三章 煉獄の魔王(6)
翌日の午後。
俺は『カエルムイグニス』の甲板で魔力を纏う訓練を行っていた。こんなのは人間の三流魔術師だって普通に使っている基礎中の基礎かもしれない。でもな、昔の俺は少ない魔力で〈魔武具生成〉を遣り繰りしていたんだよ。だから魔力はスキルに消費するMPみたいなもんで、それ自体を『纏う』なんていう発想がそもそもなかった。
訓練にはすっかり仲良くなってしまった骸骨戦士くんたちに手伝ってもらっている。彼らが振るう炎の魔剣は鉄くらいチョコレートのように溶かし切っちまうが、魔力を纏った俺には掠り傷一つ与えることもできない。
一般的には気休め程度の防御力なんだろうけど、俺は魔王だからな。強大で質の高い魔力が莫大。なるほど、確かにこれは『勇者』と呼ばれるような特別な人間じゃないと太刀打ちできんわ。
まだ意識しないといけないが、纏う速度はだいぶ速くなってきたぞ。そりゃ基礎中の基礎だもんな。ぶっちゃけ、魔力操作で言えば〈魔武具生成〉の方が圧倒的に複雑で難しい。
同じ要領で全身ではなく掌に魔力を集め、凝縮し、前方に撃ち出せば魔力砲になるんだろう。手からビームはちょっとやってみたいロマンだが、制御できずにどんな破壊をもたらすか想像もできん。やっぱり俺は魔剣砲の方が性に合ってるよ。
「よし、今度は同じ場所を同時攻撃して――ん?」
骸骨戦士くんたちに次の指示を出そうとすると、ヒラリヒラリ。炎で形作られた三匹の蝶が舞い寄ってきた。
「こいつは確か……」
ゴスロリドレスの幼女――最後の『獄門天』ブリュレが使役している炎蝶だったはずだ。
「俺になんか用か?」
俺の周りをヒラヒラ飛び回る炎蝶に訊ねるが、返事があるわけもないな。すると、骸骨戦士くんたちがカタカタと歯を鳴らしながら慌てた様子で身振り手振り。一人が炎蝶を指差し、一人が隣の艦を示し、一人がグッとサムズアップ。
「ああ、この蝶の主人が俺を呼んでるってことか?」
理解すると、炎蝶たちが案内すように飛んで行く。仕方なく訓練を中断し、骸骨戦士くんたちにお礼を言ってから俺は炎蝶を追いかけることにした。
隣の艦は『カエルムイグニス』に接舷していたので簡単に飛び移ることができた。炎蝶に案内されるまま船内に入り、通路を進み、やがて可愛くフリフリにコーディングされた扉の前に辿り着く。周りは無骨な溶岩なのに、ここだけ妙に女の子女の子していて別世界っぽいぞ。
炎蝶は燃え尽きたように灰となってサラサラ消え去った。
気配でもわかるが、この非常に開けづらい扉の奥に俺を呼んだ主人がいる。
「なにをしていますの? ノックはいいですからさっさと入りなさいですの」
あちらも俺が来たことはわかっているようで、もたもたしてたら少し苛立った声がかけられた。このまま躊躇っていたら攻撃されかねないな。
ごくりと生唾を呑み、扉を開いて中に入る。
そこは……うっ、一面ピンク系で目に痛いぞ。八畳ほどの広さだが、壁も床も天井もパステルピンク一色。ふかふかフリフリの天蓋つきベッド。奥の壁に並んだ棚には可愛らしい小動物を象った精巧なガラス細工が並んでいるよ。同じ溶岩の船の中とは思えないな。
