二章 異世界サバイバル生活(1)
拝啓。
朝夕はめっきり涼しくなっているかと存じますが、いかがお過ごしでしょうか? アメリカの気候はよくわかりませんが、お母様もお父様もお変わりがなければ幸いです。
さて、俺はこうして筆を執りながら、幼い頃をとても懐かしんでおります。そうです。お母様が訓練と称して俺をフィリピン海の地図にもないような無人島に一ヶ月間放置した時のことです。着の身着のまま投げ出され、ナイフ一本をなんとか生成しつつ生き延びた毎日は今でも鮮明に思い出したくありません。
ですが、あの経験は、確かに人生の糧となりました。
俺は今、異世界に来ています。
魔王によって滅ぼされた、とてつもなく巨大な無人島のような世界です。無知のまま食べられる草を探したり、狩りを行ったり、一秒一秒がとても大変です。あのサバイバル経験がなければ、三日と持たずに死んでいたことでしょう。
お母様には感謝してもし切れません。
なので、もし俺が無事に日本へ帰ることができた暁には――
できれば一ヶ月ほどお休みを頂くことをお許しください。切に!
敬具。
「レイジ! そっちに行ったぞ!」
脳内で手紙を書くという現実逃避をしていた俺は、打ち寄せる波と共に叫ばれた怒号に正気を取り戻した。
顔にかかる地球よりも明らかに濃い塩水。黒い海にプカプカと浮かんでいた俺目掛けて、サメの背びれのようなものが凄まじい勢いで突進してきていた。背びれの下にはマグロみたいに丸々太った寸胴型の巨大な魚影も見える。
異世界サバイバル生活も四日目。
そうだった。今はルウと一緒に海での漁の真っ最中だったな。
〈魔武具生成〉――サリッサ。
俺はソケット式の穂先と石突を持ち、柄の中間を金属のパイプで繋いだ槍を生成する。アレクサンドロス大王率いるマケドニア軍が使用した長槍だ。
向かって来る巨大魚に向けて槍を突きつける。キン! と水中で鈍った金属音が鳴り、サリッサの石突が呆気なく折れる。ちょ、魚を突いた感触じゃないぞ。
魚影が水上に飛び出す。全長五メートル。サメのような牙やヒレを持ったマグロって感じの怪物だった。この世界、魔王の残留魔力が影響してるのか知らんけど、魔物みたいな生物ばっかりなんだよな。
俺を喰い殺さんと大口が開かれる。外が硬いなら中は柔らかいはず。俺はサリッサを三本、その口から突くように空中生成した。
鮮血が飛び散り、サメマグロが不格好に着水する。力なく海面に浮いてきたな。ふう、なんとか仕留められたぞ。
「やったな、レイジ! これで当面は食っていけるなー!」
バシャバシャと犬かきで泳ぐルウが屈託のない笑顔を浮かべて寄ってきた。俺は仕留めたサメマグロを見てちょっとげんなりする。
「ちゃんと食えるかわからんぞ。この前お前が狩って来たマンモスイノシシなんて、クソマズかった上にたった数時間で腐ったからな」
マンモスイノシシだけじゃない。あれから四日、島の奥まで探索していろいろな動物を狩ってみた。ウサギの足と耳を持つヘビだったり、三つ首のトラだったり、クジャクのような模様で幻惑してくるニワトリだったり。どいつもこいつも吐くほどえぐい味だった。俺らの調理スキルがゴミだという説もあるけど、やっぱりアレは素材が悪い。だって数時間で腐るんだぞ。湧き水と岩塩、なんとか食える木の実を発見できたことは救いだったな。
本来、サバイバルをするなら狩りや釣りはやめた方がいい。無駄にカロリーを使いすぎるからな。罠を仕掛けたり、簡単に拾えるものを集めたりするくらいで、あとはじっとしておくべきなんだ。
もっとも、それは長期的に救助を待ったりするなど一般的な場合だ。俺たちに救助は恐らく来ないし、やろうと思えばすぐにでも転移して場所を移動できる。これから魔王と戦うからな。力をつけるためにはちゃんと飯食った方がいいと判断したんだ。
「こいつは大丈夫だってー。ほら見ろよ、大トロだぞ大トロ!」
楽観的だなぁ、ルウは。まあ、見た目はマンモスイノシシとかに比べたら悪くなさそうだけども。
俺は鎖を生成してサメマグロのエラに引っかける。
「とりあえずさっさと引き上げるぞ。こいつの血の臭いで他の怪物が誘われてきたら大変……」
ふと、遠くに無数の背びれが見えた。わーお。めっちゃこっちに近づいて来てますやん。
「言ってる傍から!? ほら行くぞルウ!?」
「わふぅ!」
