終章 NEXT PROLOGUE
完全にやっちまったと思っていた。
相手は魔王だ。頭の中ではそうするしかないと理解していても、俺の人間的な部分には確かな躊躇いがあったことは認めている。そうなったらそうなったで、業を背負う覚悟もしていた。
「驚いたよ。まさか、まだ生きてるとはな」
隕石でも落ちたんじゃないかっていう巨大なクレーターの中心で、仰向けに倒れていた『蛇蝎の魔王』フィア・ザ・スコルピは、まだ息をしていたんだ。
「がふっ……心配すんなぁ……ちゃんと致命傷だぁ……」
全身の甲殻は砕け散り、片腕を失い、死の瘴気に侵されたフィア・ザ・スコルピは文字通り虫の息みたいだな。
「死ぬ前に……一つ聞かせろやぁ。『千の剣』……てめえは、どこを目指す? そこまでの力を持って……なにを成すつもりだぁ?」
指一本動かせないフィア・ザ・スコルピが、気力を振り絞るように言の葉を紡ぐ。その問いかけに対し、俺はすぐに答えが浮かばなかった。
単騎で魔王を叩き潰せる力を手に入れて、俺はなにがしたいのか?
放っておくと世界がやばいから魔王とも戦った。でも別に『世界を守りたい』なんて崇高な理由じゃない。俺はずっと俺自身のために、俺が求めるもののために戦ってきた。
前までは、悠里が帰ってくる場所を守ることだった。
今はその願いも叶っている。
だったら、俺の目指す場所は一つしかないな。
「俺は、平和に暮らしたいだけだ」
そのためにはお前らみたいな『魔王』って存在が邪魔なんだよ。『王国』も、今は同盟を組んじゃいるが帰ったら敵だ。
「ククク、魔王の道とは正反対を行くかぁ……まるで話に聞いた『黒き劫火の魔王』みてえじゃねえかぁ……」
リーゼの親父さん――アルゴス・ヴァレファールも平和に、『愛』に目覚めたから〝魔帝〟の座を降りたと聞いている。なるほどね。経緯とかいろいろ違うけど、近い物はあるよ。
「てめえの魔道がどこに行きつくのか、死後の世界から見届けてやるよぉ。……おら、さっさとトドメを刺せやぁ」
フィア・ザ・スコルピはゆっくりと瞼を閉じた。潔く負けを認めたらしいな。そういうところはネクロスより好感が持てるね。
だが――
「いや、もっと近い特等席で見させてやるよ」
「あぁ?」
俺はフィア・ザ・スコルピの顔面に左手を添える。
「俺はお前を殺さない。だが、お前の魔力は頂く。これからは俺の中で俺の力として生きるんだな」
まあ、これは〝人〟を殺したくない俺の屁理屈みたいなもんだ。結果は殺すことと変わらないかもしれんが、俺が一応納得できる形に落とし込むにはこうする他ないんだよ。
「ハン……オレ様を喰おうってかぁ?」
「あー、ほらアレだ。お前は俺の奪われた力を持ってなかっただろ? 代わりだよ、代わり」
魔王を倒してなんも報酬なしじゃ寂しいからな。百パーセント言い訳だけど、こうすることでパワーアップできるなら今後の戦いに必ず活きてくるはずだ。
まだ倒さないといけない魔王は、グロルの野郎も含めて六人もいるんだから。
「オレ様はてめえに負けたぁ。敗者は勝者に従うもんだぁ。好きにしやがれぇ」
そう言うと、フィア・ザ・スコルピはそれ以上なにも喋らなくなった。早くしないとこいつの命の火が消えてしまう。
「じゃあな。中にいるネクロスと喧嘩してくれるなよ?」
俺は左腕に意識を集中させ、フィア・ザ・スコルピの魔力を一気に〈吸力〉していく。
「……」
くっ、ここまで叩きのめしているのになかなか吸い切れないぞ。流石は魔王ってところだな。え? 唇で奪えば早いって? 誰得だよ。
数分かけて、ようやく全ての魔力を俺の中に取り込んだ。フィア・ザ・スコルピの体が夢か幻だったかのようにすーっと消えていく。
この前は地脈の魔力も吸ったのに、入るもんなんだなぁ。これ〝魔帝〟の魔力が返ってきた時に入らなかったどうし――
「ぐっ……ッ!?」
き、来たぞ。頭の中で『声』がやかましく喚き始めた。殺せ! 壊せ! 奪え! そんな内容を常人なら気が狂っちまうレベルで連呼され続ける。
受け入れれば、楽にはなるだろう。
だが、そんなのはごめんだ!
「黙れ!!」
一喝。
それだけで『声』は大人しくなった。なんかもう、慣れたもんですよ。俺が常人に戻れる日は来るんだろうか?