「ようこそ、いらっしゃいましたの。歓迎しますの、『千の剣の魔王』」
白いオシャレなテーブルで優雅に紅茶を啜っていたのは、フリッフリのゴスロリドレスに身を包んだ女の子だった。ピンクの髪をドリルヘアーに整え、大きな赤い蝶の髪飾りをつけている。小さな体だが、感じる魔力は他の幹部たちとも引けを取らない。
「ブリュレだったな。俺を呼びつけてなにをするつもりだ?」
俺は結局、ここに来てから関わった幹部全員とバトルしてるからな。こいつもそういう目的なのだとしたら、いつ襲われるかわからん。すぐに武具の生成を、いや、ここはフェイラの教えに習って相手がなにかするより先に魔剣砲をぶち込んでやる。
「そう警戒しなくてもよろしいですの。わたくしは他の戦闘狂と違って、あなたの力を試すつもりなんてありませんの」
そんな俺の思考を読んだのか、ブリュレはそう言ってガラス製のティーカップを優雅にソーサーへと置いた。
「じゃあ、なんで呼んだんだ?」
「あなたと少しお話してみたくてお茶会に招待しただけですの」
新しいカップにガラスのティーポットから紅茶を注ぎ、俺へと差し出してくるブリュレ。戦意はないと油断させて毒殺する可能性は……ないな。フェイラの魔王軍は脳筋寄りだから、そういう姑息な手は使わないだろう。
「意外だな。魔王軍はどいつもこいつもなんだかんだで血気盛んだと思ってたんだが」
俺は促されるまま椅子に腰かけ、出された紅茶を啜った。ダージリンっぽい香りだな。毒はない。まあ、仮にあったとしてもちょっとやそっとの毒じゃ俺に効果なんてないからね。細菌ならともかく。
「わたくしにだって破壊衝動はありますの。でも、それに侵されて我を失い本能のまま暴れる獣など上位魔王軍にはいませんの。あのエスカラーチェですらセーブする時はちゃんとセーブしますのよ」
「そこはかとなく同僚を馬鹿にしてる気がするけど、まあいいか」
テーブルには焼き菓子もあったから遠慮なく貰う。食える時に食っておかないとな。いつまた外に放り出されるかわかったもんじゃない。
「で? 俺はどんな話に付き合えばいいんだ?」
魔王軍の幹部と世間話とか、戦いの話題しかなさそうだぞ。
「あなたは元々人間でしたの?」
「ああ、そうだが。ていうか今も魔王兼人間のつもりだぞ」
「でしたら教えてほしいことがありますの。あなたの世界の常識で構いませんので」
どんな質問だ? と思っていたら、ブリュレはカッと目を見開いて小さな掌をテーブルに叩きつけるようにして身を乗り出した。
「普通の人間の少女はどのような可愛いご趣味をされていらっしゃるの!?」
「……は?」
一瞬、わけがわからなかった。いや冷静に質問を嚙み砕いても意味さっぱりだぞ。なんで魔王軍の幹部がそんなこと知りたがるんだ?
鼻息を荒げ、目は血走っている。さっきまでの淑女然とした雰囲気はどこへやら。やっぱりこの魔王軍だなって感じる過激さを垣間見た気がする。
「はっ! 申し訳ございませんの。わたくしとしたことが、少々急ぎ過ぎましたの」
我に返ったブリュレは――すとん。元の椅子に収まって紅茶を一口。震えていた手が次第に落ち着いていくよ。大丈夫? なんかの禁断症状出てない?
