一章 二人の影魔導師(1)
〈言意の調べ〉というアイテムがある。そいつはどっかの天才魔科学者が開発した、使用言語の異なる相手と意思疎通できるという便利な品だ。どちらか片方が装備していれば、こちらの言わんとしていることが声に乗って相手に伝わり、相手の言わんとしていることがこちらの理解できる言語に変換されて脳へと届く。無限に存在する異世界を相手取る異界監査官は、たとえ風呂場であろうとも常時装備しておかなければならない。
だからその異界監査官たる俺――白峰零児にとって、『英語』という科目はいらないんじゃないかと思うわけだ。
その旨を懇切丁寧に監査局所属の英語教師に説明してみると、筒状に丸められた教科書で思いっ切り頭をしばかれた。なぜに?
「適当なこと言っても補習からは解放させんぞ、白峰。抜けたければ言われた通りに渡したプリントの英文を全訳しろ」
そう言って英語教師はまた俺の頭をしばくのだった。趣味が筋トレという、体育教師の方が向いてんじゃねえかと思うゴリラ似の男がすることなだけに、けっこう痛い。異世界人と日本人のハーフである俺だって痛いもんは痛い。
「まったく、お前といい迫間といい、どうして日本育ちの監査官は他国語に心を開かんのだ」
英語教師が呆れを孕んだ溜息を漏らす。溜息をつきたいのはこっちだ。〈言意の調べ〉は〝人〟と意思疎通する道具であって、文字の意味を読み解く道具ではない。よってこの目が回りそうなほどびっしり書き記されたアルファベットの羅列を、俺は自分の力だけで打ち破らなければならないのだ。もっとも、それができないから俺は抜き打ちテストでミスって放課後の居残り補習に出席させられているわけだが……。
「こうなったら、今度異界技術研究開発部に行って、〈言意の調べ〉に文字も読めるような機能を追加するように申請するしかないな」
「そりゃ立派なカンニングだ。辞書は使っていいんだから、馬鹿なこと考えていないで英訳に集中しろ」
「へーい」
いやはや、なにが楽しくてこんな英国産ゴリラと密室でお勉強せにゃならんのか甚だ疑問だ。
まあ、幸いなことと言えば補習を受けてんのが俺一人じゃないってことくらいか。
ちらりと横目で右隣を見やる。そこには金髪紅眼の美少女が英文の書かれたプリントと睨めっこしていた。
この中学生と見間違えるほどちっこいお嬢様はリーゼロッテ・ヴァレファール(愛称はリーゼ)。当然、日本人じゃない。ていうか地球人でもない。イヴリアと呼ばれる異世界に君臨していた〝魔帝〟様だ。父親が滅ぼした世界に嫌気のさしていた彼女は、とある事故でイヴリアへと飛ばされた俺が元の世界に戻る際に引っついてきたのだった。
今度は左隣を見てみる。流れるような白銀のポニーテールがそこにあった。
凛然とした表情でまじめに補習に取り組んでいるこの銀髪美人は、セレスティナ・ラハイアン・フェンサリル(愛称はセレス)。異世界ラ・フェルデからこの世界に迷い込んできた聖剣十二将と称される騎士だとか。
片や可愛い系、片や綺麗系の美少女に挟まれている俺は、世の野郎共にとって夢のようなシチュエーションかもしれん。だけどな、『美少女』という要素をデクリメントすると残るのは『魔王』と『聖騎士』なんだ。補習が始まった時からお互いがお互いを威圧するようなオーラを放ってるもんだから、俺に降りかかってくるプレッシャーは実際に味わったことのないやつにはわかるまい。勝てそうにないボス戦で『逃げる』のコマンドを連打したくなるような気持ちだ。
さっきは幸いなことだと言ったが、訂正する。今は寧ろ一人の方がいい。いいが、彼女たちが先に終わることなんてまずありえない。
スヴェン・ベルティルの事件から一週間が経っているとはいえ、この二人はこちらの世界に来たばかりなのだ。地球の共通言語、それも高校生レベルの文章を理解するなんて当分できるわけがな――
「できたわ。これでいいの?」
「こちらも終了しました」
なんですと?
二人が同時にペンを置いたのを見て、俺は冷や汗が噴き出すのを抑えきれなかった。
「ふむ、まあ、だいたい合ってるな」
プリントを受け取った英語教師が満足げに頷いた。いやいやいや、そんなわけがないだろう。
「先生、女子だからって甘やかすのは教育上どうかと思いますよ?」
「こちらに来て一週間そこらでここまでやれれば上出来だろう」
ピラリと英語教師が二人のプリントを見せてくれた。書き殴ったような文字はリーゼ、几帳面さが浮き出ている綺麗な文字がセレスだろう。ラッキー、今のうちに少しでも答えを記憶して……ってあれ?
「先生、なんか問題が違って見えるんですけど?」
「ん? そうか、すまなかった。白峰も小学校レベルから復習した方がよかったか」
「なんすかそれっ!?」
小学校レベルくらいなら俺だってわかる(たぶん)。なにこの差別? ――いや、よく考えれば当たり前か。こいつら日本語だってまだ平仮名くらいしか読み書きできないんだ。初歩の初歩から教えることこそ普通だ。
それでも二人は天才なんだろうな。俺だったら絶対無理だ。本来ならある程度の知識を身につけてから異世界人を入学させる異界監査局付属伊海学園に、その辺のカリキュラムを省略してリーゼとセレスを入れたのは彼女たちなら問題ないと判断したからかもしれない。
「さっきから聞いていれば零児、貴様は私がお情けで及第点を貰ったとでも言いたいのか?」
「そこの騎士崩れはどうかしんないけど、わたしはちゃんとできたわよ」
おっと、まさかの両サイドから反撃が飛んできた。セレスさん、布で包んでいるとはいえ聖剣ラハイアンを喉元に突きつけないでください。怖いんで。
「き、騎士崩れだと? 〝魔帝〟リーゼロッテ、末席とはいえ聖剣十二将の私を愚弄することは許さんぞ。今ここでこの前の決着をつけてもいいのだぞ?」
「フン、望むところよ。今度こそお前を灰にしてあげるわ」
「あー、喧嘩するなら余所でやれ」
「おいゴリラ止めろよ! あんた教師で監査局員だろうがっ!」
「誰がゴリラだ白峰!」
結局、暴れ出しそうな二人をボコられながら諫めたのは俺だった。




