一章 旧異端世界エレジャ(3)
爆音、という言葉すら生易しい破壊の音が背後から鳴り響く。
紅と乳白色の光があり得ない速度で夜空を塗り潰していく。魔王二人によるとんでもない魔力が超絶広範囲に拡散してるんだ。文字通り飛んで逃げてる俺たちを狙い撃つわけじゃなく、あわよくば敵対する魔王軍ごとぶっ飛ばそうという魂胆が丸見えの豪快な大爆撃。
振り向いたら、ちょっとでも立ち止まったら、終わるぞ。速く! とにかく少しでも遠くに!
「も、望月!? もっとスピード出せないのか!?」
「無茶言わないで、わんこさん。とっくに限界よ」
「わふっ!? もうそこまで迫ってるぞ!? このままじゃ呑み込まれるぅ!?」
俺の腹にしがみついているルウが悲鳴を上げる。流石の望月でも二人分抱えて飛ぶとなるとなかなか厳しそうだ。ルウはともかく俺は重くてごめんね!
「ふふっ、飛んで逃げるのはやっぱり無理ね。転移するわ」
「おい待て、影魔導師の転移って確か……」
影の中を移動する――正確には、世界に寄生している『世界の種』という名の〝混沌〟を移動する術だ。〝混沌〟は影魔導師以外が触れると情報を抜かれてじわじわと死に至る。異世界人の場合は抜く情報がないため即死らしい。
転移なんてしたら俺とルウはお陀仏です。
「心配ないわ。できればわんこさんには見せたくなかったけれど、ルウちゃんもいるし、アレを使うわ」
望月はそう言いながら、俺を掴んでいない方の手を黒セーラー服の胸元へと突っ込んだ。そこから取り出したのは、ピラミッド型をした銀色の小さな謎物体。ネックレスのように首にかけていたらしいそれを引き千切ると――カッ!
「うわっ!?」
眩い光が俺たちを一気に包み込んだぞ。
フッ、と背後から迫っていた馬鹿みたいな魔力の気配が消える。いや、転移したんだから消えたのは俺たちの方か。
ザザー、ザザー、と穏やかな波の音が聞こえる。
「……ここは?」
ゆっくりと瞼を上げる。
暗い。でも全く見えないわけじゃないな。周りは土、いや岩のような壁と天井に囲まれていて、どうやら洞窟の中っぽいことがわかる。潮の香りがするってことは海の近く――海食洞ってやつだ。
「私たちの隠れ家の一つよ」
望月が元から置かれていたらしいランタンに火をつけた。影魔導師の望月は暗闇でも平気だろうから、俺とルウに気を遣ってくれたっぽいな。意外。
「おいエリカ、海があるってことは一番遠い隠れ家か?」
と、洞窟の出入口を見てきたルウがきょとりと小首を傾げる。
「そうね。近場はさっきの爆撃で全部吹き飛んだと思うし」
恐らく俺たちがさっきまでいた戦場は今頃マグマの海になっているか、更地になっているか、もしくはその両方だろう。一瞬でも転移が遅れたら俺たちもそれに巻き込まれていたことになる。
そう思うと身震いした。
「……どのくらい離れたんだ?」
「北海道の北端からインドネシアの南端くらいの距離かしら?」
「遠っ!? 離れすぎじゃないのかそれ!?」
どの道あいつらは倒さないといけないんだ。逃げるにしたって、せめて戦況を知れるくらいの位置じゃないとなにもわからなくなる。
「これでも不安は残る距離よ。あの魔王たちは仲間じゃないもの。私たちを見失ったとわかれば、恐らくまた戦争を再開するわ。そうなったら数千キロ単位で土地が消える。私たちはこの数日間で何度もそういう小競り合いを見て来たわ」
「小競り合いって規模じゃねえよ!?」
「あら? 上位の魔王同士の戦いよ? それがもたらす影響を、わんこさんならわかってると思っていたけれど」
「――ッ」