俺とルウで鎖を引いて全力遊泳。流石の巨体なだけあって重いぞ。こんなもん引っ張ってたらとてもじゃないが振り切れない。
「ルウ、ちょっと獲物を預かっててくれ」
「レイジ、どうするつもりだ?」
俺は右手を翳し、迫り来るサメマグロの背びれの群れ、その少し手前に狙いをつける。
「――こうするんだ!」
〈魔武具生成〉――サリッサ。空中生成。遠隔操作。
背びれの群れの上空に無数のサリッサを生成。全ての穂先を海面に向け、海鳥がダイブするように一斉に落とす。普通に突いただけじゃ硬い鱗に弾かれるからな。魔力と勢いとこれでもかと込めてやったよ。
黒い海の、一画が、悍ましく真っ赤に染まったぞ。成功だ。
血の臭いに敏感らしいサメマグロが我を失ったかのように共食いを始めたよ。
「よし、今の内に逃げるぞ!」
「あのいっぱい仕留めたやつは回収しなくていいのかー?」
「無茶言うな!?」
あんな入れ食い状態みたいなところに突撃できるとしたら、バーゲンセール戦争に勝ち残れる熟練の主婦くらいだ。
改めて鎖を引きながら泳ぐ。それでも俺たちを追ってきた数匹のサメマグロを撃退しつつ、どうにかこうにか岸まで辿り着いたよ。
「な、なんとか異世界で魚に喰い殺されるとかいうマヌケな死に方は回避したぞ」
砂浜に大の字になって寝転ぶ俺。乱れた息を、大きく吸って吐いて整える。
「わふわふ!」
隣ではルウは四足で立って体を犬みたいにブルブルさせていた。水飛沫が俺の顔面に飛んで来るからもう少し離れてもらいたい。
「おい、レイジ! さっそくこいつ食ってみようぜ!」
ルウが待ちきれないといった様子で砂浜に横たわるサメマグロをパシパシ叩く。俺はトランクス一丁だが、ルウはその辺の草を編んで作った即席のビキニを着用している。なんとも野性的だな。
「待て待て、まずは血抜きとかいろいろ処理しないと」
「そんなもん待ってられるかぁーッ! あたしは腹が減ってんだ!」
「また不味いもん食うことになってもいいのか? それに食うなら望月も呼ばないと」
影霊の望月に食事は必要ないらしいが、仲間外れはやっぱり気分が悪いだろ。こんな大物二人で食い切れるわけもないしな。決して不味さの地獄を共有させようとかそんな魂胆ジャナイカラネ!
「いいか、レイジ。あたしは早く魔王をぶん殴りたいんだ。そのためには食って力をつけなきゃならない。空腹は敵だぞ」
「そういや、ルウは魔王を殴るために『王国』に協力してるんだったな」
俺は刀を生成してサメマグロのエラに刺し、血抜きしながらルウに確認する。岩に座ったルウはその様子をうずうずと眺め――
「わふ。そうだぞー。まあ、あたしの世界を滅ぼした魔王はもういないけどなー」
「ルウが倒したのか?」
「いや、倒したのは〝王様〟だぞ。そんで唯一の生き残りだったあたしを『王国』に誘ってくれたんだ」
望月を混沌から引き揚げたことといい、それだけ聞くと〝王様〟っていい奴に思えるんだよなぁ。でもやってることは俺たちの世界を壊そうとしてるわけで、わけがわからん。
「〝王様〟はどんな奴なんだ?」
「えっとなー、すごく強くて――ハッ! また口を滑らせるところだった!? 誘導尋問は卑怯だぞ、レイジ!?」
「チッ」
お口にチャックをするルウ。これ以上は漏らさないか。結局、すごく強いってことしかわからなかったな。あのゼクンドゥムが部下に甘んじているくらいだからよっぽどだ。いつか戦うことを考えると震えてくるよ。
「よし、血抜き完了だ」
真水がないから仕方なく海水で洗い流したサメマグロは……しおしお。なんか空気が抜けかけの風船みたいに萎びて見えるんだが、大丈夫かこれ?
「もういいんだろー? やっぱ魚は生で丸かじりだぜ!」
「あっ!」
どうしたもんかと思っていると、目を輝かせたルウがサメマグロの腹に噛みつきやがった。待てを解除された犬のような勢い。鱗ごと身を齧り千切ってくちゃくちゃと咀嚼するルウは――
「うっ」
一気に、顔色が青くなったぞ。
「おい、大丈夫か?」
「……うぇえぇ、焼いたタイヤをハイオクに一晩漬けたような味がするー」
毒じゃなかったようでよかったが、その場で恥じらいもなくゲロゲロするルウを見て俺は絶対に食べないことを決意した。
やっぱ、不味いんだな。この世界の生き物って。あと『焼いたタイヤをハイオクに一晩漬けたような味』ってどんな味だよ。