間章(2-2)
旧異端世界エレジャ――暗黒海上空。
マリア像のようなオブジェを船首に取りつけた次空戦艦『ヴェヨメル』は、一定の速度を保ちながらこの先にある大陸を目指して前進していた。空間転移を行えば一瞬で辿り着けるが、もし敵が待ち構えていたり罠が仕掛けられていた場合は大打撃を受けかねない。
敵にまんまと出し抜かれてしまったが、『贖罪の魔王』エルヴィーラ・エウラリアは冷静さも慎重さも失っていなかった。
「……揃いましたか」
戦艦内にある神殿の大広間。天井近くまで聳える巨大な神像の前で祈りを捧げていたエルヴィーラは、背後に眷属たちの気配を感じて立ち上がる。
最高幹部である滅罪の十二使徒が跪いていた。第四位使徒のパウェルが敵に消されたため十一人となっている。重々しい空気を漂わせる彼らは、今回の招集が明るい内容ではないことを悟っているのだろう。
「まずはよく戦ってくれましたと労うべきでしょうけれど……此度は十二使徒が欠けるほどの戦いだったにも関わらず、『成果』がありません」
エルヴィーラは胸の前で手を組み合わせて瞑目する。と、先頭で跪いていた騎士風の男が顔を上げ、同調するように肩を竦めた。
「やれやれ、本当ですぜ。全く酷い目に遭いやした。そりゃあ、たった一人で『煉獄の魔王軍』を足止めなんつう大役。一位のオレでもなきゃ務まらんでしょうけど。戻ってみればありゃビックリ。まさかの敗走だってんで、オレの苦労が報われやせんぜ」
毛皮つきの白いロングコートを羽織り、背中に豪奢な大剣を背負った男は主に向かってそう愚痴った。下の者からすればいつ制裁されてもおかしくない粗雑な口調だが、彼は第一位使徒。魔王の右腕である神官騎士だ。
「滅罪の使徒・ペトル、あなたの働きがなければもっと早い段階で『煉獄』と衝突し、『獄門天』を討つことも難しかったでしょう。結果的に充分とは言えませんが、唯一の『成果』ではあります。罪に問われるとすれば、寧ろ――」
エルヴィーラがゆっくり目を開くと、銀髪紫眼の女性が一歩前に出た。
「此度の失敗は、第二位使徒として全体の指揮を執っていた私に責任があります」
前髪で右目が隠れたシスター――第二位使徒のマティアである。ペトルが魔王の右腕ならば、彼女は左腕に当たる存在だ。右目の『真実を映す聖眼』は彼女が生まれながらに持っていた異能であり、エルヴィーラはとても重宝している。
「あーらら、マティアちゃんの失態なんて珍しいこともあるもんだ」
へらへら笑って嫌味っぽく言うペトルだが、マティアは眉一つ動かさない。そんな彼女を庇うように白い翼が広がった。
第十二位使徒のマトフェイだ。
「彼の魔王は奇想天外。大地の怒りを味方にし、我らの虚を突き聖域を破壊した。夢想に至れない責を『真暴の聖女』にのみ科すのは愚の骨頂かと」
「第十二位使徒・マトフェイ。私をそのような名で呼ぶことはやめてください」
ペトルの嫌味は無視するのに、マトフェイの恥ずかしい二つ名には顔を顰めてしまうマティア。彼女たちは『贖罪の魔王軍』に入信する前から姉妹のような関係だったという。エルヴィーラにとっては正直どうでもいいが、使徒同士で仲がいいのは結構なことだと思う。
「ていうか、四位の人を邪魔したっていう十二位の人が一番重罪じゃないの?」
口を挟んできたのは、まだ十歳そこらにしか見えない年齢の少年だった。若葉色の髪に、やたらと大きな耳をした兎のフードを被っている。生意気な笑みを浮かべる少年から、マトフェイはバツが悪そうに目を逸らした。
「使徒アンドレイ……そ、それは、使徒パウェルが」
「いくら自分ごとやられそうになったからって、アレがなければ作戦は成功していたんだよね? 〝最弱〟より四位の人の方が断然強いんだからさ、どっちが残った方がよかったのかは明白じゃない? ねえ、三位の人もそう思うでしょ?」
言葉の節々から他人を馬鹿にした態度を表す少年――第五位使徒・アンドレイは、ちらりと流し目で左隣に立っていた少女を見やる。
薄い桃色の髪をツインテールに結い、腰に二振りの長剣を携えた彼女は、声をかけられても微動だにしない。研ぎ澄まされた抜き身の刃を思わせる空気を纏い、ただ静かに目を閉じている。
「……」
「あっちゃー、相変わらずだんまりか。じゃあさ」
