第二十一話 イズマエル
スウマキツミの朝は早い。
朝のシャワーを浴び、使い捨てカミソリで髭を剃る。シェービングクリームは高いので使わない。使うのは水である。毛がカミソリに詰まった時は、もう使えなくなった歯ブラシで、水で流しながらごしごしと詰まった毛を取り除く。この方法で使い捨てカミソリは半永久的に使えるのである。毎回捨てて買い換えるだなんてとんでもない。
「さて、今日も噂話の蒐集に出掛けますかね~」
スウマキツミの朝は早い。
それは薙高生の登校時間に合わせた生活をしているからだ。薙高生の通報で、とっくに不審者リストに載っているのだが、それでもスウマキツミは構わず薙高生との接触に出掛ける。さながら、それが義務でもあるかのように。いや、あるいは、それは義務なのかもしれないが。
ザ・トリガー「イズマエル」
登校時間の三十分前、僕は「四角」によってケータイにインストールされた対タイムリピーター・ナビゲーションソフトを活用して、スウマキツミに接触を図っていた。
僕の背後には、ムツキ、カエデ、ヤヨイ、四角もいる。
「というわけで、僕が早起きしてわざわざ出向いてきてやったわけだ」僕は告げる。
「何が『というわけで』、なんすか。黒木シュンさん」
「あんたがタイムリピーターだってことは分かっている。自己紹介は不毛だろう」
「ま、そうなんすけどね。形式的なことは毎回やってもらわないと……こちとら記憶が曖昧なもんで」
頭をポリポリと掻きながら、Tシャツを整え、ジーンズを引きずり上げて、スウマキツミはこちらを見つめる。
「取引したくないって言ったら、怒ります?」スウマキツミはにやける。
「そのときは力づくで情報を吐かせることになるな」
「お~怖っ。うかつに冗談も言えないとは……」真顔に戻る。
僕らは知っている。これは彼のお遊びなのだと。同じ事象は、過去に何度も起こっているのだと。
「ちなみに、これまでに何回くらいリピートしてるんだ?」
「三万とんで一回くらいですかねえ……いちいち数えちゃいませんが」
「じゃあそのキリのいい数字に免じて、先に『ロスト』について知っていることを話してもらおうか」
「モノボードの情報は、後回しってことっすか。いやはや厳しい取引だ……ははは」
スウマキツミは笑う。人を見下すような態度。僕は気に食わない。
「あんたら、P2ってもんが何で存在するのか、考えたことあります?」
スウマキツミは根源的な問いかけをする。
「人類だけに与えられた物理法則を乱す力? そんなうまい話があるわけないでしょう? あのイズマエルが創ったんですよ。自分自身の目的のために。P2を――」
「そうだなあ。例えば、アスファルトと電柱に意識があるって言ったら、あんたら信じますか?」スウマキツミは突如哲学的なことを言いだす。
「どちらもニューロンとシナプスのようにネットワークを形成していて、内部を車や情報が流れている。脳みそと何の違いも無い――まあこれはイズマエルさんからの受け売りですがね。要するにそういうことっすよ」
僕には訳が分からない。すると、四角が答える。
「イズマエルの開発したOS、シルバースネイルのネットワークのことか」
「御明察。何かご褒美あげましょか?」スウマキツミが口元を歪める。
シルバースネイルがP2を生み出している? だが、シルバースネイルが存在する以前からP2は存在している。因果関係が当てはまらない。
「そこなんすよ」スウマキツミは僕の思考を読み取る。
「なんで因果律を超えて、シルバースネイルだけが過去に干渉し、全てのP2を生み出し得る源泉足りえているのか。それがあっしにも分からない。それで私もイズマエルさんを探してるんですがね。見つからないんだなあ、これが」
「まるで最初から存在しなかったかのように?」僕は呟く。
「そう。まるで最初から存在しなかったかのように」スウマキツミは答える。
困ったことに、とスウマキツミは言った。
「彼はもう存在していないのかもしれない。あるいは存在したいときだけ存在するのかもしれない。残されたのは巨大な儀式の痕跡だけで、それはもう成し遂げられてしまったのかもしれない。十年前のモノボードの召喚。それが目的だったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。これから起こる現象こそが、イズマエルの目的なのかもしれない」
「これから何が起こるか知っているのか?」僕が問うと。
「モノボードの再現出」
スウマキツミは答えた。そして肩をすくめる。
「何万回ループしても分からないことってのもあるんですよ」
「それがモノボードだと?」
「そういうことです。イズマエルをとっ捕まえて、P2も全部無かったことにして、私はさっさと愛しの我が家へと帰りたいんですがねえ」
「ならば『ロスト』とは何だ?」四角が問う。
「ただのシルバースネイルの副作用じゃないですか? 誰も被害を受けていないんでしょう? なら、そんなこたあ私にとっちゃあどうでもいいことですよ」
モノボードは、と僕は言った。
「『遮断のトキコ』が遮断する。彼女が無理なら、僕が仲間を集めて打ち倒す。その次に起こることは何だ? この薙高は最終的にどこに向かっている?」
スウマキツミは一瞬迷ったようだった。彼らしくない。
極秘情報ですよ、と前置きして、彼は言った。
「世界接続」
どうやらイズマエルさんは、「故郷」に帰りたがってるみたいなんですよねえ、と、スウマキツミは言った。