第三十一話 一瞬の再会
ベッドの上には、一人の少女がいた。パジャマ姿の、美少女である。
割れた窓ガラスのことなど無視して、彼女は窓辺に転がる僕とピクチャレスを落ち着き払って見つめている。
刹那、ベッドの名前を見やる。
「あんたが……時永ケイコか」僕は呻く。やはりサイコキネシスでの飛翔には、無茶があった。身体への負荷が半端ではない。
「あなた……誰?」その視線はピクチャレスを射抜く。
「俺は音無ヨウイチ、ピクチャレスだ」ピクチャレスが自己紹介をする。
改めて見直してみると、その病室は異様だった。魔法陣。そう呼んでいいものか。壁と床には、古代ルーン文字を想起させる文字が幾何学的に配置され、扉には何重にも護符が貼ってある。
「誰だか知らないけど、ピクチャレスさん、ここから出してくれてありがとう。私、退屈だったの」
にっこりと微笑むボーダーレス。
ボーダーレスは、ベッドから降りると、壁に手を翳す。
壁に書かれた魔法陣が力場を形成して反発するも、僕らが侵入してきたことで力が弱まったのか、ボーダーレスはそれを意に介さない。
ばばばばばば……。
全ての病室を隔てる白い壁はことごとく消滅し、柱と床、天井だけになる。向こうの相部屋の老人たちが、驚いた目をしているのが見える。
「壁が……消えた!?」僕は立ちあがりながら、驚いて声を出す。
「間違いない。境界不要の能力だ」ピクチャレスも、腹部の痛みを我慢して立ちあがる。
病院の壁という壁が消失している。強度を失ったかに見えた病院は、しかし崩れようとはしない。壁は透明に、透過可能になっただけで、まだ存在しているのかもしれない。
「待ってくれボーダーレス! 俺は……お前に伝えたいことが……」ピクチャレスが声を振り絞る。
しかし、かまわずボーダーレスは歩き出す。隣の部屋のベッドのそのまた向こう。壁の無い青い空へと。
「その外壁の向こうに床は無いぞ!? 自殺する気か?」僕は叫ぶ。
「私はボーダーレス。あらゆる障害は、私の前では意味を無さない」
青空だった風景が、漆黒の闇に包まれる。ロスト。そんな言葉が僕の脳裏をよぎる。
「ピクチャレスさん。今回のお礼は必ずするわ。いつかきっと、近いうちに」
彼女は、その闇の中に消えた。と、同時に、一切の超常現象が消失する。
壁は、全て元通りになっている。
「き、消えた……のか」僕たちは、茫然とすることしかできなかった。
同時刻。
岡崎キョウコの病室。回復途上のモノボードは、この超常現象に遭遇していた。
「――なんだ。なんなのだこれは! 一体何が起こっている!? 病院の壁という壁が消滅しているぞ! なんなのだこのP2は! こんな規模のP2はありえない!」
モノボードは立ち上がり、状況を把握しようと廊下に出ようとする。だが。
「少し黙れモノボード」
銀髪の、左右非対称の目元をした少年は、フランフルトを齧り、500mlパックのコーヒー牛乳を飲みながら、終始リラックスしているように見えた。
「たかが『現象』如きには、知らなくていいこともある」
「まさか……まさか貴方は!?」口に出そうとして、その名を引っ込める。
「全ては――計画通りだ。僕にとっても、ピクチャレスとボーダーレスにとっても。それに、君もそろそろ動くんだろう? モノボード」
戦争の趨勢は、薙高四天王がピクチャレスの味方についた時点で、ほぼ決していた。
兵藤カツヒコの事前のリーク――OBからの薙高への介入――は、それが真実であるにせよ欺瞞であるにせよ、四天王を激怒させた。ある意味で、ピクチャレス陣営の勝ちは前日のうちに決まっていたともいえる。
ブリーフィングルーム代わりに選ばれたのは、病院付属の大食堂であった。
そこに、それぞれのチームのリーダーだけが集う。
それじゃあ話を整理しようじゃねえか。兵藤カツヒコは場を仕切る。
時永ケイコ、通称ボーダーレスはある種の結界となっていた病室を抜け出し、P2を発動して失踪した……。
行き先を知る者はいない。だが、パジャマ姿で街を歩けるはずはねえ。
どこかに必ずまた現れる。俺たちにできることは、ピクチャレスの似顔絵を参考に捜索を続けることだけだ。
藤王アキラの提供した情報によれば、タイムリピーター・猫殺しのエイラはなかなか口を割らねえが、予定は着々と消化されていっているらしい。
モノボードの現出はモノボード狩りが功を奏して予定より多少遅延。
俺たちがモノボードの情報を共有して、事に当たれば、あるいは十年前の悲劇は――集団自殺は――繰り返さずに済むかもしれねえ。
だが、次には世界接続とやらが待っているわけだ。
時永ケイコの能力は未だ成長中。おそらく学内で頻発している「ロスト」の元凶であり、意図的に、任意の地点と地点を繋ぐワームホールの生成も可能。
その能力を突き詰めて成長させていけば、そのうち世界接続とやらも、本当に実現してしまいそうだ。
「イレイサーのメールの件は、偽の情報でした。さきほど連絡が取れまして、本人がメールの事実を否定しています。おそらくパスワードが漏れていたんでしょう」
全員の顔が、天才ハッカー藤王アキラに向けられる。
「残念ながら俺じゃない。イズマエルがやったというのが俺の推理だ。そして――イズマエルも、タイムリピーターの一人だ」
境界不要と、イズマエルの捕獲。薙高のチームというチームは、同一の目的を持って、初めて本格的に共闘に動き出した。
第一章 完




