三章 煉獄の魔王(1)
フェイラに攫われた俺は、腹の調子が鬼ヤバイこともあって抵抗することもできず次空艦へと連れ込まれてしまった。
空に浮かぶ『煉獄の魔王』の次空艦は……冷えた溶岩を寄せ集めて固めたような、火山を船の形に切り出したと言われても信じそうな外観だな。隙間だらけで、あちこちからマグマが噴き出しているよ。
俺を担いだまま甲板に降り立ったフェイラは、迷いのない足取りで鉄の大門を開いて艦内へと入っていく。
空気が熱い。体中の水分が蒸発しそうだぞ。床なんて裸足で歩いたら絶対こんがり焼けちまうよ。本当に火山の中の洞窟を進んでいる気分だ。
「おい、どこまで連れて行く気だ!? このまま熱で焼き殺す気か!?」
熱さに堪らなくなった俺が文句を飛ばすと、フェイラは下層へと向かう階段を進みながら――
「とりあえず、『贖罪』のイカレ女を撒くまでテメェは牢にぶち込んでおく。ああ、ウチらと違ってテメェは熱いのダメなんだよな? 安心しろ。艦の中心から一番遠い牢にしておいてやんよ」
とか楽しそうに笑いながら言ってくるよ。こっちは全然面白くないっての。
「中心が一番熱いのか?」
「艦の動力炉があんだよ。ウチの魔力を溜め込んだ六千度のマグマだ。だからテメェが艦を落とそうと思っても近づくことすらできねえよ」
「……チッ」
情報収集はしっかり見抜かれてるってわけか。フィア・ザ・スコルピもそうだったが、粗暴に見えても冷静で頭が回る。伊達に高位の魔王をやってないな。
――ぐきゅりゅりゅるるるぅ。
「うっ!?」
あかん、また腹痛の波がやってきましたよ。ルウさんマジで薬効いてないんですけど!?
「つ、つかぬ事をお聞きしますが、魔王様」
「あ? なんだいきなり気持ち悪ぃな」
「トイレって、ありますか?」
魔王とはいえ女の子の上で粗相をしそうになった俺は、もう恥も外聞もかなぐり捨てるしかなかった。
……しばらくお待ちください……
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハヒーヒーフヒーげふっげふっアッハハハハハハハハハハハハハハッ魔王が!! 魔王が食中りで腹壊してブフフッ!? クヒッ!? ハァハァ……わ、笑いすぎて! 笑いすぎてウチも腹筋が死ぬ!!」
「うるせえ笑うな!? 食中毒舐めんなよ!? お前らの魔帝様だって最後はそれで逝ったんだからな!?」
場所は変わって最上階。城の謁見の間を思わせる大広間を見下ろす玉座に腰かけた『煉獄の魔王』フェイラ・イノケンティリスは、俺が醜態を晒した件の事情を聴くや否や腹を抱えて爆笑しやがった。
俺がこの次空艦『カエルムイグニス』に連れ込まれてから一時間ほどが経過している。そのほとんどを牢屋じゃなくてトイレで過ごしてしまったわけだが、こうしてフェイラと改めて対面させられてるってことは、『贖罪の魔王』の追手は振り切ったと思ってよさそうだ。ちなみにトイレは下がマグマ溜まりのボットンだった。生きた心地がしなかったよ。ケツがマグマ焼けしてヒリヒリします。
「『黒き劫火』が食中毒で? マジなら超ダセェな」
「そこには共感しかないが、俺も他人のことを笑えなくなったからな。コメントは控えておくよ」
波は収まったが、まだ調子の悪い腹を擦りながら俺はフェイラを睨む。燃える髪に褐色の肌。背はリーゼより少し高いくらいか。ビキニなのか下着なのかわからんが、大胆に露出させた体に赤いマントを羽織っている。改めて見るとなかなかに際どい格好だな。
「で? 俺をどうするつもりなんだ?」
俺は別に拘束なんてされていない自由の身だ。だが、逃げようだなんて考えは起こらない。いや、起こせない。
大広間の壁を取り囲むように、炎が人や動物の形を取った怪物――『煉獄の魔王』の眷属たちが並んでやがるんだ。雑魚だけならよかったが、明らかに格の違う幹部らしき連中が俺を左右から挟んで立っている。
全身を炎に包まれた男の魔人。
頭と背中から計三対の燃える翼を生やした少女。
銀の軽鎧を纏った赤肌の女戦士。
燃える蝶々を従えたドリルヘアーのゴスロリ幼女。
虎よりもでかい燃える体を持った巨猫。
もう一人、雷神のような太鼓を背負った男がいたはずだが、そいつはさっきの戦闘で『贖罪の魔王』に殺されている。だからと言って、今の俺にはこいつら全員を相手に大立ち回れるほどの体力も気力も残っちゃいない。
睨めつける俺を見下し、フェイラは鼻で笑う。
「ハン。どうするもなにも、テメェはこのゲームの趣旨を忘れたのか? テメェに継承された〝魔帝〟の力を奪い合う以外になにをしろって?」
そりゃそうだ。トイレに行かせてくれたし、こういう場を設けたってことだから話し合いの余地があるのかと思ったが、期待薄っぽいな。
