四章 贖罪の魔王(2)
「――というわけで、俺がお前の尋問を任されることになった」
マトフェイが意識を取り戻したのは、会議が終わってから三時間後のことだった。その間、俺はずっと監視していたからめちゃくちゃ退屈だったよ。マトフェイの脱走よりも、フェイラの部下が先走って暗殺に来ないかの方が心配だったけどな。
鉄格子もとい溶岩格子の向こう側にいるマトフェイは、しばらく無言で俺を睨みつけ――
「千の剣を佩く者よ。何故、汝は煉獄の女帝に……熾天の聖女たる我の宿敵に手を貸しているの?」
相変わらずの中二文章で疑問を投げかけてきたよ。
「翼を焼かれ、地に堕ちたか」
「その表現だとお前の方が当てはまるだろ。なんでボロボロになって海を漂ってたんだ?」
「……」
さっそく尋問を始めると、ビクッ! 一瞬で顔を青くしたマトフェイは自分自身を抱き締めて震え始めたぞ。よっぽど怖いことがあったようだ。
「エルヴィーラにやられたのか?」
「――ッ!?」
眼帯をかけていない方の目が大きく見開かれた。カマをかけてみたが、当たりっぽいな。
「仲間を裏切って俺たちを助けたから、切り捨てられちまったわけか?」
「……違うもん。自分の手柄と身を守るために使徒パウェルに歯向かっただけだもん。敵を助けるつもりなんてなかったもん。ぐすん」
あーあ、涙目でぐずり始めちゃったよ。なにこれ俺が悪いの?
「と、とりあえず飯でも食え。ほら、クレミーが作った謎肉のステーキだ。毒は入ってないから」
俺は牢の小窓から肉汁滴るステーキを差し出す。確かに毒は入ってないが、俺は知っている。これ実は腐りかけの肉だったんだよ。あのクレミーが捕虜相手にいい肉を使うはずないからな。まあ、事前に俺も食ったから大丈夫だと思うけどね。
マトフェイは肉を見詰めて、じゅるり。だらしなく涎を垂らしたが、すぐにハッとしてそっぽを向いた。
「……敵の施しは受けないわ。殺すなら殺しなさい」
「殺す気の奴らを必死に宥めて今の状況があるんだよ」
ぐきゅるるるぅ。
マトフェイのお腹から大変可愛らしい音が鳴った。かぁああああっと一瞬で赤面したマトフェイは、俺からステーキ(消費期限切れ)を掻っ攫ってがっつき始めたよ。魔王の眷属でもやっぱり空腹には抗えないようだな。
「そんで確認なんだが、お前はエルヴィーラに捨てられたって認識でいいのか?」
「汝の問いかけに答える義理はないわ」
胃袋が満たされたからか、少し余裕を取り戻したマトフェイ。バサッと翼を広げて臨戦態勢を取ったぞ。
無駄なのにな。
「クロイス・デス・ズューデンス、澄み渡る明光よ、聖なる十字よ、罪を裁け。破邪の槍!」
詠唱から技を放とうとするマトフェイだったが、なにも起こらなかった。魔法陣どころか魔力すら放出されていない。
「ふぇ?」
「お前につけられてるその枷は魔力を封じるものらしい。上位魔王クラスだと抑え切れないが、滅罪の十二使徒最弱のお前くらいなら問題ないってよ」
「わたし最弱じゃないもん!? そ、そんなの最初からわかっていたわ。これは……そう! 本当に封じられているか試しただけよ!」
わかってなかったっぽいな。
「くっ……殺せ」
「その台詞、最近は魔王軍側が言うのがトレンドなん?」
諦めて翼を折り畳んだマトフェイは、牢屋の隅っこで膝を抱えて丸くなっちまった。あの状態から情報を聞き出すのは至難の業だぞ。今日のところは帰ろうかな?
