一章 来る学園祭に向けて(3)
最近、俺は思うんだ。
監査局印の胃腸薬の減りが尋常じゃない、と。
RPGとかに出てくる状態異常回復アイテムばりに効果抜群で副作用もないから便利なんだけど、これをしょっちゅう使わにゃならん状況がまずおかしいだろと言いたい。
また監査局の医療機関に胃腸薬を処方してもらうように頼まないと、そう内心で呟きながら俺は繁華街の大通りを一人で歩いていた。
うだるような炎天下の中、買い物リストが書かれたメモ用紙を片手にな。
これは先日こんがり焼けてしまった俺ん家のリビングを修繕するための買い物だ。
……というのは冗談で、本当は学園祭の女装喫茶で使う小物類の調達だ。俺にはリビングを修繕する金も技術もないからな。まったくもって泣きたくなる。そして太陽、暑いからお前は早く沈んでくれ。
「くっそ、あちぃ~。あいつら後で覚えてろよ」
衣装など特殊な物品は発案者の誘波が用意してくれるそうだから(激しく不安だが)、俺は皿とかコップとかテーブルクロスとかを購入するために出陣させられたんだ。ジャンケンに負けたせいでね。
「あーもう、暑い。これが夕方とかならまだマシだったんだろうけどよ」
無意識に暑さを主張してしまうが、愚痴ったって仕方ないことはわかっている。学園祭の準備期間に入ったから授業は午前中で終わりなんだ。そういう期間を設けるくらいだから学園側も気合い入ってるなぁ、としみじみ思う。
と――
「ん? あれは……セレスか?」
前方の交差点で戸惑ったようにキョロキョロしている銀髪の女子生徒を発見。俺は速足で彼女に歩み寄った。
「セレス、こんなところでなにしてんだ?」
背後から声をかけると、セレスはビクッと反応して背負っている布を巻いた長い棒――聖剣ラハイアンを振り向き様に突きつけてきた。眉を凛々しく吊り上げ、エメラルドグリーンの瞳に警戒の色を宿している。
「おわっ!? ま、待てセレス! 俺だ! 俺!」
「ん? なんだ、零児か」
両手を上げて敵意がないことを示すと、セレスはほっとしたように聖剣ラハイアンを背負い直した。
「あまり私の後ろに立たない方がいい」
「お前はどこの謎のスナイパーだ」
名前の後に『1』と『3』がつきそうだな。
「いや、すまない。こうやって一人で街を歩いていると、よく不埒な族に絡まれるんだ」
「あー」
わかる。セレスは目が覚めるような美人だからな。ナンパ男とのエンカウント率は高そうだ。
「それはそうと、察するにセレスも学園祭の買い出しか?」
「よくわかったな」
「その左手に持ってんのは買い出しのメモだろ? 俺と被ってんだよ」
俺も自分の買い出しリストをヒラヒラさせてセレスに見せる。男子も女子も一日目は二年D組の教室ではなく、別の空き教室を借りることになっている。準備や会議も男女別々にそれぞれの使用する教室で行ってるから、お互いの動きはわからないんだ。
セレスは納得したように腕を組んだ。
「そうか。では零児もジャンケンとやらに負けたのだな」
「なんだよ、そっちもジャンケンで決めたのかよ」
しかも買い出し役を留学生ってことになっているセレスに任せるとか、女子グループは薄情なやつらばっかりだな。せめて誰かが付き添うくらいの優しさがあってもいいと思うぞ。
そう考えたところで、俺は天を仰いだ。眩い太陽が人類を滅ぼさんとばかりに灼熱の日光を照射している。買い出しなんて罰ゲームに進んで立候補するやつはいないだろうね。俺らもそうだったし。
「まあアレだ。こんなところでずっと喋ってたら暑さでぶっ倒れちまう。どうせ目的地は同じだろ。一緒に行くか?」
勝負をする上での取り決めで、フェアになるように買い物をする場所はこの繁華街にある百円ショップで固定されている。今時の百均は大概の物が揃ってるから便利だよな。
「そうだ、な。別れる理由もないし、一緒がいいな」セレスはなぜかもじもじしながら、「というか、そうしてもらえると助かる」
「迷ってたのか?」
「うっ……」
図星らしい。セレスは片頬を引き攣らせて俯いてしまった。
「いや、迷って当然だろ。俺がセレスの世界に行ったとしても短期間で地理を覚える自信はない」
「だが、私は美鶴殿に地図を描いてもらった上で迷ってしまったんだ」
「ちょっとその地図見せてみろ」
俺はセレスからメモ用紙を受け取り、ずらっと調達品のリストが書き並べられている紙面の裏を見る。
大きな十字路が描かれていて、その南西に青ペンで『学園』という文字、北東に赤ペンで『たぶんこのへん』と丸囲みされて直線が引かれている。なんだこの方程式のグラフは? よくここまで辿り着けたな、セレス。
「うん、後で郷野に文句言ってもいいぞ」
笑顔でそう言って俺はメモをセレスに返した。セレスは「いいのだろうか?」と言いたげな表情をしていたが、俺が横断歩道を渡り始めたので慌てた様子で後をついてくる。
にしても暑い。何度も言うが暑い。暑いって言うから余計暑いんだってよく聞くが、嫌な気持ちを吐き出すことで精神的に少し楽になったりするだろ?
