第四十二話 藤沢邸
暗い嵐の日だった。と、スヌーピー風に話を始めても傑作になんてならないことは分かり切っている。とりあえずのところ、雨は降ったり止んだりしていた。
僕はゴールデンウィークに出された宿題をするために、藤沢カオリの家に来ていた。一言でいえば豪邸だった。庭には噴水があり、玄関には彫像が彫られ、天井は高くシャンデリアが煌めき、リビングはひたすら広かった。僕はカオリの「勉強部屋」に招待された。そこには、ありとあらゆる教育関連書籍が整備されていた。
英語の訳が苦手な僕は、英語の教科書徹底解説!と銘打った学習本に大いに助けられた。藤沢カオリは典型的な優等生のお嬢様で、僕が難しいと思っている個所を解説してくれたりした。
その部屋の外で、駒鳥ススム、星野ハルカが、配置に付いている。実弾装備に、予備カートリッジ準備という念の入れようだ。
だが僕は、実際にはただ宿題をやりに来たのではなかった。
藤沢カオリが知っている、モノボードの情報を聞き出す為に来たのだ。十年前の集団自殺。その真相を。
「ところで……十年前、何があったんだ?」
僕はぽそりと訊いてみた。カオリの表情は一瞬凍りつき、次に観念したように吐き出した。
「モノボードが現れたのよ」
「モノボードってなんだ?」
そう。それが分からない。僕はそれを遮断するためにいるらしいのだが、さっぱり話が見えてこないのだ。
「そうね……こう考えて。あなたは書店にいるの。大きな書店よ。そこにはたくさんの本があって、一生かかっても本を読み切ることはできない」
「イメージした」
「その一つ一つの本の向こう側には、その本を書いた人、設定、時代背景、取材した事、没ネタ、いろんなものがあるわ。本に全く反映されていない無数の情報もある。本を読んでも知ることも理解することも考えることもできない、そういう領域があるの」
「うん」
「その、黒木君が、人間がどれだけ努力しても、どうしても触れられないもの全てをまとめて、モノボードと呼ぶのよ」
僕は無限に広がる知識を想像した。その中で、手を広げ、必死に何かを得ようとする自分を想像した。手の届かない場所。無限の広さを持つ、知覚不能領域。
「可能性の麦束。あるいは絶望の怨嗟。それを知れば、人間ではいられない――」
藤沢カオリは、はっと正気に戻ると自分の呟きを打ち消すように頭を振った。
「じゃあ、モノボードは神様みたいなものなのか?」僕が問うと。
「ある意味では、そうなの。おじいちゃんから、モノボードになった人たちは、集まって臨界に達すると、『羽化』するって聞いたことがある」
「肉体を脱ぎ捨てて、精神だけの存在になるとでも?」
「そう。その表現が一番近いと思う」
藤沢カオリはテーブルの上の紅茶をすすった。
「極論すれば、薙刀高校は、モノボードの羽化によって生まれたの。十年前を起点として、その前後にこの日本に生まれたありとあらゆる超能力は、モノボード事件が原因なんじゃないかって、おじいちゃんが言ってた」
「集団自殺どころか、神様が生まれてたってわけか。道理で生徒会が戒厳令を敷くわけだ」
僕は紅茶を喉に流し込む。おいしい紅茶なのだろうが、味はしなかった。
「二度目のモノボード事件は、一度目よりも大規模になるかもしれない。人がたくさん死んで、この薙高に超能力者がいっぱい現れて、何もかもめちゃくちゃになるかもしれない。私、怖いの……怖いよ……」
そう、藤沢カオリは僕を見上げるようにして言った。その目には涙がたまっていた。
「大丈夫だよ」僕は立ちあがって言葉を続けた。
「モノボードは僕が遮断する。アンチ・モノボードとして。それが僕の使命らしいから」
一方そのころ、MIBのNo.3とNo.4は、光学迷彩を装着して藤沢邸に潜入するも、雨の中、庭に放し飼いにされている8匹のドーベルマンに追い回されていた。
「No.3 この作戦は失敗デース!」
「そんなことは分かってる。No.4! 今はとにかく逃げろ! なんとか逃げ切るんだっ!」