三章 煉獄の魔王(3)
その後、フェイラは本当にまともな飯と寝床を用意してくれた。
炎の怪物を率いる魔王軍の食事だから生の溶岩とか出てくるんじゃないかと不安だったが、赤々とした辛いスープと根菜のサラダ、それから巨大な肉の塊を焼いたワイルドなステーキが現れたもんだから感動したよ。なんの肉かは、考えないようにしたけどな。
問題の味は、空腹状態を差し引いても美味だった。思わず「シェフを呼んでくれ」と料理を運んでくれた燃える翼の少女――クレミーに告げると、なんと彼女が作ったらしい。幹部なのに。
飯を食った後はふかふかのベッドで泥のように眠り、結局、目が覚めたのは冗談抜きで丸一日経ってからだった。
「ようやく起きたようね」
ベッドの上で背伸びをしていると、無遠慮に扉を開けてクレミーがワゴンカートを押しながら入ってきた。
「朝食か? 用意がいいな」
「もう夜よ。あとこれは作り置き。本当はできたてを運んだのに、あなたずっと寝ていたから」
「それは悪かったな」
クレミーは、主であるフェイラがいる時は丁寧な言葉遣いだったが、そうじゃない場合はさっぱりした喋り方をするようだ。
「ずいぶんと無防備だったわよ。ここがあなたにとって敵船だということを忘れているの?」
皿に被せていた銀の蓋――クロッシュって言うんだっけ――を取ると、クレミーは冷めきったマルゲリータっぽいピザを掌から出した炎で炙り始める。チーズが焼ける芳ばしい匂いに俺の胃袋が元気にグルグル鳴いた。
「お前らは寝込みを襲うような卑怯者じゃないってわかったからな。もしそうなら俺が弱ってる内に殺してたはずだ」
同じ理由で料理に毒を入れられる心配もしていない。
「信頼されると複雑ね。あなたに食べさせた晩餐だって、少しでも胃にダメージが入ればと思って作ったのよ? なのに完食した上でピンピンしてるし」
毒はなかったが悪意は込められていたようだ。確かにしばらくまともな飯にありつけてない奴に食わせるメニューじゃなかったな。
「言っておくけど、私はフェイラ様のご命令で仕方なくあなたの世話をしてあげてるの。そうじゃなかったら今すぐその首を焼き千切ってやりたいくらいだわ。フェイラ様やエスカラーチェがあなたを気に入っているからと言って、勘違いしないでよ?」
投げ寄越された熱々のピザをキャッチして口に運ぶ。チーズが芳醇でケチャップソースとの相性が抜群。なんの肉かわからんけどベーコンも乗ってて美味いぞ。なんの肉かわからんけど。
「食べ物投げんなよ」
「できるだけあなたに近づきたくないだけよ。臭いし」
マジで? 自分で臭いを嗅いでみると……うえ、これは酷い。温泉に入ったはずだけど、逆に硫黄臭さが汗と混ざり合って大変なことになってやがる。
「あのー、風呂ってあります?」
「溶岩風呂でよければ」
「それ俺が入ったら死ぬやつ!? 汚れだけじゃなく骨まで溶け落ちるやつ!?」
でもたぶんここの連中にとっては丁度いい温度なんだろうな。
「チッ……一応、私のような人間に近い姿をした眷属が入る大浴場もあるわ」
「後で案内してください」
「嫌よ。私は食事と部屋を用意するように言われただけだもの。それ以外の面倒まで見るなんて、吐き気がするわ」
「……俺、あんた個人を怒らせるようなことしたっけ?」
ツンデレ的なものじゃない。クレミーからはガチもんの敵意を感じる。フェイラが一言ゴーしたら喜び勇んで俺の首を取りに来るだろうね。
「敵なのに崇高なるフェイラ様に気に入られ、あまつさえ慈悲まで与えられた! 敵は容赦なく燃やし潰してこそ私のフェイラ様なのに! 理由はそれだけで充分でしょう! あーもう、あり得ないあり得ないあり得ない!」
「怖いわ!? 過激派のドルオタかお前は!?」
連投されるピザを俺はかろうじて全部キャッチする。このピザもお前が作ったんだろ? 粗末にしないでもらいたい。
「とにかく、私はあなたを認めないわ! フェイラ様は三日後に再戦をお考えになられている。せいぜいその時に無様な散り方をすることね!」
全てのピザを投げ終わったクレミーは、失礼にも俺を指差してから部屋を出ていったよ。翼の炎がメラメラ燃え上がっていた。感情が昂るとそうなるみたいだな。
「三日後か……」
フェイラは序列的にはネクロスより格下とはいえ、今の俺で勝てるかどうかわからない。無論、負けるつもりは毛頭ないからそれまでに体調を万全にしないとな。
ピザを食べ終わり、ベッドから立ち上がる。にしても美味かったな。投げられてぐちゃってなってたけど、腹に入ってしまえば関係ない。活力が漲ってくるようだ。
活力と言えば、ルウに飲まされた薬の強化バフってどうなってるんだろ?
