完