三章 異界監査官(8)
「つまんない」
水のせせらぎが心地よく聞こえるほど静まり返った川辺に、苛立たしげな雑音が混じった。
「あーもう、退屈! 退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈退屈そして暇っ!!」
息が切れるまで喚き散らした雑音発生機ことリーゼロッテ・ヴァレファールさんに、俺は後一歩で頭痛を起こしそうな頭を掻いて面倒臭げに言ってやった。
「まだ『次元の門』が開いて三十秒も経ってねえだろうが」
「マスターがなにもしないでいられる時間は十秒が限界です」
「よくそれで生きてこられたなっ!」
「退屈凌ぎに山脈を焼き払ったこともあります」
「魔帝討伐の原因は絶対にそれだっ!?」
俺、もしかしてイヴリアの救世主なんじゃね? 傍迷惑な〝魔帝〟を連れ去ったのだから。まだあの時のクズ勇者たちが治めた方が繁栄しそうだ。
「ねえ、そこ入っちゃダメなの?」
リーゼがなにもない空間を指差す。彼女も門の気配を感じられるのだろう、かなり正確な位置を捉えている。
「別に構わんが、ここに戻って来れなくなっても知らねえぞ」
俺は無責任に言ったが、本気でリーゼが飛び込むようなら全力で阻止するつもりだ。彼女がこちらに来た時の世界への影響は向こうでも発生する可能性があるし、知り合いが門を通って行方不明なるなんてことはあの時だけで充分だ。
「そ、それは困るわね。この世界、楽しいから」
俺の忠告も聞かず突っ込むかと思ったリーゼだが、意外にも踏み止まった。よっぽどこの世界が気に入っているらしい。
しかし、このまま門が消えるまで喚かれるのも億劫だ。河原でできる適度な暇潰しと言えば…………アレか。
「リーゼ、すぐ飽きるかもしれんが多少楽しめる遊びを教えてやる」
「! なにそれ! 早く教えなさいよ!」
思った通り、入れ食い状態の魚みたいな食いつきだ。
「まず手ごろな石を探す。――こんな感じに平べったい方がいいな。で、これを川に投げると……」
俺がサイドスローで投げた石ころは水面で八バウンドしてから沈んでいった。
それを見たレランジェがやれやれと肩を竦める。
「まったく、アホ虫様が考える遊びはくだらない安定ですね」
「それが子供ウケすんだよ」
「?」
疑問符を浮かべるレランジェに俺は顎をしゃくる。リーゼは子供心に火がついたように懸命に石ころ探しをしていた。
「なんだろうと、暇さえ潰せればいいんだろ?」
「チッ! 段々とマスターの心の掴み方がうまくなっていますね。やはりここいらで事故に見せかけて溺死させるのが安定ではないかと思います。幸いなことに、我々以外誰もいませんし」
監査局の人払いが完璧なせいで迷宮入りの殺人事件が起きそうなんですけど!
「はぁああああああああああああああ!!」
気づけば、リーゼが絶対にバウンドしそうにない巨石を掴んでデタラメなフォームで投擲ようとしていた。
小石 → ショボイ → ならばでっかいので。
恐らくこんな思考が働いたんじゃないかと思う。
「――ていっ!!」
ボーリングの球くらいの石が隕石みたいな勢いで水面を打つ。予測通りバウンドはしない。その代わり、五階建てビルに匹敵する水柱が昇った。
「お見事です、マスター」
「う~、なんで跳ねないのよ! レージに勝つまで投げ続けるから!」
半ばヤケクソになったリーゼは、大きさも形も関係なく目についた石を手当たり次第拾っては投げ始めた。上から下へ落とすように投石してもバウンドしないぜ?
「さて、俺は大人しく『次元の門』の監視を続けるとしま――!?」
その時、俺の体が何者かに掴まれた。絡みつくようにして俺を捉えているのは、半透明な粘体状の触手。
門がある方向を振り向く。そこには、乗用車ほどあるピンク色のスライムが無数の触手を生やしてうねうねと蠢いていた。