アンドレイはつまらなそうに肩を落とすと、今度は右隣を見る。そこには杏色のウェーブヘアーをしたシスターが立っていた。だらりと下がった手には巨大なチェーンソーが握られ、アイマスクで隠した目はどこを見ているのかわからない。
「六位の人はどう思う? あの場にいなかった僕たちも意見を言うべきだと思うんだけど」
「……北北東に青の兆し」
「うん、なに言ってんのかわかんないや」
両手を肩の高さまで上げてやれやれのポーズをするアンドレイ。そんな彼の頭をわしゃっとうさ耳フードごとペトルが掴んだ。
「コラコラ、黙りなクソガキ。そういう判断は姐さんがするもんだ」
ペトルはエルヴィーラを見て爽やかにウィンクする。正直気持ちが悪いから罪に数えてやろうかと思ったエルヴィーラだが、彼はいつもこんな感じだ。今はくだらない罪を問うている暇などない。
「うぐっ……僕に触るな! 嚙み殺すよ!」
「へえ、やってみるかい? このオレに牙が通るならな」
ペトルの腕を振り解き、アンドレイはぐるると獣のように唸って犬歯を剥く。ペトルはそんな子供をおちょくるようにうさ耳を掴んでみょんみょんしていた。
「鎮まりなさい。騒音は罪です」
しん、と。
エルヴィーラの一声で場は一瞬で静まり返る。
「マトフェイの罪については既に贖罪の機会を与えています。彼女の言う通り、今回はマティアだけの責任ではありません。あの場には他の十二使徒も、私もいました。罪も赦しも平等にあるべきでしょう」
エルヴィーラは片手を頭上へと翳した。膨大な乳白色の魔力がその先へと収斂していく。
「第一位使徒、第三位使徒、第五位使徒、第六位使徒は下がりなさい。今より裁きを始めます」
球状に圧縮された乳白色の輝きが天井近くへと昇る。まるで屋内に太陽が生み出されたかのような神々しさ。だが、そこに込められている魔力は使徒たちすら戦慄するほど強大なものだった。
名を呼ばれた四人が壁際まで下がる。恐る恐るといった様子でマトフェイが口を開く。
「あ、あの、エルヴィーラ様、なにを……?」
「私を含め、この場にいる者へ〈光の鉄槌〉を降します。身を委ねなさい。それを持って赦しとしましょう」
瞬間、マトフェイだけでなく残っていた他の使徒たちも顔を青くした。
「お、お待ちください!? あんなものを落とされては、いくらワシの鋼の筋肉でも受け切れませんぞ!?」
「そ、そうですそうです!? 消滅してしまいます!?」
抗議の声を上げたのは、包帯でぐるぐる巻きにされた姿の第七位使徒と第九位使徒だった。彼らは陣形が整うまでの間、『千の剣の魔王』一行を相手に戦って敗れている。瀕死の重傷を負っていた彼らが〝裁き〟に堪えられるはずがない。
いや、彼らだけではない。震える手でブレストリッパーを握る第八位使徒も、諦めたように狙撃銃を捨てる第十位使徒も、恐怖に染まった目で天井の光を見詰める老婆の第十一位使徒も、当然だが第十二位使徒も、恐らく生き残りはしないだろう。エルヴィーラはそのつもりで魔力を込めている。
「エルヴィーラ様!? どうかお考え直しを!?」
「見苦しいですよ、第十二位使徒・マトフェイ。エルヴィーラ様が身を委ねろと言ったのです。私たちは黙って従うべきでしょう」
「使徒マティアはそれでいいの!?」
「なにか問題でもありますか?」
マトフェイは姉のように慕っているマティアに諫められ、言葉を詰まらせて「うぐっ」と唸った。
「もしこれを受けて消滅したのであれば、それは救われたということです。まだ己が贖罪を残していれば、運命があなたたちを生かします。私に関しては、間違いなくそうなるでしょう」
白太陽を中心に天井を埋め尽くすほど巨大な魔法陣が展開する。術式の構築は完了した。後は起動させるだけである。
「ま、あの中で姐さんの一撃を素で堪えられるとすりゃ……マティアちゃんだけだろうよ」
「七位の人も万全だったらギリ行けたかもしれないね」
「……」
「……最果ての地へ雷鳴が轟く」
安全圏から見守る四人を横目に、エルヴィーラは最後の言葉を投げかける。
「もしも赦されたくない者がいるのでしたら、抵抗や逃走を許可します」
言われた途端、マティア以外の使徒全員が素早く散開した。半秒遅れて光の柱が彼らのいた場所へと降り注ぐ。マティアとエルヴィーラ自身も光に呑まれた。が、苦痛の声など一切漏らさない。
光の柱が枝を分けるように使徒たちを追跡する。
