三章 煉獄の魔王(2)
俺とエスカラーチェだけ残し、周囲の連中が大部屋の端へと退いていく。
「行くぜ! 一撃で終わってくれるなよ!!」
気合いを込めたエスカラーチェの全身から炎が噴き出したぞ。それらは空中で消えることなく不自然に渦を巻き、突撃槍の尖端へと収斂していく。
ダッ! エスカラーチェが床を蹴り、炎を貫いて槍に纏わせ、紅い流星と化して俺目がけて真正面から馬鹿正直に突撃してきやがった。
だが――
「……ん?」
そんなに、速くないぞ。俺は体を横に開いてエスカラーチェの突撃をかわすと、がら空きになっていた横っ腹に蹴りを叩き込んだ。
「がっ!?」
罠か、もしくはなにかしらの能力があるのかと思ったが、エスカラーチェは反撃もできずに吹っ飛び大広間の壁に激突。頑丈そうな石の壁が爆撃されたかのように崩れ、その瓦礫に埋まっちまったよ。
「え? 弱っ……」
手加減をして戦いを楽しんでるのか? それともダメージを受けるほど強くなるってタイプだったり?
いや、違うぞ。
「な、なにが起きましたの?」
「あのエスカラーチェの一撃を初見で防いだ上に反撃した、ということでしょうか?」
「これはこれは」
「……グルルゥ」
他の幹部たちが目を見開いて驚愕してるんだ。周りの雑兵たちもざわめいてやがる。待て待て、そんなにすごい攻防があったわけじゃないだろ? 上位魔王軍の幹部が揃ってなんの冗談だよ?
「……」
フェイラだけが黙って目を細めていた。え? 怖い。俺、なんかやっちゃいました?
「だらっしゃぁああああああッ!!」
瓦礫を吹っ飛ばしてエスカラーチェが立ち上がった。
「想像以上だ! 面白ぇ! 今のは『贖罪の魔王軍』の雑魚なら一撃で数百はぶっ飛ばせた技だぜ!」
口の中の血を吐き捨て、楽しそうにニヤリと笑みを浮かべるエスカラーチェ。数百? 嘘だろ?
「冗談だろ。そんな強い技には見えなかったぞ」
「言うじゃねえか。腰抜けっつったのは撤回だな。なら、こいつを捌き切れるか?」
エスカラーチェが再び炎を纏って突撃する。やっぱり、言うほど速くないぞ。単純な突撃ならまた避けるだけだったが、エスカラーチェは俺に衝突する直前に槍を引いた。
フェイント? いや、これは連撃の動作だ。
「オラオラオラァ!!」
炎纏う槍が横殴りの雨のように何度も何度も何度も刺突される。エスカラーチェの槍捌きに無駄はない。隙もない。なのに、俺は余裕すら持って日本刀で防げてしまった。
連続する金属音。その最後に俺は日本刀を振り上げ、エスカラーチェの突撃槍を弾き飛ばした。くるくると回転しながら打ち上がった槍は天井を突き破り、そのままどっかに行っちゃったよ。
「あ……れ……?」
呆然とするエスカラーチェは、ぺたん。腰が抜けたような女の子座りで膝を崩した。他の幹部や雑兵たちも言葉を失っているな。
上位魔王軍の幹部がこんなに弱いはずがない。エスカラーチェが特別雑魚ってわけでもなさそうだぞ。こいつから感じる魔力量は確かにバケモノ級なんだ。
てことは……これおかしいの、もしかして俺の方じゃね?
「おい、『千の剣』」
玉座で頬杖をついて見物していたフェイラが、少し低いトーンで口を開いた。
「テメェ、なんかの強化をかけてやがるな?」
「は? 強化?」
そんな覚えはない。そもそも俺はそういう身体強化術とか使えないからな。だが、言われてみるとそうとしか思えん。軽く蹴飛ばしただけで石壁を崩壊させるほどの威力が出ちまったし、弾いた槍だって天井突き破っちまったし……どういうこと?