「ご説明いたしますの。まず、フェイラ様が『火山の化身』であることはご存じですの?」
「ああ、それは聞いたよ。お前ら幹部も火山に関連する象徴を具現化した存在だってこともな」
「ええ、わたくしには〝火山灰〟を操る力がありますの」
ブリュレが掌を上にして差し出すと、中心から白っぽくてサラサラとした砂状の灰が溢れた。その灰が集束したまま宙を舞い、蝶のような形になる。
ボッ! 灰の蝶が燃え始めた。へえ、あの炎蝶はこうやって生まれてたんだな。
「ふふっ、蝶は可愛くて美しいわたくしの一番好きな生物ですの」
「確かに綺麗だな。それにあんまり熱くないぞ」
「あ、触らない方がいいですの。今作ったのは起爆する蝶ですの」
「あっぶな!? 部屋の中でなんてもん作ってんだ!?」
慌てて触ろうとした指を引っ込める俺。
「実戦をするつもりはないのでお教えしますの。わたくしの戦い方はこの蝶で相手を爆撃したり、広範囲に灰を降らせて敵の足を止めたり呼吸を奪ったり。もちろん、普通に炎で攻撃することだってありますの」
なにそれ怖い。実際に火山が噴火したら火山灰が一番広く被害を与えるわけだから、単純な火力以外の勝負ならブリュレが幹部最強なんじゃないか? 戦わなくてよかったぁ。
「さらに、ここからがわたくしの腕の見せ所ですの」
今度はブリュレの掌で灰が渦を巻く。そこへもう片方の手で温度を調節するように炎をくべていくぞ。なにをする気だ? 危ないことじゃないよな?
あっという間に超高温の竜巻になったが……なんだ? 中でなにかが形作られていく。
「今ですの!」
ブリュレの合図で竜巻が霧散した。すると、その小さな掌には棚に並んでいるものと同じガラス細工が出現していたんだ。
主であるフェイラを十二分の一くらいのスケールで再現したらしい。細かいところまでかなり精巧に作られている。
「すごいな。俺は芸術には疎いけど、美術館に展示されてもおかしくない出来だと思うぞ」
「ありがとうございますの。ガラス細工はわたくしの趣味ですの。もっとも、戦場では人形ではなく武器を作って相手をぶち殺していますのよ」
「怖い怖い怖い!? 淑女の笑顔で物騒なこと言うな!?」
「よければ差し上げますの。お近づきの印ですの」
なんかフェイラのガラス人形を押しつけられちまった。よくないんだけど、断って機嫌を損ねるわけにもいかないから一応貰っとく。うん、まだ熱が冷め切ってなくて火傷しそう。手に魔力纏っとくか。
「それで、さっきの質問となんの関係があるんだ?」
ちょっと忘れかけていたが、ブリュレは俺の世界における『普通の女の子の趣味』を訊いてきた。フェイラやブリュレの元ネタがどう関わってくるのかさっぱりわからん。あと俺、男の子なんですが?
「だいぶ話が逸れてしまいましたの。つまり、わたくしたちは元々自然物――『人間ではなかった』ということですの。滅ぼす対象のことを一切知らないまま蹂躙していましたの」
「……」
魔王軍っぽい会話が出るとどうしても怒りの感情が湧いてくる。こいつらともいつか本気で潰し合いをすることになるかもしれんが、少なくとも今は違う。抑えろ俺。
「ある日どこかの世界でしたの。半焼で残っていた貴族のお邸で見つけた可愛らしいお部屋に、わたくしは心を奪われましたの。貴族の娘が住んでいたお部屋でしたの。『可愛い』『美しい』という感情が自分に芽生えたことには当時驚いたのですが、以降、わたくしはそういった物に惹かれるようになりましたの。特に人間の少女はわたくしの琴線に触れるご趣味をなさっていることが多いので、あなたの世界のこともお聞きしたかったですの」
「……自分で滅ぼしといて人間の真似事してんのか?」
こういう女の子っぽい部屋になっている理由はわかった。わかったけど、やっぱりどうにも釈然としないな。
「『純粋悪』や『絶対悪』を掲げる魔王の眷属としてどうかしているのは理解していますの。ですが、『人間らしく』なることはフェイラ様も推奨されていることですのよ?」
「そういえば……」
