間章(1)
紅楼悠里は荒廃した台地にある、切り立った岩山の頂上で静かに佇んでいた。
空は清々しいほど青いのに、見渡す景色はなにかの軍事施設だったと思われる廃墟が散乱している。下手に地面を歩けば、数歩と進めずに埋まっている地雷を踏んで吹き飛んでしまうだろう。
ここは旧軍事世界ヴォジーニ。魔王の気配を追ってきた悠里だったが、生命の息吹を一切感じない静謐さに短く息を吐いた。既にこの世界での戦闘は終了していると考えた方がいい。
一足遅かった――とは思わない。
蛻の殻となった世界にわざわざ力を使って渡るほど悠里は間抜けではない。この世界にはまだ魔王が残っている。恐らく、先の戦闘で勝利した側の魔王が。
顔を上げる。
視界には青々とした空が広がっているだけ。
だが――
「……いるわね」
悠里は背中に神々しい光を放つ翼を広げる。幾重にも重なったそれら一枚一枚が、悠里に託された『守護者』の力。魔王に滅ぼされた数々の世界の無念を悠里は背負っているのだ。
この力は魔王軍と対した時にしか解放できない。そう制約を定めることにより、普段の体への負担を軽減し、尚且つ解放時にはより凄まじい力を得ることができる。
「なにも仕掛けて来ないってことは、このまま勇者をやり過ごすつもりかしら? そうはさせないわよ!」
バッ! と両手を振るうようにして広げる。
指先から伸びる光の糸が一瞬にして青い空へと張り巡らされた。途端、なにか巨大な質量が光糸に絡まって細切れにされる。
透明だったものが姿を現す。
魔王軍の次空艦だ。光糸によって文字通り空中分解した艦の残骸が地面へと落下し、多くの地雷を起爆させてド派手な爆発を引き起こす。
当然、その一隻だけではない。
「バレているわよ。さっさと姿を見せなさい」
光学迷彩的なステルス機能で隠れていた艦が次々と姿を現していく。青空を埋め尽くすSFチックなメカメカしい戦艦の群れは――『鐵』の魔王軍である。
「困ッタ。〝勇者〟ハ、アマリ美味シクナイ」
一番大きな艦の船首に体の大部分を機械で改造された人間が立っていた。サイボーグ。『鐵の魔王』MG-666。魔王連合序列二十一位の侯爵だ。
「まあまあの大物が釣れたみたいね」
「邪魔ヲスルナ。今ハ〝勇者〟ニ用ハナイ」
光翼を羽ばたかせて飛翔する悠里に対し、MG-666も機械の翼からジェット噴射して勢いよく飛び上がる。
バシュバシュバシュウウウウゥ!! 艦隊からも無数の対空ミサイルが発射される。たかが人間一人に対して過剰な集中砲火に思えるが、悠里は光の糸を操ってその全てを爆風が少し届く程度の距離で迎撃した。
両腕をブレードに変形させたMG-666が光糸を掻い潜って悠里に斬りかかる。悠里は一部の光糸を巻き取るように集め、光の剣に変えてそれを受け止める。
数合の打ち合い。剣戟が荒廃した世界に響き渡る。
悠里の翼がより強烈に輝く。
MG-666は身の危険を感じたのか、間合いを取ってパカリと口を開いた。鉄色の輝きが口前に収斂していく。
悠里は口の端を僅かに吊り上げた。あの程度の魔力であれば打ち勝てる。MG-666は次の戦いも考えて本気を出していないのだろう。
油断。慢心。
悠里が魔王連合と敵対する〝始まりの勇者〟だと知っていて尚、手を抜いてくれるとはありがたい。それが機械人間だというのもまた滑稽だ。
「滅びなさい、魔王!」
悠里の翼から凄まじい光のエネルギーが放出――されなかった。
「ヒャホホホ、そこまでだ!」
第三者の声が聞こえた刹那、悠里はどういうわけか体が硬直して動けなくなったのだ。
「な……に……?」
鉄色の魔力光線が悠里を呑み込む。手加減しているとはいえ魔王の魔力砲。その威力を無防備に直撃すれば痛いでは済まない。
普通の人間だったら跡形もなく消滅していただろうが、それでも悠里は堪え抜いた。意識はあるが、相変わらず体は動かない。焼けるような痛みだけが全身を迸っている。
「……GMハ干渉シナイノデハ?」
MG-666が天を仰ぐ。そこにはシルクハットを目深に被った道化風の男が浮かんでいた。
「『呪怨の魔王』……ッ!」
悠里も無理やり首を動かして睨みつける。
「ヒャホホ、これは恐い恐い! 私の〝金縛りの呪い〟を受けているにも関わらず睨みつけてくるとは! 思わずチビってしまいそうだ!」
大仰に両腕を広げておどけてみせるグロル・ハーメルン。悠里は幾百の世界から力を借りている。なのにぎこちなく首を動かすだけで精一杯だった。
足りないというのか。奴相手には。まだ。
「ドウイウツモリダト訊イテイル。喰ウゾ」
MG-666が大砲に変形した腕をグロルに向ける。
「君に肩入れしたわけじゃない。これは魔王たちのゲームだ。『千の剣』には悪いが、『守護者』は見逃せても〝勇者〟の参加は流石に看過できないのでね。GMとして対処をしに来たというわけだ」
パチン、とグロルが指を鳴らす。
次の瞬間、悠里の体が足下から空間に呑み込まれていく。ずぶずぶと表現できそうな、底なし沼に沈んでいくような感覚。
「これ……は……?」
まずい。強制的に次元転移をさせられている。
「君を殺すのは私でも骨が折れるし、彼に恨まれたくはないのでね。しばらく封印させてもらおう! ヒャホホ!」
転移先は恐らくどこの世界でもない。狭間。〈次元渡り〉の能力者でも簡単に抜け出すことのできない、次空の牢獄だ。
「さあ、行くといい『鐵の魔王』。君が喰らいたいものはこの世界にはいないぞ」
「……」
MG-666は無言で戦闘態勢を解除し、グロルに背を向けて自分の次空艦へと戻る。その数秒後、全ての次空艦が一斉に消失した。ステルスを発動したのではない。世界を渡ったのだ。
悠里の体も首から上だけとなった。
「……くっそう」
「ヒャホホ、そう睨んでくれるな。君にどうこうさせるつもりはないが、君をどうこうするつもりもない」
シルクハットの下でグロルが意味深に笑う。
「よい茶葉を仕入れてある。向こうで一緒に茶を飲みながら話でもしようではないか」




