二章 監査官対抗戦・予選(7)
【野生のマルファが現れた】
空中に表示された炎のエフェクトによる文字が『エネミー』との遭遇を告げる。しかしなんだこの文? 突っ込んでほしいのか?
「お前が『エネミー』だって?」
「そうだと言ったユゥ。お前たちを狩るのがマルファの役目ユゥ」
エネミー。
それはゴールを目指す監査官たちの妨害を行うために解き放たれた存在だ。
最初は捕獲しておいた異獣かなんかと考えたりもしたが、やはり異界監査局は理念に反するような真似はしなかったみたいだな。
『エネミー』は、対抗戦の参加資格のない準監査官たちだ。
「マルファはもう三組もチームを撃退したユゥ」
自慢げに三本の指を立てるマルファ。準監査官だからと言って、その実力が正規監査官に劣っているわけじゃないんだ。目の前にいるマルファがいい例だろう。このスライムはその特性上、打撃・斬撃・電撃・衝撃がほぼ無効化される。有効打となり得る攻撃が非常に限られる上に、向こうは変幻自在に体を変質させて襲ってくるもんだから厄介極まりない。1+1がマイナスになるチームが多いとはいえ、現に三組も狩られたことからもわかるだろう。
ただ、実力はあっても正規監査官として送り出すには問題がある。準監査官ってのはそういったやつらなんだよ。じゃあなんで戦闘鬼ことグレアムが正規監査官なのかと言うと、あいつはあれでも自分をコントロールできるからだ。俺としてはリーゼが正規というのが大いなる謎なんだけど。
「お前たちで四組目だユゥ。大人しく倒されろユゥ」
マルファのツインテールが一度半透明な粘体に戻って幾本にも別れ、その全てが先端の鋭い槍と化して俺に殺到する。俺はそれらをかわしたり、なんとか生成できた日本刀で斬り落としたりして防ぐ。
だがこれは単調な同射攻撃じゃない。マルファの意思で動いているから変化球がある。全てを捌き切れず、俺はいくつもの切り傷を作りながらセレスの下へと駆けた。
「セレス!」
「任せておけ、零児。私の聖剣でアレを焼き払えばいいのだな」
「逃げるぞ!」
「は?」
身の丈以上の長さを誇る聖剣ラハイアンを構えたセレスの腕を取り、俺は方角なんて考慮せず一目散に遁走した。
「零児、なぜ逃げる!」
「あいつと戦り合ってる暇なんてねえよ!」
あのスライム相手だと俺は限りなく無力だ。打撃はもちろん効かないし、さっきみたく斬ったとしてもすぐに再生するから時間稼ぎにもならない。セレス一人がマルファと戦ったとして、すぐに決着がつくとも思えない。だとすれば残る選択肢は一つ。『逃げる』コマンドを使うしかないだろう。『エネミー』からは逃げてもいいルールだしな。
【レイちゃんチームは逃げ出した】
「これ絶対手動で操作してるだろ!?」
「逃がさないユゥ!」
マルファがアーチ状に伸ばしたピンクの触手を俺たちの手前に突き刺した。それからその短縮機能で本体の方を持ち上げ、俺たちの頭上を越え、進行方向に着地する。くぅ、どこまでも質量保存の法則を無視しやがって……。
【うまく逃げられなかった】
「鬱陶しいなこれ!?」
おかしい、予選が始まってからというもの主催者にしか殺意が沸かない……。
「さあ、観念するユゥ」
マルファが勝ち誇った顔でじりじりと迫る。しかしこいつ、なんでこんなにやる気満々なんだ?