「……普通にしてるだけじゃ今までと大差ないな」
手をグーパーしてみるが、特段これまでの自分と変わった感じはしない。バフが切れた? いや、力を込めると今まで以上に出力されるのがわかる。
動体視力もそうだ。よく見ようと意識すれば、窓の外の雲が遅く流れていく。夜だから暗いけど暗視ゴーグルをつけたみたいにハッキリ見えるぞ。
「魔王化した時と同じで、出力の上限が解放されたっぽいな」
強化というか、限界突破に近い。魔王化した俺に突破できる限界がまだあったとはビックリだが……なるほどね。それなら確かに薬の効果が永続なのも頷ける。
「となると、次は」
〈魔武具生成〉――日本刀。
普段と同じくらいの魔力量で生成した日本刀を右手で握る。こちらについてはなんの変化も見られないな。肉体的な強化のみで、スキルは特に影響されないってことか。
「もう少しいろいろ試してみよう」
体も動かしたいこともあって俺は部屋の中で筋トレを開始。うぉおおおおお、腕立て腹筋背筋を普段の三倍くらいの速度でやっても全く疲れない。限界突破しゅごい! しゅごいぞ!
一時間後。
「……暇だ。超絶的に暇だ」
筋トレにも飽きた俺はベッドに寝転がってぼーっとしていた。夜だけど、たらふく寝て起きたばっかりだから目はギンギンに冴えてしまっている。
暇になってしまえば、改めて自分の臭いが気になっちまう。
「そういえば、大浴場があるって言ってたな」
フェイラから艦内を自由に出歩いていい許可は出ていたはずだ。大浴場の場所はわからんけど、まあテキトーに散策してたら見つかるだろう。
部屋の外は相変わらず火山の洞窟を思わせる造りだ。とはいえ、壁も床も整備されていて歩きづらさはこれっぽっちもない。
一日寝たし軽い運動もしたから体が軽いぞ。こんな時だが、冒険してるみたいでちょっとワクワクしてきた。思わずスキップでもしそうになったところで――前方の曲がり角から数人の人影が現れた。
両目と心臓部分に紅い炎を宿した骸骨の戦士たちだった。そいつらも俺を見つけて指を差し、なにやら腰の剣に手を伸ばして警戒しているな。
すぐに襲いかかって来ないのは、俺のことはきちんと周知されているからだろう。
「すまん、道を聞きたいんだが」
戦意がないことを示すため両手を挙げてそう言うと、骸骨戦士たちは顔を見合わせて剣から手を離した。
俺は骸骨戦士たちに案内されるまま大浴場へと向かった。骸骨戦士たちは世間話をするように歯をカタカタ鳴らしていたが、声じゃないからか〈言意の調べ〉が翻訳してくれない。だからテキトーに「それな」「わかるわかる」「あるわー」と相槌を打っていたら、なんか最後はご機嫌な様子で握手されたよ。
手を振って骸骨戦士たちと別れた俺は、読めない文字で書かれた暖簾をくぐって横穴のような通路に入った。
すると――むわっと。奥から蒸した空気が肌を煽る。微かな硫黄の臭いもするな。この次空艦自体が火山っぽいし、きっと温泉だ。
脱衣所になっていた部屋で服を脱ぎ、積み重ねて置いてあったタオルを拝借してから湯気が漏れている扉を開いた。
「おお!」
湯気で包まれた広々とした石造りの空間だった。中心には石を並べて造られた円形の浴槽が設置され、エメラルドグリーンのお湯が溢れているよ。天井と壁があるから露天風呂ではないが、洞窟風呂って感じがして趣があるぞ。
今すぐ飛び込みたい衝動を押さえつつ、桶を拾ってかけ湯で体を流す。熱めのお湯が染み渡るようでついつい溜息を吐いちまった。
体と頭を念入りに洗ってから、お待ちかねの湯船だ! ヒャッホーイ!
