三章 過去への執着(2)
影魔導師には影魔導師をぶつければいいじゃないか。
というわけで夜の犯人捜索で俺たちにできることは正直言うと、ない。無闇にうろちょろして鷹羽に撃たれるのは嫌すぎるし、夜という時間帯は〝影〟を操る影魔導師にとって魔力が無限にあるのと同義だ。下手に接触すると俺たちの方が危険になる。
そもそも、犯人の顔を知ってるのは俺と鷹羽だけだ。監査局組は〝歪み〟の観測や簡単な調査を少数の局員たちが行うくらいしかやることはない。
たとえあったとしても、俺は今日はもう働かないからな。
「休むのは結構ですけど、なにかあったら真っ先に叩き起こしますよ、レイちゃん」
そんな誘波の天使と思わせといて悪魔な微笑みに見送られ、俺は旅館の部屋に戻った。
部屋には既に桜居がいたが、二三どうでもいい会話をしただけで俺は泥のように眠ってしまった。かなり密度が高かった上に緊張しっぱなしな一日だったからだろう。
そのまま何事もなく朝を迎えたことは、俺の不幸を流石に憐れんでくれた神様からの細やかなプレゼントだと信じよう。うん。
カーテンと窓を開けると、朝の日差しが部屋に差し込んでくる。
「う……」
部屋が暗かったからだろう、くらっと目眩がした。だがそれも数秒のことで、すぐに五階からの見渡しのいい景色が視界に飛び込んでくる。
見上げれば雲一つない澄み切った青空がどこまでも広がっていた。周囲が自然に囲まれているだけあって、都会なんかとは比べ物にならんくらい空気が美味い。一呼吸するだけで最近の疲労が浄化されていくような気分になる。あと十回はおかわりしておこう。
浴衣に着替え、爆睡していた桜居を蹴り起こし、朝食の場へ向かう。
二階にある殿様との謁見に使いそうな大広間が朝食の会場だった。何十畳もある畳の床に長机が整列し、芸術性を感じる色取り取りの和食が綺麗に並べられている。今思えば俺、昨日の昼からなにも食ってねえや。どうりで腹が減るわけだ。
――って、ほとんどのやつが勝手に食ってるじゃないか。いただきますくらい揃えようぜ。
「おはようございます、ゴミ虫様」
俺が監査局員たちの協調性のなさを憂いでいると、いつものゴスロリメイド服を着たレランジェが機械的な無感情で挨拶してきた。
「ああ、おはよう。いい加減その呼び名はマンネリ化して笑えないと思うぞ」
「そうですか。でしたら新しい呼び名を考える安定ですね」
「いや、普通に『零児』と呼んでくれ」
「ではレジ虫様で」
引出しを開ければ金が入ってそうな名前になった。こいつも誘波と同じで俺をまともに呼ぶ気がさらさらないからぶっ壊したい…………落ち着け俺、朝からヒステリーはみっともないぞ。
食事を必要としない魔工機械のレランジェは、「やはりゴミ虫様の方が安定します」などと俺のストレスメーターを刺激することを呟きながら、食器を下げる仲居さんの手伝いをし始めた。メイドの性ってやつなのか?
「白峰先輩、桜居先輩、こっちやこっち」
席を確保してくれていたらしい稲葉に手招きされ、俺と桜居は適当に腰を下ろす。桜居が稲葉の隣で、俺がその向かい側だ。
「あはははっ! 桜居先輩なんやそれ? 癖毛が寝癖でウニみたいになってはるやん! めっちゃウケるわ」
「そういうレトちゃんだってなんでジャージなんだよ! 旅館って言えば普通浴衣だろ! 部長として命じる。すぐに着替えてきなさいっ!」
「あー、アレ動きにくいねん」
ウニ頭を指してケラケラと笑う稲葉に、色気皆無なジャージにご立腹の桜居。お前らが仲好し小好しなのはわかったけど、どうして朝っぱらからそんなにテンション上げられるんだ?
と呆れていた俺の両脇に誰かが座った。
リーゼとセレスだ。
二人共旅館の浴衣姿をしている。右隣のリーゼはサイズが合う物がなかったのか、ぶかぶかで鬱陶しそうだな。逆にセレスは誰に習ったのかきっちりと着こなしており、開けた胸元からナイスな谷間が覗いている。なんというか、目のやり場に困るな。俺は料理に視線を移すことにした。
いや待て、なんか変だぞ。リーゼはともかく、セレスだったら座る前に俺に一言断ってきそうなもんだが――
「……」
「……」
う、なんだこの重っ苦しい空気は? なぜ二人はさっきから無言で睨み合ってんだ? お願いします俺を挟むな。
「お前ら、なに朝から険悪なオーラを全開にしてんだよ」
これはもう訊かざるを得ないだろう。中間にいる俺が。どうにかして幾分か空気を穏やかにしないとせっかくのメシが不味くなる。
「聞いてくれ零児! 私はこの〝魔帝〟と一晩同じ部屋で過ごしたんだ。嫌な気分にもなる」
「それはわたしの台詞よ! なんでお前なんかと一緒に寝なきゃいけなかったのよ!」
その絶対的に間違ってる部屋割を決めたのはどこのどいつだ!