「零児、一つ訊いてもいいだろうか?」
ちょっとコンビニで涼もうかと思った矢先、俺の隣に並んで歩くセレスが唐突に訊ねてきた。セレスは平気な顔してるが、額が少し湿っているな。やっぱ暑いんだ。
「なんだ?」
「ジャンケンについてなんだが」
「ジャンケン?」
どうしたセレス? なんでいきなりそんなどうでもよさげな話を? 暑さで思考が狂ったのか?
思案顔のセレスは中指と人差し指を立てて、
「このチョキという手は刃物を象徴するのだと聞いた。なのになぜグー……石ごときに敗れるのか納得がいかない。私ならその辺の石ころなど包丁で微塵切りできるぞ?」
「お前を基準にするなら相手も石じゃなくて鉄にしないとな。それにチョキは刃物だけど具体的にはハサミだ」
「なんだと? 私は剣だと言われたぞ。だから最も強い手だと思って出したら、負けた」
「……実は苛められてないか、お前?」
「そんなわけないだろう。おかしなことを言うな、零児は」
ははは、と爽やかに笑われた。まあ見たところうちのクラスに苛めの様子はないし、セレスもリーゼもクラスメイトたちと仲良くやっている。苛めじゃないけど、たぶんセレスはハメられたんだと思う。
「それとパーは紙らしいじゃないか。薄っぺらく脆い紙が石にどうやって勝ると言うんだ?」
「あー、それはアレだ。紙は石を包み込むとかで――」
そんななんの得にもなりそうにない談笑を続けていると、俺は暑さのことなんて忘れてしまっていた。気を紛らわすためにセレスは雑談を持ちかけてきたのかもしれない。こうやって話したり笑い合ったりしてると、俺らもすっかり『友達』って感じだな。
間もなくして俺たちは繁華街の一画に構える大型百円ショップに到着した。
文房具や工具、食品に衣類、果てはなにを目的に作られたのか謎過ぎる物体まで豊かな品揃えを誇っている店舗だ。用途別にコーナーが設けられていて、この五階建てのビルにある商品全てが百円均一……なはずもなく、中には百円以上するブービートラップも混ざってるから気をつけろ。
それにしても店内は冷房が効いて涼しいな。買い物が済めばまた学園の坂道を上るんだと考えたら……もう帰りたくないぜ。
で、俺とセレスは別れてそれぞれの買い物をすることになったんだが――
「店員さん、二つほど質問よろしいでしょうか?」
「なんですか? 冥土の土産に聞いて差し上げます」
「うん、この場合冥土に行くのはそのトンカチで頭かち割られそうな俺だと思うんだ」
俺の眼前では、赤い地味なエプロンをかけた無愛想な店員――胸元に『研修生』というプレートをつけたレランジェが商品と思われる工具を高々と振り上げていた。
「質問その一、なんでお前がいるんだよ?」
「あるばいと安定です」
ここはまあ、予想通り。このメイドさんは俺やリーゼが学校に行っている間にちゃんと働いてるんだ。理由は俺に養われるのが嫌だから。
「質問その二、なんでお客様を撲殺しようとしてらっしゃるので?」
「害虫を発見しましたので、他のお客様に気づかれないうちに駆除安定かと思いました」
「相手が人間じゃなければ正解だがこの場合はアウトだろっ!」
「え? 人、間……?」
「首を傾げるなっ!?」
やっぱり機械人形なだけに俺には理解できない思考回路をしてやがる。
「今度開発部のやつらに土下座してでも俺を襲わなくなるプログラムを組んでもらわねえと」
「甘いですね。そのようなものがこのレランジェに効くとでも」
「くっそ人工知能の勝利か!」
そのうち人類を滅ぼして地球を乗っ取ろうとか考え出さないか心配になった。
「他のお客様にご迷惑ですので早く死んでくれませんか?」
「俺をここで殺した方が絶対迷惑かかるからな! とにかくどいてくれよ。俺はここに書かれてある物を買って帰らなきゃならん使命があるんだ」
俺はビッ! とメモ用紙を突きつけるが、レランジェは微動だにしない。いやホント、表情も指先も振り被った腕すら動かそうとしない。だからといって背を向けるとその瞬間に殺られる。
どうする、俺?
