二章 異世界サバイバル生活(9)
雷神の連鼓を背負った赤銅色の巨漢が、体中から紅いスパークを迸らせながら近づいてくる。肌がピりつく。空気まで帯電しているのか。魔王でもないのにとんでもない威圧感だ。
「助けてくれてありがとう……なんて展開じゃねえよなぁ」
なんせ、隠そうともしない殺気を殴りつけるように放ってやがるんだ。俺の馬鹿が。なんでさっきパウェルと戦り合っていた時に逃げなかったんだ。
ベルメリオンは俺の十メートルほど手前で立ち止まると、ふいに周囲を見回し始めた。
「おい! 『贖罪』の連中で他に俺と戦ろうって奴ぁいるか!」
問いかけは、崖の上から俺たちを眺めている神父とシスターたちに向けられたものだった。ざわめきは聞こえるが、我こそはと立ち向かう物は一人もいないな。
「……いねえなら、『千の剣の魔王』は『煉獄』の魔王軍がいただいていくぜ」
いや、一人だけいる。
「し、使徒パウェルを倒したくりゃいでちょ、ちょちょ調ふぃにののの乗りゃにゃいことね!」
マトフェイだ。威嚇するように焼け焦げた白翼を大きく広げ、眼帯を捨てて聖痕とやらが刻まれた右目を晒し、俺とベルメリオンの間に割って入った。声は噛み噛みだし、サブマシンガンを持つ手は震えているが、強大な敵相手にも勇敢に立ち向かって――
「や、奴は十二使徒の中でも最……さいじゃ……ムリムリムリムリムリィ!? 最弱はわたしだもん!? わたし一人が戦っても一瞬で消し炭だもん!?」
ダメだった。心がポッキリ折れてました。涙目でペタンとへたり込むマトフェイを見て、ベルメリオンが怪訝そうに眉を顰める。
「あぁ? おいおい、名前は知らんがテメエも滅罪使徒とかいう奴だろ。おらどうした? 幹部なら立ち向かって部下の模範になってやれよ」
来いよ、というように突き出した手の指をちょいちょいと内側に曲げるベルメリオン。顔をくしゃりとさせたマトフェイは、ついに「びぇええええっ!」と泣き始めちゃったよ。なにこの状況?
「えーと、お前らって敵を恐れたら罪なんじゃなかったっけ?」
「そうだった!? エルヴィーラ様に処刑されちゃう!? びぇええええええっ!?」
流石に憐れに思えてきたぞ。ベルメリオンも厳つい顔を面倒臭そうに顰めて頭の後ろを掻いているよ。だが、すぐに舌打ちしてマトフェイの胸倉を掴んで持ち上げた。
「チッ、ヘタレを焼く趣味はねえが、邪魔だから燃えとくか?」
「ひぃ!?」
雷鼓から紅いスパークが弾け、顔面蒼白となったマトフェイが短い悲鳴を上げる。俺は無意識に目を背けてしまう。助けるべきか? いやでも敵だぞ。じゃあ逃げるべきなのか? くそう、わからん。俺は、この場合どうすればいいんだ。
そう迷っていた時間は、刹那だった。
「――ッ!?」
覚えのある強大な魔力を感じた。途端、周囲がスポットライトを照らされたように段々と明るくなって――
「じゃあな。お前らの教えならこれで救われるんポピッ」
ベルメリオンが、消えた。マトフェイを掴んでいた腕だけを残して。
「は?」
天から降り注いだ滝のような乳白色の光に、一瞬で呑まれちまったからだ。光が消えるまでの時間は五秒とかかっていない。それなのに、あれだけ強かったベルメリオンの体が跡形もなく消滅してしまった。
「ふぎゃっ!?」
重力を思い出したように尻から地面に落ちるマトフェイ。胸倉を掴んでいたベルメリオンの腕は紅蓮の粒子となって弾けて消えた。
瞬殺。呆気な! いや、いやいやいや、そんなことあるぅ? あれだけ大物ムーブしといて出オチすぎるだろ!
こんなことができる存在は、『贖罪』の魔王軍で一人しか知らない。
「ああ、滅罪の使徒パウェル。滅されてしまったのですね。ですが、悔やむ必要はありません。それは今日この時が、あなたが救われる日だっということです」
『贖罪の魔王』エルヴィーラ・エウラリア。
ふわり、とゆっくり舞い降りてくる金髪の修道女に俺は戦慄する。嘘だ。なんでここに? さっきまで小島の上空にいたはずだろ!