「テメェが負ければテメェが持ってる残りの力を貰う。ウチが負ければウチに分配されたこの力をテメェに返す。シンプルな話だろ」
フェイラは右の掌に青色のクリスタルを出現させる。俺から奪われた魔力の結晶で間違いないぞ。
「ご丁寧に保管してくれてたのか? さっさと自分に取り込んでるのかと思ったが」
「それができりゃ『贖罪』のイカレ女とぐだぐだ戦ってねえっての」
「……どういうことだ?」
自分で言うのもなんだが、約一割の魔力でも相当な量になるはずだ。それを取り込めないってことは、もしかしてフェイラの魔力許容量を越えちまうってことか? いや、リーゼみたいに魔力還元術式を常用してるわけじゃないなら、上位魔王がその程度で限界を迎えるとは思えない。
フェイラは結晶を自分の顔の前に持っていく。
「ムカつくことに、こいつにはプロテクトがかかってんだ。ゲームが終わるか、持ち主のテメェが回収しない限り解けることのない『呪い』がな」
「呪い……? 『呪怨の魔王』か」
「だからウチらはゲーム中に〝魔帝〟の力を取り込んで使うことはできねぇんだ。まあ、それができちまうと奪い合いにならねぇからな。だが、気に入らねぇ。これじゃまるで……」
言いかけて、フェイラは魔力結晶を虚空に消した。
「まるで?」
「なんでもねぇよ! テメェをぶっ殺して力を奪うことに変わりはねぇんだ! テメェからなら直接奪えば力を自分のモノにできる! そうすりゃ『贖罪』に消されたベルメリオンも復活させられんだろ。さあ、とっとと死合おうぜ!」
玉座から立ち上がったフェイラが両腕に紅蓮の炎を纏う。やる気満々かよ。こちとら腹痛だけじゃなくてまともに休息も取れてないってのに。
だが、やるしかない。見た感じ『煉獄の魔王』の戦い方は豪快だ。派手に暴れさせれば逃げ出す隙もできるかもしれん。
「ちょっと待ったぁあッ!!」
俺も対抗して両手に日本刀を生成した時、唐突に赤い影が割って入ってきた。
「こんな腰抜け、あたい一人で充分だぜ! 魔王様、あたいに戦わせてくれ!」
そう言って俺に巨大な突撃槍を突きつけたのは、銀の軽鎧を纏った赤肌の女戦士だった。オレンジ色の鋭い眼光で俺を真っ直ぐ睨みつけてくるそいつは……なんか、プルプル震えてないか?
「やれやれ、またエスカラーチェの悪い病気が出ましたの」
ゴスロリ幼女がくだらなそうに肩を竦める。
「病気とは人聞きが悪いな、ブリュレ。強ぇ奴がいるなら戦ってみたくなるってのが戦士の性だ! それに、ここはあたいたちの城だぜ? 配下を無視していきなり魔王様と戦おうとするたぁ行儀がなってねえってもんだろ! あたいの次ならお前も戦っていいからよ」
「やーですの。面倒臭い」
ぷいっとそっぽを向くゴスロリ幼女――ブリュレっていうらしいな。そんで、エスカラーチェと呼ばれた女戦士は武者震いでうずうずしてたってわけか。どこのグレアムだ。
「おいエスカ! テメェが戦いてぇのはわかったが、ウチの客人だ! 引っ込んでろ!」
フェイラが苛立たしげに腕を振るう。それだけで熱波が衝撃となって大広間を駆け巡ったぞ。壁際に整列していた炎の怪物たちが蝋燭の火を仰いだみたいになってるよ。
と、燃える翼を広げた少女がフェイラの前に降り立った。
「エスカラーチェの言い分にも一理あります。実際、フェイラ様自らが戦われるほどの相手かどうかの見極めは必要かと」
「あぁ? クレミーまでウチに戦うなっつうのか? セルモス、テメェはどう考える?」
燃翼の少女――クレミーに宥められたフェイラは、恐らく腹心と思われる炎纏う魔人に意見を仰いだ。セルモスと呼ばれた魔人は、炎の手を顎へと持って行き――
「ふむ、そうですな。噂に聞いた『千の剣』の実力が如何ほどのものか、見ておきたくはあります」
大まかにクレミーと同じ内容を進言したよ。
「……グルルゥ」
火猫も賛同するように唸り、ぴょーんとフェイラの背後へと回った。それから母猫が子猫を運ぶようにフェイラの首根っこを咥え、元の玉座へと座らせる。
「プラーミャ……テメェもか。チッ、わーったよ。戦いてぇ奴は勝手にしろ。だが、ウチの楽しみも残しておけよ?」
幹部たちに諫められたフェイラは不貞腐れた表情をしながらも、諦めたように玉座にふんぞり返ったよ。
「やりぃ! 流石はあたいたちの魔王様。話がわかるぜ!」
「いやそっちで勝手に決めんな! 戦わされる俺の意思も尊重してほしいね!」
ガッツポーズを作って満面の笑みを浮かべるエスカラーチェ。わかってたけど、これはもう強制バトルイベントが勃発する流れにしかならないな。
もうしばらく腹痛と便意の波は来ないはずだ。一対一でやってくれるならまだ希望はある。望月とルウも心配だからな。さっさと終わらせて、この船から脱出させてもらうとしよう。