「あぁぁぁぁぁ……」
なにこれ溶ける。熱さじゃなくて気持ちよさで溶ける。あの島にあった未加工の天然温泉なんて目じゃないぞ。体中の不純物が浄化されていく気分だ。もうここに住みたい。
ガララッ。
「あら? 珍しく先客がいたのね」
ん? 誰か入ってきたぞ。貸し切り気分を満喫したかったのに残念ってちょっと待て。記憶に一番新しいこの声はまさか――
「く、クレミー!?」
「は?」
バスタオルで裸体を隠した燃翼の少女がそこに立っていた。湯気で視界は悪いのに、薬で限界突破された視力がその姿をハッキリ映してしまったよ。
なんで男湯にと思ったが、そもそも一ヶ所しかなかったな。つまり混浴。魔王軍は皆家族ってことですかね?
「お、お先に入ってまーす」
身を縮めつつ「やあ」という感じに手を挙げると、ポカンとしていたクレミーは――かぁああああああっ! まだお湯に入ってないのに茹ダコみたく真っ赤になったぞ。
「な、ななななななんであなたがここにいるのよ!? 場所は教えなかったはずでしょう!?」
「いやぁ、親切な骸骨戦士くんたちが案内してくれて。もしかして今は女湯の時間だったとか?」
「そんな取り決めはないけど……いいから出て行け! 汚らわしい!」
シュボッ! シュボボッ!
クレミーの三対六枚の翼にそれぞれ紅蓮の炎が灯る。元々燃えていた炎とは別の、明確に攻撃の意思が込められた火炎球だ。
「ちょ、待て!? 落ち着け!?」
「問答無用よ!」
六つの火炎球がパァン! と弾ける。無数に散った火の粉が燃える羽根の矢となって飛んでくる。
銃弾のような速度だが、視力を集中すれば高校生の全力疾走くらいまで落ちて見える。それでも部屋の端から端まで届く弾幕を避けることは不可能だ。
魔武具生成で盾を作って凌ぐ。炎の羽根は燃えるはずのない石やお湯に着弾しても炎上した。一瞬で大浴場が火の海と化し、灼熱がじりじりと俺の体力を奪っていく。
パニックになって攻撃を仕掛けたようでいて、エスカラーチェ戦で見せた俺の戦闘力をちゃんと計算してやがる。なるほど、上位魔王軍の幹部なだけはあるな。エスカラーチェとも再戦すれば苦戦しそうだ。
クレミーが片手を翳す。紅い魔法陣が展開され、紅蓮の熱光線が縦横無尽な軌道を描いて走る。俺はすぐに跳んで回避するが、足がお湯に取られて動きにくい。出ようとしても、熱光線が邪魔をして浴槽に閉じ込められる。
「いいのかよ! フェイラが戦う前に俺をやっちまって!」
「構わないわ! 私に負けるようならフェイラ様と戦う資格などないのだから!」
そんな資格はそもそもいらないんだが、ここで黒焦げにされてやるわけにはいかないな。
「あなたの浸かったお湯なんてもう入れないわ! だからいっそ、お湯ごと蒸発させる!」
三重の魔法陣が浴槽の上空に出現する。エスカラーチェはバリバリの前衛だったが、クレミーは完全に後衛の高火力固定砲台だな。
ならば――俺は握った拳で水面をぶん殴った。
ザッパーン! とお湯が弾けてクレミーの視界を奪う壁となる。直後、天井の三重魔法陣から凄まじい炎の柱が降り注いだ。
ジュッ。お湯が文字通り蒸発し、一気に水蒸気が部屋を満たす。くっそ熱いけどなんとか我慢。俺はクレミーの視界を遮った一瞬で浴槽から抜け出し、強化された視界のおかげで難なく彼女の真横へと迫る。
「――ッ!?」
後衛なら敵を見失うと弱い。加えて近接戦闘も苦手だろ。あの誘波ですら純粋な体術なら一般局員と大差ないからな。
と、クレミーが六枚の翼を大きく羽ばたかせた。
