第五十二話 狐面
キンコンカンコンと、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。だが、始まった戦闘は終わる気配を見せない。
校舎を背に、剣を構え、四方に気を巡らし。
「立方体型のP2……四個か……」ティガが低く問うた。
「そう、四体でおじゃる」邪がそれに答える。
存在感すら抱かせぬ不可視の式神たちは、邪の周囲を守って浮遊していた。ザ・トリガーの直観がそう感じるだけである。実際はどこにどう配置されているものか、見当もつかない。
「斬るぞ」ティガが呟く。
「やれるものなら」邪の余裕は終わらない。
上方からの、エレベータが落ちてきたかのような衝撃。ティガは、剣でそれを防ぐが、力の差は圧倒的で。潰されるかと思われた刹那、ティガはスピリット・オブ・ソードマンで地面を蹴り抉って横に跳躍し、さらに追撃する式神を剣であしらう。
四対一。いまのところ体当たりしかしてこない相手とはいえ、ティガは明らかに劣勢に立たされていた。
遠方で戦闘を見守る藤王アキラは、始まったデータ収集に興奮を隠せなかった。邪が薙高四天王の一人である理由。その一端が、いま開陳されている。
「四聖獣……青龍、白虎、朱雀、玄武。全員揃い踏みか」藤王は笑っている。楽しくて楽しくてしょうがないとでもいうように。
ザ・トリガーは、ピクチャレスから簡単に説明を受ける。否。受けさせられている。最低限知っておくべきこと。それは平安部の暗部、雅が手掛ける、P2の人工生成技術。漢字で「式神」といえば話は早いが、本質を見失う恐れもあった。式紙とも色紙ともまた違う。それを口で説明するのは難しい。
「目には見えないが――P2をベースとした、ある種の生命体なんだ」ピクチャレスはじれったそうにザ・トリガーに説明する。だが、ザ・トリガーは上の空だった。ザ・トリガーには、別の疑念があったからだ。
「邪は、このまま押し切れるだろうか?」
「なんだって?」ピクチャレスが聞き返す。
「だから、邪はどうやって勝つつもりだろうと聞いているんだ。だってほら、相手にはほとんどダメージが入っていないじゃないか」
それは――事実その通りだった。ティガは四体の式神の猛攻に押し潰されることもなく、地面を削って跳躍と方向転換を繰り返し、邪の喉元を狙い続けていた。いつかは、式神の動きを読まれ、その隙をついての一撃が邪を襲ってもおかしくない。
だがそれでも――邪は勝利を確信しているようだった。
「お主は、麿には勝てぬでおじゃる」
「……そうかな?」ティガは間を詰める。
「そうでおじゃる」邪は手に持った扇子を開く。
「朱雀よ。広がりたまへ」
カー。そう、聴き慣れた鴉の声がした。ギャアギャアとした喧騒が突然広がり、ティガを包み込む。いかに鈍い頭でも、その声を自分の耳で聴いたなら気付いたことだろう。それは無数の鴉による壁だった。「鴉殺し」のティガには、決して切れぬ、壁。斬ればタイムリピートが発動する。それゆえに。
朱雀と呼ばれる不可視の鴉の群れは、絶対防壁となってティガの進路を阻んだ。
そこで、ようやく邪はくるりと振り向いて、ティガのほうを見やった。
「ほほ。いかな四聖獣などといっても、そんな大層なことではないでおじゃる。青龍は蛇、白虎は猫、朱雀は鴉、玄武は亀。たとい伝説が何と言おうと、空想の生物が真になることなどありえぬこと。このとおり、麿はただの一般人。ただの普通の式神使いでおじゃる」
鴉。それが問題だった。
斬ればタイムリピート。引けば一方的蹂躙。あまりといえばあまりの不利な状況に、ティガは絶句する。これは……勝てない。
「俺も初めて見る……」雅に所属するピクチャレスであっても、言葉が出ない。
「無数のP2使い……あんなの反則だろう……あれでどの口が一般人だっていうんだ……」ザ・トリガーは頭痛を抱え込む。
「では、四対一がようやく三対一になったところで、お主にはあっさり負けてもらうでおじゃる」
邪の懐から、狐の面が現れる。それを被った邪は、もはや、人ではないように見えた。それはもはや狐である。妖狐である。全ての者が、邪が遂に本気になったことを悟る。
不可視の立方体の連撃がティガを襲う。これまでにない速度での、延々と続く衝撃。時に大地に、時に校舎にめり込むほどの、連鎖攻撃。
ティガはついにくずおれて、膝をつく。
「ティガ!!」悲痛な声が響く。いつ飛んでくるとも知れぬ音速の狙撃。それを迎撃するために、エイラは自身を守ることしかできない。
「やめろエイラ!! モード『イージス』を解くな!! こいつは俺が……!!」
だがエイラはティガの言葉を聞かずに、邪に二挺の銃口を向けて――
「それでよいのでおじゃるな?」狐と化した邪の、呟くような問いには答えずに。
ただ、引き金を引いた。