第三十二話 イレイサー先生
「おまえらよーく聞け。俺はなぁ、今日から新任教師になった、イレイサー先生だ」
白髪、長身の男は、いきなり正体を明かした。とりあえず僕は、ものすごい勢いで頭を机にガンガン叩きつけた。
ムツキから事前に噂を聞いて以来、夢であってくれと切に願ってきたことが、目の前に展開されていた。どうやら神様は今日は不在らしかった。ことによると、明日も明後日も不在かもしれない。
「ん? どうした? 具合でも悪いのかぁ? 少年」
「僕の具合とかそういう問題じゃあないでしょう! イレイサー先生。OB不介入の原則はどうなったんですか!?」
「ああ? 俺が教師やるのに不満があるってのか? 少年よ。いちおう俺だってなぁ、教員免許くらいは持ってるんだぜ?」
「だーかーらー」
僕はなんとかして言わんとすることを先生に理解させようとする。
だが、その努力は無駄だった。
「だから? 俺を騙る奴が現れたってことで、本人様が直々に、急遽、薙高生徒会の依頼を受けて、わざわざアメリカから舞い戻ってきたんだぜ? 文句は言わせねえぞ? 少年」
「でも、あなたがピクチャレスとボーダーレスの記憶を消したんでしょう? そのせいで現に、色々と困ったことになっているんですよ!?」
「ああぁー。そんなこともあったっけなあ、少年。良く知ってるなぁ。偉いぞ少年」
「少年少年言わないでください。僕にも名前が――」
「じゃあ名前で呼ぶがな、ザ・トリガー。しばらく俺の話を『黙って聞け』」
その瞬間、僕の頭は真っ白になっていた。
記憶消去。その名前は伊達や酔狂で名乗っているのではなかった。イレイサーは、そのあまりに強力な能力ゆえに、「名乗らずに居ること」自体が済まされないのだ。その事実が、僕には、背中にツララを突っ込まれたように良く理解できた。
「あー、とりあえず、お前。自己紹介しろ。宇宙人」
「どうも。ご紹介に預かりました宇宙人の、星野ハルカです。もちろん偽名ですが、まあ適当によろしくお付き合いのほどお願い致します」
「なんか耳が地球人と違うねー」「ねえねえ、電波とか受信できる?」「日本語うまいねー。睡眠学習したの?」「UFOの動力源と移動方法は? やっぱりアイザック=アシモフ式の超空間ドライブ?」「日本の漫画とかアニメは好きですか? エヴァ萌えですよねー」
クラスメイトから質問攻めにあう宇宙人。
「だー!」僕は精いっぱいの声を張り上げて抗議した。
「なんで宇宙人が先生のついでのように、ごく当たり前に薙高に転校して来るんですか! 非常識すぎると思うんですけど! っていうか僕ってこんなキャラでしたっけ!?」
「はっはっはー。アメリカ、ネバダ州の砂漠で拾ってきてからの付き合いだから、なかなか長い付き合いだなー。大人しそうに見えて、けっこう非常識な行動する奴だから気ぃ付けろよぉ、みんなー」
「どうして宇宙人なんですか! 地球人じゃ駄目なんですか!」
僕が疑問を口に出すと。
「私にはイレイサーの能力が効かないから。一緒に居ることには保険の意味がある」
さらっと、とんでもないことを言い返す星野ハルカ。
「ま、そういう事だぁな」
にやにや笑いながら、イレイサーは言葉を続ける。
「俺が暴走したら、止められるのは、せいぜい宇宙人くらいってこったなぁ。哀れなるかな人類よ。その命運は宇宙人に託された――ってね。いやぁ、人気者は辛いなぁー。はっはっはー」
「いいですよ。あなたが暴走したら、僕が敵に回りますから」
「ほぉう。大きく出たな。少年」
「そうなったら、チーム『ムツキ』も敵に回すことになりますよ」ムツキ、カエデ、ヤヨイが立ち上がる。
「そうかい、そうかい。いやぁー、持つべきものは友だねぇー」
目を閉じてうんうんと頷くイレイサー先生。
「気が変わった。着任早々いきなりどでかいのをぶちかまそうかと思ってたが――どうしてどうして、少しは骨のある奴らが居そうだ。当面はこのまま事態の推移を見守る方向で検討してみようじゃあないか」
全員をジェスチャーで着席させて、イレイサーは問う。
「じゃあ、お前らの中で、イズマエルの名を聞いたことがある奴、手を上げろ」
イレイサーの最後の台詞は、まるで死刑を宣告する裁判官の声のように、教室に響き渡った。