五章 VS蛇蝎の魔王軍(8)
ガシャアアアアアアン!!
俺が寝ている治療室の扉が破壊され、毛むくじゃらの塊が二つ飛び込んできた。それは血塗れで倒れたモッキュ族――警備のために施設に残っていた兵士たちだ。
「あー、お前たちなにがあった!?」
アーティが突然のことで驚愕して声を荒げる。だが、生きているのか死んでいるのか、意識のない兵士たちは答えない。
代わりに、嘗め回すような声が破壊された扉の向こうから聞こえた。
「シャハッ! いやおい、こりゃいくらなんでも警備が手薄すぎるぜ! 仮にもてめえらのリーダーを守ってるんだろ?」
ノシノシと歩いて姿を現した男には、見覚えがありまくるぞ。チロチロと出した長い舌。盾に割れた瞳孔。見えている肌は硬そうな鱗で覆われ、無数の毒蛇を手足に巻きつけている。
グロイディウス。俺とゼクンドゥムで倒したはずの、四害蟲の一人だ。
「あー、貴様は……あの時、モグラ戦車君二号で跳ね飛ばした蛇男か」
アーティも思い出したようだな。シーンがちょっとアレだが、どうやらその思い出はグロイディウスにとって苦いモノだったらしい。蛇顔を引き攣らせたよ。
「あ? てことはてめえが俺を轢きやがった奴かよ! 痛かったぞ。ああ、めちゃくちゃ痛かった! おかげで一回負けて魔王様に無様を見せちまったし、てめえのせいで踏んだり蹴ったりだクソが!」
「あー、貴様は死んだと聞いていたが?」
「死んだとも。だが、魔王様に復活させてもらったんだ。正確には以前の記憶を持った全く新しい俺だがな」
待て、それはおかしい。フィア・ザ・スコルピは眷属を生み出すのは大変で、ゲーム中にはもう増やせないって言ってたぞ。
「あー、眷属生成には時間がかかるのではなかったか?」
情報を共有していたアーティも同じ疑問を抱いたみたいだな。
「普通はな。だが、魔王様は俺を回収しただろ? つまり、眷属一人作る分の魔力は確保していたってわけだ。『五人目』は作れねえってだけでよ」
嘘をついたわけじゃないが、ブラフだったわけか。まんまと騙されたよ。おかげでこんなところまで侵入されちまった。
警備をしていた兵士は全滅したと思った方がいい。今、この場で動けるのはアーティだけ。非常にまずい状況だぞ。
「魔王様は俺にチャンスを与えてくださった。あっちで戦争おっ始めている間に、マヌケにも毒で倒れた『千の剣』にトドメを刺して〝魔帝〟の力を抜き取るっつう重要な任務をなぁ!」
グロイディウスに巻きついていた毒蛇が宙に浮かび、尻尾に噛みついて輪を作る。それから高速で回転を始める。
「ついでだ。女ぁ、てめえにも轢かれた恨みを晴らさせてもらおうか! シャシャシャ!」
「――ッ!?」
アーティは咄嗟に白衣のポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、三個のピンポン玉サイズのミラーボール。〈現の幻想〉だ。
記録されているデータは――俺!
「シャ!? 『千の剣』だと!?」
三人の俺がそれぞれ棍、日本刀、バスターソードを右手に生成してグロイディウスに襲いかかる。三人がかりだ! よしやっちまえ俺!
と応援するのも束の間だった。左右の俺は蛇の輪から放たれた毒光線に溶かされ、真ん中の俺はグロイディウスの腕が蛇に変形して首を噛み千切られたよ。俺ぇええええええッ!?
「なんてな! こいつらは見たことがあるぜ! 誰が『千の剣』を模しただけの出来損ないの人形にビビるかよ!」
出来損ないで悪かったな。それらは中学生の頃の俺だよ。割と戦えてた頃なんだけど瞬殺かぁ。そっかぁ。最近こんなんばっか見せられてませんか?
「あー、参った。絶体絶命だ」
今投げた〈現の幻想〉は三つとも割れて壊れちまった。もうストックもなくなったのか、アーティは拳銃を取り出して発砲する。だが、ただの銃弾なんてグロイディウスには止まって見えるのか、軽く体を横にずらすだけでかわされてしまった。
そのまま一瞬でアーティとの間合いを詰められ――
「シャシャシャ、当たると思うか? そんな豆鉄砲が!」
ゴッ! 硬く握った裏拳がアーティの顔を真横から殴打しやがった。
アーティ!?
