三章 異界監査官(10)
黒炎の火柱が消える。
そこで、俺は信じられない光景を目にした。
「あ、あいつまだ……」
自転車くらいの大きさになったスライムが、焦げた胡麻団子のような姿で動いていた。
「丁度いいわ」リーゼが非常に極悪な笑みを浮かべ、「まだやり足らなかったとこだったのよ」
ビクッ! とスライムが焦ったように跳ねた。なんか恐怖という感情が芽生えたようだ。事実、俺も今のリーゼは恐ぇ……。
再びリーゼは魔法陣を展開する。もう一度アレをするみたいだ。今度こそスライムは跡形も残らないだろうな。
しかし、次の瞬間、スライムは大きく跳躍して川にダイブした。
「むっ!」
「あ、逃げやがった」
川の流れは穏やかだが、すぐにスライムの気配はなくなる。
「に、逃がさないわよっ! わたしの炎が水くらいで消せると思ったら大間違いなんだから!」
未だに怒りの収まらないリーゼもスライムを追って川に飛び込んだ。そこまでするとは、相当に嫌だったんだな。今度から食卓に山芋も出さないように気をつけねば。
「あ、そういえば」
「ん? どうした、レランジェ?」
「マスターは泳げません」
……………………はい?
「あっぷ! こ、ここ足届かゴプッ!?」
「いいんだよな!? アレ〝魔帝〟でいいんだよなっ!?」
バシャバシャと水飛沫を立てるリーゼは本気で溺れる子供にしか見えない。果てしなく格好悪い。そういや、彼女の親父は食中毒で死んだのだったな。
「た、助け……あぷ……」
プクプクと泡だけを残して沈んでいくリーゼ。
「ちょ、早く助けねえとマズイんじゃないか!?」
俺はレランジェを見る。
「レランジェは魔工機械不安定ですので」
防水処置くらい施しとけ。
「自慢ではないが、私も泳げないんだ」
確かに自慢じゃねえよ、セレス。
スヴェンは距離が離れすぎていて間に合わない。つまり――
「結局俺が行くのかよ!」
素早く上着を脱いで俺は川に飛び込み、沈みゆくリーゼをキャッチする。彼女は意識を失っているらしく、ぐったりとしていた。
「ったく、泳げねえくせに飛び込むなよ」
俺は河原に引き上げたリーゼを優しく寝かせる。
「白峰零児、彼女、呼吸はしているかい?」
デュラハンの掌の上からスヴェンが問うてくる。俺は口元に手をあてた。
「ああ……して、ないな。よし、セレス、人工呼吸を頼む」
「な、なぜ私がっ!? 零児がすればいいだろう!」
「ぶっ! お、俺がやれってのか!?」
「ゴミ虫様に任せるくらいならこのレランジェにお任せ安定です」
俺とセレスが躊躇っている間に、レランジェはリーゼの額を押さえ、顎を持ち上げて気道を確保し、続いて鼻を押さえると、柔らかそうな唇に自分の唇を重ねた。てか、なんで異世界のロボが地球の人工呼吸を完璧にこなせるんだ?
傍目には美少女同士のディープキス、なんて考える俺はきっと負け組だろう。
「げほっ! ごほっ!」
何度目かの人工呼吸でリーゼは息を吹き返した。しかし、意識はまだ失ったままだ。
主の安否を確認したレランジェが珍しく俺に一礼する。
「マスターを助けていただき、このレランジェ、感謝の気持ちもありません」
「そこはあれよ」
まあ、結局助けたのはこいつだしな。俺は羞恥心のせいで人命救助を躊躇った愚か者だ。決して勿体なかったなどとは思ってません!
その時――
「ちょっと待て、〝魔帝〟の様子がおかしい!」
セレスが、焦燥の声を出した。
「リーゼ!?」
俺はリーゼの様子に驚愕とした。体中が赤黒くに染まり、発汗が酷い。手足が時々電気ショックでも受けたようにピクンと跳ねている。
そしてなにより驚いたのは、彼女の魔力が張り裂けそうなほど膨張しているところだ。
「あ、が、ぐがああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
ついに、リーゼは意識のないまま叫び始めた。
溺れて風邪を引いたとかそんなレベルではないことは見ればわかる。
「一体、どうなってるんだ……?」
なにやらとんでもない事態が起こっている、と俺は直感した。