「……汝らが勝利の栄光を手にすることは叶わないわ」
踵を返そうとした時、マトフェイがポツリと呟いた。
「ご飯と、命を助けてくれたお礼に一つだけ答えてあげる。魔王様はわたしをただ切り捨てただけじゃない。下位使徒に分散させていた力を回収し、上位使徒に再分配したの。任務に失敗した第七位以下の滅罪使徒たちはたぶん、わたし以外生き残っていないわ」
「力を回収した? 数が減った代わりに個々が強くなったってことか?」
「そ、その認識で合っているわ」
訥々と語るマトフェイの声は酷く震えていた。自分より上の使徒たちがエルヴィーラに惨殺され、彼女自身も殺されかけたんだ。そりゃ思い出したくもないトラウマになっていても仕方ない。
エルヴィーラは、また仲間を殺したのか。
滅びが救いだと説いている奴からすれば、それはいいことなんだろうけど……俺に言わせれば虫唾が走る愚行だぞ。
魔王だからといっても異常すぎる。フェイラはもちろん、あのフィア・ザ・スコルピでももっと仲間を大事にしていたはずだ。
「……クソッたれだな」
とにかく、一番知りたかったことは聞き出せた。予想よりもやべーことになっているようだから、早くフェイラに報告して――
【――見つけました】
ぞくり、と。
背筋が凍る。マトフェイの口からマトフェイのものではない声が発せられたからだ。冷淡で冷酷で慈悲があるようでない、その女の声は――
「『贖罪の魔王』エルヴィーラ・エウラリア」
【そこにいるのは『千の剣の魔王』ですね。やはり第十二位使徒には成すべき贖罪があったようです】
ゆらりと立ち上がったマトフェイが一歩、また一歩と俺の前へと歩み寄ってくる。まるで人形が糸で操られているような危うい歩調だ。
「マトフェイの体を乗っ取ったのか?」
【正確には私の魔力を通じて意識をお借りしています】
会話はできる。というか、それ体を乗っ取ったのとなにか違うん?
【この贖罪を持って彼女の罪は赦されるでしょう】
俺の前に立ったマトフェイ、もといエルヴィーラは、おもむろに手刀に構えた手を自分の左胸へと突き刺――
「――ッ!?」
そうとした寸前、俺は咄嗟に生成した剣の腹を割り込ませた。あ、危ねえ。あまりにも自然すぎた。ぼーっとしてたらマトフェイが殺されていたぞ。
【なぜ邪魔を?】
「当たり前だろ! 目の前で自殺なんてさせるかよ!」
敵だとしても元人間。しかもご主人様に捨てられて傷心中の女の子だ。そこに一切も情が湧かないほど俺は心を捨てちゃいない。
【まあ、よいでしょう。あなたにはまだ伝えたいことがありました】
「なんだって?」
エルヴィーラから直の伝言? 怖すぎて聞きたくない。
【あなたのお友達の大罪人ですが、二人とも私の艦に捕えております】
「なっ!?」
望月とルウのことだ。この世界に『煉獄』の魔王軍を除いて俺の味方はその二人しかいない。上手く逃げたと思ってたのに、捕まっちまったのか。
【まだ断罪はしていません。『千の剣の魔王』、あなたが『煉獄の魔王』と手を切るのであれば解放しても構いませんよ】
「人質ってわけか? 罪深いぞ。魔王のすることじゃないな」
【罪人を利用することは罪ではありません。ああ、今この場で答えを言わなくとも結構です。言葉ではなく、行動で示していただきます】
「……」
エルヴィーラは『寝返ろ』って言っているのか? いや、フェイラを切って自分たちと手を組めって話じゃなさそうだ。俺を孤立した第三勢力に戻すことが狙いか。
【言っておきますが、猶予は与えませんよ】
「は?」
どごぉおおおおおおおおおおおおん!!
凄まじい衝撃音と共に次空艦『カエルムイグニス』が上下左右に大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
天井や壁に体を打ちつける俺。まるで同じくらいの規模の質量が爆速で衝突したかのような衝撃だ。ここが溶岩地帯だったら危なかった。
「おい、お前なにをした?」
牢屋の中に視線を戻すと、マトフェイはぐったりと倒れて目を閉じていた。呼吸はしている。死んではいない。今の衝撃で頭でも打ったか、それともエルヴィーラが離れたことで意識を失ったのか。
艦内に警報と共にフェイラの声が響き渡る。
《全艦戦闘準備だ! 『贖罪』のイカレ女が来やがったぜ!》