悲鳴も上げず薙ぎ払われて転がったアーティは……ちょ、ピクリとも動かなくなったぞ。
「んん? シャシャシャ、まさか軽く撫でただけでダウンしちまうとは! さてはてめえ、戦闘できない奴だったか?」
「……」
アーティは倒れたまま答えない。気絶しちまったのか? 今ので首の骨が折れたとかないよな?
「まあいい。先に任務を遂行しよう。てめえで遊ぶのは、その後のお楽しみだ」
下卑た表情で舌なめずりするグロイディウスが、ベッドで寝ている俺に歩み寄ってくる。くっそ、起きろ俺! 今すぐ起きるんだ! 寝てる場合じゃねえぞ!
「あん?」
グロイディウスの動きがピタリと止まった。見ると、這い寄ったアーティが奴の足首を掴んでいたんだ。
「後で遊ぶっつったろ! てめえは寝てろ! 俺の邪魔をすんじゃねえッ!」
アーティが掴んだ足をグロイディウスは思いっ切り蹴り上げた。前に投げ飛ばされる形になったアーティは、その華奢な体で俺のベッドを引っ繰り返す。
それでも、アーティは立ち上がった。頭から血を流しながら、ふらふらの足で床を踏み締め、両手を大きく広げて――
俺を、庇うように通せんぼをする。
「チッ、なぜ立つ? そいつはそこまでして守りてえもんか? 惚れてんのか?」
そうだ。もういい。お前は逃げろ! 俺は、どうにかやられる前に起きるから!
「あー、白峰零児は我らの希望だ。貴様に殺されては世界が終わる」
「……つまんねえ答えだ」
カプリ、と。
グロイディウスの伸ばした腕から一匹の毒蛇が飛び出し、アーティの首に噛みついた。瞬間、アーティは脱力してその場に倒れちまった。
毒か!? まずい、死ぬなアーティ!?
「安心しろ。ただの麻痺毒だ。てめえは後で生きたままじっくり嬲ってやるからよ。殺してくれと懇願してもギリギリで死なせねえ。てめえみてえな女が心を壊していく様を見るのが俺は大好物なんだ! シャシャシャ!」
く、クズが!
くそ、くそくそくそくそ! なんで起きねえんだよ俺!? 今起きないでいつ起きるんだ!? ゼクンドゥムが〝夢〟を見せてるせいか? だったらすぐ解除しろ!? おい聞こえてるんだろ!? チクショウ!? 起きろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!
コロコロコロン、と。
倒れたアーティの目の前に、一個のミラーボールが転がってきた。〈現の幻想〉? まだ残っていたのか? 一体どこに……あっ!
ベッドが引っ繰り返った拍子に俺のポケットから零れたやつだ。
俺が持ってる〈現の幻想〉と言えば、一つだけ。
アーティは麻痺毒で完全に動けなくなる前に、それを掴んで起動した。
「性懲りもなくお人形遊びか? シャシャ! 何度やっても俺に瞬殺されるだけだぜ!」
幻想が形を作る前にグロイディウスは殴りかかる。
だが――パシリ。その拳は簡単に受け止められたよ。
「――誰が、僕を瞬殺できるって?」
不敵で凶悪な笑みを浮かべる、サンドブロンドの短髪とカジノのディーラーみたいな服装をした少年によってな。
ゾクッと肩を跳ねさせたグロイディウスが警戒して後ろに跳び退る。
「なんだ、てめえ?」
「前回は獣のおチビちゃん。今回は三下。はぁ、まったく、僕の使いどころがテキトーすぎやしないかい?」
誰何するグロイディウスはスルーして、サンドブロンドの少年――ネクロス・ゼフォンはやれやれと肩を竦めて倒れているアーティと俺を見た。
「砂色の髪に〝死〟のディーラー服……まさか、『柩の魔王』だと!? 魔王連合序列第十五位の公爵。〝死〟の概念が、なぜここに?」
グロイディウスは完全にビビった様子だな。説明ご苦労様。ネクロスが真性の魔王と呼ばれる『公爵』以上なのは知っていたが、あの野郎でも序列は十五位か。高いのか低いのか。
「――って、どうせそいつも見た目だけの人形だろうが! ビビらせやがって! この『蛇蝎』の魔王軍四害蟲、グロイディウス様の敵じゃねえんだよ! シャッシャッシャ!」
幻想が喋ってる時点で他とは違うと気づかないのか、グロイディウスは蛇に変化させた両腕を伸ばしてネクロスに襲いかかる。
「『蛇蝎』? ああ、あの成り上がりのイキリヤンキーか」
斬ッ!