「エルヴィーラ様!」
マトフェイが姿勢を正して跪く。そうか、自在に空間転移できるこいつらに距離なんて関係ない。パウェルか他の奴らが知らせたか、マトフェイの気配を辿ったか、どちらにせよ俺たちの居場所なんて手に取るようにわかったはずだ。
静かに地面に足をつけたエルヴィーラが、魔王とは思えない慈愛に満ちた微笑みを浮かべてマトフェイの前に立つ。顔は確かに笑っている。でも、目の奥に底冷えする嫌な気配を感じるよ。
「滅罪の使徒マトフェイ。見ていましたよ。あなたは、敵を恐れた。恐れは罪です。罪は赦されなければなりません」
「え、エルヴィーラ様……?」
顔を上げたマトフェイの血の気がさーと引いていく。だがすぐに悟ったように目を閉じると、サブマシンガンを落とし、膝立ちになって胸の前で手を組んだぞ。
「……これも熾天の聖女に定められし運命。預言書に従い解放を受け入れ、我は先にヘスペリデスの園へと旅立とう」
「ちょ、諦めんな言い訳くらいしろ!?」
「言い訳も罪なれば」
アカン、この滅亡主義の宗教団体ホンマにアカンで。いや俺も敵を説得してる暇があるなら逃げろって話だけどね。流石に魔王まで出てきたら厳しいんだよ。腹も痛いし!
「潔さは美徳です、マトフェイ。ですが、人は誰しも罪を犯すもの。あなたのこれまでの貢献を加味し、一度だけ贖罪の機会を授けましょう」
「本当!?」
バッ! と顔を上げたマトフェイの瞳は希望に満ち満ちていた。よかった……よかった、のか?
「さあ、そこにいる罪人を討つのです。そして〝魔帝〟の力を我らが神に捧げましょう」
全然よくなかった!? 標的が俺になっただけだった!?
「あなたたちもですよ。彼女と共に滅いの裁きを与えるのです」
周りにいた神父とシスターたちも戦意を取り戻し、空間が揺れそうなほどの鬨の声を上げたよ。ついでにいつの間にか空に浮かんでいた次空艦から次々と人員が追加されてるね。わーい、呪詛子ちゃんと山姥お婆ちゃんだー。マティアお姉さんにー、スナイパーライフル抱えてるのは神父さんでしたかー。腹痛抱えたイタイケナ高校生に何人がかりだよクソッタレ!
諦めない。俺は諦めないぞ!
「ん?」
待て、待て待てちょっと待て。ここに来てさらにそれはないだろ。エルヴィーラと同等か、それ以上かもしれない馬鹿みたいに巨大な魔力が近づいてやがる。
「……もう来てしまいましたか」
エルヴィーラが溜息をついた次の瞬間、谷の向こうから――ドドドドチュドォオオン!! と紅蓮の爆発が連続した。
神父やシスターたちの悲鳴が上がる。爆撃の犯人は人ではない。周囲を爆撃しながら飛んできたのは、一本の戦槌だった。
金工ハンマーを巨大化させたような形状で、ヘッド部分の片側がドリルになっているようだ。高速で飛来する紅く禍々しい巨槌は、回転しながら火山弾のようなものを撒き散らしてやがるよ。それが着弾する度に大爆発が発生し、神父やシスターが百人単位で消し飛んでいく。
「無粋ですね」
ゆらりと左手を翳したエルヴィーラが、その掌に膨大な魔力を収束させていく。
「――全ての邪悪を滅断せよ、〈聖絶の十字架〉」
エルヴィーラの手に白い十字架の大盾が出現。爆撃しながら亜音速で飛来する紅い戦鎚を受け止めた。
大 爆 発 !
「のわぁああああああああッ!?」
星が破裂したんじゃねえかってくらいの衝撃波が吹き荒れる。咄嗟に日本刀を地面に刺してなかったら、俺は紙屑みたいにぶっ飛ばされちまっただろうね。
戦鎚とエルヴィーラの周囲がボゴン! と大きく陥没する。ガラガラと左右の崖が重力に逆らうかのごとく崩れ上っていく。
気づいた時には、谷は開けた荒野に生まれ変わっていた。
洞窟→谷→荒野。地形変わりすぎでしょ。
「なんか、一番の被害者はこの星な気がする」
残ったのは俺、戦鎚とエルヴィーラ、マトフェイたち十二使徒だけだった。他はみんな彼方まで飛ばされちまったようだ。
俺やマトフェイたちは満身創痍なのに、爆発を一番近くで浴びたはずのエルヴィーラは無傷だ。あの十字盾が守ったのか?