真っ先に撃墜されたのは直進で出口へと疾駆していた老婆――ワルフォロメイだった。彼女は汚い悲鳴を上げてその場で消し炭となる。
続けてフィリップとフォマが呑まれ、気配を消していたイウダも呆気なくくらってしまう。
「ワシはあの小娘にリベンジするまで滅ぶわけにはいかんのだ! ふんぬ! モストマスキュラー!」
三角筋・僧帽筋・腕を強調するポーズで強烈な輝きを放つイアコフだったが、迫るエルヴィーラの光を減衰させることもできなかった。直撃し、絶叫する。
「エルヴィーラさ――」
翼の飛行能力で最も機動力のあったマトフェイも、最後は壁に叩きつけられるように光の中へと消えてしまった。
ここまで、ほんの数秒だった。
「裁きは終わりました。私と、あなたたちの今回の罪は赦されたでしょう」
光が収まり、穴だらけになった神殿を見回してエルヴィーラは祈りを捧げる。自分自身にすら手加減などしなかったが、ダメージはほとんど受けていない。
「やはり、私はまだ救われませんでした」
すっとマティアが何事もなかったかのように立ち上がる。彼女も豪奢な修道服が煤けた程度の損傷だった。
裁きを受けなかった四人が戻ってくる。
「おっと、こりゃ意外な結果ですぜ」
「ねえ、魔王様。これで十二使徒が半分になっちゃったけど、戦力的に大丈夫なの?」
ペトルが面白そうにニヤリと笑い、アンドレイが少し不安そうに訊ねる。もっともな懸念だが、エルヴィーラは寧ろ戦力強化のために今回の裁きを行ったのだ。
「私の軍は少々、数を増やしすぎていたようです。第四位使徒ですら、敵の幹部に圧倒されているようでは話になりません。今後の戦いでは数の力よりも強力な個人が必要。よって、救われた彼ら五人の力をあなたたちに分配します」
エルヴィーラは眷属化のため使徒たちに『魔王の魔力』を分け与えている。元々百名いた滅罪使徒の中でも上位十二人に与えた魔力量は膨大ではあるが、それでも『煉獄の魔王』――序列がエルヴィーラよりも高い魔王を相手にする場合は足りない。ここ数日の小競り合いとパウェルの犠牲でそれがよくわかった。
消滅した使徒たちの魔力を掌の上に回収する。乳白色の輝きとして視認できる五つの魔力球に、エルヴィーラはふっと綿毛を散らすように息を吹きかけた。魔力球を一つずつ取り込んだ残りの使徒たちの力が一気に増大するのを感じる。
「なるほど、こうきやしたか。流石は姐さんだ」
「感謝します、エルヴィーラ様」
「あっは、すごいよ! これならもっともっと暴れられる!」
「……」
「……生命の息吹」
各々がパワーアップした自分に感動している様子で手を握ったり体を動かしたりする。元々上位だった使徒たちに下位の力を分け与えたのだから倍とまではいかないが、それでも『獄門天』を滅ぼせる力はついたはずだ。
「んで、オレたちと救われた奴らについてはいいとしてだ」
逸早く興奮から醒めたペトルがエルヴィーラに問う。
「マトフェイちゃんはどうするんで? 一人だけ艦の外へ吹っ飛ばされちまったようだが……ありゃたぶんだが、生きてやすぜ?」
そう、先程の裁きで救われたのは五人だけ。マトフェイは砕けた壁の外へと放り出され、そのまま暗黒の海へと落下してしまったのだ。
「なんなら僕がトドメを刺して来ようか?」
力を試したくて仕方のないアンドレイが手を挙げて立候補するも、エルヴィーラは首を横に振った。
「放っておきなさい。言いましたよ。彼女には成すべき贖罪が残っている。故に救われなかったのです。艦から放逐されたのであれば、それもまた運命。なにかしらの意味があるのでしょう」
マティアが安堵したように短く息を吐く。なんだかんだ言いつつも彼女は妹分を気にかけていた。なんなら直撃の瞬間に結界を張って手助けをしていたこともエルヴィーラは気づいている。だが、糾弾はしない。『抵抗してもいい』と言ったのはエルヴィーラ自身だ。他の五人も協力すれば生き残れたかもしれないが、もはや後の祭りである。
「力が完全に馴染むまでしばらく時間がかかるでしょう。『煉獄の魔王』を捜しつつ、体を休めることです。それと、『煉獄の魔王』や『千の剣の魔王』とは別に取り逃がした罪人が二名いましたね。見つけて捕らえておきなさい」
エルヴィーラは使徒たちにそう命じ、踵を返す。
「きっと、役に立ってくれるでしょう」