ネクロスが天井に届くほどの巨大な『柩』を出現させたかと思えば、中から禍々しい斧を持った骨の腕が現れてグロイディウスの蛇腕を斬り落とした。
「へあ?」
なにが起こったのかわからず呆然とするグロイディウス。その様子を見て、ぷぅとネクロスは噴き出したよ。
「アハハ、クソ雑魚じゃないか! 確かに僕は人形だし、本物の力の七割しか使えない。でも君ごときを殺すくらいなら三分もいらないんだよ!」
ネクロスがフィンガースナップをすると、巨斧を持った骨腕が立ち尽くすグロイディウスを壁まで薙ぎ飛ばした。
「で? 殺ってしまっていいのかい?」
首だけ振り向いて、ネクロスはアーティに問う。
「あー、白峰零児なら止めただろうが、今回呼び出したのは私だ。遠慮はいらない」
「だってさ!」
許可が出た刹那、ネクロスは壁に減り込んでいたグロイディウスの顔を掴んでその場に叩きつけた。俺なら止める、か。いや時と場合によるよ? 送り返せなくなった異獣は殺処分してるし、〝人〟も……やっぱ否定できません。
でも、今回だけは『いいぞもっとやれ』って気分だ。
「目障りな蛇が。地べたを這ってる方がお似合いだよ」
さらに嗤いながら頭を踏みつけて、ぐりぐり。うわぁ、やっぱりこいつもこいつで趣味が悪いよ。幻想とはいえ、よくこんな性格を残したまま俺たちに味方してくれるね。
「シャラァアッ! 調子こいてんじゃねえぞ人形ごときが!」
どうにか抜け出したグロイディウスが距離を取って蛇の輪を浮かせる。毒光線を放つため魔力をチャージしている間に、ネクロスは急に冷めた顔になって片手を翳した。
「あーうん、なんかもういいよ。獣のおチビちゃんの方が楽しかった。――消えろ」
膨大な魔力が、砂色の光線となって射出される。
「そんな……せっかく、魔王様が俺に……」
避けることなど到底できず、グロイディウスは魔力砲に呑み込まれ――
「シャガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
塵芥一つ残らず、消し飛んだ。
「品のない悲鳴だね。アハッ、まあ、そういうのは嫌いじゃないけど」
施設の外まで大穴を穿ったネクロスは、まだ三分経っていないのに自分の意志で元のミラーボールへと戻った。
ふう、なんとか危機は脱したか。ネクロスは切り札だったが、ここで切っちまったからフィア・ザ・スコルピとの戦いでは使えないな。
と、俺の見ている景色がぐにゃりと歪んだ。
なんだ? この、吸い上げられるような感覚は……もしかして、〝夢〟から覚めるのか? え? 今?
「――いや遅ぇよ!?」
ガバッと起き上がりながら俺は開口一番にツッコミを入れてしまった。やだなぁ、こんな目覚め方。寝てた気は全くしないけども。
「あー、ようやく目が覚めたか、白峰零児」
弱々しい声に振り向くと、まだ麻痺毒が抜けていないらしいアーティが傍に倒れていた。俺はすぐに立ち上がり、引っ繰り返っていたベッドを起こしてからアーティを抱え上げてそっと寝かせる。
「悪い、アーティ。怖い思いをさせちまったな。怪我は大丈夫か?」
「あー、気安く頭を撫でるな。改造するぞ貴様」
「守ってくれてありがとな」
「あー、撫でるなと言っている!」
指先一つ動かせないアーティになにを言われても怖くありません。俺が守ってくれた感謝を込めてこれでもかと頭をなでなでしてやると、なんか顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。ふむ、ちとやりすぎたか。
すると、そこにモッキュ族の兵士たちが駆けつけてきた。みんなグロイディウスと戦ってくれたのか、ボロボロだ。それでもアーティの治療を任せても大丈夫だろう。
「あー、状況は理解しているか?」
モッキュ族の兵士に手当てされつつ、アーティが訊ねてくる。
「ああ、ゼクンドゥムが〝夢〟で見せてくれたからな。お前のおかげで体もどうにか動く。すぐに向かわねえと――」
言いかけた瞬間、目の前に白い光の靄が出現したよ。噂をすればなんとやらって言うけど、タイミングよすぎだろ。
「あいつはホントに、どんだけ把握してんだっての」
最低でも誘波クラスの戦場把握能力はあるぞ。まあいいや。ここから歩いて新市街に行くのは面倒だしな。都合がいい。
「じゃあ、行ってくる」
「あー、死ぬなよ」
一つ深呼吸し、俺はアーティたちに見送られながら〈夢回廊〉に足を踏み入れた。