クレミーが恥ずかしがってるのを見てフェイラは気分よさそうに笑っていたっけ。あいつはあいつで、『人間』に対してなにか思うところがありそうだな。
「正直納得いかんが、そういうことにしといてやる」
「では、教えていただけますの?」
「うーん」
俺は腕を組んで天井を仰いだ。教えたくても、『普通の女の子の趣味』なんて俺が知るわけないんだよな。一般人の女子生徒に知り合いはいるが、趣味を聞けるほど仲良くなったことなんてないし、部屋になんて当然入ったこともない。郷野は一般人だが絶対に『普通』の枠じゃないし。うーんって唸るしかないよね。
そもそも『普通』の定義ってなんだよ。多種多様だろ。
「あっ」
待てよ待てよ。あるぞ。女子っぽい部屋なら一つ心当たりが。
「もふもふなぬいぐるみを集めるとか、かな?」
悠里の部屋だ。大量のもふもふしたぬいぐるみで埋もれていたあの場所。まあ、アレが普通かどうかは置いといて、俺が答えられるのはこのくらいしかない。
「ぬいぐるみ、とはなんですの? ガラス細工で作れますの?」
おっと、そこからでしたか。
「このガラス細工フェイラと同じ人形だが、素材が違う。布に綿を詰める感じで作ったものだ。おっと、俺に作り方を聞くなよ? 家庭科の授業は真面目に受けてなかったからな。料理はともかく裁縫は壊滅的だぞ」
「裁縫……なるほど、この衣装を作るようにすればよろしいですのね」
「あ、そのフリフリドレスも自前だったのね」
部屋の趣味といい、淑女な雰囲気といい、何気に俺が今まで出会ってきた中で一番女子力高い気がするよ。人間勉強中の魔王の眷属なのに。
ブリュレはとたたたっと箪笥に駆け寄ると、そこから色鮮やかな未加工の布を引っ張り出す。さらにごそごそとなにかを探してるね。
「綿なんて持っていませんの! どこかで調達しませんと……そうですの、確か地上にもこもこの魔物がいたような……ああ、でもあの辺りは焼き尽くしてしまいましたの」
困り顔でこっちを見るブリュレ。悪いが俺も綿なんて持ってないぞ。
「代わりに灰でも詰めればいいんじゃね?」
「それですの!」
テキトーに言ってみたが、ブリュレは天啓を得たように猛烈な勢いで裁縫を始めちゃったよ。火山灰って割と粘着質らしいし、もふもふからは程遠くなりそうだな。砂袋武器みたいな鈍器になるんじゃね?
焼き菓子と紅茶を一人で貪りながら見ていると――
「できましたのー!」
「はっや」
デフォルメされたフェイラのぬいぐるみが確かに完成していた。質感は綿に比べると流石に残念そうだが、完成度もなかなか高いぞ。
「か、可愛い! キャーキャー! 可愛いですの! でもまだまだクオリティを上げられますの! まずはやはり綿の調達を……」
布と灰で作られたフェイラ人形をぎゅっと抱き締めるブリュレは、なんというか幸せそうなうっとりした顔をしているね。充分に人間っぽいよ。
「新しい扉を開けましたの。お礼を言いますの、『千の剣の魔王』」
「そりゃよかった」
俺、『ぬいぐるみ』っていう概念を教えただけなんだけどな。代わりにブリュレの能力を教えてもらったから割に合わない気がする。焼き菓子と紅茶も好き放題飲み食いしたし。
「お礼に今後、もしフェイラ様や他の幹部たちと対立することがありましたら、一度だけ無条件で味方をして差し上げますの」
「え? フェイラが俺を潰すってなった時こっちについてくれるってこと?」
「その時は敵ですの。あくまであなたがわたくしたちの客人である間ですの」
「ですよねー」
それでも幹部の一人が無条件で味方になってくれるカードを手に入れた。悪くない買い物だ。ほとんど無償で俺が貰いすぎな気もするけど、もう考えない。ブリュレにとっては等価交換なんだよ。きっと。
「じゃあ、用が済んだなら俺は帰るぞ」
「ええ、またお茶会に招待しますの」
そう言って次のぬいぐるみ制作に取りかかったブリュレを後目に、俺は静かに部屋を出て行った。
まさか――
当時のこの時の約束を意外な形で使うことになるとは、俺は夢にも思っていなかった。