強烈な熱風が吹き荒ぶ。俺への攻撃ではなく、自身が大きく距離を取るための行動だ。
「やはり、侮れないわね。だけど、この程度で私に勝てると思わないことよ!」
クレミーが着地する――寸前、カコン! 俺は遠隔で生成していた小型ハンマーで石鹸を彼女の足下へと滑られた。
ふにっ。つるん。
「へ?」
魔王軍の幹部様が、石鹼を踏んで足を滑らせて背中から豪快にすっ転んだぞ。狙い通りとはいえ、なかなかシュールな光景だった。
追撃を、と思ったが、床に倒れ込んだクレミーは動かない。六枚の翼もペタンと床についている。頭でも打って気絶したのか? 心配になって近づいてみると、両手で真っ赤っかになった顔を隠していたよ。
「……なんたる失態。くっ、殺せ」
「ここでオークに掴まった女騎士みたいな台詞を聞くとは思わなかったよ」
そういう台詞が似合うのは寧ろエスカラーチェの方だと思う。
「ほら、掴まれ」
もう戦意がなくなったことを認識した俺は、彼女に手を差し伸べた。
「なによ、この手は?」
「和解しよう。動機はどうあれ、お前らには一応よくしてもらってるんだ。できれば敵対じゃなくて協力関係を築きたい」
それはこの世界で最初に考えた作戦だ。もしかすると最初から話の通じるフェイラを選んでいたら、ここまでややこしいことにならなかったのかもしれない。まあ、当のフェイラが俺と協力してくれるかわからんけどね。
「……私の負けよ。けど、私の一存では決められないわ。協力したいなら、フェイラ様と戦った上でもぎ取ることね。私個人としては、やっぱりあなたは嫌いだけど」
「わかった。それでもいいよ」
クレミーは俺の手を取ることなく自分で起き上がった。ハラリとバスタオルが落ちそうになるのを慌てて止めている。
とりあえず、俺がフェイラと戦うことは認めてくれたようだ。いや、だからそんな資格はいらないんだけどね。
「なかなか楽しそうなことしてんじゃねえか、テメェら?」
強大な魔力の気配に俺とクレミーはハッとする。同時に大浴場の入口を見やれば、そこにタオルを潔く肩にかけた炎髪褐色少女が仁王立ちしていた。
「フェイラ様!? ど、どうしてこちらに!? いつもは溶岩風呂のはず……」
「ここで戦いの気配がしたからに決まってんだろ。クレミー、ウチに黙って『千の剣』とよろしく戦ってたのはどういう了見だ?」
「も、申し訳ございません! これには訳がありまして!」
「悪い、事故とはいえ俺がこいつの裸見ちまったせいなんだ。怒らないでやってくれ」
「あなた、なにを……?」
俺が庇うようにフェイラの正面に立つと、クレミーは目を見開いて口をパクパクさせた。そんな俺とクレミーを交互に見やったフェイラは、少し考える素振りをしてから――爆笑した。
「ダッハハハハハハハ! 裸見られたくらいで恥じらうとか、ずいぶんと『人間らしい』じゃねえかクレミー!」
蒼褪めていたクレミーの顔がフェイラに笑われてまた赤面してるよ。
「おい、笑ってやるなよ! 普通の感性だろうが!」
「いや、いいんだ。それは別にいい。『火山の化身』のウチから生まれた存在が、そういう感情を抱いてくれたのは素直に喜ぶべきことだ」
「……どういうことだ?」
意味がわからず疑問符を浮かべるが、フェイラは答えず俺をまじまじと見詰めてくる。顔じゃなくて、だいぶ視線が下の方を――
「眷属以外の生きた男の裸体を見たのは初だが……こうなってやがんのか。へえ、ほう、ふぅん」
「あっれー俺のタオルどこ行った!?」
今度は俺が真っ赤になって悲鳴を上げる番だった。