第二十二話 会話(チャット)
岡崎キョウコは、moimoiというハンドルネームを使用している。そして今日もチャットルームに出没し、いつものように呟く。
[moimoi] モノボードは増えるよ。
[moimoi] モノボードは溢れるよ。
だが。今日はいつもと様子が違った。
[ouroboros] キョウコ
[moimoi] !?
[ouroboros] 岡崎キョウコだろお前
[moimoi] 違う!
[ouroboros] kyoko_okazaki @lapis.lazuli.onc.ne.jp pass:kumasan17
[moimoi] ハッキング!?
[ouroboros] お前が、モノボードなのか?
[moimoi] ……
ブルースクリーン。情報端末の応答なし。
ザ・トリガー「会話」
「でね、モノボードに触れると、モノボードになっちゃうんだってー」
「えーなにそれー。モノボード増えまくりじゃん?」
「岡崎キョウコは、もうモノボードらしいよ」
「えーD組のあの子?」
「そうそう」
「モノボードになると、どうなるわけ?」
「なんか孤独じゃなくなるらしいよー」
「一体感ってやつ?」
「でも、一度モノボードになったらさ、戻れるの?」
「さあ。私も聞いただけだから詳しいことは……」
「でも岡崎キョウコ、昨日事故って死んじゃったらしいよ?」
「え、嘘。私、昨日会って――」
岡崎キョウコは、深夜、自分の情報端末を破壊し、寝巻姿のまま逃走。
直後、車道でトラックに撥ねられ、重症を負う。
薙刀大学付属病院に搬送されるも、依然、意識不明の重体。
持ち歩いていたのは、目の無い笑う黒猫のキーホルダーがついたケータイのみ。
目の無い笑う黒猫。
第一次モノボード事件との共通点あり。
薙高生徒会は、第三者からの善意の情報提供に基づき、この事案を、第二次モノボード事件として取り扱うことを決定。
関係者と見られる藤王アキラなどから、引き続き事情聴取を継続。
翌日、第二次モノボード事件対策本部を設置。
主要部活動部長に、モノボードの感染被害拡大を防止する運動を開始する旨を通達。
自殺予防ポスターの配布、お悩み相談室の設置など、個別の対策チームの発足を進める予定。
「……そんなことしても、無駄なのに。大人たちって、ほんとうにバカ」
雨が降っていた。
岡崎キョウコは、深夜の学校の校庭を一人歩きながら呟く。
その姿は、漆黒。強い雨にも関わらず、彼女は雨に濡れてはいなかった。
彼女は既に、モノボードだった。
モノボードになってしまっていた。
「肉体になんて、もう意味は無いのよ。だって私は――」
そのまま彼女は浮かぶように飛び上がり、学園のてっぺんに位置する屋上へと着地する。フェンスの内側、そこは濡れてびしょびしょで足場は無い。彼女は浮遊している。
「――もう、モノボードなんだもの」
「モノボードは増えるよ」そう。モノボードは増えた。
「モノボードは溢れるよ」そう。モノボードはいずれ溢れる。
呪文を呟くたびに、ぷくりぷくりと増えてゆく。ふうっと吹くと、それはしゃぼん玉のように、空を舞い、床に落ち、増える。溢れてゆく。
突如、パッヘルベルのカノンが鳴り響く。吹奏楽部の仕事だ。
「そこまでだ!モノボード!」屋上に遮断のトキコの声が一声響く。
「タイムリピーター……何度やっても無駄だということが、なぜ分からないの?」
雨の中、二人は対峙する。
かたや宙に浮かび、かたや地に足を着けて。
「モノボードは人の理を超えたもの。人の枷すらも超えたものよ。モノボードは誰にも認識できない。ゆえにモノボードは遮断できない。簡単な理屈じゃないの」
「それともまさか、あなたも『ザ・トリガー』に賭けているのかしら? あの哀れなP2持ちに、全てを任せてしまうつもりなのかしら?」
「……少なくとも、お前はここで遮断させてもらう」
「無理ね。噂は広がった。私はこうして実体化した。あなた程度の戦力で、私を遮断できるわけがないもの」
「さあ、それはどうか……な?」
ピアノ線より強靭な特殊アミラド繊維が、屋上には蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
ひょうっ。トキコが鞭のようにしならせるアミラド繊維が、ぶつん、岡崎キョウコの腕を切断する。
だが。
岡崎キョウコは笑うだけだ。腕はぶくぶくと、沸き立つように再生されてゆく。
「痛みも無い。再生もできる。増殖もできる。溢れるのは時間の問題。それでも立ち向かってくるの? 哀れなタイムリピーター、遮断のトキコ」
岡崎キョウコは、どうしようもない馬鹿を見る目で、遮断のトキコを蔑んだ。
「消えろ」槍のようになった腕は、しなり、遮断のトキコを貫いた。刺を展開し、内側から全身を貫く。
鮮血が屋上に散る。
「ぐっ!せめて、相打ちにしてやるッ!」遮断のトキコは起爆スイッチを押した。屋上は、コンクリートに罅を入れるほど、壮絶に爆発した。