「……ふぅ、なんとかなったな」
肩の力を抜き、ドサリと俺はその場にへたり込んだ。一人目で既にこの消耗。これ他の魔王が一斉に攻めて来たら今度こそ死ねる気がするよ。
「ふぅ、じゃありませんよぅ」
「うおっ!? 誘波!?」
目の前に小さなつむじ風が舞ったかと思えば、目に痛いくらい鮮やかな十二単を纏った天女もどきが姿を現した。
「『蛇蝎の魔王』は倒せたようですねぇ」
「なんとかな。他のみんなは無事なのか?」
〝夢〟の中である程度は見ていたとはいえ、その後の方がやばかった。これで死傷者ゼロだなんて言われたらいくら俺でも疑ってしまうよ。
「監査官たちは流石ですねぇ。全員怪我は負っていますが命は無事です。モッキュ族ちゃんたちの被害は大きそうですが、モグラリアントちゃんが一命を取り留めたのでなんとかまとめてくれるでしょう。あと、たった今レイちゃんが魔王を倒したので、残党の眷属たちが一斉に消滅しましたねぇ」
「そうか。よかった……とは安易に言えないが、とりあえずこれ以上戦う必要はないんだな」
因縁があったとはいえ、モッキュ族は俺たちが巻き込んじまったんだ。他の魔王との戦いにも参戦してくれなんて口が裂けても言えやしない。俺たちは早急のこの世界から離脱するべきだろう。
「ところで、眷属が消えたらどうなると思いますか?」
「え? 平和になるんじゃねえの?」
唐突に意味わからん質問をしてきた誘波は、すっと立てた人差し指で頭上を示した。
「アレ、落ちて来ますよ?」
見上げると、穴ぼこの開いた巨大な次空艦がゆっくりと落下しているところだった。
はー、なるほどねー、アレってフィア・ザ・スコルピの眷属が動かしてたんだー。へー。
「わぁああああああああミスったぁあああああああッ!? あの中にはモッキュ族の一般人がまだいるのに!? 誘波! 風で受け止めてくれ!」
「私はもうへとへとなんですよぅ。そんな力残ってません」
「元気そうに見えるけどね!?」
あの中のモッキュ族たちを全員墜落死させたりしちゃったら、俺もう責任取って腹切るしかねえよ! お前ならできる! 無理してでもやってください誘波様!
「キヒッ、捕虜については心配いらないよ。お兄さんが『蛇蝎の魔王』と戦っている間に、ボクが全員逃がしておいたから」
「ゼクンドゥム!?」
白い光のトンネルから現れた白布少女。お前今までどこでなにしてやがったんだよ。いやそれより、捕虜は助けたって?
「お前、そんないい奴だったっけ?」
「正直どうでもよかったけどね。同盟を結んでる以上、あとでお兄さんから恨まれるのも嫌だし」
やれやれと肩を竦めるゼクンドゥム。落ちそうになってた俺がモッキュ族に助けられた時には、既に避難は始まっていたってこと? サボりを疑ってごめんな。
「誘波、てめえ知ってたな?」
「さあ? なんのことでしょう?」
ぷいっとそっぽを向く誘波にせっかく抑え込んだ破壊衝動が目覚めそうになるも、ぐっと我慢。
「てことは、艦の中は無人なんだな? 地上の避難は?」
「もちろん、ほとんど完了してますよぅ。あとは私たちだけですねぇ」
「なら心配ないか」
「そうですねぇ。私たちはさっさと転移するので、レイちゃんも早く避難してくださいねぇ。あの次空艦、丁度ここに落ちるようですし」
「おう……お? いや、ちょ、待って!? 俺も連れてって!?」
ヒュオッと無慈悲にも消え去る誘波。もしかして、本当に俺を運べるだけの体力が残ってないのか?
じゃあゼクンドゥムに……閉じかけた光のトンネルから片手だけがバイバイしていたよ。
「どうやってこの危機を乗り越えるのかな? 楽しくなってきたね、お兄さん。キヒヒ♪」
「覚えてろお前らッ!?」
魔王を倒した英雄にこの仕打ちってどういうことなの? と、とにかく走るんだ俺。次空艦はもう頭上まで迫ってやがるぞ!
走る。逃げる。走る。逃げる。走る。走る。走る――
「ん?」
ふと、目の前に人影を見つけた。子供? いや大人か? 男? 女? 次空艦の影が暗いせいか、姿が曖昧でよくわからん。
「おい! ここは危ないぞ! 早く避難を――」
近づいて、気づく。
人影の正体は、どこまで行っても『曖昧』で、本当に『影』そのものに見えた。
この感じに覚えは、ある。
「お前はまさか、『仄暗き燭影の魔王』!?」
俺は咄嗟に右手に日本刀を生成する。すると『仄暗き燭影の魔王』ンルーリは、心なしかニッコリと笑ったような気がした。
〝楽しかったよ。次も面白いもの見せてね〟
「へ?」
頭に幼い少女のような声が響いた途端――フッと。
俺の足下から地面の感覚が、消えた。
丸い影のような穴がぽっかりと開いている。重力だけじゃない引力が、俺の体を穴の奥へと引き寄せていく。
「おま、ちょ、のわぁあああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
俺は成すすべなく、落ちてしまった。足場となる盾を空中生成しようにも、なぜか座標が曖昧で掴めない。
ひたすら影の中を落ち続けること数分、いや数秒だったかもしれない。時間の感覚すら曖昧だった。
ぺっと吐き出されたそこは――
「どこだ……?」
グランドキャニオンを思わせる乾いた峡谷だった。神殿のような建物の残骸があちこちに転がっているな。
空は夜なのか暗い。星明りも月明りない群青色。モッキュ族の都市じゃないことは確かだ。毒沼や瘴気もなさそうだから、そもそも俺がさっきまでいた旧自由世界オゼクルグとも違うような気もする。
カッ! と。
突然、空が明るく照らされた。
「なっ!?」
何事かと思って見ると、紅い次空艦の艦隊が紅蓮の炎で地上を爆撃しているぞ。さらに地上からは乳白色の光線が次々と撃ち上げられていく。
静かだった峡谷が、一瞬で爆音に支配された。
「えー、マジですか……?」
俺は、他の魔王同士の戦争真っ只中に放り出されたってこと?
(続く)