「まったく、彼らの贖罪の機会を奪わないでいただけますか、『煉獄の魔王』?」
エルヴィーラが十字盾で戦鎚を打ち飛ばす。すると、地面から紅蓮の炎が噴き上がって戦鎚をキャッチするように呑み込み――燃える髪をした褐色肌の少女が姿を現した。
着地して巨大な鎚を軽々と肩に担ぐそいつは、『煉獄の魔王』フェイラ・イノケンティリスだ。
「ハァ? なに言ってやがんだ? それよりテメェ、ウチのベルメリオンをぶっ殺しやがっただろ?」
「先に私の使徒を滅したのはあなたの眷属ですよ」
「そうか、なら次はテメェが灰になる番だな!」
睨み合って言葉を交わした時間は短かった。
飛び上がったフェイラが戦鎚を高速で振り回して紅蓮の炎を纏わせる。
「――燼滅しろ! 〈焔殺覇〉!」
戦鎚の名前と思われる言葉を叫んで振り下ろす。そこに一番近くにいたマトフェイがエルヴィーラを庇うように割って入ったが――
「お下がりください、エルヴィーラ様!」
「ハエはどいてろぉおッ!!」
「きゃあああああッ!?」
たったの一振りで殴り飛ばされちまったよ。地面を何十メートルも転がったマトフェイは……ピクリとも動かなくなったぞ。死んじゃいないようだが、意識は奪われたっぽい。
再び戦鎚と十字盾が激突する。
「相変わらず火力頼みの猪突猛進。品がないというのも罪ですね」
「フン、爆発がロマンだとわからねえイカレ女に品を問われたくねえな!」
両者が打ち合う度に衝撃で地形が崩れていく。魔王同士の争いには、残りの十二使徒たちも流石に割り込めないらしい。遠くから手をこまねいて眺めているだけだ。
もしかして、このまま吹っ飛ばされた方が俺は逃げられるんじゃね?
「ところで、あなた方はペトルが足止めしていたはずでは?」
「ペトル? あぁ、あの聖騎士風のキザ野郎か。滅罪使徒の第一位だったか? テメェの眷属にしちゃあ硬くて面倒だったからよ。いちいちぶっ殺してちゃ時間かかりそうだったもんで埋めてきた」
軽い口調で凄いこと言ってるよ。仮にも滅罪使徒のトップをそんな簡単に埋めたとか言える? 俺はまだ見たことないけど、絶対強いはずだろ。
「まあ、テメェは埋まるだけじゃ済まねぇがなぁ!!」
ぐしゃり、と。
ついにフェイラの戦鎚がエルヴィーラを頭から文字通り叩き潰した。うえっ、グロい。肉片が飛び散った傍から紅い炎に包まれて焼滅していく。
決着がついたのか?
いや――
「なにかされましたか?」
エルヴィーラは全くの無傷でフェイラの背後を取っていた。どういうことだ? 確かに人体が潰れたのを俺は見たぞ。
シールドバニッシュで突撃してきたエルヴィーラを、フェイラは戦鎚で防いで自ら後方に跳ぶ。
「チッ、手応えはあったはずだろ。相変わらずキメェ奴だ。まあいいけどよ。今回は全面戦争吹っ掛ける気ィはねぇんだ」
パチンとフェイラが指を鳴らす。すると周囲一帯から火山の噴火よろしく炎が噴き上がり、火炎纏う怪物たちがうじゃうじゃと飛び出してきたよ。
その中には見覚えある幹部たちもいる。全身炎の魔人。六対の燃える翼を生やした少女。銀の軽鎧を纏った赤肌の女戦士。炎の蝶を従えるゴスロリ幼女。炎の鬣を靡かせる巨大猫。
怪物たちはその幹部の指揮に従い、エルヴィーラや十二使徒たちを狙って襲いかかった。
フェイラがニヤリと嗤い、くるりとエルヴィーラに背を向ける。
正確には、俺の方を向いた。
「待ちなさい!」
「待たねぇ!」
地面を爆発させて煙幕を張ったフェイラが、一瞬にして俺の目の前まで移動してきた。速い。動く暇もなかったぞ。
「よう、『千の剣』。ちょっと面貸せや」
「い、嫌だね。お断り――」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
「俺の腹ぁあああああああああッ!? ぬぉおおおおおおおおおおぅ!?」
ずっと我慢していたせいか、ここ一番で過去最凶の波がやってきましたよ。いやダメ。漏る!漏る! もはや立つこともままならん。
腹を抱えて蹲る俺を見てフェイラが爆笑する。
「だははははははは! なんだテメェ、勝手にきつそうだな。あのイカレ女に呪いでもかけられたか?」
「く……そ……どうする……つもりだ……?」
「『贖罪』の連中に邪魔されたくねえからな。まずは招待してやんよ」
ひとしきり笑ったフェイラが戦鎚を虚空に消し、代わりに俺をひょいっと担いだ。
「ウチの次空艦――〈カエルムイグニス〉にな!」
長かった二章も終わったので、申し訳ありませんが新作を書くためしばし休載させていただきます。