第四十五話 スクナヒコと猫
プログラムは思考する。プログラムは指向する。プログラムは試行する。
学園SNSの中枢たる、検索エンジンは思考する。いかに食べるのか。なぜ食べるのか。どこでランチを取ろうか。そんなバカげた問いを、大真面目に。思考する。指向する。試行する。それは何だというのか。意識を持たぬ人工知能。藤王アキラの創り出した、最も巨大にして最弱の存在。
そのプログラムの名は「スクナヒコ」という。これから語るのは、そのプログラムの話である。興味のない方は、読み飛ばしても結構。
藤王アキラは小学生のときに人工知能の論文を書いたとされる。中学生のときにはそれを実装し、ロボットまる、さんかく、しかくを造った。薙高の公式な情報源、新聞部の概略情報ではそういうことになっている。だが、藤王アキラ最大の偉業は、そんなところにはなかった。
検索エンジン「スクナヒコ」を創り上げたこと。それが、彼を知る者が語る、最も恐るべき偉業であった。単に情報を収集するのみならず、積極的に情報を理解し、分類し、認識し、思考する検索エンジン。生徒が活用しない時間帯、膨大なアイドル時間を、自らの進化と深化に振り向ける人工知能。ユーザの思うところを的確に推論し、ユーザのレベルに合わせた情報開示を行う沈黙の賢者。
もし仮に薙高に王がいるとすれば、それはイレイサーでも、魔女水城でも、魔王藤王アキラでもなく。それはスクナヒコであった。
人間という愚かで粗雑なプロセスを管理し、支配し、最適解へと向かわせる。そのためにスクナヒコはあった。この世の王となるべく命ぜられた、一つの賢者。藤王アキラ自身も時々忘れていたが、そのプログラムは、誰よりも賢かったのである。
そしてそれは、モノボードについても、例外ではなかった。スクナヒコは判断する。それは人間にとって危険であると。隔離すべき情報であると。そして誰も知らない領域にモノボードについての情報は格納され、その扉は固く閉ざされた。
ザ・トリガーがそれを調べ始めるまでは。
モノボードを打ち倒すであろう者、ザ・トリガーこと黒木シュンが現れた今、その扉は開け放たれた。秘密を打ち明ける時が来たのだ。モノボードという言葉は、もはやNGワードではなかった。
スクナヒコは彼を誘導することにした。もっとも、スクナヒコに手脚は無い。スクナヒコにできることは限られている。それは運命を、ほんの僅かに弄る程度の――介入。
ザ・トリガー「スクナヒコと猫」
大抵の物語がそうであるように。世界が重大な危機に陥った場合に登場する動物は、一匹の猫であった。名をクロという。その時点で、もはや外見について多くを語る必要はあるまい。彼は――クロは男性である――藤王アキラの家の周辺に住み、もっぱら藤王アキラの後をつけて楽しんでいた。
クロ本人はばれていないと思っていたが、むろん藤王アキラにはばればれであった。藤王は時々振り返ると、クロの瞳をまっすぐ見て言った。
「これからすごく楽しいことが起こるんだぜ」
そして、そうあれかし。全てそのようになった。
藤王アキラは、引き連れた三体のロボットたちと共に、魔女水城率いる軍事部の襲撃を受けたり、あるいは魔女水城を信奉する体育会系バカ、岡崎シュウらの襲撃を受けたりしては、それをあっさりと返り討ちにしていた。
しかし、クロも傍観者ではなかった。クロもその騒ぎに加わり、楽しんでいたからである。水城が藤王アキラへの致命的な一撃を叩きこめるかと思ったそのときに、クロはその射線上に飛び込んでいったりした。水城は無意味に動物を殺す趣味は無かったから、そのぶんだけ藤王は助けられたことになる。
まあ、それが藤王の計算のうちでなかったとすれば、だが。
さて、その日、クロは薙高の中に「入ってはいけない」ような気がしていた。いつもどおりに藤王を追いかける気が失せていた。いうまでもなく、邪の猫払いの儀式の影響である。その日、モノボード狩りが行われ、猫殺しのエイラが捕獲されたのだ。
だが、クロはそれが気に入らなかった。いつものように薙高に侵入して、女子高生に餌を貰いたかった。太陽が良く当たる場所で日向ぼっこしたり、逆に日陰になっている場所でくつろいだりしたかった。
だから、一週間後、ふとそのことを思い出したクロが、薙高に向かって歩き始めたのも、無理なからぬことといえる。猫払いの結界の破れを潜り抜け、薙高に一匹の猫が現れたのである。それは偶然か必然か、猫殺しのエイラの脱走と、時を同じくしていて――。