三章 異界監査官(9)
スライム。異世界の生物。
俺がリーゼたちの相手をしている間に門を通ってきたようだ。
足が地面から離れる。そのままスライムの本体へと引き込まれる。
「くそっ、異獣か!」
〈魔武具生成〉――日本刀。
俺は右手に構築された刀で触手を斬り落とした。
「レージ!」
異獣の出現にリーゼたちも気づいた。
「リーゼ、レランジェ、遊びは終わりだ。こいつを片づけるぞ」
「は? なに言ってんのよ。こっからが本番の遊びなんじゃない」
好戦的な笑みを浮かべて両掌に黒炎を宿すリーゼ。それだけで俺は理解した。異獣は元の世界に帰してあげるのがマナーだが、このお嬢様はキャッチ&リリースするつもりなんて考えてすらいない。
「リーゼ、あいつを『次元の門』に叩き込んだらお前の勝ちだ」
「わかった。適度に焼き殺してから投げ込めばいいのね」
わかってない! この子ったら全然わかってない!
「さあレランジェ、まずは一発派手にぶち込んじゃって!」
「了解です、マスター」
レランジェの伸ばした腕が機械的な音を立てて展開する。青白い火花が弾けると共に、魔導電磁放射砲は咆哮した。
青白い電撃光線はピンク色の粘体に直撃。その体を一瞬で爆散させる――ことはできなかった。
不定形の異獣は、何事もなかったかのようにうねうねしていた。
「レランジェは手加減していません。なぜ効かないのですか?」
「絶縁体な上に衝撃吸収性能でもあるんだろ。どいてろ、次は俺が行く」
俺は日本刀を中段に構えて疾駆する。峰打ちなんて甘い真似はしない。あのようなスライム系統に打撃は通用しないことくらい知っている。
着実に距離を詰める俺に、対するスライムもただ待ってはくれない。そのイソギンチャクみたいな気色悪い触手を鞭でも振るうかのごとく伸ばしてくる。
だが、俺は止まらない。
襲ってくる触手を斬り捨て、かわし、かわし、かわし、斬り、斬り、かわし、薙ぎ払い、かわし、かわし、かわし、斬り、かわし、刀の間合いへと踏み込む。
一閃。
銀の刃が煌めき、スライムの上部三分の一ほどが綺麗にずれ落ちた。
――直後。
「ぐふっ!?」
新たに生えたスライムの触手が俺の腹を強打する。あまりの衝撃に吹き飛んだ俺はリーゼたちの足元まで転がった。
「あははっ! レージ、かっこわるいわね。途中まではよかったけど」
「うるせえよ」
「なぜ今ので死んでくれなかったのですか?」
「このくらいで死んでたまるかっ!」
とは言ってもけっこう効いた。昼に食った物を戻しそうだ。それに――
「気をつけろ。あのスライム、ただプニプニしてるだけかと思ったらそうじゃない。俺に一撃入れる直前、自分の体を硬化させやがった」
「それがどうしたって言うの? わたしの炎の前では関係ないわ!」
そう言ってリーゼは黒炎を纏う。瞬時に学校の制服からいつもの黒衣に入れ替わった。
「雑魚魔獣のくせにわたしのレージに手を出したこと、後悔する暇も与えないわ!」
恋人とかではなくオモチャという意味なのはわかっているけれど、やっぱり恥ずかしいぞ、その台詞。
「焼き尽くしてあげる。大丈夫、形だけは残してあげるから!」
リーゼの前方に黒い魔法陣が出現する。凄まじい黒炎の奔流が光線のごとくまっすぐに放射される。
バカッ! と言う暇はなかった。あの何千度もありそうな熱量だと昨日の廃ビルは助かっても生物は確実に消えてなくなる。
――そう思っていた。
「と、飛びやがった」
スライムとは思えないほどの高い跳躍で黒炎は簡単にかわされてしまった。その挙動にリーゼは驚いていたが、顔は笑っていた。
「狙い撃ち安定ですね」
レランジェの言う通り、自然落下が始まりかけたスライムを、リーゼは縁日で射的をする時のような笑顔で狙っている。
しかし、そこを突かれてしまった。
まさか斬り落としたはずの部分がまだ動くとは、俺たちは誰も思っていなかったんだ。
「「「!?」」」
細い糸状に変形したスライムの塊に、俺たち三人は蜘蛛が獲物を食す時のように雁字搦めにされた。性質は粘着質な上にゴムみたいに伸びるため、引き千切ることも斬り裂くこともできない。
「畜生、動けねえし……このぬるぬる感が果てしなく気持悪い」
「これがあの魔獣の狩りのやり方で安定なのでしょう。本体を囮に使うとは、見事にしてやられました」
「分析している場合か! リーゼ、どうにかこれ燃やせないか?」
俺が一縷の希望を持ってリーゼを見ると、彼女は顔を青くし、脱力したようにペタンとへたり込んでいた。なんか「きゅぅ」とかいう小動物的呻き声を漏らしている。
「思い出しました」
「なんだ、レランジェ?」
「マスターはこのようなぬるぬるのネバネバが大の苦手不安定でした」
「あいつはホントに〝魔帝〟だよなっ!?」
と無表情メイド人形にツッコミを入れている場合でもない。降ってきたスライムの本体が弱ったリーゼに触手を伸ばし始めた。
「くそったれ!」
俺は日本刀を捨て、右手に魔力を集中させる。
〈魔武具生成〉――大薙刀。
生成した長柄武器をスライムの糸の隙間から突き出し、どうにか寸前で触手を切断した。だが、その反動でバランスを崩した俺は転倒してしまった。
次は、対処できない。
触手を一本斬ったくらいではスライムは止まらない。今度はさらに本数を増やして俺たち三人を同時に狙ってきた。はっきり言おう、ヤバイ。
「――光よ、撃ち抜け!」
凛とした声が響いた。次の瞬間、無数の光弾が雨のように降り注いで全触手を一瞬で薙ぎ払った。
「なんとも無様な格好だな、〝魔帝〟リーゼロッテ・ヴァレファール」
河川敷に下るための階段から俺たちを見下ろすように、槍のように長い剣を携えた銀髪ポニテの少女が立っていた。伊海学園高等部の制服を纏い、その上から肩当て・胸当て・ガントレット・白マントとフル装備。なかなかに珍妙な格好だが、なぜか様になっている。
援軍。なんて絶妙なタイミングなんだ。こいつはありがた――ん?