「テメェでやったんじゃねぇのかよ? なら卵以外に変なもんでも食ったんじゃねぇか?」
「変な物……あっ」
まさか、ルウが煎じた薬! 食中毒に効くんじゃなくて、体を強くして気合いで打ち勝て的な効果だったのかもしれん。なにその脳筋薬。
遅効性なのだとしたら、今になって効果を発揮し始めたのも納得はできる。
「なにを食ったか知らねぇが、強化が段々とテメェの魔力に馴染んでいってやがる。たぶん、永続だぞ」
「なんだって?」
指で作った輪を目にあてて俺を観察するフェイラ。永続って、嘘だろ。個人差はあるかもだが、飲むだけで体が強くなるとかチート級の薬じゃねえか。
「……そうか、だからルウは子供なのに身体能力オバケだったのか」
てっきりそういう種族なのかと思って気にしていなかったよ。
「エスカ、もう下がれ」
「ま、魔王様、あたいはまだ――」
「今のこいつはテメェじゃ相手にもなんねぇよ」
フェイラにハッキリと告げられたエスカラーチェは、フッと唇を緩めて大の字に寝転がったぞ。
「カハハ! 負けだ負けだ! 魔王様にそうまで言われてたんじゃあ、もうあたいの完敗だぜ!」
なんか、清々しい笑顔で豪快に笑ったぞ。なかなか潔いな。
「寝るなエスカ! ウチは下がれっつったんだ!」
「おっと、悪ぃ悪ぃ。もう邪魔はしねえぜ」
慌てて起き上がったエスカラーチェはすたこらさっさと脇へと逸れていったよ。そんで他の幹部たちに弄られたり労われたりしてる。意外と仲よさそうだな、ここの魔王軍。
フェイラが玉座から立ち上がって降りてくる。
「次は魔王様自ら相手になるってことか?」
「そうしてぇところだが、エスカとの戦いを見て気が変わった」
フェイラはもう戦意がないとでも言うようにやれやれと肩を竦めた。
「……テメェ、強化はかかっちゃいるが、実はかなりフラフラだろ。その調子の悪さは食中りだけじゃねぇな?」
本当に、よく見てやがるよ。実はもう立ってるのもやっとなんだ。でも、薬の効果が本当に永続なのかわからない。ぶっ倒れそうでも、今戦った方が勝ち目があるかもしれんだろ。
だから、ここはちょっと瘦せ我慢だ。
「大した事ねえよ。ただ『蛇蝎の魔王』の毒をくらってぶっ倒れて、病み上がり早々に奴と文字通りの死闘を繰り広げて、勝ったと思えば休む間もなくこの世界に飛ばされお前らとの連戦。ここ数日も碌なもん食ってねえってだけだ」
ハッタリでもなんでもなく本当のことを告げると、再び周りがざわつき始めた。
「『蛇蝎の魔王』を倒したのですか……?」
「それが本当なら馬鹿じゃありませんの」
「カハハ! あたいは気に入ったぜ!」
「ふむ、強化がなくともそれなりの実力はあるということですな」
「……グルルニャー」
幹部たちの俺を見る目が明確に変わったぞ。驚きと、畏れ、憐み。それから今までの懐疑的な色が消えている。俺の実力を認めたってことだろうね。
と、フェイラが嬉しそうに笑った。
「そうかそうか! あの目障りなイキリ害蟲は駆除されちまったか! いい気味だぜ。てことは、てめえの力も一つ分戻ってるってことだな?」
「そうなるな。だから、もしまだ戦うつもりなら覚悟しろよ?」
今度はハッタリだ。フィア・ザ・スコルピは俺の魔力結晶を既に奪われた後で、持っていなかった。だが、奴自身の魔力を〈吸力〉したからな。あながち嘘ってわけでもないぞ。
フェイラが左手を俺に翳す。
「避けんなよ。こいつは攻撃じゃねぇ」
「は?」
掌から撃ち出された紅蓮の炎が俺を包む。避けようと思えばできたが、殺気をまるで感じなかったんだ。
炎は、全く熱くなかった。寧ろ温泉に浸かったような心地よさが全身を包む。
「これは、なにをしたんだ?」
「テメェん中の悪ぃもんを焼き尽くしてやった。これで食中りは完全に収まるはずだ」
そういえば、腹の調子がよくなってきた気がする。流石に疲労までは回復しないみたいだが、だいぶ楽になったぞ。
「クレミー、こいつに食わせるメシを用意しろ。あと寝床もだ」
あれ? もしかしてフェイラさん優しい……?
「了解しました。今朝の残飯はまだ処理していませんので、それを。寝床は最下層の牢でよろしいですか?」
「なわけねぇだろ! なんのためにこいつを浄化してやったんだ! ちゃんと人間が食えるメシと体を休められる部屋だ!」
「……フェイラ様、なにをお考えですか?」
燃翼の少女――クレミーが怪訝そうに問いかける。うん、君は俺に優しくなさそうだね。
「『千の剣』はボロボロのフラフラでもエスカに勝っちまったんだ。強化が馴染むのも待って、万全の状態で戦ってみたいと思うのが普通ってもんだろ」
どこの業界の普通だ? 戦闘狂業界? 割と身近にもいるから否定できない。
「だいたいよ、満身創痍の『千の剣』をぶっ殺したところでなーんの自慢にもならねぇだろ。漁夫の利で手に入れた力なんて後ろ指刺されるだけだっつの」
「……了解しました」
頭を下げたクレミーだったが、キッと俺を睨んできたよ。なんだろう、どこぞの暗殺メイドと似たような臭いがします。
「ていうわけだ。テメェとの殺し合いは後の楽しみに取っておいてやる。艦から出ることは許さんが、それ以外は自由にしてもらって構わねぇ」
この溶岩だらけの次空艦で自由行動なんて自殺行為だし、結局は殺し合いが待ってる辺りが魔王なんだなぁとは思うが……ぶっちゃけ休めるなら休みたい。ここはお言葉に甘えた方がよさそうだ。
「わかった。そういうことなら、しばらく世話になるよ」