間章(2ー1)
何処とも知れない次元の狭間。
本来『空間』という概念などあるはずのないそこに、直径五十メートル程度の円形の小劇場が存在していた。
ステージ中央には大きな箱が立てた状態で置かれている。紅楼悠里はその箱の中に閉じ込められており、開いた小さな扉から顔の部分だけが覗いていた。まるでマジックショーのワンシーンだ。
「……アタシをどうする気?」
目の前で五本の剣をジャグリングしているシルクハットの魔王を睨みつける。『呪怨の魔王』グロル・ハーメルン。魔王連合の最古参にして序列五位の君主である大魔王だ。旧軍事世界で捕らわれた悠里は、奴の『呪い』の影響で抵抗もできず今に至っている。
「ヒャホホ、なにも。そのまま大人しくしてくれさえいれば、指一本触れることもない」
愉快そうに告げ、グロルはジャグリングしていた剣の一本を投擲した。剣は寸分違わず悠里が入っている箱の中心に刺さり、貫通。悠里の腹も貫いたはずなのに痛みもなければ怪我も負っていない。
種も仕掛けもさっぱりだが、くだらない手品だ。
「GMがプレイヤーに干渉するなんてルール違反じゃないかしら?」
「おやおや、おかしなことを訊く。言ったはずだぞ。これは魔王たちのゲームだ。〝勇者〟に参加資格があるとでも思っているのか? 私はゲーム内の不具合を掃除しているだけ。至って真面目にGMとしての仕事をしているに過ぎない」
わざとらしくお道化て肩を竦めるグロル。零児を参加させれば悠里も関わることくらいわかっていたはずだ。それでも強行する必要があったのだとすれば、この状況は最初から計画されていたことになる。
「じゃあ、アタシを殺さず封印する理由は? 『零児に嫌われたくない』って話なら鵜呑みにしないわよ」
「それも嘘ではないのだが……まあ、確かに他の理由もある。もっとも、君に伝える義理はないがね。ヒャホホ」
剣がもう一本、今度は真横から箱に突き刺さる。やはり悠里の体に刺さっても擦り抜けたように触れた感触すらない。幻……ではないだろう。箱にはしっかり刺さった痕が残っている。
「ゲームが終われば無事に解放すると約束しよう。不安なら呪いで契約を縛っても構わないぞ。その後は今まで通り勇者業を続けるがいい」
「目的が見えないけれど、その時は真っ先にあんたを滅ぼしてやるわ」
「ヒャッホホホ、そいつは恐い恐い!」
三本目の剣が箱に刺さる。すると、箱の蓋が勢いよく開き、スポーンと悠里の体が外に投げ出されてしまった。黒ひげ危機一髪か! と心の中でツッコミを入れる。
「今は共に茶でも飲みながらゲームの行く末を楽しもうではないか」
パチン、とグロルが指を鳴らす。と、床に転がった悠里の前に趣味の悪い黒塗りのテーブルが出現した。
体が動く。金縛りの呪いは解けたようだ。
「もう動けるだろう? 掛けたまえ」
触れてもいないのに椅子が引かれ、浮遊するティーポットからフルーティーな香りの紅茶がカップに注がれる。
「……」
「警戒するな。毒も薬も入ってなどいない」
「たとえそうでも、魔王に出されたお茶なんて飲めるわけないでしょ!」
「そりゃそうだ! ヒャホホホホッ!」
一体どこにツボったのか、グロルは大げさに腹を抱えて爆笑した。どこまでも余裕ぶっている。いくら強大な魔王でも、勇者である悠里が本気を出せば斃すことは可能なはずだ。
――体が動くなら、チャンス。
「滅びなさい! グロル・ハーメルン!」
悠里は鋼糸を取りつけた短剣を光の速さで投擲した。短剣はグロルの頭に命中するが……手応えがなさすぎる。先程の悠里のように擦り抜けたようだ。
「どういうこと!?」
「ヒャホホホ、『金縛りの呪い』は解いたが、別の呪いがかかっていないとは言っていない! 君が触れるもの、君に触れるもの、全てが透過する呪いだ!」
だから剣は悠里を傷つけなかったし、悠里の攻撃もグロルには効かなかった。妙な呪いだが、得心はいく。
「ちなみに、呪いをかけた時点で君が所有していたものも『君』という認識になっている。服が体を擦り抜けたりしないから安心するといい。え? なぜ床を踏めているのかって? そもそもここは疑似空間。床など見えているだけで本来は存在していないのだ。君を閉じ込めていた箱もまた同じく」
「そんな説明どうでもいいわよ!? 早く解きなさいよこの呪い!?」
「ああ、そうか。解かなければ茶が飲めないか。これは失敬。だが、解いたら君は私を襲うだろう?」
「当たり前よ!?」
呪いが解かれた瞬間、悠里は全力全開の攻撃をグロルのムカつく顔――いや、シルクハットとマスクでよく見てないが――に叩き込むつもりである。
グロルは椅子に腰かけると、どうなっているのかマスクをしたまま優雅に紅茶を啜り始めた。
「そんなことよりも、ほら、見るがいい。『千の剣の魔王』が飛び込んだことで旧異端世界での戦況が動いたぞ。『煉獄』と『贖罪』両軍の最高幹部が一名ずつ脱落だ! 今までの膠着はなんだったのか!」
空中に映像が大画面で映し出される。グランドキャニオンのような峡谷で炎の怪物と神父やシスターたちが争っていた。
そんな中、『煉獄の魔王』と思しき燃える髪をした少女が戦線を離脱する。彼女が抱えていた少年には見覚えがあった。
「零児……ッ」
なに捕まってんのよ、と文句を声に出そうとして、自分の状況を思い出す。他人のことは言えない。
それからしばらくして両軍が撤退を始めた。零児が連れ去られてどうなったのかは、わからない。映像は次空艦の中までは映してくれないようだ。
「ヒャホッ。どうやら『贖罪』側でより面白いことが起こるようだ」
横目でグロルを睨む。奴は映像で見えていること以上の状況を把握しているらしい。そういう呪いを全ての魔王に対してかけているのだろうか?
「これは『千の剣の魔王』にとって吉と出るか凶と出るか。せいぜい見物させてもらおう」
楽しそうに、愉しそうに嗤うグロルが一体なにを考えているのか、悠里には全く想像もできなかった。