「零児、ここにいたのか。探したぞ。私の方は済んだから…………レランジェ殿?」
俺の背後からレジ袋を提げてやってきたセレスがレランジェを見て僅かに瞠目する。どうやらセレスも一人で買い物できるくらいにはこの世界に慣れたみたいだな。いいことだ。
第三者が登場したからか、レランジェは振り上げていた腕を下した。
「これはセレスティナ様。いつもマスターがお世話になっております」
人が、いや人形が変わったかのように頭を低くするレランジェ。俺との態度の差は歴然だった。〝魔帝〟の部下が聖騎士に頭下げるとかどういう了見なんだろうね。
釣られて丁寧に挨拶を返すセレスを見ながら、俺はちょっと感心していた。
「セレス、よくこんな短時間で品を集められたな。俺はまだこれからだぞ」
主に素行の悪い店員のせいだが……。
「ああ、私には読めない字もあったから、メモを店員に渡して集めてもらったのだ」
「なるほど、その発想はなかった。セレスは頭いいな」
軽く誉めると、セレスは面食らったようにぷいっとそっぽを向いた。俺、変なこと言ったか?
「じゃあ、俺も店員に頼むとするか」
と踵を返した俺から、レランジェが買い物リストのメモ用紙を引っ手繰った。
「――ってなにすんだよ!」
「店員ならここにいます、ゴミ虫様。このレランジェに任せればセレスティナ様の所望品を集めた者よりも迅速安定です。ゴミ虫様はあちらの休憩所で待っていてください」
ビュン! と俺になにか言う暇を与えずレランジェは店内を駆けていった。
「なんだあれ? 店員同士で競争でもしてんのか?」
よくわからんレランジェの行動を考察しても得はないだろう。俺とセレスは顔を見合わせる。
「言われた通り休憩所に行っとくか。ジュースでも奢ってやるよ」
「本当か! それはありがたい。丁度なにか飲みたいと思っていたところなんだ」
ぱあぁっとセレスがひまわりのように顔を輝かせた。俺もだが、あの炎天下を歩いて喉が乾かないわけがないからな。水分補給は重要だ。
俺はグレープ味の炭酸飲料を、セレスは炭酸は飲めないらしいので無難にスポーツドリンクを選んで二人ベンチに腰を下ろす。
「未だに思うのだが」
スポーツドリンクに三回ほど口をつけたところで、セレスがそう話しかけてきた。彼女の表情はどこか哀愁の色を含んでいる気がする。
「この世界は素晴らしいな。私のいた世界にはない技術や環境は非常に便利だと感じている。こちらに来て一ヶ月と少しだが、まだまだ驚くことばかりだ」
「そりゃな。ここで生まれ育った俺だって技術の進歩にビックリするんだ。まあ、ここより発展した世界から来たやつらにとっては大したことないかもしれんが」
「だとしてもこの世界は飢えもなく平和で、皆が笑っているじゃないか。いい世界だと私は思うぞ。いい世界と言うならラ・フェルデも負けないがな」
セレスは瞑目した。きっと故郷のことを思い浮かべているのだろう。
飢えがなく平和、か。この国が豊かなだけで、そうでもない国もあるんだけどな。その辺はたぶん、セレスもわかっている。
「……正直な気持ちを言うと、この世界は居心地がいい」
そっと瞼を持ち上げて、セレスは呟くように言った。そしてスポーツドリンクを口に含み、静かに喉を鳴らして嚥下する。なんか微妙に艶めかしい……。
「だったら永住するか?」
炭酸飲料を一口飲んでから冗談を言ってみると、セレスはゆっくりと首を横に振った。銀色のポニーテールがふさぁと揺れる。
「いや、それはできない。私はラ・フェルデの聖剣十二将。あまり長く国を空けるわけにはいかないのだ。だから、一刻も早く帰りたいと思う気持ちは変わらない」
それがセレスの願いだ。その願いを叶えるためにセレスは異界監査官をやっている。でも、確実に元の世界に帰れるという保証はない。前例はいくつかあるが、それらも偶然が重なってのことなんだ。
だけど……少し意外だったな。
「珍しいな、セレスが『帰りたい』とか言うなんて」
セレスは自分からそういうことはあまり口にしないと思ってたんだが。
フッ、とセレスが苦微笑して俺を見る。
「私とて人間だ。これでも一人の時は焦ったり不安になったりもするんだぞ」
「ごめん、想像できない」
「酷いな、零児は」
お互いに笑みを交わし、ジュースが温くならないうちに飲み干すことにした。
その時――
「お待たせしましたゴミ虫様」
キキイィィィ、とカートからありえないブレーキ音を轟かせてレランジェが戻ってきた。
「ご所望のアジ・ダハーカです」
「誰が暗黒神の最強の配下たる邪竜なんて頼んだんだよ!? てかどこで捕まえてきたんだよくカゴに入ったな!? 百均に売ってんのかよそれ!?」
「人形安定ですが?」
「そうだよね! 本物だったら異獣だぞそれ! でも問題はそこじゃねぇえっ!」
こいつに頼んだのが馬鹿だったと後悔した俺は、監査局印の胃腸薬を残りの炭酸飲料と一緒に飲んでから自分で集めることにした。