第四十八話 下準備
藤王アキラが後に語ったところによれば、それは時間遡行戦争という類のものであった。
まず第一に、タイムリピートが起きたと知る者、信じる者自体が少ない。見返り無しに一匹の黒猫の命を助けようとする偽善者は、薙高にはそう多くない。
第二に、薙高陣営がいくら万全を期したつもりでも、相手はそれを予見し、潜り抜けてきた過去を持つ、と考えられた。ただでさえ強力な二人のP2、エイラとティガ。互いに補完しあう、スピリット・オブ・ガンマンとスピリット・オブ・ソードマン。
最後に、そもそもただの人間に運命を変えられるのか? という疑問があった。時間とは閉じた輪のようなもので、因果関係を断ち切るのは容易なことではないのではないか? 僕にとっては未来であっても、それは――黒猫の死は――もう起こってしまったことだ。過去改変は可能なのだろうか?
僕の脳裏に、様々な問題が提起され、その都度、わきに追いやられた。今は考えるより行動を起こすことが先決だった。
少し早く登校したおかげで、僕ことザ・トリガーには若干の時間的余裕があった。まだ人がまばらなクラスの中で、僕は携帯端末から、電子版薙高新聞を読み始める。
三面記事まで読み進んだところで、僕は机に突っ伏した。
「時間遡行者あらわる」そこには公然とタイムリピートの特集記事が組まれていた。情報がリークされている。こんなことをするのは――おそらく藤王はしないだろうから――消去法で邪しかいまい。どうやって平安部がタイムリピートの発生を知ったのかは知らないが、いい迷惑だった。
「平安部……前回はスルーしたのに、今回は首を突っ込む気満々じゃないか……」僕はうへえという気分になる。
「どうしたの? 黒木君」遅れて登校してきた藤沢カオリが、そんな僕を上から覗き込む。僕は格好を正すと、カオリを安心させるために「別に何も」と答えておく。
今回の件は、物量だけで解決する問題ではないと、直観が告げていた。多くの人に知られれば知られるほど、作戦の成功率は下がるのではないか? バタフライ・エフェクトはこちらに不利に働くのではないか? そんな疑念が広がる。
ともかく、今の内に手を打てるところには打っておくべきだ。僕はワープロソフトを取り出して、チーム「ムツキ」に配るための冊子を作ることにした。タイムリピーターに対する防衛術。僕が覚えていないだけで、実際には、何億回も同じ書類を作っているのかもしれないが。それでも。チーム「ムツキ」は計画の重要な一端を担うことになる。
黒猫のクロは、夢を見ていた。自分が銃弾に撃ち抜かれるという夢だ。血がたくさん出て、意識が遠くなる。そしてそのまま死んでしまう。嫌な夢だった。
しかしそれはそれとして、今日は薙高に向かわねばならないとも感じていた。もし運命というものがあるとすれば、それには慣性が働いているに違いなかった。
女子高生がくれる餌、様々な場所にある日向と木陰、そしてなにより、藤王アキラの後をつけるという楽しみ。
クロがそんなことを考えながら歩いていると、一匹の優雅な黒猫、モーツァルトが、行く手を遮った。
『あなた、今日、死ぬわよ』モーツァルトは猫語で語りかける。
『そんなこと知らない。ボクは薙高に行くんだ』クロは反論する。
『じゃあ、私の後についてきなさい。それがあなたのためよ』モーツァルトは歌うように提案する。それに対するクロの答えは――
一方その頃、ヒューマノイド・ロボット、丸、三角、四角は、三人とも狙撃の準備をしていた。メインフレームからの補正を受けた、長長距離からの狙撃による、ターゲットの無力化。藤王が立てた作戦はそれであった。しかし、この作戦には問題もある。敵は、スピリット・オブ・ガンマンというP2持ちである。狙撃に対する耐性も、持っていると考えるのが自然であった。
「この作戦は失敗を前提に行われる」藤王は自分たちの限界を的確に理解していた。
「結局のところ、これはザ・トリガーの問題だ。彼が運命を変えたいと望んだから、今日という日が繰り返された。俺はそれを手伝っているに過ぎない。そして『次の』タイムリピートもあるかもしれない。もしかしたら次の次も。永久に繰り返される今日の、これがその第一日目だと誰が言える? だがそれでも――」
「もう、時間遡行戦争は始まっている」藤王アキラは、不敵に笑う。