ハッとした。そうだった。世界を滅ぼせる力を持った連中だぞ。ネクロスだって最後は世界の空の半分を魔法陣で埋め尽くしていた。あいつらがネクロスに匹敵するかどうかは置いといて、その気になったら星ごと消えてもおかしくない。
今までは、運がよかったんだ。
「……まあいい。それより訊きたいことがある」
俺は一つ息を吐き出し、その辺の岩にどかりと腰を下ろした。
「おう! いいぞ! なんでも言ってみろ!」
「なんでもは答えないわよ」
同じように座ったルウに望月が呆れの視線を向ける。この二人、絶対馬は合わないと思うんだけどなんで一緒にいるんだ? ガルワースはどうした? まあ、それも後々訊くとしよう。
「まず、お前らは『味方』だと思っていいんだな?」
そこだけは、最初にハッキリさせておきたい。ゼクンドゥムの独断だったら困るしな。
キョトンとしたルウが望月と一度顔を見合わせ――
「当たり前だろ。白いのがドーメーってやつを組んだって言ってたぞ」
「そうね。わんこさんはそのうち私が惨たらしく殺してあげるけれど、今回は争っている場合じゃないもの」
よかった。とりあえずは、同盟の話について問題はなさそうだ。俺、あとで惨たらしく殺されるらしいけど。
「いやこえーよ!? ルウはいいとしても望月、お前はこえーよ!? 背中刺されないか不安しかねえよ!?」
「わんこさんに智くんを傷つけられた恨み、忘れてないから」
智くんとは望月絵理香が人間だった頃の恋人――を喰らった〝混沌〟の怪物である影霊のことだ。他の影霊はペットと呼ぶくせに、そいつだけは本当の恋人のように大切にしているんだよな。もはや人間じゃなくなったからか、感性がさっぱりわからん。
でも――
「そうだな。望月に助けられるのは二度目だしな。味方をしてくれるなら、しがらみをいつまでも放置するわけにもいかないか」
俺はすっと立ち上がると、気をつけの姿勢になり、丁寧に頭を下げた。
「やむを得なかったとはいえ、お前の恋人をぶった斬ったことは謝るよ。悪かったな」
「あら、素直。許さないけど」
「謝り損!?」
せっかく頭まで下げたのに! だいたいアレは互いに命を懸けた戦いだったし、智くんとやらはとっくに元気になってるんだから許してくれたっていいじゃないか。
「わふふ、これでお前らも仲良しだな!」
「そうはならねえよ!?」
「そうはならないわ」
ニッコニコ顔で嬉しそうに尻尾を振るルウに、俺と望月はつい言葉をハモってしまったよ。やだよ仲良く見えるじゃん……。
もういいや。話題を変えよう。
「えーと……ああ、そうだ。望月が監査局から脱獄したことは聞いちゃいたが、そのままこっちに参戦したのか? 他の奴らは?」
「『王国』側からこの戦いに参加したのは五人だけよ」
少ないな。軍勢を率いているはずだが、足手纏いと判断したのか、少数精鋭で魔王を暗殺するつもりなのか。
「白いのだろー、エリカだろー、ガルにカー……あ? 一人足んねえぞ!」
「自分を数え忘れているわよ。それとも、ふふっ」
一生懸命に指折り数えていたルウに、望月が妖しい笑みを浮かべる。
「ルウちゃんは私たちを裏切るって意味かしら?」
「わふっ!? 違うぞ!? エリカ目が怖い!?」
ビクンとなって尻尾の毛を逆立てたルウが望月から飛び退いた。馬は合わないと思ったけど、案外相性いいのかもしれん。
「ゼクンドゥムはたぶんまだ旧自由世界にいるはずだ。ガルワースとカーインは?」
「チームを三つに分けたの。くじ引きで。彼らは別の世界よ」
「……そうか」
ちょっと、痛いな。あの二人がいれば戦力的にも保護者的にもかなり助かるんだが、いないものはしょうがない。
この世界では、俺たち三人だけでどうにか魔王軍二つを退けないといけないってわけだ。え? 無理ゲーじゃね?