「セレス、お前ら近くにいたはずだろ。なんでこんなに遅く登場すんだよ!?」
「いや、それはその……す、すまない。その、ソフトクリームとやらを食べていたら、いつの間にか見失っていて……」
もしかして、俺らのせいだったりする?
セレスに遅れてスヴェンがやってくる。
「話は後にしよう。まず異獣を片づけるべきだ。セレスティナ、君はまず彼らの解放を」
「わかりました」
スヴェンの指示にセレスは頷くと、忍者のような俊敏さで俺たちの方へ跳躍する。
「――来るんだ、デュラハン!」
スヴェンが叫ぶ。すると、スライムの前方の地面が隆起、爆発する。
土埃を巻き上げて現れたのは、首のない機械仕掛けの巨人。スヴェンは素早く駆け寄ると、巨人の掌の上に飛び乗った。
右手に持つ槍のドリルが高速で回転を始める。
とりあえず、俺は一つだけ言っておきたいことがある。
「この街の地下はどうなってんだよ! 絶対穴だらけだろ!」
そのうち地盤沈下でも起こったらあいつの責任だ。間違いなく。
「零児、少し黙っていてくれ。お前を傷つけずに焼き切るのはけっこう神経使うんだ」
とか言いつつも、セレスは輝く聖剣で器用にスライムの糸だけを取り除いていく。俺が動けるようになるまでそう時間はかからなかった。続いてレランジェ、リーゼと解放していく。
「あんの雑魚魔獣っっっ!! よ、よくも〝魔帝〟で最強のわたしにあ、あ、あんな気持悪い真似を……殺す」
ぬるぬるのネバネバが大っ嫌いなお嬢様は大変御立腹のようだ。今後食卓に納豆を出すのは控えておこう。
で、リーゼが口から火を噴きそうなほど憤慨している間、スヴェンとスライムの戦闘はというと――――ドリルにスライムが絡まって停止していた。
見てなかったけど、たぶん、一突きした時に巻き取るようにして絡まったのだと思う。
「デュラハン、早く引き剥がすんだ! もし故障でもしたら直すのに何ヶ月かかるかわからない!」
確か、あのデュラハンとかいう機械巨人はスヴェンの思念で動いていたはず。本人が慌てているもんだから巨人の動きもぎこちない。アレじゃもっと絡まるだけだ。
その時、スライムが体を変形させて自分からドリルを離れた。ここぞとばかりに、スヴェンはドリルを回転させないままスライムを薙ぎ払った。
そして、スライムの飛んでいく先にはセレスがいる。
「――はあっ!!」
裂帛の気合いと共に彼女は聖剣ラハイアンを一閃する。回転ノコギリみたいな光の渦が放たれ、スライムを真っ二つに両断した。
「よし」
「ダメだセレス! 斬ったくらいじゃやつは倒せない」
俺は地面を蹴り、武器を大薙刀からさらに変更させる。
〈魔武具生成〉――鉄槌。
これで俺の魔力はなくなったようだが、これからトドメだから関係ない。
「やつを『次元の門』へ送り返す」
「嫌々ながらお手伝いしましょう」
と、レランジェが横に並ぶ。俺は鉄槌をスイングし、レランジェは回し蹴りで二つに裂けたスライム破片を同時にシュートした。
まるで球技のような勢いで飛んでいくスライム。『次元の門』への狙いは二つの塊とも正確だ。
――だが、寸前で『次元の門』が消滅してしまった。
「なにっ!?」
スライムは土や石を引っつけて地面を転がると、千切れた体を全て戻して統合させた。縮んでいた大きさが元の乗用車くらいに戻る。
ダメージなんてこれっぽっちも受けてないようにプニプニと体を蠢かすスライム。
その背後に、修羅が立った。
「わたしにあんな嫌な思いをさせたお前は完全燃焼してもなお燃やしてあげるわ」
ビシリ、とただならぬ怒気に空気が軋む。
膨大な魔力が集中する。
スライムを中心に黒魔法陣が展開。
いや待て、これまでより魔力も陣もでかいんですけど。大丈夫か、これ?
「退避安定です」
「ですよねー」
レランジェに従い、俺たちは魔法陣からできるだけ離れるために走る。
直後、富士山が噴火した方が可愛いんじゃないかと思うほどの火柱が天を突いた。