「零児、やはりここは私が」
「いや、ちょっと待ってくれ」
超長剣に光を灯すセレスに待ったをかけ、俺はマルファに問いかける。
「お前、なんでそんなに熱心に俺らを狙うんだよ?」
「たくさん倒したらおねえさまを一日好きにしていいってイザナミが言ったからユゥ」
それは絶対に本人の関与していないところで交わされた契約だ。
だがこれでわかったな。マルファたち準監査官が無償で敵役を引き受けるわけがないんだ。俺ら参加者に賞品があるように、働きに見合った対価を支払われることになってるんだ。
そんでもってマルファはわかり易いし、扱い易い。
「なあ、マルファ、今度リーゼがいる時に俺んちに遊びに来てもいいぞ」
リーゼには悪いが、勝手にエサに使わせてもらうぜ。俺はどうしてもこの場を乗り切らねばならんのだ。
「ふん、そんなこと言っても見逃してなんかやらないユゥ」
ですよね。俺は端から説得できるかどうかは五分五分だと思ってる。もしも無理だった場合はそうだな……俺たちの背後から息を顰めて近づいて来てるチームにでも押しつけるとするか。
「一日と言わず、好きな時に好きなだけ来てもいいぞ」
「ユゥ? ホントにいいのかユゥ?」
お? よし、揺らいだ。構えられていたツインテールがだらりと垂れる。
ここでトドメだ。
「もちろん、リーゼと好きなだけ遊んでもいいぞ」
倫理が許す範囲内でな。
まあ、どうせまだしばらくは監査局の教育機関から抜け出せないはずだ。それにマルファが正規監査官として認められるようになる頃には、リーゼとの過剰なスキンシップも和らぐと思うし。
と――ガサッ。
遠くから、草叢を踏みつける音がした。
「れ、れれれレージ! な、なななんてこと言ったのよ!」
震え切った怒号に振り向くと、紅い瞳を涙で潤ませた金髪のちっこい美少女が、無表情なゴスロリメイドを従えて俺を指差していた。
「うわっ! り、リーゼ……お前だったのかよ」
どことなく知ってる気配だと思ったらどうりで……。
「マスター、これではこっそり背後から近づいて叩き潰す作戦が台無し不安定です」
そんなこと考えてたのかよ。〝魔帝〟のくせにやることがせこくないか? どうせ常日頃と俺を奇襲してくるどっかの暴力暴言メイドの入れ知恵だろうけど。
「そんなこともうどうだっていいわ! みんな燃やしてやるんだから!」
「では、レランジェがゴミ虫様の首をもぎ取ってもよろしいでしょうか?」
「殺したら失格なのわかってるよね!?」
「ゴミ虫様を抹殺安定できるのでしたら、レランジェは喜んで自らを犠牲にします」
「え? なに自分だけが失格になるって思ってんの?」
臨戦態勢を取るリーゼチームだが、まだ接触判定の範囲外なのか【BATTLE START】の火文字は発生していない。
「……〝魔帝〟リーゼロッテ」
セレスは明確な敵意を表して聖剣を持ち上げている。俺はというと、どうやってあのメイドロボを『破壊』以外の方法で排除するかということと、実現しないだろう提案とはいえリーゼを売ってしまったことに対する誰もが納得できる言い訳を思案中だった。……うむ、どっちも思いつかん。
「おねえさま! おねえさまの方からマルファに会いに来てくれるなんて感激ユゥ!」
都合よく解釈する思考回路を持ったマルファが、ツインテを嬉しそうにうねうねさせつつリーゼに向かって跳躍した。
「ひっ!?」
頬を引き攣らせたリーゼは反射的に〝魔帝〟の黒炎を掌に宿して放つ。鉄すら溶かしそうな灼熱の黒炎弾に――マルファは自分から飛び込んだ。
へ?
なにやってんの、あのスライム?
火達磨になって撃ち落とされるマルファ。リーゼの火属性攻撃は有効打となり得るが、あのスライムはもっとやばい範囲攻撃術を受けても焼滅しなかった。このくらいでは死なないだろう。
案の定、むっくと起き上がったマルファは――とろけるような至福の表情をしていた。
「これだユゥ! この感覚が最高に気持ちいいんだユゥ!」
大変だ……ドMがいる。
俺もセレスもドン引きだった。
「おねえさま! もっと、もっとマルファを燃やしてほしいユゥ!」
ゆらりくらりとリーゼに這い寄るマルファのツインテールが、スライムの触手となって催促するかのごとくリーゼに伸びる。
対するリーゼは――
「ぬ、ぬるぬる……ひやぁあああああああああああああああああああああああッ!?」
顔を真っ青にして絶叫。そのまま飛び退くように身を翻して全力疾走。
「ああっ! なんで逃げるんだユゥ? おねえさま! おねえさまぁあっ!」
当然のように追いかけるマルファに、リーゼは〝魔帝〟という肩書きには似合わない女の子らしい悲鳴を上げ続けるのだった。
「チッ。レランジェはマスターをお助けしなければなりません。命拾い安定ですね」
忌々しい舌打ちを残してレランジェも颯爽と駆け去った。リーゼたちの敵前逃亡ではあるが、どうやら判定的には『エネミー』からの逃走となったようだ。
「零児!」
一難去ったことで安堵の息を漏らしていると、セレスが切羽詰まった口調で俺を呼んだ。どうしたんだ? と思いそちらを向くと、セレスは空を見上げて瞠目していた。
俺も倣って天を仰ぐと――
「――なッ!?」
さっきまで純黒の闇だけが展開していた天空に、はっきりとした薄黄色の光が爛々と輝いていた。
【現在の予選通過チーム数:4】
という文字の形で。
「おいおい嘘だろ? もう枠の半数が埋まっちまったのかよ」
これは相当にまずくないか? 俺たちはまだゴールに辿り着く目途すら立ってないんだ。
「やはり、あの数字はそういう意味なのだな」
セレスが深刻に呟く。日本語は読めなくとも、わかる数字だけで事態の緊急さを悟ってくれたようだ。
こいつは、マジでもたもたしてらんねえぞ。