キリキリしてきた胃を押さえかけたその時、ふと、望月が首にかけ直したピラミッド型のネックレスに目がいった。
「その魔導具、転移に使ったやつだよな?」
「気になる? でも、ダメよ。今は手を組んでいるけれど、わんこさんは敵になるのだから教えな――」
「おう、その三角のやつはメガネが作った空間転移の道具だ! マーキングしといた場所にすぐ移動できるんだぜ!」
望月の言葉を遮ってルウが自慢げに説明してくれた。メガネってのはスヴェンのことだな。あのクソメガネ、『王国』に行ってこんなものまで開発してやがったのか。
「こんな距離を移動できるなんて、悔しいけどすごいな。監査局も転移はまだ魔法陣を頼ってるのに」
「そうだろそうだろー! もっとすごいのもあるんだぜ」
「ちょっと、ルウちゃんそれは――」
静止しようとする望月だったが、ルウはレアアイテムを自慢する小学生のように目を輝かせ、テニスボールサイズをした金色の球体を両の掌に乗せて俺に見せてきた。
「この丸いやつはあたしらが世界の移動に使ってる神器なんだ。世界のザヒョー? ってやつを入れるとその世界に行けるんだぜ! 〝王様〟がくれたんだ! すげえだろ!」
「……はぁ、全部喋っちゃったわね」
「あっ」
溜息をつく望月に、ルウはようやく自分がやらかしたことを理解して正気づく。
「なるほどな。〈次元渡り〉なんてできないはずのお前らだけが、どうしてこの世界にいるか不思議だったが、そういう絡繰りか」
「わーっ!? レイジ今のは忘れろ!?」
慌てて手足をバタバタさせるルウだったが、もう遅い。恐らく『王国』の機密を今一つ知っちまったよ。
「〝機奏者〟の贋作だけならまだしも、〈天漢王珠〉のことまでバラしちゃうなんて……お仕置きよ、ルウちゃん。ふふふ」
「や、やめろエリカあたしの尻尾に取り外し機能はついてなぎゃわああああああああああああああん!?」
地面から〝影〟の腕を生やしてルウの尻尾を引き千切らんばかりに引っ張る望月。いやぁ、魔導具の名前まで教えてもらってありがとうございます。空間転移の方は贋作って言ったから、スヴェンが〈天漢王珠〉を真似て作ったってことか。情報ほっくほく。
「こちらからも訊きたいのだけれど、どうしてわんこさんだけこの世界にいるの?」
パッとルウの尻尾を放して望月は振り返った。ルウは勢い余ってゴロゴロ転がり壁にぶつかってるよ。
「ああ、それなんだが実は……うっ」
一瞬、視界がぶれた。
眩暈だ。頭がくらっとする。ずっと緊張の連続だったせいだな。一応落ち着けるようになったことで一気に疲労が押し寄せてきたんだ。
「どうしたレイジ!? 大丈夫か!? エリカが怖かったのか!?」
「へえ?」
「わひぃ!?」
がばっと起き上がって子犬のように駆け寄ってきたルウが、望月に黒い笑顔で睨まれて俺の背中に隠れた。怖いならそんなこと言うなよ。
「大丈夫。流石に疲れただけだ。こっちに飛ばされる直前まで『蛇蝎の魔王』と戦ってたから」
「それなら数日は休めると思うわ。魔王たちも衝突した後は回復するためのインターバルを挟むでしょうし」
ぐきゅるるるるぅ!
俺の背後から元気のいい腹の音が聞こえた。
「まずはメシだな! レイジにあたしの缶詰分けてやる。感謝しろ!」
というわけで、話の続きは食事をしながらということになった。