「う~ん、リーゼちゃんとセレスちゃんの仲を良好にするつもりで後から部屋割を変えたのですが、逆効果でしたねぇ」
「言うまでもないくらい犯人はお前だったな、誘波っ!」
魔王と聖騎士を一緒に置くな。混ぜるな危険。
全ての元凶――法界院誘波は、稲葉の隣に静かに腰を下ろしてふわふわの笑みを浮かべている。暢気に局長へ挨拶する稲葉や桜居は意識の端に遠ざけておいて、俺はギロっと普段の十二単に戻っている誘波を睨んだ。
「なんて無謀なマネしてんだよ。何事もなかったからいいものを、下手すりゃこの城旅館が敵軍に攻め落とされるより大惨事になってたんだぞ」
「そこは大丈夫ですよぅ。私も一緒でしたので」
なんとも説得力のある一言だった。
とにもかくにも、リーゼとセレスを仲直りさせるなんて端から不可能だ。寧ろ今の状態こそが仲を直したデフォルトの状態だからな。
そうとわかれば――さっさとメシを食って退散するに限る。
とりあえず手を合わせ、いただきます。割り箸を割って焼き鮭の身をほぐす。脂が乗っていて非常にうまそうなのに、両脇からの圧力が消えてくれない。俺は緩衝材か。
「ん? セレス、食べないのか?」
俺はさっきから瞑目するばかりで料理に手を出さないセレスを不思議に思い、問う。
「話しかけないでくれ、零児。私は今、女神セフィロアに祈りを捧げているところだ。私の国では食事の前後にそうする決まりがある」
「へえ。そりゃ結構なことだな。俺たちにまで押しつけてくんなよ?」
とは言っても、その宗教的ななにかは俺たちの世界にも似たようなものがある。『いただきます』『ごちそうさま』が一つの例だろう。
他人の世界のことを訊く趣味はないが、もしかすると、セレスの世界って実は地球にけっこう近いところがあるのかもしれない。でなけりゃこれほど早く彼女が順応することもないだろう。世界観が根本的に違うと、マルファみたいに教育機関に軟禁されるしな。
「リーゼはん、箸の持ち方間違うてるで。ぐーで握るんやなくて、こう親指の付け根と人差し指で摘まむように――」
右隣では稲葉がリーゼに箸の正しい持ち方を講義していた。しかしリーゼはそんなのお構いなしに、ぐーで握った割り箸を白米にぶっ挿して掻き込むように食っている。なんかコワッ。一体昨晩なにがあったんだ? 恐ろしいから訊かねえけど。
俺はみそ汁を啜りながら、逃避のためにもう一度セレスの方に視線を向ける。彼女は黙祷を終えていた。綺麗に割った割り箸を見よう見まねといった様子で握り、ぎこちない動作で煮豆を摘まもうとするが、
……ぽろっ。
……ぽろっ。ぽろっ。
一向に摘まむことができず「うぬぬぬ」と唸っていた。面白いからしばらく黙って見守ろう。
「ではでは、皆さん食事しながら聞いてくださいねぇ」
そうこうしていると、誘波が立ち上がってパンパンと手を叩いた。
「クロちゃんが『影魔導師が昼間に動けるわけねえだろアホか。俺は寝る』なんて言っていたので、昼間の捜査は私たちが本格的に行うことにします」
無理やり声を低くして喋ったのは鷹羽のマネか? 滑稽過ぎるくらい似てないぞ。
「主にやることは昨夜から引き続く次空の監査ですけど、監査官の方には犯人の捜索を行ってもらいます。犯人の特徴は、レイちゃんの証言によると『黒いセーラー服を着た少女』です。目立つので町にいればすぐ見つかると思いますが、恐らくそんなところに堂々と現れたりはしませんね」
当然だろう。指名手配犯が写真や似顔絵の顔のまま街中を闊歩するわけない。ましてや相手は影魔導師だ。顔は隠せても、日光を遮るための特徴的な防護服を外すことはできない。下手すりゃ死ぬからな。
あの女も鷹羽同様に夜――影が満ちるまで隠れ家的な場所に潜んでいるに違いない。俺たちのミッションは、夜というタイムリミットまでに居場所を発見し敵を確保することだ。
そのためにはまず、こちらで仲間割れなんてしている場合じゃないよな。セレスは既に切り替えができているみたいだからいいとして――
「なあ、リーゼ」
「なに?」
「あとでいろんな温泉巡ってみるか? 昨日ここへ来る時に何軒か見かけたし、なんか森の奥に秘湯もあるらしいぞ」
「行く! そのヒトウってのも面白そう!」
一瞬で機嫌が直ったようだ。なんとも扱いやすいお嬢様だ。これで少しはメシが美味くなるだろうね。